茶山守廣・隠岐三味線ブログ

名残尽きぬに 銅鑼が鳴る今宵

西郷港は 小雨も降らぬに 袖しぼる

        (隠岐民謡・しげさ節)

第14回 「しげさ節東京大会」

2010年11月17日 | 気まぐれ日記
11月20日(土)池袋は豊島公会堂(写真)にて開催の「しげさ節東京大会」が近づいてきた、先ほど隠岐の歌姫こと国村千鳥さんから電話があった。
相変わらず甲高い声で“あらぁ~久し振り!元気にしてる~!今夏のキンニャモニャ祭り以来だね~・・・”いつもの元気のよい声を聞いて安心したのだが・・・携帯を耳から離していないと聞き取りにくい(笑)
いよいよ明後日の出発となり、今日は宿泊するホテル宛てに荷物を送った。
隠岐発14:55伊丹空港経由で羽田着17:35・・・池袋のホテル着が18:30頃となる予定である。

ここ数年前より三味線の部の審査員に任命され審査を行っていますが、毎年回を追う毎に少しずつレベルも上がってきており、今年もどんなドラマが待ち構えているのか?大いに楽しみでもあります。
また昨年より唄の部の本部付の伴奏者を努めさせて頂いておりますが、これもまた三味線同様に毎年レベルは上昇しております。
我々地元から参加する民謡関係のスタッフの任務は、あくまでも大会を運営するスタッフの一員であることを忘れてはいけない、決して地元からのゲストでも何でも無いのだ、そこのところをよくわきまえていなければいけない。
公費を使って旅費交通費を賄っている関係上、それなりの仕事をして帰ることは当然の義務である、残念ながらそこのところを勘違いしている者が過去にいたことは事実でもある。

また、この大会に参加していつも思うことですが、隠岐の島から遠く離れた東京において「しげさ節」の大会が、こんなにも華々しく開催されることは思えばこんな素晴らしいことはない。
地元の民謡関係者の一員として大変感謝しております。
今年も大会は勿論のこと多くの友人知人にお逢いし、親しく交流ができますこと楽しみでもあります。

朝雲会35周年記念大会

2010年11月16日 | 気まぐれ日記
お待たせしました!(笑)1週間ぶりの更新となり申し訳ありません。
今月12日~15日にかけて大阪は高槻市と茨木市に行ってきました。
13日(土)は大阪藤本会を率いる会長の藤本秀摂師の地元でもある高槻市原公民館に、秀摂会の会員を主体として約45名が集結して隠岐民謡講習会を開催しました。
講習会は約2時間に亘って行われ、終了後には秀摂師の奥様が経営する川魚料理の店「原養魚場」にと場所を移し交流会を開催した。
それぞれのテーブルに置かれた鍋を互いに囲み懇談すること約1時間、そろそろ機が熟した?と思われる頃に出し物を・・・先ずは隠岐民謡の「しげさ節」の踊りから・・・以後はいつものように次々と適当に(笑)互いの出し物を出し合った。

翌14日(日)は茨木市クリエイトセンター(写真)にて「朝雲会35周年記念大会」だ、それを祝うかのように天候も好天に恵まれ我々一行も早めに会場入りした。
10年前の25周年の折にもお邪魔した会だ、あれから10年の歳月が経過したのだが月並みな言葉で表現するならば、まさに“光陰矢の如し”早いものだなーと思うのは私だけではなかろう。

今回は梅若会の頂点、二代目梅若梅朝家元はじめ幹部・会員がこぞって応援に駆け付けてはいるものの、我々隠岐民謡一行6名はメインゲストとして迎えられているので、ここは一番!気合いを入れて舞台を努めなければいけない。
またまた嬉しいことに隠岐の出身者で組織し、日々活発な活動を展開している「関西隠岐人会」の人たちが、おらが故郷(くに)さの自慢の民謡を盛り上げようと、大勢の人が会場にと駆け付けてくれました。
まさに“民謡は心のふるさと”ふるさと隠岐を遠く離れて何十年経とうとも、心の片隅にはいつも懐かしい隠岐の風景があるのだろう・・・それを考えると演奏にも自然と力が入り恥ずかしくない舞台をといつも思う。

そして大阪はもとより神戸・奈良・和歌山からも茶山ファン?(笑)が駆け付けてくれました、思えば本当に有り難いことで感謝の気持ちで一杯です。
中には自分は遠く沖縄での仕事に出掛けているのでと、楽屋見舞いをお弟子さんに託して下さいました会主もおられました、本当にありがとうございました。
民謡を通じて知り合った全国の友達の輪(和?)は、自分にとってはかけがえのない『宝物』です。
私のオリジナル?の座右の銘(一部はパクリですが(笑))“花は色 人は心 三味線は音色”今後も全国に友達の輪を限りなく広げていけたらと思う。

