いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

< 郷土料理 > 福島 サンマのポーポー焼き

2024-04-25 08:08:20 | 郷土料理

 「サンマのポーポー焼き」

 主な伝承地域 いわき市

 主な使用食材 サンマ

 歴史・由来・関連行事
 いわき市には「いわき七浜」と呼ばれる七つの浜があり、その周辺には多くの漁港がある。一年中多様な魚介が水揚げされているが、特に秋に盛んに漁を行っているのが、サンマである。サンマを使った郷土料理も多く作られており、みりん干しや焼き魚、南蛮漬けなどいろいろな料理があるが、中でもよく食べられているのが「ポーポー焼き」。さんまをミンチにして、ハンバーグのように丸めて焼く料理。サンマを炭で焼くときにサンマの油で火がポーポーと燃えあがることからこの名が付いたとも言われている。

 食習の機会や時季
 もともとは漁師が船の上で食べる料理として親しまれていた。秋の時期は新鮮なサンマが獲れるため、これを新鮮なうちに船内でたたき、調理する。

 飲食方法
 下処理したサンマを包丁でたたき、味噌、生姜、みじん切りにしたねぎ、片栗粉を加えて丸める。オーブンかフライパンで焦げ目がつくまで焼き上げたら完成。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 いわき市内では、各加工業者の工夫をこらした製品が冷凍食品としてスーパーで販売されているほか、海産物専門店で惣菜として販売されている。また、いわき市ではサンマのポーポー焼きの作り方を教える料理教室を開催しているほか、小学校の給食の献立としても提供。継承の取り組みを積極的に行っている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/30_4_fukushima.html より

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<B級ご当地グルメ> 青森 津軽ラーメン

2024-04-25 08:02:13 | B級ご当地グルメ

 「津軽ラーメン」

 津軽ラーメン(つがるラーメン)とは、青森県津軽地方などのラーメン店で提供されている魚介出汁(だし)のラーメンである。なお、提供しているラーメンの呼称としては、津軽そば、煮干ラーメンなども見られるが、本記事は津軽ラーメンとする。

 歴史
 日本におけるラーメンの起源は、明治末期まで遡るといわれているが、青森のラーメンも大変に古い歴史を持っている。

 津川賢は、「青森市内にある明治35年創業の蕎麦屋入〆(いりしめ)では、昭和10年頃には支那そばが人気メニューだったそうです。もっと前からあったという可能性もありますけど。」と推測している。明治30年創業の蕎麦屋柿崎の五代目、柿崎浩幸が保管する店の古い写真資料からも遅くとも昭和20年頃には中華そばを出していたことが確認できる。
 ルーツ
 津軽ラーメンのルーツは諸説ある。蕎麦屋で中華そばが出されていたことからもわかるように、津軽ラーメンのルーツはこの地方独特の津軽そばにあると言われている。

 津川賢は、「津軽そばは、大豆をすりつぶした呉汁をつなぎにして打った蕎麦を煮置きし、焼干しを出汁にして食べるものです。この出汁に中華麺を入れたものが津軽ラーメンのルーツではないか。」という推論を津軽の老舗蕎麦屋や老舗食堂を取材したうえで導き出している。その後、津軽に多くあった蕎麦屋が中華そばを扱うようになり、現在の隆盛に至っている。この点に関し、津川賢は、「青森は昔から人口に対して製麺所が多いんです。もともと津軽そばを作っていたところが中華麺を作り出した。それで一気に中華そばが広まったそうです。」と述べている。そして、老舗の蕎麦屋でも、中華そばはいまだにそばと人気を二分するほど、蕎麦屋の中華が津軽には根付いている。
 発祥時の特徴を残す店舗
 発祥時の特徴を残す店舗はいくつか存在する。

