いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

< 郷土料理 > 山形 おみ漬

2024-04-10 08:17:23 | 郷土料理

 「おみ漬」

 主な伝承地域 村山地域、最上地域、置賜地域

 主な使用食材 山形青菜、大根、人参、きくいも、紫蘇の実(塩漬け)、醤油、ざらめ

 歴史・由来・関連行事
 多様な漬物文化が残る山形県。「おみ漬」は高菜の一種「山形青菜(せいさい)」を使った漬物で、「青菜漬」とともに山形県を代表する漬物の一つである。
 青菜は明治37年(1904年)に中国の重慶から入ってきたといわれる品種で、山形県では明治41年(1908年)奈良県から種子を入れ、農事試験場で試作。その結果従来の漬け菜としていた体菜、山東菜、芭蕉菜などよりも品質が優れていることが判明し、山形青菜の栽培を開始した(『北国の野菜風土誌』青葉高)。大正初期から採種できるようになり、昭和に入り、栽培地域が村山地域から県内一円に広がった。
 山形青菜は一株が500g程度、丈が70cmから80cmにもなり、大きい野菜。「青菜漬」は肉厚の茎の部分を珍重して食べることが多く、葉先は捨ててしまうこともあったため、もったいないと近江出身の商人が刻んで漬物にしたことから、「近江漬」が転化して「おみ漬」になったといわれている(ほかにも名前の由来は、刻んだ野菜を揉んで漬けることから「もみ漬」が「おみ漬」になったという説など諸説ある)。
 このように「おみ漬」は、余った野菜をすべて使い切るための知恵として発展してきた料理ともいわれており、使う野菜の種類に限りはなく、「山形青菜」に限らず余った野菜をなんでも細かく刻んで漬けていた。

 食習の機会や時季
 山形青菜が収穫されるのは10月下旬から11月中旬にかけて。大きいもので、一株の丈が70cmから80cmにもなる。「おみ漬」は、正月の席でも食べられている。
 山形青菜のシーズンを迎えると、わりと手軽につくれる「おみ漬」をつくる家庭も少なくない。

 飲食方法
 山形青菜を中心に、大根、人参などの旬の野菜を一緒に刻んで、しばらく塩漬けにしてから食べる。ごはんと一緒に食べるのはもちろん、おにぎりの具やお茶漬け、チャーハンの具などさまざまな用途に活用できる常備菜といえる。
 近ごろは、山形青菜の間引き菜を使ってつくられることもあり、山形を代表する冬の漬物「青菜漬」が出回る前に食べられたりもする。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 現在でも家庭でつくられているほか、真空パックされた既製品なども販売されている。飲食店では定食の一品として提供されることも珍しくない。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/omizuke_yamagata.html より

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<伝統野菜・果樹> 大分 シャンス

2024-04-10 08:14:09 | 伝統野菜

 「シャンス」

 【生産地】竹田市

 【特徴】雑柑※の一種。地域在来種。生産量は極少量で希少種。

 【食味】果皮の色が青く未熟なうちは香りと酸味が強く「酢みかん」として使う。黄色に熟すと上品な香りと柔らかな甘み酸味になる。皮をむいて食べることもできる。サッパリとした甘さで夏みかんやスイーティーのような味わい。

 【料理】調味用

 【来歴】不詳。200年以上前からあるとされる。竹田市の祖母山山麓地帯に分布する。

 【時期】庭先果樹で栽培される家庭用の酢みかん(調味料柑橘)。集団栽培はされていない。

 ※雑柑とは、柑橘類のうち、系統的にみて類縁関係が明確でなく、その品種や系統のみが存在するような小グループの呼称。日本にはこの仲間が多く、夏橙(なつだいだい)、八朔(はっさく)、伊予柑(いよかん)、三宝蜜(さんぽうかん)、日向夏(ひゅうがなつ)他がある。

