♪おみそしるパーティー♪

「ほにゃらか」の
古典・短歌・ことば遊び
『 題詠100首blog 』に参加中

律さんの 「猫目亭雑記帖」 で、連歌大会開催~~♪

2005年11月02日 23時19分49秒 | ★日記・謎の葉っぱ

渡部律さんの「猫目亭雑記帖」で、連歌大会が開催されます。
題して「連歌モドキ~連歌連鎖巻ノ四~」

どんな感じなのかなぁ~?という方のために、
律さんの説明をコピペしまする。



ブログで気軽に連歌(モドキ)をやろう企画で御座います。
是非お気軽に連なり、思いもしない歌が己の歌に連なるのをお楽しみ下さいませ。
さて、連歌と申しましてもあくまでモドキで御座います。「楽しむ」事が何よりの条件。後は少々のモドキ規則と礼儀。其れらをご理解の上お楽しみ下さい。

連歌モドキ規則
第一条 他者の上の句に下の句を連ねたのち、続けて新しい歌の上の句を詠む。
第二条 連続して連ねない(誰か一人でも間に挟んでいれば良し)
第三条 十五首まで連なったら一区切りとする。
第四条 歌の連なりを「楽しむ」。

仰々しく規則等書きましたが、そう堅苦しく考えずお詠み下さい。参加者が増えましたら規則も変化してゆきます。
そうでなくても皆様のお声で変化してゆきます。また、連歌本来の規則も加わる事も御座います。
十五首まで連なりましたらまとめまして公開する次第で御座います。まとめる際にタイトルなるものを付けますが、そちらの案も御座いましたら投稿願います。
すべては楽しんで詠めますように。



ということで、とっても楽しいので、ここに遊びに来て下さる皆様も、
ぜひぜひ参加してみてくださいませ。

いいわ~。この歌♪ 030:「橋」

2005年11月02日 22時45分20秒 | ★題詠マラソン(感想)
ここでは、「題詠マラソン2005」に出詠されている短歌の中から、
私が「いいな~」と思った歌を、お題ごとに紹介しております。

あくまでも、素人の私が「いいわ~」「好きだわ~」という基準で
選ばせて頂いております。

以下、出詠者のお名前は敬称を略させて頂きますことを
あらかじめご了承くださいますよう、お願い申し上げます。


   「030:」から




★ほたる橋ふたりで渡るやくそくを秘めて夕餉の菜をきざむ母 (吉野楓子)
 ( http://b1.jaxy.net/d/index.php/b42166dc4bf98b )


   ほ;上の句の秘密めいた感じと、下の句の夕餉の菜をきざむという日常の動作。
     「母」の裏面にあるものを見たような瞬間の、とらえ方が巧いと思います。



★橋だった。遠い町へと買い物にひとりで行くとき怖かったのは (武田ますみ)
 ( http://mypage.odn.ne.jp/home/erimana0508 )


   ほ:「橋だった。」ここに句点(。)がある。ここで句切れるのだ。
     つまり、作中主体が「橋だった。」と気づいてから、間が空く。
     そして、子供の頃の気持ちを回想する。
     「そうそう。遠い町にひとりで買い物に行くとき、怖かった。
      特に橋を渡るときに、怖いと感じたのだった。」
     徐々に蘇ってくる記憶の表現。
     子供の頃に、多くの人が感じたであろう不安のとらえ方。
     倒置法が、たんなる語順の置き換えでなく、意味のあるものに
     なっていると感じました。



★この橋を渡ればすべて終はるなり助走をつけて跳ぶ赤い橋 (寺川育世)

   ほ:「赤い橋」の意味するところが、わたしにはわからないのですが、
     命に関係があるように思えてなりませんでした。
     終わることによって、何か新しい自分になろうとする決意に見え、
     跳んでも良いのか、跳んではいけないのかと不安な気持ちにさせられます。
     きっと歩いて渡れるものではなく、えいや!っと助走をつけなければ
     跳ばなければ、渡れないのだと感じさせられました。



★橋の下をみてはいけない渦巻いて流れるものは無縁のものだ (里坂季夜)

   ほ:作中主体の橋の下に、いったいどんなものが流れているのでしょう。
     「無縁のもの」であれば気にならないか、というと、そうでもない。
     「みてはいけない」と思えば思うほど見たくなる。
     無縁と思って通り過ぎれば、自分は安全な高いところにいるし、
     最初から見ないようにすれば辛くもない。
     でも、あまりにも丸見えで……。
     「橋」はそういうところなのかもしれません。



★来世紀、桟橋と化す運命の高架ホームに快速を待つ (五十嵐きよみ)
 ( http://yaplog.jp/noma-iga/ )


   ほ:詞書きがありましたが、このブログへの転記の際、
     ほにゃらかによって省略させて頂きました。

     地球が温暖化して、やがて陸地が海に沈む時が来るかもしれない。
     この高架ホームでさえも、いつか桟橋と化する運命にある。

     社会詠ともとれますし、作中主体の心象ともとれます。
     「快速を待つ」という結句が意味深だと思いました。



★吾妻橋渡れば君の住む街へ行ける(いけない)日が暮れてゆく (林 ゆみ)
 ( http://yumi.myfws.com/ )


   ほ:目の前の橋を渡っていけば君に会えるのに…。
     でも、行ってはいけない。でも行きたい。
     迷いながら日が暮れてゆく。
     こんな夕暮れを、なんど繰り返してきただろう。
     そういう想いが、とてもストレートに表現されていて、
     いいなと思いました。
     
     橋の名前に固有名詞をもってきたことも効果的だったと思います。
     作中主体が、実際にその橋の向こうにいる人を思っているように
     感じられるから、ということがひとつめの理由。
     もうひとつは、「吾妻橋」という名前が持っている意味性。
     詠っている心情を考えると、なんとも皮肉で切ない名前ではありませんか。