 三忠食堂(弘前市):110年の歴史を誇る蕎麦屋食堂。スープは焼鯖干しと昆布出汁、チャーシューだれを合わせる。麺は細縮れ麺で、店主が子供の頃から同じ製法という自家製麺である。
 高長まるしげ(青森市):麺はうどんよりちょっと細い位の中太縮れ麺で、量は1人前270グラムと普通のラーメン屋なら大盛りになるボリュームと、肉厚のあるチャーシューが占領しており、メニュー自体にチャーシュー麺が無い程、麺も肉もボリューム満点なところである。それを、ひらこ、片口鰯だけで取った、あっさりした出汁である。
 原食堂(青森市):町の食堂として半世紀にわたり営業している。店主である葛原竜治は2代目。中華そばのほか、そば、カレー、丼ものなどメニューが豊富である。中華そばは、片口鰯の煮干し、昆布、トンコツ、鶏ガラで炊き出した王道系の津軽ラーメンである。野菜入りのラーメンにも力を入れている。
 緑屋(弘前市):バランスの取れたマイルドなスープの中に魚のうまみが凝縮されたのが弘前系と言われ、緑屋はその正当のラーメン店である。スープは6時間かけて仕上げる、チャーシューは国産のロース肉、メンマは短冊から柔らかい所だけを取って使用している。大崎裕史は、「…甘いスープも印象に残った。…」と述べている。
 潮流
 上記の流れを受けて津軽ラーメンは、大きく分けると2つの潮流が生まれた。一つは煮干しや焼干しを生かした澄んだ醤油スープが特徴の王道系、もう一つが、弘前市のたかはし中華そばを源流とした濃厚魚介スープの濃厚煮干し系である。なお、後者を新津軽ラーメンとするなど、呼称は他にも見られるが、本記事では先の呼称とする。

 王道系
 焼干しや煮干しから取った出汁のみの100%系と鶏ガラなど動物系と合わせた昔ながらのあっさり系がある。

 ひらご煮干し(マイワシ)と、青森県産の焼干しを使う。水と煮干しで丁寧に出汁を取る。焼干しで味に深みを出す。
 麺はさっぱりしたスープによく絡む細縮れ麺を使用。麺は歯応えが残る時間で茹で上げる。中太ストレート麺も相性が良い。
 醤油だれを、丁寧に取った香豊かな出汁で割って澄んだスープに。具材はチャーシュー、メンマ、ネギのみとシンプルな店が多いのも特徴。
 王道系は、蕎麦屋発祥の焼干しラーメンを提供しているくどうラーメン(青森市)、うまみが深く届くぜいたく焼干しスープのラーメンを提供している旬麺(青森市)などが挙げられる。

 大崎裕史は、「青森で…有名なラーメン店は…まる海である。…かなり煮干しの効いた醤油味だ。」「…さっぱり系の代表…」と述べ、「…最近では朝8時から営業するくどうラーメンが一番人気となっている。私も開店と同時に行ってみたが、朝から家族連れで賑わっている。(津軽ラーメンの)出汁の煮干しも、昔は焼干しが使われていたが、高価なために現在ではくどうラーメンのほか数軒でしか使われていない。」と述べている。

 濃厚煮干し系
 トンコツ、鶏ガラを煮出して作る白湯(パイタン)に、煮干しをたっぷり効かせた濃厚出汁を合わせた濃い口ラーメンである。

 煮干しは3種類を使用。トンコツ、鶏ガラとも様々な部位を煮出して2日間かけて白湯に。3種類の煮干しを3日目に投入してさらに煮出す。どんどん濃厚になる。
 麺は中太麺。裏メニューごくにぼ専用のさらに太い麺もある。モチモチ感が強く、スープの煮干しを邪魔しない無かんすい麺。
 3日間かけて作ったスープは白濁化する。醤油も専用のものを使う。具材はチャーシュー、メンマ、ネギが基本なのは王道系と共通(王道系と共に長尾中華そばの制作例)。
 濃厚煮干し系は、濃厚煮干し系の源流で独自の味で30年以上ラーメンを提供しているたかはし中華そば店(弘前市)、王道系と濃厚煮干し系の2本立てをメニューに初めて取り入れた初の店である長尾中華そばなどが挙げられる。