*https://tradveggie.or.jp/44-ooita/#i-23 より

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<B級ご当地グルメ> 北海道 室蘭やきとり

2024-04-10 08:10:39 | B級ご当地グルメ

 「室蘭やきとり」

 都道府県 北海道
 地域 室蘭市
 推進団体 
 概要 「室蘭やきとり」は、北海道室蘭市のご当地B級グルメ。
 鶏とネギではなく、豚肉とたまねぎを使用し、洋がらしをつけて食べる。
 室蘭市内約60店舗以上のやきとり屋で提供されている。

*https://b9navi.com/%e5%ae%a4%e8%98%ad%e3%82%84%e3%81%8d%e3%81%a8%e3%82%8a/ より

 「室蘭やきとり」

 鉄の街が愛する名物グルメ 室蘭やきとり

 豚肉+たまねぎ+洋からしが室蘭流

 豚肉、タマネギをやわらかくジューシーに炭火で焼き上げ、
 各店オリジナルな秘伝のタレや洋がらしがやきとりをさらに引き立てます。

 01鳥は使わないけど「やきとり」
 室蘭で「やきとり」と言えば、「豚肉」と「タマネギ」。昭和初期、豚のモツや野鳥などが屋台で串焼きにして多く食べられていて、次第に鳥肉よりも安く手に入る豚肉が「やきとり」の言われるようになったようです。タマネギは北海道が産地であるため、長ネギより安く手に入りやすく、しかも豚肉と相性もよいため定着したということです。

 02「やきとり+洋からし」スタイルは室蘭から
 「室蘭やきとり」と洋からしのセットは、「おでん」や「トンカツ」の洋からしを付けたところから始まりなど、さまざまな説があります。室蘭では洋からしが当たり前に付いてくるので、ほかの地域のやきとり屋さんで洋からしがないと寂しい気持ちになるなんてことも。

 03屋台から始まり80年以上愛され続ける 「室蘭やきとり」
 昭和8年あたりに、室蘭の輪西の屋台からはじまった「やきとり」。以来80年以上も鉄の街で働く労働者を支え続ける中で食の文化として定着しました。居酒屋でもやきとりを出すお店も多く、人口に対するやきとり屋の割合は日本一との声もあります。まさに「やきとりの街=室蘭」と言っても過言ではありません。

*http://muro-kanko.com/eat-buy/yakitori.html より

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うまいッ! NHK「復活!伝統の味 焼きハゼ~宮城・石巻市~」

2024-04-10 08:02:38 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「復活!伝統の味 焼きハゼ~宮城・石巻市~」 2014年12月28日

 番組内容
 宮城県の昔ながらの雑煮のだしに欠かせない「焼きハゼ」。ハゼを新鮮なうちに串に刺し、じっくりと焼いてから一週間煙でいぶして作る伝統の食材だ。石巻市でハゼ漁から加工まで一貫して手がける榊さん夫婦に密着、深い味わいを生み出す秘密に迫る。榊さんたちは東日本大震災で自宅や作業場を失い、焼きハゼ作りを教わってきた父を亡くした。もう焼きハゼは無理と思っていたが、周囲の支えもあり復活に至った榊さんの心意気を描く。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201412280615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 伝統の「焼きはぜ」復活 震災で被災の石巻・長面、榊照子さん 2022年11月20日 6:00  

 東日本大震災とその後の復旧工事で途絶えた宮城県石巻市長面地区の焼きはぜ作りに復活の火がともった。焼きはぜ作りを祖父の代から受け継ぐ榊照子さん(78)が、知人から作業場を借り4年ぶりに再開した。仙台雑煮に欠かせない焼きはぜだが、今年は家族や近所の分で手いっぱい。榊さんは「若い人に伝え、古里の味を守っていきたい」と話す。

 「ゆうべは興奮してあまり眠れなかった。久しぶりの焼きはぜ作りだからね」。長面浦に面した作業場で10月下旬、榊さんが声を弾ませた。

 まきが燃えるいろりを囲み、1匹ずつ串に刺したハゼを並べる。自ら早朝の長面浦へ船を出し、刺し網で取ったばかりの約30匹。炎と煙にいぶされてヒレがぴんと立ち、あめ色で香り高い焼きはぜに仕上がる。

