いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

< 郷土料理 > 山形 鯉のうま煮

2024-04-14 08:48:00 | 郷土料理

 「鯉のうま煮」

 主な伝承地域 置賜地域、米沢市

 主な使用食材 コイ、醤油、みりん、砂糖

 歴史・由来・関連行事
 「鯉のうま煮」は、コイを輪切りにし、砂糖・醤油・酒で煮た郷土料理。コイはかつて内陸農村部で貴重なタンパク源として食べられていた食材。1802年、米沢藩9代目藩主・上杉鷹山公が、内陸で水産資源が乏しい米沢の地で滋養のある食材を確保するために、コイの養殖を進めるように提案したことがはじまりとされている。家の排水口近くに池(せせなと呼びコイを飼う場所とした)をつくらせ、流れてくる米のとぎ汁、残飯やまゆみ(蚕のさなぎ)をえさとしてコイを育てた。
 コイは高級品だったため、庶民はもっぱらハレの日にコイ料理を食べるのが一般的だった。コイの養殖は、置賜地域を中心に盛んになり、大正から昭和にかけて発達した。当地のコイの養殖方法は、きれいな湧き水を用いたり、地下水で畜養することで泥を吐かせるなどの方法が取られた。
 米沢市周辺で養殖されたコイは、厳しい冬の寒さによって身も引き締まっていて質が良いといわれ、「米沢鯉」というブランド名で、米沢牛、館山りんごと並ぶ地域の名産品となっている。しかし、近年は生産者が減少傾向にあるという。
 「鯉のうま煮」がよく食べられるようになったのは、砂糖が入手しやすくなった日露戦争後と伝わる。ほか、味噌で煮こんだ「鯉こく」や切り身を冷水にくぐらせた「鯉のあらい」にしても食べられている。

 食習の機会や時季
 現代では、主に年輩の方が食べるイメージがあるが、山形県では、正月やお盆、結婚式などの祝いの席に並ぶ一品として伝えられている。
 コイは「来い、こい」と迎え入れられる喜びを意味しており、滝のぼりに代表されるように上昇を意味することなどから縁起の良い食材とされている。新鮮な海の幸が得やすい庄内地域よりは内陸部で食べられている傾向がある。
 かつては「鯉のうま煮」を手づくりをする家庭も多かったが、近年では手軽にスーパーマーケットなどで買う人も多い。

 飲食方法
 砂糖、酒、醤油などで甘辛く煮て食べる。鯉は新鮮なうちに料理するのが原則。胆のうをのぞいたすべての部分が食べられる。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 一般家庭でつくられることは少なくなったが、既製品をスーパーマーケットや土産店などで気軽に購入することができる。たくさんの人が集まる宴会などにも提供されている。また、学校給食の郷土料理メニューとして提供している地域もある。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/koinomani_yamagata.html より

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<B級ご当地グルメ> 北海道 チャイニーズチキンバーガー

2024-04-14 08:44:29 | B級ご当地グルメ

 「チャイニーズチキンバーガー」

 都道府県 北海道
 地域 函館市
 推進団体 
 概要 チャイニーズチキンバーガーは、北海道函館市のご当地グルメ

*https://b9navi.com/%e3%83%81%e3%83%a3%e3%82%a4%e3%83%8b%e3%83%bc%e3%82%ba%e3%83%81%e3%82%ad%e3%83%b3%e3%83%90%e3%83%bc%e3%82%ac%e3%83%bc%ef%bc%88%e5%87%bd%e9%a4%a8%e5%b8%82%ef%bc%89/ より

チャイニーズチキンバーガー

お客様が来ると、おふくろはよくチキン料理でおもてなしをしていました。

そのおふくろの得意料理とアメリカ生まれのバーガーが結婚して、すばらしい子供が誕生しました。

瞬く間に当店人気No.1に育ちました。

私もおふくろにならって大切なお客様をチャイニーズチキンバーガーでお迎えいたします。

 ラッキーピエロ 峠下総本店 亀田郡七飯町峠下337-11

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うまいッ! NHK「やわらか ほのかなコク 能登のナマコ~石川・七尾市~」

