茶山守廣・隠岐三味線ブログ

名残尽きぬに 銅鑼が鳴る今宵

西郷港は 小雨も降らぬに 袖しぼる

        (隠岐民謡・しげさ節)

お食い初め

2010年06月25日 | 気まぐれ日記
横浜市に住む息子夫婦から孫の「お食い初め」の写メが送られてきた。
ご存知のように新生児の生後100日目に行われる儀式で、乳歯が生え始めるこの時期に〝一生涯、食べることに困らないように”との願いを込めて行われる。
勿論のことあくまでも食事をする真似をさせる行事でもある。

調べたところによると、地域によっては「真魚(まな)始め」または「食べ初め」、初めて箸を使うので「箸揃へ」「箸初め」とも呼ばれるほか、祝う時期が生後100日前後であることから「百日(ももか)の祝い」「歯がため」と呼ぶ地域もあるそうです。
因みにこの儀式は遠く平安時代から行われてきたものだとのこと、四季折々に行われる祭礼や子供の健やかな成長を願っての儀式等々、何事においてもけじめを大切にする日本人らしい発想であり、古くから伝わるこのような伝統を次の世代に引き継ぐことは大切なことだと思う。

この写真を見て孫の次に先ず目につくのは鯛の大きさだ、息子夫婦も相当無理をしたのかも知れません?(笑)
何はともあれ茶山奏良(ちゃやま そら)君の今後の健やかな成長を願うばかりである。

経験(年期)

2010年06月23日 | 気まぐれ日記
何事においても世の中は物凄い勢いで進化し続けていると思う、ビデオテープが世に出たときには〝こんなにも便利なものが出来たのか!”と感動すら覚えた。
それがどうだろうか?あれからそんなに歳月は経過していないのに、今やビデオテープは完全にDVDにと変わってしまった。

自分の場合40年近くに及ぶ民謡活動で大量のビデオテープがある。
ご存知のように年月が経つとカビ等が発生し画像の鮮明さは失われ劣化の一途を辿ることとなる。
数あるテープの中には大変貴重なものもある(そうでないものも相当数ありますが(笑))、幸いにも友人の中にはこのことについて詳しい人がいるので、最近では徐々にテープからDVDに移し替える作業をお願いしております。
写真はその友人が作ってくれたDVDのケースですが、いつもながら感心するほど見事な出来栄えです。

この移し替えをお願いするにあたり、最近はかなり以前のものを見る機会が極端に増えた。
当然のことながら既に亡くなった方々も多数登場するので、大変懐かしくその当時を思い出しますが、反面では自分の下手さ(未熟さ)加減に思わず笑ってしまうこともある。
写真のDVDは今から丁度10年前のもの、大阪在住で我が親友の梅若朝雲師率いる朝雲会の「朝雲会25周年記念・民謡きたみなみ」です。
今年は晴れて35周年を迎えます、〝継続は力なり”一口に35年とは云うもののその間には紆余曲折色々とあったことでしょう。

この10年前のものを見て色々と感じたことがありました。
確かに当時の三味線の音色には勢いがあり(今よりも10歳若いですので(笑))自分で見ても笑い出すほど未熟な舞台ではないと思っています。
では何が足りないのか?色々と考えてみた、先ず最初に感じたのは・・・歌い手や踊り手に対する配慮(優しさ)が足らない、まさに我が道を行く状態で、自分勝手な演奏に終始している。
演奏態度も高飛車で生意気である(笑)そのぶん音色に優しさが感じられない。
昔の記録を見つめ直してみること、自分にとってこれ以上の貴重な資料はないと思う。

平成22年11月14日(日) 於、茨木市クリエイトセンターホール 11:00開場 16:30終演予定 入場無料
既に仮プロは朝雲師から送って頂き手元にあります。
「民謡」とは、民衆の労働・儀礼などの集団の場において自然に発生し、伝承されてきた歌謡であり、素朴な生活感情を反映し、地域性が強いものである。
当日は10年前の反省を踏まえて、隠岐の島の潮の香りを会場一杯に届けたいものだ。

太棹・細棹の使い分け

2010年06月19日 | 気まぐれ日記
久し振りの更新となりましたが、今週の火曜日に点滴の定期治療のため今日までの4日間、米子医療センターに入院しておりました。
点滴のための短期入院は今回で3度目ですが、毎回同じようなパターンで2~3日目あたりから食欲がガクンと落ちます。
なんとか対策をと考えますが、こればかりはどうすることも出来ませんね(笑)