 榊さんは津波で自宅と作業場を失った後も長面地区の別の場所を借り、仮設住宅から通って焼きはぜ作りを続けた。震災後の作業場は宮城県の道路建設で立ち退くことになり、2018年を最後に焼きはぜ作りを断念。20年5月には操船を担っていた夫正吾さん=当時(76)=が亡くなった。

 「当時は『正月のお雑煮はやっぱり長面の焼きはぜじゃないと』ってみんなに言われ、困った」と振り返る榊さん。長面地区で民宿を営んでいた坂下清子さん(78)が今年、新たな作業場を提供し、特注のいろりまで用意してくれた。漁に出るため小型船舶免許も取った。

 長面地区で震災前、焼きはぜ作りをする家は3、4軒あったが、今は榊さんだけだという。「もう年だからいつまで続けられるか。ただ、焼きはぜを習いたいという若い人も見つかった。伝統を引き継ぎたい」と期待を寄せる。

*https://kahoku.news/articles/20221119khn000045.html より

 

 正月の仙台雑煮に欠かせない焼きハゼ作り 宮城・石巻市 12/12 (月) 17:40

 宮城県石巻市では、正月の仙台雑煮に欠かせない焼きハゼ作りが行われています。

 伝統の焼きハゼ作りを行っているのは石巻市沢田の漁師、阿部喜一さんです。

 石巻市の万石浦で取れた20センチほどのハゼを尾びれや背びれの形を整えて串に刺して並べ、炭火でじっくりと焼き上げます。

 一度に焼き上げるのは60匹ほどで、約1時間で表面はアメ色になり、部屋は香ばしい香りで満たされていきます。

 焼いたハゼは10匹ずつわらで結び、煙でいぶしながら乾燥させて完成となります。

 阿部さんによりますと、ハゼの水揚げ量は震災前に比べ10分の1ほどに減少し、焼きハゼの担い手も少なくなっているということですが、阿部さんはできる限り続けていきたいと話します。

 漁師阿部喜一さん「宮城の伝統文化みたいなもんですから、大事に味わいながら食べてもらいたいというのが一番じゃないすか」

 焼きハゼは石巻魚市場に出荷され、主に県内で販売されます。焼きハゼ作りは12月下旬まで続くということです。

*https://www.khb-tv.co.jp/news/14790786 より

 「体が動く限り伝統を受け継ぐ」80歳漁師が“焼きハゼ”づくり 宮城・石巻市 2022年12月12日(月) 18:00

 師走も半ばを迎え、宮城県石巻市では、仙台雑煮の出汁に使われる焼きハゼづくりが連日行なわれています。

 焼きハゼを作っているのは、石巻市沢田の漁師、阿部喜一さん(80)です。

 30年ほど前から、師走になるとこの作業を行なっていて、目の前の万石浦で獲ったハゼを串にさし、1時間近くかけて炭火でじっくりと焼き上げます。今年はおよそ5000匹をつくる予定です。

 震災後、万石浦ではハゼの不漁が続いていますが、阿部さんは、体が動く限り、伝統を受け継いでいくつもりです。

 阿部喜一さん:「焼きハゼは、宮城の伝統文化ですから、大事に味わいながら食べてもらうことが一番」

 焼きあがったハゼは、わらで縛ってつるされ、石巻魚市場に出荷されます。伝統の焼きハゼづくりは、12月30日ごろまで続けられます。

*https://newsdig.tbs.co.jp/articles/tbc/228502?display=1 より

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<料理用語-和食> 空也

2024-04-10 07:48:30 | 料理用語

 「空也」

 平安時代中期の僧である「空也上人」は独特の念仏を唱えたことで知られる。鉢やひょうたんを叩いて踊るというもの。この様子が人々の記憶に残り、料理の名称ともなっている。

 ひょうたんの形をした「空也最中」や「空也餅」などの菓子類の他、料理の献立にも空也を冠するものがある。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/7_E/07.html より