2024-04-14 08:25:54 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「やわらか ほのかなコク 能登のナマコ~石川・七尾市~」

 番組内容
 石川県の七尾湾のナマコは歯応えがありながらも柔らかく、磯の香とともにうまみとほのかなコクがある。生は主に県内で消費され加工品が各地に出回る。漁師は岩礁帯の浅瀬にいる栄養たっぷりのナマコを狙うため、海底の岩に引っかからないように丸い陶器が付いた桁網を使う。また、ベテランの加工職人たちの手で素早く加工される「このわた」(腸の塩辛)や「くちこ」(卵巣の干物)は“高級珍味”に。おいしさの秘密に迫る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201502080615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 

 能登(石川)のなまこ(ナマコ)について

 日本各地の水深の浅い沿岸、波の少ない内海になまこは多く生息しています。
石川県・能登では七尾湾でよく水揚げされています。特に穴水町や七尾市石崎町では、なまこ漁が盛んで現在でも水揚げされたナマコを加工する加工場があります。
 石崎町はたくさんのナマコが集まるので、加工場もたくさんあり穴水町に比べ5倍近くの加工量があるそうです。

 能登で水揚げされるナマコはマナマコと呼ばれるもので、外見の色味で「赤なまこ」「青なまこ」「黒なまこ」に分けて加工されます。
 見た目がきれいな「赤なまこ」は生食用として高値がつくことが多いので、職人が鮮度など確認をしてから地元の料亭や東京大阪の市場へと出荷されます。
 たくさん水揚げされる「青なまこ」は、小さいサイズのものは石川県内の市場に出荷されることが多いそう。手ごろな価格帯で地元民が購入しやすいんでしょうね。
 大きい青なまこや黒なまこは熬海鼠(イリコ)と呼ばれる、干しナマコに加工します。
 市場に出荷するときも干しナマコに加工するときも内臓は全て取り出します。
 取り出した内臓は加工され、高級珍味に生まれ変わります。腸を生のまま塩漬けにしたものを「このわた」、卵巣を丁寧に三角形の形に整えながら干しあげた「干しくちこ」は、どちらもお酒に良くあう珍味として知られています。

 石川県ではナマコ漁に漁期が設けられていて、11月6日~4月15日の間だけ。水温が下がるとナマコは活発に動き旬を迎えます。その時期に合わせて漁期が決まっています。もちろん、このわたや干しくちこが作られるのもこの時期だけです。

 なまこの漁について
 ナマコってどうやって漁をしているのでしょうか? いつ頃捕っているんでしょうか?

 全国的になまこ漁は、底引き網や海女さんによる素潜り、けた網と呼ばれる曳き網で行われています。
 1.底引き網
 漁船から海底まで伸ばした網を曳きながら漁を行う方法です。なまこ以外にもいろんな魚介を捕るために行われる方法で禁漁期間もあります。
 2.素潜り
 いわゆる海女さんの素潜り漁です。なまこは浅い海域に生息しているので素潜り漁も行われています。
 3.けた網
 鉄などで作った枠に袋状の網をつけたけた網と呼ばれるもので捕る漁。海底を曳きながら漁をするものでホタテ貝などの漁にも使われています。

 能登なまこの漁について
 能登なまことして水揚げの多い七尾市・石崎漁港でのナマコ漁は、3番目の小型漁船によるナマコけた漁で行われています。
 昭和40年代には1,000トン以上の水揚げがあり、七尾湾にはナマコの上にナマコがいるほどたくさんのナマコがいたそうです。
 現在ではナマコ自体の数が減り、水揚げ量も1/3以下にまで減っているそうです。

 能登なまこについて
 七尾市にある能登なまこ加工共同組合組合は、平成21年に『能登なまこ』を商標登録し、品質管理など取り決めを行い、飲食店や商品に能登なまこであることを認定しています。