 津軽ラーメンの影響
 大塚裕史は、「五所川原市には、ラーメンテーマパーク津軽ラーメン街道がある。ここに出店した東京の店が、煮干しラーメンに影響され、首都圏に持ち帰って注目されている。その中で一番影響を受けたのはラーメン凪だろう。福岡出身の店主が青森の煮干しラーメンにはまってしまい、西新宿店ではトンコツから煮干しに変えてしまった。つけめんTETSUの新ブランドであるきみはんも煮干しが主張したラーメンを提供している。…ご当地ではないが、青森の煮干しラーメンの影響を受けた店も出て来ている。店主が青森出身の博多長浜らーめん田中商店も、青森の味を東京の人に食べてもらいたいとつし馬(浅草)を出店してい(た(閉店))。」と述べている。

 豚骨の熊本ラーメンを提供していた麺商人の店主は、青森旅行の際に食した津軽ラーメンに魅了される。その後、商品化すべく研究に勤しみ、2014年には煮干しに一本化[13]し、現在に至る。

 その他
 青森県(その他秋田県、北海道の一部)では、ラーメンのトッピングで、なるとではなく麩を入れているラーメン店(キンタ(弘前市)、出し屋五丈軒(青森市))がある。
 昭和26年に発表された「第一阿房列車(内田百閒)」では、青森駅での乗り継ぎの合間に立ち寄った食堂の「支那蕎麦」が「うまい」とする記述があり、当時はまだ津軽ラーメンとは呼称されていなかった模様。

*Wikipedia より

 津軽ラーメン(2013年5月)

 国民食と呼ばれているラーメン。そのラーメンの消費量が全国トップクラスの青森県、とりわけ津軽地方では、鰯の焼き干しや煮干しを使って出汁をとったラーメンが非常に多いのが特徴です。今回はそれらのラーメンを「津軽ラーメン」と呼び、その魅力をご紹介します。

 ラーメンの消費量全国トップクラスの青森県鰯の焼き干しや煮干しを使った出汁
 津軽ラーメンの特徴とその始まり
 津軽地方で多くみられるラーメンは鰯の焼き干し・煮干しを使って出汁をとり、それを醤油ダレと合わせてスープにしています。
 津軽地方では、昔から陸奥湾などで鰯が沢山水揚げされており、それらを使った「焼き干し」が昆布と並び食卓の出汁の中心でした。
 津軽地方のそば屋や食堂でも焼き干しは出汁として使われており、中華麺が外国から伝わり、この津軽でも食べられ出した大正、昭和に、出汁として一般的に使われていた焼き干しでとられたスープが中華麺と組み合わされ、現在の津軽ラーメンに至ったのではないかと言われています(※1)。それを裏付けるかのように、津軽地方では、そば屋又はそばを扱う食堂にラーメンを扱っているお店があります。
 ※1:津軽ラーメンのルーツについては諸説あります。予めご了承ください。

 まだまだあった「青森」ならではのラーメン!
 近年、青森市の「味噌カレー牛乳ラーメン」は、他県ではみられない特徴的なものとして数多くのメディアに紹介され、カップラーメンになるなど全国から注目を集めました。
 一方、焼き干し・煮干しは、古くから津軽方面で味噌汁など料理全般に使われ日常生活でごく普通に馴染んでいるため、ラーメンに使われることもごく普通のことと思われている方が多いと思います。
 しかし、このラーメンは全国的にみると特徴的なものであり、特に鰯の焼き干しに関しては他県ではなかなかみられないものとなっています。

 津軽ラーメンの2大潮流「王道系」と「濃厚煮干し系」
 現在、煮干し・焼き干しを使用した出汁を使ったラーメンは大きく2つの流れが出来つつあります。

 ひとつは昔から馴染みのある澄んだスープのラーメン。煮干し・焼き干しの風味をほのかに感じるさっぱりとした味わいのラーメン、いわゆる王道系です。
 もうひとつは、煮干しの風味を増幅させるため、煮干しに鶏ガラ・とんこつなどの動物系スープを合わせたラーメン。強烈な煮干しの香りが漂い、ガツンとくるタイプのラーメンです。近年台頭してきた「濃厚煮干し系」です。