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<異名-人物> 最後の元老

2024-04-10 07:46:29 | 異名

 「最後の元老 西園寺公望」

 西園寺 公望(さいおんじ きんもち、1849年12月7日〈嘉永2年10月23日〉 - 1940年〈昭和15年〉11月24日)は、日本の公家、政治家、教育者。位階・勲等・爵位は従一位大勲位公爵。雅号は陶庵、不読、竹軒。

*Wikipedia より

 明治36年(1903年)には伊藤の後を継いで立憲政友会総裁に就任し、明治39年(1906年)内閣総理大臣に任じられ、第1次西園寺内閣、第2次西園寺内閣を組閣した。この時代は西園寺と桂太郎が3度にわたって交互に政権を担当したことから「桂園時代」と称された。

 その後は首相選定に参画するようになり、大正5年(1916年)に正式な元老となった[1]。大正13年(1924年)に松方正義が死去した後は、「最後の元老」として大正天皇、昭和天皇を輔弼、実質的な首相選定者として政界に大きな影響を与えた。

*Wikipedia より

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<難読漢字-魚> 法螺貝、吹螺、梭尾螺

2024-04-10 07:42:58 | 難読漢字

 「法螺貝、吹螺、梭尾螺 ほらがい」

 ホラガイ(法螺貝、学名 Charonia tritonis、英: Triton's trumpet)は、ホラガイ科(旧分類:中腹足目 フジツガイ科)に分類される巻貝の一種。日本産の巻貝では最大級の種類で、身は食用とされ、貝殻は楽器として使用される。

*Wikipedia より

 由来・語源 本来は法螺で、これに貝をつけた理由はわからない。仏教の法要などに吹く楽器を作る原料になる貝なので「法螺」。古く、法螺は大型の巻き貝で作った戦の時の楽器。また修験行者の持ち歩く楽器(仏具)であった。
 漢字はほかに、梵貝、陣貝、梭尾貝・貝(大言海)。
 『日本及び周辺地域産軟体動物総目録』(肥後俊一、後藤芳央 エル貝類出版局)には、法螺貝は『目八譜』よりとしている。このあたりを整理して和名を決定したのは岩川友太郎ではないか。
 〈宝螺(ほらのかい)  『本草綱目』に、ひ(織機の杼)に似ていて、いま釈子(仏道修行者)が吹いているものである……この最も大きなものをわが国では軍隊用としている。これを吹いて先鋒の兵を進めるのである。修験行者はいつも山行にはこれを吹いて同行を導き、かつ狸・狼に襲われるのを防ぐ……〉。『本草綱目啓蒙』(小野蘭山 東洋文庫 平凡社 文政12 1829)

*https://www.zukan-bouz.com/syu/%E3%83%9B%E3%83%A9%E3%82%AC%E3%82%A4 より

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<慣用句・諺> 段段よくなる法華の太鼓 など

2024-04-10 07:40:43 | 慣用句・諺

 「段段よくなる法華の太鼓」

 「だんだん良く成る」の「なる」に、法華宗の団扇 (うちわ) 太鼓が「鳴る」を掛けて続けた言葉遊び。

 

 「暖を取る」

 からだを暖める。

 

 「小さくなる」

 身を縮める。恐縮したり遠慮したりして、かしこまる。

 

 「知恵出でて大偽あり-ちえいでてたいぎあり」

 《「老子」一八章から》人間が素朴であった昔は、自然のままの生活で平和であったが、時代が下って、人間の知恵が発達すると、人為的な掟が盛んに作られるようになる。

 

 「知恵が回る」

 すぐにその場にふさわしい判断ができる。

 

*goo辞書 より

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<日本酒メーカー> 秋田 千歳盛酒造

2024-04-10 07:33:34 | 日本酒

 「千歳盛酒造」

 当蔵は秋田県の北東の端 青森・岩手と県境に位置する鹿角市に所在します。
 鹿角地域は昼と夜の寒暖差が多く米の栽培適地であり山々に囲まれているため豊富な天然水に恵まれております。
 良い米と良い水を北国秋田の中でも群を抜いた厳寒な地域鹿角で丁寧にじっくりと時間をかけて仕込まれたお酒です。

