♪おみそしるパーティー♪

「ほにゃらか」の
古典・短歌・ことば遊び
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いいわ~。この歌♪ 033:「魚」

2005年11月07日 16時07分21秒 | ★題詠マラソン(感想)
ここでは、「題詠マラソン2005」に出詠されている短歌の中から、
私が「いいな~」と思った歌を、お題ごとに紹介しております。

あくまでも、素人の私が「いいわ~」「好きだわ~」という基準で
選ばせて頂いております。

以下、出詠者のお名前は敬称を略させて頂きますことを
あらかじめご了承くださいますよう、お願い申し上げます。


   「033:」から



★ワタルからは来ない賀状をしたためる そら飛ぶ魚の噂を添えて (鈴木貴彰)
 ( http://blog.goo.ne.jp/monjiros/ )


   ほ:返事が来ないことが続いていても、つい年賀状を出してしまう友人がいます。
     住所が変わってしまったのか、戻ってきてしまうこともあるのに。
     あるいは、もうこの世にはいないのかもしれないと思わせる表現です。

     年賀状を書くという行為そのものが、その人を思い出すことでもあり、
     自分の思い出を懐かしむことでもあるのでしょう。

     目を開かない魚のうわさを聞いて、授業が終わるのも待ち遠しく教室を
     飛び出したあの日のように、そら飛ぶ魚の噂を知ったらワタルはどんな
     反応をするだろう。子供の頃にもどったように、一緒に探しに行こうと
     言ってくれるんじゃないのか。あいつの顔が眼に浮かぶようだ。
     そんなことを思いながら…。



★無精卵抱いてしずかに滅びたい魚鱗のような雨の降る道 (丹羽まゆみ)
 ( http://b1.jaxy.net/d/index.php/b422907263bbc3 )


   ほ:もう子供を授かることはないと心に誓っているのでしょうか。
     それでも、女性の身体には数え切れないほどの無精卵を抱えています。
     このまましずかに滅びたいという思いで、雨の中を歩いている
     寂しい気持ちが痛いほどに伝わってきます。
     「魚鱗のような雨」の中、おそらく傘もささずに濡れながら、きっと
     泣きながら歩いているのでしょう。
     しかし、上の句の「無精卵抱いてしずかに滅びたい」という言葉には
     はっきりとした意志があり、寂しい中にも強さが見えます。
     悲しい・寂しいという気持ちに溺れていないところが素敵だと思いました。



★煮魚を骨だけ残し平らげる箸の捌きに見惚れる淫ら (落合朱美)
 ( http://www4.ocn.ne.jp/~siesta07/ )


   ほ:魚をキレイに食べる人の箸の動きは素敵だと思います。
     育ちもよく、きっと何をするにも丁寧なのだろうなと思えます。
     「見惚れる淫ら」は、表現がストレート過ぎる気もしますが、
     ちょっと面白いなと思ったので、とりあげさせて頂きました。



★あいまいな笑みをうかべてどちらにもなれないままの半魚人たち (みあ)

   ほ:「あいまいな笑みをうかべてどちらにもなれないまま」というのが、
     なんだか日本人ぽくて、切ないなぁと思いました。
     どっちつかずの曖昧な態度しかとれない人がたくさんいますね。
     自分もそうかもしれません。
     「人魚」ではなく、「半漁人たち」としているところが好きです。     



★瞼を閉じる事もなく世界が終わるのを凝視する魚の目 (渡部律)
 ( http://blog.goo.ne.jp/ura_kuroneko/ )


   ほ:魚を捌くとき、わたしは「魚の目」を怖いと思います。
     血が出るとか、内蔵がどうとかではなく、目を見開いたままなのが怖い。
     何かを思っているように見えるからです。
     「世界が終わる」ときも、魚たちは目を見開き続けるのでしょう。

     初句から第二句へ、第三句から第四句へ、第四句から結句へ、
     リズムの跨りがあるのですが、一首全体で三十一音になっています。
     五七五七七のリズムに合わせて読もうとすると、途切れ途切れに感じます。
     しかし、詠っている内容が「世界が終わるのを凝視する魚の目」だけに、
     この妙なリズムが、意識が切れ切れになってゆく魚の断末魔に思えて
     とても面白い表現だなと思います。