★春やげにかぐわしきかな橋の下川も昨日にあらぬざわめき (船坂圭之介)
 ( http://kei5132ameblo.jp/ )


   ほ:春。桜の花見でもしているひとたちがいるのでしょうか。
     花の香りやら、美味しそうな花見弁当の香りやら、お酒の香りやら、
     なんとも良い香りがして、心を惹かれるようです。
     川の水量も増しているのか、冬のさむざむしい流れとはうってかわって、
     騒がしく勢いよく流れている。

     けれど、作中主体は、その宴の中にはいない。
     橋の上から、橋の下で華やいでいる人たちの姿を、ただ見ている。
     なんとも寂しい気持ちで。

     寂しいことをさびしいと表現せず、華やかな様子を詠いながら
     作中主体の気持ちを推量させるというのは、すごいなと思いました。



★一条で橋のたもとを覗き込み式神さがす もういませんか? (仁村瑞紀)
 ( http://mizukiuta.exblog.jp/ )


   ほ:一条の橋というのがどんな橋か知らないのですが、
     「千と千尋」の千尋が渡った橋が目に浮かびました。

     「もういませんか?」という問いかけが、効いていると思います。

     式神に、どんな願いをかけたいと思ってさがしているのか、
     もしいなかったらどうするのか、想像力をかきたてられました。



★陸橋のうへの匂ひは好きですか? たとへ海からはなれてゐても (遥悠(天晴娘々))
 ( http://nunato.orz.ne.jp/index.html )


   ほ:「陸橋のうへの匂ひ」というのは、どんな匂いでしょう。
     排気ガスの匂い?向こう岸の焼鳥屋さんからもれてくるタレの匂い?
     昔の彼とつきあっていた頃につけていた香水の匂い?
     海からはなれているけれども、海の匂いがするのかな?
     
     どうして陸橋なのか。どうして海からはなれているのか。
     誰に問いかけているのか。
     ごめんなさい。本当は何一つわかっていないのですが、
     とても心を惹かれたのです。
     ぜひ作者にうかがってみたいと思いました。

 

★黒字の「ほ:~」の部分が私の感想です。

こちらでご紹介する短歌は、私がとても「良い」と思ってピックアップし、
そういう気持ちを前提に感想を述べております。

私の言葉が足りなかったり、私の表現がへたくそであったりするために、
作者の方が不愉快に思われることも、もしかしたら、あるかもしれません。

しかし、こちらでご紹介した作品に対して、批判の気持ちは決してないということを、
どうぞご理解くださいますよう、お願い申し上げます。

もし、何かお気づきの点、ご意見などがございましたら、
どうぞご遠慮なくコメント欄へお書き下さいませ。




他のお題からのピックアップ「いいわ~。この歌♪」は、
カテゴリー「★題詠マラソン感想(2005)」からご覧下さい。

私ほにゃらかの歌は、カテゴリー「★題詠マラソンのお題で短歌」か、
カテゴリー「★ほにゃらかの短歌」からご覧下さい。

028 朝ぞさびしき

2005年11月02日 19時40分44秒 | ★百人一首本歌取り

【ほにゃらかの本歌取り】


夢に見し朝ぞさびしさまさりける山里にゐる父母と思へば

                        短歌:ほにゃらか

【本歌】

山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば

                「古今集」冬・三一五・源宗于朝臣


【本歌の解釈】

山里は、(都と違って)とりわけ冬がとくに寂しさのまさって感じられることだ。
人も訪ねてこなくなり、草も枯れてしまうと思うので。


【本歌の解説】

さびし……心細く孤独だ・荒れすさんで寒々としている
ける………詠嘆の助動詞「けり」の連体形 (「冬ぞ~まさりける」で係り結び)
かれぬ……「かる」(「枯る」と「離る」の掛詞)+完了の助動詞「ぬ」終止形
思へば……思ったので(確定条件)
下二句が上三句の理由にあたる。倒置法。


☆ 028の本歌取り 他の方の作品は、makoさんの「二進法の恋」にあります

11.2:タイガース記念日

2005年11月02日 10時40分04秒 | ★記念日俳句

タイガース記念日 虎は死しても川には落ちず  ほにゃらか



11.2:タイガース記念日

1985年(昭和60年)の今日、
プロ野球の阪神タイガースが西武ライオンズを日本シリーズで破り、
球団創設以来初の日本一となったことを記念して、タイガースファンが制定した日。
掛布、バース、岡田らによる圧倒的な攻撃力でセ・リーグを制し、
さらに日本一となった。

                        (日本記念日協会HPより)

「里俳句会」
日本記念日協会
記念日俳句


「虎は死して皮を留め人は死して名を残す」という諺があります。
虎が死んだあと美しい毛皮を残すように、人も死んだのちに
りっぱな名を残すように心がけようということ。(sharpの電子辞書より)

今年のタイガースファンは、立派だったなぁと思います。
日本シリーズでは残念な結果に終わりましたが、
マリーンズを讃えて拍手する姿が見られ、さすが虎ファンだなと思いました。

でも、皮を留めるのは良いけれど、優勝して川に飛び込むのは危険です。
「汚い川だし、危険だから禁止」といわれたらやめた方がいいです。
それよりも、「タイガース優勝祝賀☆専用飛び込みプール」ってのを
作ったらどうでしょうか~。
入場料を取って、大型モニターを備え付けて、野球観戦をしてもらう。
タイガースが勝ったら飛び込むぞ~~~!!みたいな…ね。

来年はがんばって日本一を目指してくだされ。