 蔵の歴史
 地元鹿角で生まれ百四十余年
 私たちの酒造りの真髄は『小さく大事に醸す』
 当蔵は1872年、明治5年に創業しました。元々は地元で飲まれる濁酒などを造っておりましたが技術を磨き、昭和初期には上質な清酒を造りだす酒蔵へと至り全国清酒品評会で数多く入賞。昭和13年にはその栄誉を称えていだだき名誉賞を拝領いたしました。酒銘は創業者の初代田村茂助により、不老長寿の願いを込めて「千歳」と命名されました。その後、大正11年に世の繁栄と人々の更なる長寿を願い、「千歳盛」となりました。合名会社田村酒造店は戦時下の企業統合、戦後の混乱期を経てかづの銘酒株式会社と改名され、2019年に千歳盛酒造株式会社へと改名され現在に至っております。

 蔵ちかくの「おせど」と呼ばれる共同井戸は多くの人で賑わいます。

 酒蔵のある場所は古くから天然水が豊富に湧き出る地域です。近所には現在も共同井戸があり、遠くから汲みにくる方も数多くいらっしゃいます。千歳盛の仕込み水は蔵の上に位置する白洲台地からの天然伏流水です。豊富な積雪が生み出す雪解け水が長い年月をかけて、リン酸や塩化物など発酵促進の有効成分を多くとりこみ、酒造りに適した仕込み水となります。

 酒造りの時期には麹米を担いだ蔵人たちが、上の麹室へ駆けのぼります。
原料となる米は、地元の秋田県産米を使用しております(※1)。秋田県産米を、寒冷な気候のもと、時間をかけてゆっくりと醪を醸す「秋田流長期低温発酵造り」で千歳盛は生み出されます。「鹿角」は寒冷地秋田の中でも最も寒い地域です。醪の仕込みから発酵まで、低い温度でじっくりと時間をかけることで、原料米がゆっくりと溶けます。それにより米の旨みと華やかな香りが際立ちます。

(※1)一部の吟醸酒へ兵庫県産山田錦を使用しております。

 仕込み蔵は、傾斜地を利用したとても珍しい半地下構造となっており、小型の仕込みをしております。時代の流れが変わっても地元鹿角唯一の酒蔵として、鹿角の酒造りの火を消すことなく地域の役にたてる酒蔵であり続けたいと酒を造り続けております。

 千歳盛酒造株式会社 秋田県鹿角市花輪字中花輪29

 代表銘柄

チトセザカリ 特別純米 白色 尾去沢貯蔵

チトセザカリ「白色」を、年間通して13℃と安定した温度が保たれている尾去沢鉱山坑道の低温にて、じっくりと熟成させたお酒です。
従来のチトセザカリ「白色」より味に深みを加え、ほんのりとまろやかな感じに仕上がっております。 

 原料米/秋田酒こまち
精米歩合/60%
アルコール度数/15.5
使用酵母/AK-1
仕込み水/十和田八幡平山系伏流水
酸度/1.5
アミノ酸度/1.2
日本酒度/+2.5

千歳盛 純米大吟醸 HANAWA BAYASHI

秋田酒こまちを40%まで磨き上げた純米吟醸。華やかな香りと、後味の穏やかな優しい味わいの日本酒です。

分類/純米吟醸
原料米/秋田酒こまち
精米歩合/40%
アルコール度数/15度
日本酒度/+1
酸度/1.2
酵母/こまち酵母S

*https://www.akitanosake.net/shopbrand/ct34/ より

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<四国八十八箇所> 第10番札所 切幡寺

2024-04-10 07:19:23 | 巡礼

 「切幡寺」

 切幡寺(きりはたじ)は徳島県阿波市市場町切幡にある高野山真言宗の寺院。得度山(とくどざん)灌頂院(かんじょういん)と号す。本尊は千手観世音菩薩。四国八十八箇所第十番札所、阿波西国三十三観音霊場(東部)第28番札所。