 王道系は津軽においてラーメンを愛する人々万人に受ける味。濃厚煮干し系は香りや味が強烈で好みがハッキリ分かれる味ですがファンも多く、浸透しつつあります。

 「津軽ラーメン ガイドブック」について
 県では、県産食材や県内の郷土料理、本県を代表する特徴的な食文化についてPRに努めているところですが、津軽ラーメンに関しても青森県を代表する特徴的な食習慣として、県内外の皆様に知っていただくため、ガイドブックを製作しました。
(青森県観光物産館アスパムにて配布しています。部数に限りがありますので、無くなり次第終了いたします。)

 青森県観光物産館アスパム 青森県青森市安方一丁目1番40号

*https://www.umai-aomori.jp/season-report/seasonal/ramen_201305.html より

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うまいッ! NHK「上品な香りと辛み わさび~静岡市~」

2024-04-25 08:00:13 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「上品な香りと辛み わさび~静岡市~」 2015年04月26日

 番組内容
 ほんのりとした甘みの中に上品な辛さを感じる「わさび」。国内のわさび栽培発祥の地とされる静岡市葵区有東木(うとうぎ)では、安倍川と豊富な湧き水の恵みをいかして今も栽培がさかん。自ら育種まで手がけ、味にうるさい料理人に評判の農家に密着、良質のわさびを生み出す秘けつに迫る。知っているようで知らないわさびの味と香りの秘密、そして山村へのIターン誘致とわさび栽培を結びつけている島根県の取り組みも紹介。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201504260615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 かつては「東の静岡、西の島根」と言われたわさびの一大産地だった島根県益田市匹見町では、近年高齢化によってわさび田の維持が難しくなっていました。そこで、2002年に町が町外に向けてわさびづくりの新たな担い手を募集。13年間で14人が移住してわさび農家として就農しました。わさび農家たちは、町外からボランティアを募って、荒れたわさび田の復旧を行うことで、体験型観光として、人を呼び込む取り組みも始めました。

*https://www2.nhk.or.jp/chiiki/movie/?das_id=D0015010511_00000 より

 わさびってこんな植物
 わさびが辛いのはなぜ?
 正体は「アリルからし油」
 わさびの属す「十字花科植物」の種子には、刺激性の強い香味をあらわす「からし油」のもとになる成分が含まれています。中でも一番量の多いのが「アリルからし油」。この成分こそが、ツーンとしたわさび特有の辛味と香りをはじめ、わさびの数々の作用をもたらします。

 すりおろしさないと辛くない
 採ってきてそのままのわさびをなめても何の辛味もありません。きめ細かくすりおろすほど強い辛味を得ることができます。これは、すりおろすことでわさびの細胞組織が破壊され、ミロシナーゼという酵素が働いて辛子油配糖体(グルコシノレート)が分解され、アリルからし油が生成されるためです。

 辛味成分はとっても繊細
 アリルからし油は揮発性が高く、常温で蒸気になってしまいます。この蒸発時にヒトの味覚・臭覚細胞を刺激するため、ツーンと鼻に抜ける辛味を感じるのです。なので、わさびやその加工品を料理に使用する時は、風味を損なわないよう加熱後に使用してください。
 わさびは時間とともに辛味がなくなったり、苦味やニンニク臭をしめしたりします。これは、アリルからし油が不安定な化合物であり、時間とともに分解されるためです。寿司屋でおろしたてのわさびを使うのは、この分解を防ぎ辛味を保つためにほかなりません。

