7月20日(日)
当日の行程:(阪急電鉄・烏丸駅)…(自転車) → 【建仁寺】 → 【圓徳院】 → 【高台寺】 → 【八坂神社】 → 【平安神宮】 → 【無鄰菴】 → 【吉田神社】
無鄰菴(むりんあん)は、明治27年(1894)から明治29年(1896)にかけて山県有朋が造営した別荘。
建物は、木造2階建の母屋、茶室、2階建ての洋館の3つから成る。
洋館
「無鄰菴会議」の部屋
「無鄰菴会議」の部屋の花鳥模様の格天井
洋館には、「無鄰菴会議」の部屋が残っている。
壁面は、江戸時代初期の狩野派による金碧花鳥図障壁画で飾られている。
この部屋で、明治36年(1903)4月21日、日露戦争開戦直前の日本の外交方針を決める「無鄰菴会議」が行われた。
会議のメンバーは、元老・山県有朋、政友会総裁・伊藤博文、総理大臣・桂太郎、外務大臣・小村寿太郎の4人。
会談は、午後4時に始まり、約2時間続いたという。
洋館には、山県有朋が愛用した書見台付きいすとテーブルも置かれていた。
母屋
母屋では、抹茶をいただくこともできる。
また、母屋や茶室の貸出も行っているそうだ。
茶室
茶室は、藪内流燕庵(やぶうちりゅうえんなん)を模して作られたといわれる。
藪内流燕庵とは、織部が考案した相伴席付三畳台目の茶室を指すそうだ。
庭園
庭園の奥にある滝
庭園の面積は、約3,135平方メートル。
山県有朋の設計・監督のもと、7代目小川治兵衛が作庭したもの。
無鄰菴の前に訪れた平安神宮の神苑も、7代目小川治兵衛の手による。
庭園を流れる水は、琵琶湖疏水から引いたものだという。
ここ京都の無隣庵、小田原の古稀庵、目白の椿山荘庭園、この三園をあわせて山縣三名園と呼ばれているそうだ。
とても暑い日で、頭が痛かった。
母屋で庭を見ながら暫く涼んで、また出発した。
当日の行程:(阪急電鉄・烏丸駅)…(自転車) → 【建仁寺】 → 【圓徳院】 → 【高台寺】 → 【八坂神社】 → 【平安神宮】 → 【無鄰菴】 → 【吉田神社】
無鄰菴(むりんあん)は、明治27年(1894)から明治29年(1896)にかけて山県有朋が造営した別荘。
建物は、木造2階建の母屋、茶室、2階建ての洋館の3つから成る。
洋館
「無鄰菴会議」の部屋
「無鄰菴会議」の部屋の花鳥模様の格天井
洋館には、「無鄰菴会議」の部屋が残っている。
壁面は、江戸時代初期の狩野派による金碧花鳥図障壁画で飾られている。
この部屋で、明治36年(1903)4月21日、日露戦争開戦直前の日本の外交方針を決める「無鄰菴会議」が行われた。
会議のメンバーは、元老・山県有朋、政友会総裁・伊藤博文、総理大臣・桂太郎、外務大臣・小村寿太郎の4人。
会談は、午後4時に始まり、約2時間続いたという。
洋館には、山県有朋が愛用した書見台付きいすとテーブルも置かれていた。
母屋
母屋では、抹茶をいただくこともできる。
また、母屋や茶室の貸出も行っているそうだ。
茶室
茶室は、藪内流燕庵(やぶうちりゅうえんなん)を模して作られたといわれる。
藪内流燕庵とは、織部が考案した相伴席付三畳台目の茶室を指すそうだ。
庭園
庭園の奥にある滝
庭園の面積は、約3,135平方メートル。
山県有朋の設計・監督のもと、7代目小川治兵衛が作庭したもの。
無鄰菴の前に訪れた平安神宮の神苑も、7代目小川治兵衛の手による。
庭園を流れる水は、琵琶湖疏水から引いたものだという。
ここ京都の無隣庵、小田原の古稀庵、目白の椿山荘庭園、この三園をあわせて山縣三名園と呼ばれているそうだ。
とても暑い日で、頭が痛かった。
母屋で庭を見ながら暫く涼んで、また出発した。