大山(だいせん)の紅葉

2010年11月09日 | 気まぐれ日記
病院での診察に備えて、昨日から米子市内の息子夫婦のマンションにおります。
今日の境港発午後便のフェリーで帰宅する予定でしたが、なんと!海上は波高5メートルの大シケで船は終日全便欠航となり足止めをくってしまいました。
明日の海況は予想では波高4~3メートルですので、高速船は無理でしょうがフェリーは大丈夫だと思います。
という訳で今夜も息子夫婦のマンションに泊まることとなりました。

午後からは息子夫婦と孫そして私の4人で、山陰の名峰「大山」に紅葉を見に出かけました。
大山は過去には何度か行ったことはあるが、最近はあまり行った記憶はない。
車は大山寺を目指して走りました、天候も今日から急に寒くなり麓の民家辺りの気温は8度、斜面を登るに従って気温も6度そして4度となり、なんと!目的地の大山寺辺りになると気温は2度となった。
景色の良いところでと思いビデオカメラを用意していたが、車外に一歩たりとも誰も出る者はおらず(笑)唯一車外に出たのは販売機の温かい缶コーヒーを買うときだけだった(笑)
因みに気温が2度の辺りは海抜約700メートルの地点でありました。

大山といえば見渡す限りブナの林が圧倒的に多く、紅葉というよりも黄葉であり他の紅葉や楓などの赤と混じって素晴らしい景色であった。
また、冬場はスキー客でごった返す大山ですが、スキー場は勿論のことまだまだ人はまばらであったが、本番に向け関係者は草刈りやリフトの点検などに余念がなかった。
今夜の夕食は外食を止めて、材料を買って帰り自宅で鶏鍋を皆で囲みました。
明日は海上のシケも治まって船便が定期運航となりますように・・・

水のカーテン

2010年11月08日 | 気まぐれ日記
テレビのニュースなどでよく紹介される合掌造りの集落ですが、そこの当事者の人たちは保存に関しては何かと苦労があるようです。
以下は、11月7日(日)21時26分配信の毎日新聞より (ヤフーニュース)

世界文化遺産の岐阜県・白川村荻町の合掌集落で7日朝、防火訓練が行われた。
町内59カ所の放水銃から高さ約20メートルの水柱が一斉に上がり、110棟以上の合掌造り家屋は水のカーテンで包まれた。

朝から出ていた濃い霧は、放水直前に晴れ午前8時のサイレンを合図に水柱が勢いよく上がると、アマチュアカメラマンらが盛んにシャッターを切っていた。
同町では、火災に弱い木造かやぶき家屋を守るため、高台の貯水タンクからつなぐ放水銃が設置されている。

世界文化遺産に指定されている岐阜県・白川郷の合掌造り集落、一度は行ってみたいと思っている所ですが、なかなかそのチャンスに恵まれない。
どの家々も100年以上の風雪に耐え抜き、今もなおその存在感を示し続けているとは凄いものだ。
家屋の構造も夏は涼しく冬は暖かいと言われている、言うなれば先人の知恵の結晶でもあると思う。

かっぱ遊覧船

2010年11月06日 | 気まぐれ日記
昨日は神戸市からの民謡ツァーの人たちの観光に同行しました。
先ずは観光バスで境内に樹齢2000年とも云われる杉が聳える玉若酢神社へ、そして白砂青松の景勝地で新民謡の「浄土ヶ浦小唄」にも歌われている浄土ヶ浦海岸へ、実はここで「浄土ヶ浦小唄」の現地研修をしようということで、三味線・太鼓をバスに積み込んで持って行きました。
現地に到着すると海から吹き上げてくる風も気持ちが良い、天候もこの時期としては珍しいようなポカポカ陽気である、松林に囲まれた高台から全員が海に向かって大きな声で合唱すると、聞えてくる波の音と重なり合ってなんともいい感じだ、その唄の現地で歌うことは歌詞の意味も理解できて素晴らしいことであると思った。

以前に海士町の隠岐神社において「新しげさ節」を40名くらいで合唱したことがあった。
♪後鳥羽御陵の松の風 池の蛙も忍び泣く 朧月夜(おぼろづきよ)に鞴(ふいご)を吹いて 京都(みやこ)恋しやご番鍛冶 隠岐は歴史に古い島
松林を吹き抜ける風も爽やかで、直ぐ近くには『池の蛙も忍び泣く』と歌われている勝田の池も現存している。
京都への想いを寄せる後鳥羽上皇になりきったのか?歌いながら涙する人もおられた。