 本わさびの特徴
 栽培方法により違う「沢わさび」と「畑わさび」
 一般にわさびというと、清流の流れるわさび田で栽培される「沢わさび」を指します。根茎の緑色が濃く、辛み、 香り、外観ともに優れ生食用として高値で取引されます。生産量の約3割強が生果用に、残りがわさび漬などの加工用になります。
 一方、野菜のように畑(涼しい山林中)で栽培されるものを「畑わさび」といいます。「沢わさび」とは微量成分に違いがあり、少し辛みが弱いですが、同じ植物です。主に加工品や、ねりわさびの原料として使用されます。

 二大産地は静岡と長野
 全国の90%以上を、静岡と長野で生産しています。本わさびの大半は高級料理や寿司屋に卸され、スーパーなどの小売店には少ないのが現状です。また、わさびは現在海外でも生産されており、台湾・タイ・インドネシア・中国等からの輸入も相当量あります。

 最高品種は「伊豆天城産の真妻(まづま)種」
 わさびには、栽培が容易で大規模農場で生産される「実生(みしょう)種」と、栽培が難しく近年生産者が減少している「真妻(まづま)種」の2種類があります。真妻種のわさびは成長が遅く、苗を植え付けてから収穫までに1年半~2年(実生種より1.5倍)ほどかかります。栽培には雛壇(段々)を利用し、きれいな水、安定した水温と気候、大量の酸素環境を必要とし、収穫は手掘りで行います。国内でも伊豆天城や御殿場の一部で栽培され、市場にはほとんど出回らない希少なわさびです。
 特徴は、茎を輪切りにすると外側が緑色で中側が赤色をしていること。しまった身と、さわやかな風味、ねばりはつよく、しかしアク(苦味)は少なく、上品な辛みの中にもほんのりした甘みがあり、日本で一番優れた品種といわれております。

 わさびの力
 姿形は小さくゴツゴツしていても、その奥に意外な力を秘めているのがわさび!
 健康食材としてよくメディアにも取り上げられ、こんな効果が期待できます。

 病気になりにくい体内環境を整える
 体内の代謝の偏りを解消し、がん、脳卒中、動脈硬化など生活習慣病の予防によい食品といわれております。に加工品や、ねりわさびの原料として使用されます。

 美容の味方
 抗酸化作用を高める働きがあり、老化防止や若返りの効果があるといわれております。

 食欲増進
 辛味成分が魚の生臭さを消し、味にアクセントをつけ旨みを引き立たせます。だから、刺身の薬味といえばわさび! 欠かせない名脇役です。

 優れた抗菌性
 菌の発育を抑制する力があります。

 防カビ、防臭効果
 カビの繁殖を抑える力があり、わさびの辛味成分をシート、もしくはラベル状に加工した「抗菌・防カビ剤」等が開発されています。

*https://www.yamamotofoods.co.jp/wasabi/plant より

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<伝統野菜・果樹> 宮崎 日向夏

2024-04-25 07:47:45 | 伝統野菜

 「日向夏」

 【生産地】綾町

 【特徴】在来品種。早生。果実は短卵球形、鮮やかな黄色で美麗である。果肉は淡黄色。

 【食味】柔らかな芳香がある。果汁が多く、甘さと酸味のバランスが良い。果皮が厚く内果皮(アルベド部分)は、甘味が強いため、果肉と一緒に食すと、他の柑橘にはない独特の風味を味わうことができる。

 【料理】ジュース、ぽん酢、ドレッシング、洋菓子

 【来歴】文政年間(1818~1829)に宮崎県赤江町(現在の宮崎市)の真方安太郎氏の宅地内で偶然発見され、その原木から高妻仙平氏が苗木を育成し、以後県内に普及した。

 【時期】ハウス:12月~3月 露地:3月~5月

*https://tradveggie.or.jp/45-miyazaki/#i-21 より

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<料理用語-和食> 口替り

2024-04-25 07:41:45 | 料理用語

 「口替り」

 口代わりとも書く。

 「口取りの代わり」という意味で、会席料理の中程(向付、吸物の後くらい)に、海、山、里のものを作った料理を少量ずつ取り合わせて、三品から五品を盛って出す。八寸と同じようなもの。

