大倉草紙

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【京都】 無鄰菴

2008年11月11日 07時19分44秒 | 旅 - 京都府
7月20日(日)
当日の行程:(阪急電鉄・烏丸駅)…(自転車) → 【建仁寺】【圓徳院】【高台寺】【八坂神社】【平安神宮】【無鄰菴】【吉田神社】


   

無鄰菴(むりんあん)は、明治27年(1894)から明治29年(1896)にかけて山県有朋が造営した別荘。
建物は、木造2階建の母屋、茶室、2階建ての洋館の3つから成る。


          
                  洋館

   
              「無鄰菴会議」の部屋


   
       「無鄰菴会議」の部屋の花鳥模様の格天井

洋館には、「無鄰菴会議」の部屋が残っている。
壁面は、江戸時代初期の狩野派による金碧花鳥図障壁画で飾られている。
この部屋で、明治36年(1903)4月21日、日露戦争開戦直前の日本の外交方針を決める「無鄰菴会議」が行われた。
会議のメンバーは、元老・山県有朋、政友会総裁・伊藤博文、総理大臣・桂太郎、外務大臣・小村寿太郎の4人。
会談は、午後4時に始まり、約2時間続いたという。


   
洋館には、山県有朋が愛用した書見台付きいすとテーブルも置かれていた。


   
                  母屋

母屋では、抹茶をいただくこともできる。
また、母屋や茶室の貸出も行っているそうだ。


   
                  茶室

茶室は、藪内流燕庵(やぶうちりゅうえんなん)を模して作られたといわれる。
藪内流燕庵とは、織部が考案した相伴席付三畳台目の茶室を指すそうだ。


   
                  庭園

          
              庭園の奥にある滝

庭園の面積は、約3,135平方メートル。
山県有朋の設計・監督のもと、7代目小川治兵衛が作庭したもの。
無鄰菴の前に訪れた平安神宮の神苑も、7代目小川治兵衛の手による。
庭園を流れる水は、琵琶湖疏水から引いたものだという。
ここ京都の無隣庵、小田原の古稀庵、目白の椿山荘庭園、この三園をあわせて山縣三名園と呼ばれているそうだ。

とても暑い日で、頭が痛かった。
母屋で庭を見ながら暫く涼んで、また出発した。