 認定商品は、能登スタイルストアで取扱している、すぎ省水産の「茶ぶり味付けなまこ」、「このわた」、「干しくちこ」などで、現在は基本的に年間を通して販売を行っています。

 能登のナマコ漁期について
 稚ナマコの放流美味しくなる冬期11月6日~4月15日の間が解禁となる時期です。じつは、加能ガニ(ズワイガニ)と同じ解禁日なのですが、あまり知られていません。解禁日になるとテレビでは「加能ガニだ!香箱ガニだ!」と話題になりますが、ナマコの話はぜんぜん取り上げられません。
 ズワイガニの注目度からすると、なまこはちょっと地味なんでしょうか...
 ちなみに解禁時期ではなく、漁期終了になる頃に能登なまこ加工協同組合では「ナマコ供養祭」を執り行い、子どもたちによる稚ナマコの放流なども行っています。

*https://notostyle.shop-pro.jp/?mode=f12 より

 

 なまこ(なまこ)名産

 石川県では七尾湾を中心にした穴水町や七尾市でたくさんのなまこが水揚げされていて、ナマコの名産地として知られています。
 能登のなまこは、地元だけでなく全国の市場へと出荷され、旬の時期には東京銀座の飲食店でも提供されています。
 能登のなまこはなぜ名産となったのでしょうか。
 ここでは、能登のなまこが美味しい理由、能登のなまこが古くから代表的な海産物として扱われていた歴史を紹介したいと思います。

 能登のなまこが美味しい理由
 日本海に突き出した能登半島。一年を通じていろんな魚介が水揚げされ、ズワイガニや甘エビ、牡蠣やサザエ、ブリにノドグロなど季節ごとの味覚で楽しむことができます。
 中でも七尾湾は「天然のいけす」と呼ばれるほど、様々な魚介類が水揚げされてきます。そんな七尾湾で冬の時期に水揚げされるのが「能登なまこ」です。
 能登のナマコは磯の香りが強く、身がしっかりとしていて味があると食通の間では評判とのこと。さまざまな魚介類が生息している環境は、ナマコが美味しくなる理由とも関係があります。
 ここでは、能登のナマコが美味しくなる理由を3つ紹介したいと思います。

 理由その1.山から海へと流れ込む養分たっぷりの水
 世界農業遺産(GIAHS)に認定された能登の里山里海。
 里山というのは、集落、農地、森林などを人がちょうど良い具合に関わることで豊かな自然が残されてきた地域を指します。人々の生活の場であると同時に生き物や自然環境にとっても良い状態。 そして、里海も同様。人が海の恵みをうけとりながら生活し、海の生き物にとっても重要な場所。 里山から流れ出す水は落ち葉などからの栄養をたっぷりと含んでいます。その水が里海に流れ込み海藻が生育し、その海藻をプランクトンが食べ、プランクトンをナマコが食べる。 良質な海藻を食べたプランクトンを食べるナマコ。海藻のうまみをたっぷりと蓄えたナマコ、深い味わいがあるのも納得です。

 理由その2.有機物が堆積した海底と海水温
 能登の特産品として知られている珪藻土コンロの材料となる珪藻土。この珪藻土というのは藻類のひとつ、珪藻の殻が化石となって堆積したものです。
 能登半島のなかでも珠洲市と七尾市和倉町では珪藻土を使ったコンロや七輪製造が行われています。なぜなら珪藻土が採れるから。
 もともと海底に何万年もかけて堆積していた珪藻土が、地殻変動により隆起して能登半島になったと考えられていて、能登半島の3/4が珪藻土ともいわれています。
 珪藻土はものすごく小さな穴が無数にあり、この無数の穴が断熱効果や濾過、吸着効果を生み出します。七尾湾の海底でも珪藻土の濾過、吸着効果が適度に海水が清浄に保つ助けをしています。
 そして、さらにナマコにとっていい環境なのが海水温。ナマコは冷たい水が大好き! 日本海の厳しい寒さが海水温を下げ、その冷たい海水によって歯ごたえがある美味しいナマコが育ちます。