 甘味の口取り肴は酒に合わないので、折り詰めにして「おみや」とし、その代わりに酒に合う料理を見繕ったのが口代わり。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/7_E/022.html より

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<異名-人物> 指三本/無能助べえ

2024-04-25 07:33:41 | 異名

 「指三本/無能助べえ 宇野宗佑」

 宇野 宗佑(うの そうすけ、1922年〈大正11年〉8月27日 - 1998年〈平成10年〉5月19日)は、日本の政治家。第75代内閣総理大臣。位階は従二位。勲等は勲一等。俳号は犂子(れいし)。

 滋賀県議会議員(2期)、滋賀県議会副議長(第45代)、衆議院議員(12期)、防衛庁長官(第32代)、科学技術庁長官(第31代)、行政管理庁長官(第44代)、通商産業大臣(第42代)、外務大臣(第110代)、内閣総理大臣(第75代)、自由民主党国会対策委員長、自由民主党総裁(第13代)などを歴任。

*Wikipedia より

 愛人に指を3本出して月30万円での契約を打診したことがバレたため、こう呼ばれた。

*https://www.kujihama.jp/2023/11/13/%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%A0133%E3%80%80%EF%BD%9E%E8%A8%80%E3%81%86%E3%82%88%E3%81%AD%EF%BD%9E/ より

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<難読漢字-動物> 海豹

2024-04-25 07:20:57 | 難読漢字

 「海豹 あざらし」

 アザラシ(海豹、Phocidae)は、鰭脚類に含まれる海棲哺乳類(海獣)のグループである。アザラシ科、もしくはアザラシ科アザラシ亜科に分類される。

 呼称
 日本の北海道に住むアイヌは、アザラシをアイヌ語で「トゥカㇻ(tukar)」と呼んだ。これが転訛して和人の猟師がアザラシを「トッカリ」と呼ぶようになった。

*Wikipedia より

 アザのような豹の模様ような「アザラシ/海豹」

 のんびりゆったり、いつも日向ぼっこをしているイメージのアザラシ。白くて綿毛のようにふわふわの愛らしい赤ちゃんとともに、穏やかで愛嬌たっぷりの動物です。
 この動物はアザラシ科に属する哺乳類の総称で、魚や貝、甲殻類が主食。ヒレ状の足と青黒い毛に黒の斑点が目印です。ゴマフアザラシ、ゼニガタアザラシ、クラカケアザラシ、ゾウアザラシなどの約20種が、北洋を中心とした世界中の海や淡水湖で生息しています。

 では、なぜ「アザラシ」と呼ばれているのでしょうか。諸説ありますが、その語源は体の斑点(アザ)にあるとされています。例えばゴマフアザラシは真っ白な産毛に覆われて生まれますが、母乳で3週間ほど育てられると体毛は抜け、母親と同じゴマ模様のアザが現れます。アザの獣、つまり「痣(アザ)之(ラ)獣(シ)」というわけです(「之」は当時、接尾語の「ラ」を発達させて読んでいた漢字)。
 また、現代の漢字では「海豹」の当て字がなされていますが、この漢字も豹のようなアザのある獣として名付けられたと推測されています。

 ちなみに北海道の海域にはアゴヒゲアザラシ、フィリアザラシ、ゼニガタアザラシ、ゴマフアザラシ、クラカケアザラシが生息しており、昔から現地に住んでいるアイヌ民族や漁民の間では、アザラシをアイヌ語の浜ことば「トッカリ」という名で呼んでいました。

*https://www.shizensyokuhin.jp/archives/articles/258 より

 

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<慣用句・諺> 茶を濁す など

2024-04-25 07:18:23 | 慣用句・諺

 「茶を濁す」

 「お茶を濁す」に同じ。-いいかげんに言ったりしたりしてその場をごまかす。

 

 「茶を挽く」

 「お茶を挽く」に同じ。-《遊女が、客のないときに茶臼 (ちゃうす) で葉茶をひく仕事をさせられたところから》芸者・遊女などが客がなく暇でいる。

 