     ただ、短歌として意識せずに読んでしまうと、「魚の目」を説明するための
     散文にも見えてしまうという点が、ちょっとだけ残念でした。     



★魚水から魚爛へのとき いもうとともう呼べはしないひととおとうと (鈴木英子)

   ほ:「魚水」は、親密な間柄のこと。
     「魚爛」は、魚が爛(ただ)れて腐るように物事の潰敗(かいはい)するさま。
     「いもうとともう呼べはしないひと」は、弟さんのお嫁さんだった人でしょう。

     人のつながりというのは全く不思議なもので、ある人と結婚することによって
     それまで他人だった人とも、親子になったり兄弟姉妹になったりするわけですが、
     その縁が切れてしまうと、親子、兄弟姉妹の関係も切れてしまうのでしょうか。
     まったく不思議なことですよね。

     「魚」というお題から、よくこういうテーマをお詠みになったものだと、
     それがまたすごいなと思いました。



★骨のない魚が愚痴る今日もまたつまらぬ餌がぶらさがってる (やまね)

   ほ:「つまらぬ餌」に愚痴っている魚の方も「骨のない魚」だという。
     なんとも皮肉で、面白いお歌ではありませんか。
     「骨のない魚」の具体も、「つまらぬ餌」の具体も、わからないのですが、
     どうも私はこういうお歌が好きなのです。
     できれば、何についての風刺なのか、作者の方に伺ってみたいと思いました。



★太刀魚か立ち魚なのか争うを寿司屋は鼻で笑って握る (のぶれば)

   ほ:このお歌も面白いです。
     「太刀魚」なのか「立ち魚」なのか、お寿司屋さんのカウンターで
     お客さんたちが議論を始める。それをお寿司屋さんのおやじさんが
     「ふん」と鼻で笑いながら、寿司を握っている。

     「お客さん、んなこたぁ~どうでもよござんしょ。
      タチウオを漢字でどう書こうが、そんなこたぁ問題じゃありやせん。
      わしの握る旨い寿司を、どうぞ召し上がっておくんなさいよ。」

     そう思っているのでしょうか。

     「まったく、物事の本質も見極められねぇくせに、表面の字面だけに
      こだわるやつが多すぎて、やってられねぇよぉ。」

     と、呆れているのでしょうか。

     「寿司屋は鼻で笑って握る」という表現が、いかにも威張っている
     寿司屋さんっぽくて、面白いなと思いました。

     (いやいや、全部のお寿司屋さんが威張っているわけでありません。)

 

★黒字の「ほ:~」の部分が私の感想です。

こちらでご紹介する短歌は、私がとても「良い」と思ってピックアップし、
そういう気持ちを前提に感想を述べております。

私の言葉が足りなかったり、私の表現がへたくそであったりするために、
作者の方が不愉快に思われることも、もしかしたら、あるかもしれません。

しかし、こちらでご紹介した作品に対して、批判の気持ちは決してないということを、
どうぞご理解くださいますよう、お願い申し上げます。

もし、何かお気づきの点、ご意見などがございましたら、
どうぞご遠慮なくコメント欄へお書き下さいませ。




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カテゴリー「★題詠マラソン感想(2005)」からご覧下さい。

私ほにゃらかの歌は、カテゴリー「★題詠マラソンのお題で短歌」か、
カテゴリー「★ほにゃらかの短歌」などをご覧下さい。

11.7:鍋の日

2005年11月07日 00時32分40秒 | ★記念日俳句

鍋の日やひとりの鍋はつらすぎる  ほにゃらか




11.7:鍋の日

二十四節気の、立冬となることの多いこの日を「鍋の日」と定めたのは、
鍋料理に欠かせないつゆなどのメーカーのヤマキ株式会社。
冬に向かい鍋物がよりおいしくなる季節をアピールするのと、
家族で鍋を囲んで団らんを楽しんでもらおうとの願いが込められている。

                       (日本記念日協会HPより)

「里俳句会」
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