 理由その3.熟練の職人が伝統の技術でひとつひとつ手作業で加工
 能登のナマコが加工され、幕府に献上されていたという文献が残っています。
 江戸時代加賀藩の前田家から干しナマコの製造を奨励されたとのこと。
 さらに古くの文献では、天平~平安時代の能登国の貢納品として熬海鼠(干しナマコ)、海鼠腸(このわた)が列挙されています。

 江戸時代以前から伝えられてきた技術で熟練の職人が丁寧に加工することにより、能登なまこの品質や美味しさが支えられています。
 能登・珠洲市で行われている揚浜式塩田も江戸時代以前から伝えられている技術と言われています。
 今では日本で唯一、珠洲市でのみ揚浜式塩田で製塩されており注目を浴びていますが、ひょっとすると能登なまこの加工技術が日本で唯一となる日が来るのかもしれません。

 なまこの歴史
 少し能登なまこの歴史について触れましたが、KURA「能登のナマコ生産と食用文化史の研究」によると、下記の文献などで紹介されているそうです。

 平城宮跡出土木簡(天平時代)
 天平四年 能登国能登郡鹿島郷望理里調熬海鼠六斤
 天平八年 能登国能登郡鹿島郷望理里調代熬海鼠六斤 など

 延喜式(平安時代)
 能登国に期待した貢納物として
 〔交易雑物〕海鼠腸
 〔調〕熬海鼠・海鼠腸

 蜷川親元日記(室町時代)
 寛正6・11・10 義統→幕府 海鼠腸三桶
 文明 13(1481)3・25 義統→足利義政 海鼠腸百桶(只御進上) など

 さまざまな文献などに登場する能登のなまこ情報は独自の食文化を表しているとも言え、奈良時代以降は能登を代表する海産物として流通していたと思われます。
 能登なまこには奈良時代から続く歴史があり、その歴史が現在のなまこ漁やナマコ加工の技術につながっているんですね。

*https://notostyle.shop-pro.jp/?mode=f14 より

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<伝統野菜> 宮崎 糸巻大根

2024-04-14 08:18:08 | 伝統野菜

 「糸巻大根-いとまきだいこん」

 【生産地】西米良村

 【特徴】根に赤紫色の糸を巻き付けたような縞模様が入るところから「糸巻大根」と呼ばれている。地色が白いものと赤いものとがあり、形状は自家採種されているものでは丸~紡錘~長と形も色も多種多様。

 【食味】一般的な大根に比べ、糖度が2~度高く、肉質が緻密で柔らかいのが特徴。煮ると蕪(かぶ)のような柔らかさになる。

 【料理】サラダ、しゃぶしゃぶ、なます、切り干し、煮物等

 【来歴】自家採種中心の在来種。同地区で古くから作り続けられている固有の大根。地元では「米良糸巻大根(めらいとまぎだいこん)」「米良大根(めらだだいこん)」と呼ばれる。歴史は古く、16世紀初頭には栽培されていたと考えられており、500年以上も作り継がれている。

 西米良村は96%が山林原野であり田畑が非常に少ないため、古くから焼畑(コバ)で栽培される「糸巻大根」は、粟や稗とともに貴重な食糧だった。中でも切り干し大根にしたものは「米1升と切り干し1升が交換できる」ほど高価なものだったと言われる。