さて、ご存知のように一般的に三味線には大別して太棹・細棹(含む中棹)とあります。
これの使い分けがはっきりしなくなったと思うのは私だけだろうか?必ずしも悪いことだと断言するつもりはないが、特に太棹の奏者がそのまま太で西物を弾く場面をよく見かける。
荒々しさ迫力が要求される津軽民謡(東北民謡)はやっぱり太棹だが、繊細さが要求される西物民謡は微妙な「余韻」を聞かせて(効かせて)こそその良さが表現されると私は思う。

現在の民謡界はまさに太棹全盛時代の感があり、身近なところではこれも島根を代表する名曲「安来節」がありますが、ここでも最近は太棹を使用する人が多くなってきた。
これはあくまでも私の持論ですが、「安来節」は細棹で弾くべきだと思います。
安来節関係の友達も多くいますが、太棹と細棹を使用している人の割合は半々くらいでしょう(笑)

つい最近ですが、関東方面で太棹を使用している友人に“弾かれる曲によっては是非とも細棹を使ってみてください、その良さを発見できますよ”と勧めたところ、細棹を求めて弾いてみたいとのことだったので、その感想を聞くのを今から楽しみにしています。

かく申すお前はどうなのか?と聞かれたならば、我がふるさと隠岐の民謡しか弾かない(弾けない(笑))私の場合は槍が降ろうが?矢が降ろうが?頑固なまでに細棹(中棹)一辺倒である。
確かに若かりし頃は太棹を買い求め、それにのめり込みそうになった時期もありました。
1年間くらいやってみて気付いたことは、そのバチ付け(バチ使い)やリズムが隠岐民謡と完全に違うこと・・・これでは本家本元の隠岐民謡までダメになると思いピタリと止めました。
“二兎を追う者は一兎も得ず”人間はそんなにも器用にはできていない(私だけかも知れませんが(笑))それ以来、太棹は長ケースに仕舞い込んだまま、まさに開かずのケース状態です。

お好み焼き

2010年06月15日 | 気まぐれ日記
境港市竹内団地(大漁市場なかうら西隣)にある「お好み焼き・みそら」に行ってみた。
白で統一されたお洒落な外観の店の看板には「JAPANESE PIZZA美空」とあった(笑)
店の売りは・・・ピザのようなサクッとした食感のお好み焼きは、境港名物の一つです。

1958年(昭和33年)創業以来、昔ながらの味を守り続けている店、地元の人たちにも大人気の秘密は勿論その美味しさ!化学調味料・食品添加物を一切使用しない完全無添加のお好み焼きは、薄くサクッと焼き上げる。
広島風でもなく関西風でもない独特のスタイル、キャベツ・ネギは無農薬のものを使用、そしてソースは無農薬の果物・野菜を原料にしたオリジナルソース、また店で使用する全ての水は、週に1回大山の天然水を汲みに行くというこだわりを持っているそうです。

境港ではいつも買物に出かけているプラントの直ぐ近くという立地条件ながら今回初めて行きました。
私と娘そして孫たち4人で行き3種類のお好み焼きをオーダーしましたが、確かに味は凄く美味しかった。
お好み焼きと云えば広島風か関西風かの何れかであろうと想像しますが、ここの店はお好み焼きの概念を変えた独特のスタイルと味、言うなればピザ風とでも表現したほうが良さそうなお好み焼きです。

ぐるっと松江堀川めぐり(遊覧船)

2010年06月14日 | 気まぐれ日記
小船に乗って松江城下のお堀端を巡る水の都・松江ならではの船旅観光です。
松江城を囲む約3、7kmの堀川を、小船に乗っての~んびりと巡る観光遊覧船、山陰唯一の天守閣をはじめ、武家屋敷、塩見縄手の老松など風情ある町並みなどをグルッと一周、約50分かけての船旅が楽しめます。
途中16ある橋のくぐり抜けでは、船の屋根が下がってきてスリリングな場面も体験!船頭さんのいなせなガイドもいい味出してます。