 「注意を引く」

 人々の注意を引きつける。特に目につく。

 

 「中原に鹿を逐う-ちゅうげんにしかをおう」

 《魏徴の「述懐」から。中原は天下、鹿は帝王のたとえ》帝王の位や政権を得ようとして争う。また、ある地位や目的物を得ようとして競争する。鹿を逐う。逐鹿 (ちくろく) 。

 

 「忠言耳に逆らう」

 《「史記」淮南王伝などから》忠告の言葉は、とかく相手の感情を害して、すなおに聞き入れられない。

 

*goo辞書 より

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<日本酒メーカー> 秋田 那波商店

2024-04-25 07:14:41 | 日本酒

 「那波商店」

 株式会社那波商店[銀鱗]

 那波商店の歴史
 銀鱗(ギンリン)の酒銘で知られる「那波商店」は、文化12 年(1815年)、秋田藩御用達商人であった那波三郎右衛門裕生氏が藩命を受けて酒造りを始めました。明治4年に秋田市にある港町・土崎に工場を設立し、昭和10年より「銀鱗」に銘を定め今に至っています。「銀鱗」はソーラン節にある「踊る銀鱗 かもめの港…」に由来するとされ、秋田特有の寒冷な気候に任せた酒造りを行っています。

 酒蔵の特徴
 昭和3年に完成した現在の蔵は、酒蔵としては東北初の鉄筋コンクリート造りです。雄物川河口の臨海地域の中心地にあり古くから貿易で栄えたこの地に建てられた銀鱗蔵は、秋田県醸造試験場の初代場長花岡正庸氏が設計に携わりました。ボイラーに摩擦精米機、斬新な酒造庫の導入など建築物としても非常に珍しい酒蔵となっています。

 那波商店の酒造り
 銀鱗蔵のある土崎周辺の地下水は、ほど良い発酵を促すクロール分を含んでいます。その地下水と温度管理を秋田特有の寒冷地帯に任せ、自然の恵みと先人の技術で醸したお酒を製造しています。「ほっと幸せを感じてもらいたい」という想いで造る銀鱗の酒は、キメが細かく繊細な味わいが特徴です。

 電動ドリルを使用した秋田流生酛仕込
 当蔵では、秋田流生酛仕込に力を入れております。最大の特徴は電動ドリルを使用し、山卸し(酛摺り)と呼ばれる作業を行っていることです。蔵の中で共に息づいている乳酸菌たちの力を借りて造られるお酒は、穏やかな香りと、さわやかな酸味を兼ね備え、楽しいひと時を彩ってくれます。

 「産学連携」への取り組み~「究」プロジェクト~
 銀鱗は秋田県立大学と連携し、新しい日本酒の開発に協力しています。「究」は秋田県立大学が、2009年から取り組んできた。日本酒の開発プロジェクトです。大学で醸造を学んでいる学生を中心に酒米の栽培・収穫から酒造りまでを行うものです。2018年度からは、当蔵において酒造りの指導と流通販売を行い、秋田公立美術大学の教員・学生にも参加していただき、学生たちと一体となって、お酒を醸しております。

 銀鱗の酒米
 酒米は秋田県大潟村産の「秋田酒こまち」を中心に、兵庫県産「山田錦」や、秋田県湯沢市産の「一穂積(秋田120号)」などを原料として使用しております。特に「秋田酒こまち」は大潟村の戸堀農場と契約し、栽培していただいております。戸堀農場とは、田植えなどの農作業に参加・協力させていただいており、今後共よりよい品質を目指し、共に励んでいきます。

 杜氏紹介 [藤田 勝広 - Katsuhiro Fujita]
 エネルギー溢れる独特の雰囲気と確固たる酒造りに対する思想を持つ藤田杜氏にお話しを伺いました。

 『「上質な酒とは」と良く聞かれるけど、各人が飲んでみて旨い!と思った酒が旨い酒なんだと思いますよ。あまり難しいことはありません。銀鱗の酒の特徴は、いい意味でクセがあるんです。海に近い場所にあるから水自体がうまみを造ってくれていると思います。なんていうか「一風変わった独特なうまさ」があるんですよ!』