 今は、普通の畑で作られることが多いが、焼畑で栽培された「糸巻大根」は、特に甘みが強いとされ、まさに山間地帯の西米良村の風土に適した野菜である。

 【時期】11月~2月

*https://tradveggie.or.jp/45-miyazaki/#i-7 より

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<料理用語-和食> 櫛形切り

2024-04-14 08:14:24 | 料理用語

 「櫛形切り」

 材料の切り方の一つ。

 円形を1/2で半月。
 半月の両端を切り落とすと櫛形。

 例;レモン

 ①
 ・上下を1センチ切り落とす
 ・縦中央から二つ割りに切り離す
 ・片方を縦から切り四等分にすれば櫛型

 ②
 ・横から3ミリ厚さの輪切りにする
 ・輪切りにしたものを中央から切り離し二等分に
 ・その両端を5ミリずつ切り落とせば櫛型

*https://temaeita.net/top/t2/kj/7_E/011.html より

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<異名-人物> グズ哲

2024-04-14 08:10:54 | 異名

 「グズ哲 片山哲」

 片山 哲(かたやま てつ、1887年〈明治20年〉7月28日 - 1978年〈昭和53年〉5月30日)は、日本の弁護士、政治家。栄典は従二位勲一等。

 1945年(昭和20年)に日本社会党が結成されると書記長に就任、翌年には日本社会党委員長(初代)に選出された。1947年(昭和22年)の第23回総選挙で日本社会党が143議席を獲得し、衆議院で比較第一党となる。これを受けて衆議院の首班指名選挙では、420議員が片山に投票し、片山が内閣総理大臣となる。この首班指名選挙では2位が吉田茂と齋藤晃の1票のみであったため、片山の得票数(420票)と2位との差(419票差)は、衆議院の首班指名選挙における最高記録となっている。

 片山は民主党・国民協同党と連立内閣を組閣する。片山内閣は日本社会党党首を首班とする初の内閣であり、日本国憲法施行後初の内閣でもあった。片山の高潔な人柄は広く知られており、世間からの期待も高く内閣支持率は68%にも上った。しかし、もともと片山は先の選挙での地滑り的勝利を収めるまで自身が一国の舵取りをすることなど想定しておらず、保守との連立政権は滑り出しから閣内の意見がまとまらず親任式当日までに閣僚が決まらなかった。このため、片山が全閣僚を兼任して親任式に臨み一人内閣で凌ぐこととなった。閣僚が決まった後も鈴木茂三郎ら党内左派の突き上げが続き、また終始GHQの言いなりであったため、政権運営も政争も不得手な片山は「グズ哲」とあだ名されることとなる。

*Wikipedia より

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<難読漢字-魚> 翻車魚

2024-04-14 07:58:44 | 難読漢字

 「翻車魚 まんぼう」

 マンボウは、フグ目マンボウ科マンボウ属に分類される魚類。

 日本では地方名で、ウオノタユウ(瀬戸内海)、ウキ、ウキギ、ウキキ(浮木)、バンガ(以上は東北地方)、マンザイラク(神奈川県)、マンボウザメなどとも呼ばれる。

 漢字文化圏では「翻車魚」「曼波魚」と表記される。

*Wikipedia より

 由来・語源
 〈まんぼう(木偏に査)魚 満方魚〔正字未詳〕 〔俗に宇岐木(うきき)という〕 ……状は鱝に類似していて四角い。これで満方魚という〉。『魚鑑』(武井周作 天保辛卯 1831)
 〈うきゝ〉『魚鑑』(武井周作 天保辛卯 1831)
 〈裸歯類マンバウ科マンバウ属 マンバウ Mola mola (LINNE)〉『日本産魚類検索』(岡田彌一郎、松原喜代松 三省堂 初版1938)
 ■ 「まんぼう」の「まん」は「丸い」、「ぼう」は「魚」を表す。
 ■ 「円坊鮫」の訛。
 ■ 方形であるため、「萬方」の意味。

*https://www.zukan-bouz.com/syu/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%82%A6 より

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<慣用句・諺> 力を合わせる など

2024-04-14 07:51:03 | 慣用句・諺

 「力を合わせる」

 同じ目的のために、一緒になって物事をする。協力する。

 

 「力を入れる」

 一生懸命になって物事をする。熱心に努力する。骨を折る。

 

 「力を得る」

 助力を得たように勢いづく。

 