船から見る松江市の町並みは、誰もが忘れかけた懐かしい日本の風景を思い起こさせ、川面を渡る風は時間を忘れさせてくれます。
水辺の樹木が四季の移り変わりを実感させ、水際を優雅に泳ぐ水鳥たちにホッと笑顔。
冬の間(11月中旬~4月上旬)はユニークな炬燵船へと衣替え、足元を温めながら小雪舞う堀川をしっとり巡る光景も、すっかり松江の冬の風物詩として定着。
頬をなでる冷たい風に冬の寒さを実感しながらもポカポカの炬燵にほっこり、何とも言えない船旅が満喫できます。
船から眺める城下町松江は、きっと違った感動を得られるに違いありません。
機会がありましたら皆さんも如何ですか?

似顔絵湯のみ

2010年06月09日 | 気まぐれ日記
歴代首相の似顔絵を描いた湯のみ茶わん「歴代首相漫像」に、菅新首相を加えた新作の窯入れが7日、美濃焼で有名な岐阜県土岐市窯元「山志製陶所」(加藤晃社長)で始まったそうだ。
初日は約800個が窯に詰められ、9日昼頃にも焼き上がるそうです。
県内外の土産品店などに出荷され、1個500円前後で販売される。

鳩山首相の次に、61人目として描かれた菅首相は、額に大きなほくろと、やや下がり気味の細い目が特徴。
加藤社長(49)は、〝市民団体出身の菅首相には市民目線の政治でロングセラーを期待しています、新内閣では地場産業の振興にも取り組んで欲しい”と話しているそうだ。

ところで、皆さんは歴代首相の似顔絵が描かれたこの湯のみ茶わんですが、どこかで見たような覚えがある人はたくさんおられることと思います。
確かに私の実家にもあったような覚えがあります(笑)
こんなにもコロコロと日本のトップでもある総理大臣が、次々と変わるようでは国際的にも信用がなくなる、世襲議員ではなく市民団体出身の菅首相には是非とも頑張ってもらいたいものだ。

今日が初対面です

2010年06月07日 | 気まぐれ日記
現在は横浜市に住む息子夫婦に、平成22年3月11日に待望の赤ちゃんが誕生しました。
私たち夫婦にとっては3人目の孫、そして今回は内孫の誕生である。

羽田~出雲~隠岐と飛行機を乗り継いで、今日の午前11時55分着の便にて親子3人で帰省した。
いそいそと夫婦二人で隠岐空港まで出迎えに・・・飛行機は到着予定時間より約10分も早く空港到着、我々とほぼ同じ時刻に空港に到着した。

内孫誕生のときには入院中でもあり、いわば今回が初対面でこの手で初めて抱っこした。
まだ生後3カ月弱だが時折ワーワーと意味不明な言葉を発する?孫にすればこれが話なのであろうと思われます?
1週間程度滞在しますのでまだまだ新しい発見があるだろう。

武者人形

2010年06月07日 | 気まぐれ日記
今日は横浜に住む息子夫婦が帰省します、この3月に生まれた孫とは初対面でもあり、先日は息子が生まれた年(昭和58年)に飾っていた武者人形(5月人形)を出しました。
実家の倉庫におよそ24~5年もの長い間仕舞っていた代物だ、ダンボールのケースに入れて仕舞ってはいたもののはダンボールはボロボロの状態、人形が入っているガラスケースは長年の埃まみれでありました。
自宅に持ち帰って綺麗にするまで半日を要したが、写真のようになんとか見られる?状態になりました。

この武者人形(5月人形)を飾る「端午の節句」などの由来を調べたところによると・・・
男の子が強く元気に育って欲しいと願う行事、端午の節句には屋内に鎧・兜・武者人形・破魔矢を飾り、また戸外では鯉幟や幟旗を立て菖蒲を軒に挿し柏餅を食し、そして菖蒲湯に入って菖蒲の枕で寝る。
五月は一年中の中で一番気持ちの良い気候、秋に蒔いた麦も冬の麦踏に耐えて穂を出し、やがて穂も熟れ芳ばしい匂いの中に畑も一面に黄色に変える。
若葉も生き生きと茂る、こんな季節の端午の節句は心弾む喜びの日でもある。

端午の節句とは?・・・端午とは語源は「初めの五」の意味で、もともとは「端五」と書き、「五」と「午」とは同音であるため「端午」と書くようになった。
端午とは月初めの午(うま)の日のこと、端は初めという意味で、中国では5月が午の月で、また数字が重なることを縁起が良いとし、5月5日を端午の節句として祝うようになった。