その後は白島展望台と水若酢神社を経由して西郷港に戻って昼食をとり、今もなおかっぱ伝説の残る八尾川(やびがわ)を遊覧する「かっぱ遊覧船」二隻に分乗しイザ出発!
実は私もこの遊覧船に乗るのは初体験(笑)普段は見慣れている風景も川や西郷湾から見ると全然違って見える。
二隻の船はその名も「しげさ丸」と「北前丸」で、私は「北前丸」に乗船した。
ガイドの説明もなかなか素晴らしく、かっぱ伝説や北前船と隠岐民謡の関係等々細かいところまで説明してくれる。
多くの漁船が係留されている場所を通り抜け、船は東西に広がる西郷湾へと出たところでガイドさんが、“茶山さんしげさ節を歌ってくれますか?”とマイクを・・・断る理由も無いので(笑)3節ほど歌ったら再びガイドさんが、“船は出ていく・・・の歌詞を歌ってくれますか?”とリクエストがあった(笑)

15:10分発のフェリー便の時間が迫ってきたので、全員が隠岐汽船ターミナルに集合し乗船を開始した。
最後は五色のテープを張って皆さんを見送ることにしたが、これもフェリー便だからこそできることだ、高速船ならテープを張ることは出来ない。
♪忘れしゃんすな 西郷の港 港の灯影(ほかげ)が 主さん恋しと 泣いている・・・全員が二階の甲板に出て「しげさ節」の大合唱だ、出船を告げる銅鑼が鳴り大きな船体は徐々に岸壁を離れて行った。
“さようなら~!元気でね~!”と互いに叫ぶ声も次第に小さくなっていく・・・
今日はKさんから“お世話になりました、皆も喜んでいました”とお礼の電話がありました。
もう一度隠岐の島に行ってみたいと思って頂けるような思い出に残る旅のお手伝い、それが私たちの最大の目標でもあります。


民謡ツァー

2010年11月04日 | 気まぐれ日記
我が隠岐の島には各地より年に何組かの「民謡ツァー」のお客さんが来られます。
今回は神戸市より20名が来島され、熱心に「しげさ節」の唄・踊りを研修されました。
以前より隠岐の民謡に興味を示され何度も来島し、そして我々が関西方面に出掛けた折などには会場に足を運んで頂いているKさんの肝いりで、今回の民謡ツァーが実現しました。

“縁は異なもの味なもの”とか言われますが、人と人との出会いは男女間のみならず、ほんの一寸した出来事から発展し大変親しくなるものです。
もう随分と前の話になりますが、神戸市にて隠岐民謡の講習会を開催することとなり、その打ち上げ(交流会)の席でたまたまKさんと同じテーブルになりました。
“実は私も三味線をやっておりますが、隠岐の民謡の三味線は独特のリズムで難しいですね”とKさんが話されたので、“そうですか!それじゃここに隠岐民謡の譜面集がありますので、差し上げますから良かったらお使い下さい”
それ以来Kさんとは現在まで親しくお付き合いを頂いております。
あのとき偶然にも同じテーブルにならなかったら、今の付き合いはおそらく無かったであろう、まさに“縁は異なもの味なもの”である。

明日は朝から皆さんと一緒に観光バスに同乗し、西郷港発15:10のフェリーを別れのテープを張って見送りたいと思っております。

♪名残り尽きぬに 銅鑼(どら)が鳴る 船の テープは切れても 胸の想いは 切れやせぬ・・・(しげさ節)

新天地

2010年11月02日 | 気まぐれ日記
横浜のメガネの三城天王町店に勤めていた息子たち親子3人が、近くまで帰ることとなりました。
息子の新天地は米子市東福原にある「メガネの三城 米子本店」(写真)です。
子供たちが元気で働いているならば何処でも良い・・・とは言うものの、自分たちが住んでいる隠岐の島から横浜はあまりにも遠い、結婚して孫もできた今となってはもう少し近くに住んでくれたらという気持ちであった。
そんな親の気持ちを察してくれたのか?息子夫婦が“お父さんも大病したことでもあるし、子供を育てるにも田舎のほうが良かろうと思うから、近くまで(米子市)帰ることにするよ”とのことで、会社にも異動の希望を提出しておりました。