 「力を落とす」

 元気を失う。落胆する。がっかりする。

 

 「力を貸す」

 手助けをする。援助する。助力する。

 

*goo辞書 より

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<日本酒メーカー> 秋田 栗林酒造店

2024-04-14 07:37:13 | 日本酒

 「栗林酒造店」

 合名会社栗林酒造店[春霞]

 奥羽山脈の恵みを受けた酒造り
 当蔵は明治7年(1874)秋田県六郷村(現美郷町)にて創業しました。六郷は、仙北平野の良質の米と豊富な地下水に恵まれ、かつては酒蔵が20以上あったとされる地域です。春霞の銘柄は、謡曲「羽衣」の一節「春霞たなびきにけり~」から取ったといわれています。
 昭和44年(1969)からは地元出身の亀山精司が杜氏を務め、全国鑑評会で7度の受賞を重ねました。この時期の協会9号系酵母での酒造りは、現在の酒造りの基礎のひとつとなっています。平成20年(2008)亀山の引退後は、代表社員の栗林直章が酒造りを行っております。

 酒米『美郷錦』への強いこだわり
 美郷錦は、秋田県独自の酒造好適米です。北国秋田に適した酒造好適米の育種開発の結果、誕生したのが美郷錦。現在、当蔵の酒造りは「美郷錦」なしには考えられません。
 当蔵では平成17年から美郷錦の契約栽培を始めました。大粒でタンパクが少なく、精米特性に優れている良米ですが、決して栽培しやすい品種ではないことも事実です。その意味では「プロのための品種」とも言えます。仕込み水や使用酵母との相性が良く、当蔵の酒造りに適してると感じ、年々栽培量を増やしてきました。令和元年度は、当蔵全体のおよそ八割に美郷錦を使用しています。

 水の町、美郷町
 清水の郷・秋田県美郷町。ここは町内に126カ所もの湧水が確認され、名水百選(環境庁)にも選定された水の町。奥羽山脈のふもと、扇状地の上にあるため地下水が豊富で、各家庭でも地下水を汲み上げて使用するのが一般的です。
 当蔵で使用している仕込水も、地下25メートルから汲み上げた地下水。その水温は年間を通して約12度前後で、水質は軟水。一説には「酒を造るにはよく湧く軟水が良い」といわれるなど、仕込み水は酒の味を大きく左右しています。

 製造責任者の紹介 [栗林 直章 - Naoaki Kuribayashi ]

 仕込みの際、蒸した酒米の温度管理など何度もチェックしている姿が印象的であった、栗林直章代表にお話を伺いました。

 「目指すのは「ごはんのおかずとも相性の良い食中酒」。契約栽培米「美郷錦」と「9号系酵母」を中心に用いて、派手さはなくとも香味バランスの良いお酒が目標です。近年は蔵から見つかった「亀山酵母」仕込みのお酒も増えてきました。前杜氏の名から名付けたこの酵母もバランスよい香味を醸します。米品種も酵母も種類をしぼって、丁寧な酒造りを心がけています。おひたしや煮物など、季節の野菜を使った料理と共に、じっくり味わっていただければ幸いです。」

 合名会社栗林酒造店 仙北郡美郷町六郷字米町56

*https://www.osake.or.jp/kuramoto/19kuribayashi.html より

 代表銘柄

春霞 純米大吟醸袋吊り

原料米品種:美郷錦
精米歩合35%

酒米の精米は、米粒が割れないように時間をかけてゆっくりと行う必要があり、特に純米大吟醸においては大切です。中硬質米の美郷錦は比較的米粒が割れにくいので、その点有利です。香りほどよく、仕込み水の柔らかさと相まって、じっくりと味わえるお酒になっています。