日本人は古代からもともと農作業(主として稲作)を生業とし、自然との関わりを大切にしてきた。
端午の節句は早乙女(田植えをする乙女=田の神に仕える巫女と考えられていた)が、田植えに備えて家に籠もって、菖蒲を束ねて軒下に挿して、田の神様をまつった女の人の節句の日であった。
それに古代中国では5月5日の祝日の日に菖蒲の草を摘み、お酒を作って飲み病気にならないよう、また災厄を避けられますようにと祈った風習があった。
その二つが結びついたとされ、どちらも菖蒲を道具として使っていた。

日本では薬草の菖蒲には邪気を祓う力があると信じられていた。
そこで5月5日には菖蒲を軒に挿して家から邪気を払ったり、菖蒲湯に入って病気にならないようにと祈った。
「菖蒲」には同じ響きの言葉に勝ち負けを競う「勝負」や、武士の男児らしさ「尚武」に通じているということから、男児の無事に成長し強い立派な子になって欲しいとの願いにこめての祝いとなりお祭りへと変化した。

24~5年の歳月を経て再びここに甦った武者人形、帰ってくる息子たちは果たして喜んでくれるかな?

馬入れ神事

2010年06月04日 | 気まぐれ日記
隠岐島後三大祭りの一つ、玉若酢神社(億岐正彦宮司)の例大祭・御霊絵風流(ごれえふりゅう)が明日(6月5日)開催される。
当日は勇壮な馬入れ神事が繰り広げられ、大勢の島民や観光客でにぎわう。
同神社は隠岐国の国府跡にあり、大化改新(645年)後に国司制度が確立されたころから、隠岐の神霊を一同に集めて合同の御霊絵を営む総社として崇拝されてきた。

県の無形民俗文化財に指定されている馬入れ神事は、隠岐の神々が馬に乗って集まったことに由来。
古くは隠岐島48カ所から神々が集まったとされるが、現在は同町内8地区から8頭の神馬が参加している。
馬入れ神事は午後3時前頃、くらに御幣を付けた神馬が参道入り口の鳥居前に終結。
大太鼓の音を合図に、それぞれ5人の馬付(うまづき)の若者に付き添われた神馬が次々と拝殿を目指して疾走。
土煙を上げながら狭い参道を一気に駆け上がる。

この後、神幸祭(御旅)行列が出発し、田植え式や境内馬場で流鏑馬(やぶさめ)行事、神馬競馬なども行われる。

名人を偲ぶ

2010年06月02日 | 気まぐれ日記
先日のこと安来市の安来節演芸館の楽屋を訪ねた折に、壁に掲げられた色紙(写真)を発見しました。

たった一節 唄へば知れる 本場仕込みの 安来節

今は亡き安来節三味線名人の野坂亮利(のさかすけとし)師の色紙であった。
これを見た途端に元気であった頃の師を懐かしく思い出した。
今から何年くらい前であろうか?野坂宅にて月に1回のペースで、唄と三味線の隠岐民謡教室を開設することとなり、何年間続いたであろうか?毎月交代で安来市に通った思い出がある。
安来節の三味線一筋の人生を送ってきた師の三味線は、バチの切れ味やその音色と独特のリズム(間)は絶品であった。
それだけに隠岐の民謡も云わば朝飯前?だろうと思いきや・・・そう簡単には弾けなかった(笑)どの曲を弾いても全て安来節調になってしまうのである(笑)
我々が安来節に挑戦して真似ごとは出来ても、あの独特なる間が出来ないのと同じ現象だ。

以前に一度だけ師の唄を聞いたことがあった、お世辞にも美声ではなかったが節回しや雰囲気は最高でした。
師のもう一つの特技?とも云えるものは、まさに今で云う親父ギャグでありました(笑)
聞き役にまわったときの苦痛は推して知るべし(笑)私だけではなくその被害にあった人の数は相当なものであろう。
きっと今頃は天国にて三味線片手に親父ギャグを連発していることでしょう。

バチの切れ味 千両の値(あたい) 今に伝えし 野坂流

ミスター安来節でもあった野坂先生、どうか安らかにお眠りください・・・合掌