娘夫婦は同じく鳥取県内の境港市に住んでおり、息子夫婦のマンションまでは車で約20分の距離、3人の孫の顔を見ようと思えばいつでも行ける距離となり、我々としてはこんな嬉しいことはない。
息子夫婦もいずれは隠岐に帰る気持ちがあるが、今はこのようなご時世であり仕事の面でままならない。
今後はこちらに住んでいる多くの友人知人に宣伝をしなければ?“メガネのご用命は「メガネの三城 米子本店」にお願いします”と・・・(笑)

音響

2010年11月01日 | 気まぐれ日記
いよいよ今日から早や11月となりました、今月は民謡関係の行事と個人的な用事が重なり合って、何かと忙しい月となりますので、おちおち?風邪など引いている暇はありません(笑)

先週の土曜日(30日)は強風のため高速船が欠航、急遽予定を変更して飛行機便で出雲空港へ、松江教室の生徒さん2人が迎えに来てくれた。
今晩6時からの松江後鳥羽会(海士町出身者で松江市在住の人たちで組織する会)総会が、市内の「むらくも会館」で開催される、そのアトラクションに松江教室の人たちが依頼されたので、私はその助っ人として駆けつけた次第です。
松江到着後すぐにリハーサルをするとのことで付き合わされた(笑)メンバーは私を含め7名で臨みましたが、結果はまずまずの出来映えでした。

翌31日は新しく初心者が二人入りましたので、朝から夕方までびっしりと稽古をしましたが、終了後に実は今夜も知人に民謡を依頼されたので・・・とのことで、今夜も同じ「むらくも会館」へ(笑)連日連夜ここに通うなら此処で泊まれば良かったかな?と思った(笑)
依頼された内容は市内の某スナックが開店25周年を迎え、そこの常連の人たちで作っているカラオケ同好会が、ママを中心としてお祝いのカラオケ大会を開催するらしい。
時間的にも短く我々の披露曲も少ないので、今度はメンバー4名で臨みました。

さて、標題の「音響」の件ですが、歌い手は勿論のこと我々伴奏者にとって、公演の折などの音響設備については最も気になるところです。
まさに“歌い手や伴奏者を殺すにゃ刃物は要らぬ”といった感がありますが・・・ところがこの夜は久々に素晴らしい音響に出会った。
音響のスタッフは3名で2人がミキサー関係に張り付き、そこの責任者らしき人が舞台袖で指揮をとっていた。

いよいよ我々の出番となり特設舞台へ、冒頭の披露曲は「しげさ節」の踊りつきだ、前奏を弾き始めた途端にビックリした、なんとも心地よい素晴らしい音響であった、極端な言い方かも知れませんが、久々と言うか某国営放送?(笑)よりも素晴らしいのでは?と感じた。
返し音(モニター)も耳に心地よく届き気持ちが良い、これならば自分の三味線の良さを100パーセント表現することができると咄嗟に思った。
しげさ節が終わり次が唄のみの「しょうじろう節」だ、ここぞとばかりにバチ付けも派手に強弱を織り交ぜて演奏してみたが全て成功した、最高の気分でありました。
最後は踊りつきの「隠岐相撲取り節」である、これとて最高の気分で演奏することが出来ました。

楽しいことはアッという間に終ってしまう、いつもであれば終了後はホッとして舞台を降りるが、この夜ばかりは降りたくない!もっと伴奏したいと思った。
あまりにも嬉しかったので舞台を降りて、真っ先に音響の責任者らしき人のところに行き、“ありがとうございました!とても気持ち良く演奏させてもらいました”と握手をしたら、“貴方の三味線も素晴らしい三味線でしたよ”と言ってくれた。
後から知らされたがその音響の責任者らしき人は、松江市内の某音響会社の社長さんでした(笑)
着替えを済ませ我々メンバーも祝いのテーブル席へ、少ししたら意気投合した?その社長さんが私のところに来られ色々と話をしていたら、我々のグループの一人が“茶山さんがこの素晴らしい音響で、カラオケを是非とも歌ってみたいと言っています”と申し出てしまい“それならば是非とも何か一曲歌ってください”と、どえらいことになってしまいました(笑)

審査員が別室に入り審査をしている間に飛び入りコーナーが始まった。
何人かが歌い終ったところで進行の担当者が来て“この次の次の人が終ったら出番ですのでスタンバイをよろしく!”いよいよ来るべきときが来た(笑)
舞台袖まで行きスタンバイしていたら先ほどの社長が来て“茶山さんサビの部分を思い切り歌ってください、気持ちいいですよ~(笑)”でも、こちらは笑えない・・・司会者から紹介があり社長からどうぞ!とマイクを渡された、北島三郎の「橋」の前奏が聞えてきた。
やっぱり自分で歌ってみても素晴らしい音響でした。