栗林 純 米

原料米品種:美郷錦
精米歩合60%

奥羽山脈の麓、山間部の美郷町六郷東根では、山からの冷たい水で米つくりを行っています。収穫量は少ないものの、良質の米ができると古くから言われてきました。この地で平成27年から新たに美郷錦を栽培しているのが、小西嘉之、坂本長広の2名の若い農業者です。ここの美郷錦が「栗林」六郷東根になります。

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<四国八十八箇所> 第14番札所 常楽寺

2024-04-14 07:05:40 | テニス

 「常楽寺」

 常楽寺(じょうらくじ)は、徳島県徳島市国府町延命にある高野山真言宗の寺院。盛寿山(せいじゅさん)、延命院(えんめいいん)と号す。本尊は弥勒菩薩。四国八十八箇所第十四番札所。弥勒菩薩を本尊とするのは、四国八十八ヶ所では当寺のみである。

 本尊真言:おん まいたれいや そわか
 ご詠歌:常楽の岸にはいつか到(いた)らまし 弘誓(ぐぜい)の船に乗りおくれずば
 納経:当寺本尊、奥之院慈眼寺
 歴史
 寺伝によれば、空海(弘法大師)がこの地で修行をしていた際に、弥勒菩薩が多くの菩薩を連れた姿を感得した。そこで霊木に弥勒菩薩を刻み堂宇を建立して本尊として安置したという。空海の甥に当る真然僧正が金堂を建立、祈親上人が講堂、三重塔などを建立し七堂伽藍の大寺院となったと伝える。

 室町時代、阿波細川氏初代頼春の勅願所となり寺領に延命村を寄進され、寺運は降盛したという。しかし天正年間(1573年 – 1592年)に長宗我部元親の兵火によって焼失。万治2年(1659年)に徳島藩主蜂須賀光隆によって、現在地より下った谷間に再興された。文化12年(1815年)に灌漑用のため池を作るために[1]元の山上への建て替えを願い出て、3年後、低地の谷間から石段を50段ほど上った現在地に、尾根上の結晶片岩の岩盤を削り約5千平方メートルの土地を造成して移転した。

 境内
 本堂:弥勒菩薩坐像と両脇仏の不動明王立像と毘沙門天立像が同じ厨子に安置されている。
 大師堂:大師像を拝観できる。
 薬師堂
 地蔵堂
 鐘楼
 あららぎ大師:あららぎ(イチイ)の巨木の枝の間に弘法大師像が祀られている。
 流水岩の庭園:境内は断層が剥き出しとなった自然の岩盤の上にあり、その形状から流水岩といわれている。参拝者が歩くことにより浸食され険しさが緩くなった。

 大僧正胸像
 句碑歌碑:ため池の堤からの入口に、山頭火「人生即遍路」がある。その石段の途中の左に、森遅日「鳥わ多るさ那が楽 帰依の寿が多なり」がある。境内前方にある以前の住職である大僧正胸像の台座に「・・人の情けがあつまりて 千古に立てる・・」が刻まれている。
 延命山新四国八十八ケ所:本堂の裏から延命山頂上奥が60番で、東屋の左の階段を下り奥の院慈眼寺へ至る。約20分で周回できる。
 山門はなく石柱門を通って50段の石段を上ると起伏のある流水岩の境内に入る。左手に手水場があり、その奥に鐘楼がある。一番奥に本堂が建ち、その手前右側に大師堂がある。本堂と大師堂の間にアララギの巨木があって、その木の俣にはちいさな大師像が安置されている。納経所は石段を背にして右手にある。

 宿坊:なし
 駐車場:20台。無料

 文化財

 本堂

 大師堂
 国の史跡
 阿波遍路道 常楽寺境内:2021年3日26日指定(史跡「阿波遍路道」への追加指定)。
 国の登録有形文化財
 本堂(2011年7月25日登録)
 大師堂(2011年7月25日登録)
 市指定文化財
 絹本着色 降三世明王像(2001年12月26日指定)
 絹本着色 薬師三尊十二神将像(2001年12月26日指定)

 常楽寺 徳島県徳島市国府町延命606番地

*Wikipedia より

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