 株式会社那波商店 秋田市土崎港中央一丁目16-41

*https://www.osake.or.jp/kuramoto/05nabashoten.html より

 代表銘柄

精選 銀鱗
淡麗甘口で蔵の特徴を代表する味

普通酒
精米歩合70%
15度以上16度未満

純米大吟醸 ぎんりん
爽快さを感じる口当たり滑らかな甘味

大吟醸
精米歩合85%
17度

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<四国八十八箇所> 第25番札所 津照寺

2024-04-25 07:07:15 | 巡礼

 「津照寺」

 津照寺(しんしょうじ)は、高知県室戸市室津に位置する真言宗豊山派の寺院。宝珠山(ほうしゅざん)、真言院(しんごんいん)と号す。本尊は楫取延命地蔵菩薩。四国八十八箇所第二十五番札所。

 本尊真言:おん かかかびさんまえい そわか
 ご詠歌:法(のり)の舟入(い)るか出づるかこの津寺(つでら) 迷ふ我身をのせてたまへや
 歴史

 寺伝によれば、大同2年(807年)に空海がこの地を巡錫した際、山の形が宝珠に似ておりこの地が霊地であると感得し、宝珠に合わせ、一刀三礼して延命地蔵菩薩を刻み堂宇を建立し開創したという。『今昔物語集』には当寺が「津寺」の名で登場し、本尊地蔵菩薩の霊験が語られている。それは、「地蔵菩薩火難ニ値ヒ自ラ堂ヲ出ルヲ語ル」とあり、本堂が火災に遭ったとき本尊が僧に身を変え村人に知らせ難を逃れたという逸話である。紀貫之は承平5年(935)土佐の国司の任期5年を終え帰京する途中海が荒れ、10日間室津港に留まったのち室戸岬を越えることができたと土佐日記に記述されている。また、慶長年7年(1602)に土佐藩主山内一豊が室戸沖で暴風雨に遭ったとき、どこからともなく一人の僧が現れて船の楫をとり無事に室津の港に着けて立ち去った。衣から垂れた水跡を辿っていくと本寺の本堂の前で終わっていた。そこで本尊を拝観するとその姿が濡れており、本尊の地蔵菩薩が僧に姿を変えて船を救ったことを悟った。このことから本尊を楫取地蔵と呼ぶようになったという。

 神仏分離令で明治4年(1871年)に廃寺となり庫裡は小学校として利用された。明治16年(1883年)に再興された。

 境内

 山門:柱に屋根がついた簡素な門である。
 鐘楼門:本堂へ上る125段の石段の途中にあり、上層は鐘楼堂で両側に仁王像を安置した変形の二重門である。
 本堂:昭和50年(1975)再建。標高34.5mの頂上部に建つ。
 大師堂:昭和38年(1963)再建
 稲荷社(祠):鎮守社。稲荷大明神を祀る。本堂への石段右途中にある。
 写経大師尊像
 句碑:珊瑚友「月揚げて全心羅刹うかみツづ」が大師堂の正面の地蔵三尊石像の左の手水脇に、「久大の空より船や薄曇り」が石段を12段上がった左側に、須藤涛月「除夜の鐘夢物鼓動はじめけ里」が鐘楼門の右にある。
 記念碑:紀州備長炭の製炭技術を伝えた植野蔵次の記念碑が石段下にある。
 麓の山門を入ると右側に大師堂と納経所が、左側に一木神社がある。正面の石段で山を登っていくと途中に鐘楼門がある。125段を登り詰めると右手に手水鉢があり、コンクリート造りの本堂が建っている。ここからは室津の港や太平洋が一望できる。

 宿坊:なし
 駐車場:港の広場を共用。無料。

 津照寺 高知県室戸市室津2652番地

*Wikipedia より

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