 本尊真言:おん ばさら たらま きりく
 ご詠歌:欲心をただ一筋に切幡寺 後の世までの障(さわ)りとぞなる
 納経印:当寺本尊、奥之院八祖大師
 歴史
 寺伝によれば、修行中の空海(弘法大師)が、着物がほころびた僧衣を繕うため機織の娘に継ぎ布を求めたところ、娘は織りかけの布を惜しげもなく切りさいて差し出した。これに感激した空海が娘の願いを聞くと、父母の供養のため千手観音を彫ってほしいとのことであった。そこで、その場で千手観世音菩薩像を刻んで娘を得度させ、灌頂を授けたところ、娘はたちまち七色の光を放ち即身成仏して千手観音の姿になったという。

 空海はこのことを嵯峨天皇に伝えたところ、勅願によって堂宇を建立、空海の彫った千手観音を南向きに、娘が即身成仏した千手観音を北向きに安置し本尊として開基したという。山号や寺号は機織娘の故事にちなんでいる。

 往時は堂塔伽藍二十四坊を抱えていたが、天正年間(1573年 – 1592年)に長宗我部元親の兵火によって焼失し、明治42年に再び火災によって大塔以外を焼失している。その後に再建されたのが現在の伽藍である。

 境内
 山門(仁王門)
 八大龍王堂:日本八社。当寺の鎮守。
 杖無し橋:本堂の壇まで333段
 経木場:伝統行事の一つとして、毎年春分の日と秋分の日に、先祖の戒名などを経木に書き清水をかけて流して供養する経木流しを行なっている。
 奪衣婆堂(祠)
 本堂:拝殿土間と本堂と奥殿の三重構造で、本堂には大塔の本尊であった大日如来が奉られ、奥殿には秘仏千手観音菩薩が奉られている。
 大師堂
 鐘楼
 虚空蔵菩薩(祠)・弁財天(祠)
 はたきり観音:機織の乙女が即身成仏した伝説の観音像。右手にはさみを左手に布を持つ姿である。
 歌碑:山主「この寺乃由来が於和す御佛ハ はたきり観音姿うるわし」が上記観音の左脇にある。
 不動堂
 大塔:徳川家康の勧めにより豊臣秀頼が父・秀吉の菩提を弔うため慶長12年(1607年)大坂住吉大社の神宮寺である新羅寺の西塔として建立される。明治初年の廃仏毀釈により新羅寺が廃寺となったため明治6年(1874年)から明治15年(1883年)にかけて移築された(重要文化財)。国内の二重塔では、初層も二層も方形という形式で現存しているものは当塔のみである。
 八祖大師堂:真言八祖を祀る堂。奥の院とみなされている。
 山門を抜けると駐車場があり。その右上の段に八大龍王堂、まっすぐ参道を進むと333段の石段が始まる。99段上がると経木場があり、さらに残りの女厄坂、男厄坂を上りきると本堂のある境内に到達する。右手に手水場、その後ろに鐘楼がある。正面奥に本堂があり、その右に弁財天と虚空蔵菩薩の祠があり、その先に「はたきり観音」像が建てられている。本堂手前の右側には大師堂が、左側の石段を少し上がれば不動堂があり、さらに石段を上ると大塔がある。その高台からは吉野川が流れる平地や第十二番焼山寺のある山々を望むことができる。納経所は手水場の向かい側にある。なお、山門の脇の駐車場からさらに上に駐車場があるが急坂のため普通車まで。

 宿坊:なし
駐車場:山門脇に20台、さらに上のに10台。いずれも無料。

 文化財
 重要文化財
 大塔:桃山時代1607年、明治15年移築、本瓦葺、高さ24.168 m、昭和50年6月23日指定。

 切幡寺  徳島県阿波市市場町切幡129

*Wikipedia より

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