パペット劇場ふらり旅 ~広島~

芝居好きの私がめぐり合った人形劇の魅力、たっぷりとお伝えします。

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鴻上尚史が語る“演劇”の魅力(アステールプラザの演劇学校特別講座)

2009-06-06 | 演劇
7月1日にアステールプラザ(大ホール)で上演される『僕たちの好きだった革命』に向けて主催の広島市文化財団が演出の鴻上尚史を招いた。
第三舞台はとうとう観られなかった私だが、数年前に熊本の劇作家大会で鴻上のワークショップを受けたことがある。それ以来だ。登場した時に「少し老けたかな」と思ったが、喋り始めるとパワフルな男である。

まずは47才の高校2年生(主演は中村雅俊)が主役の『僕たちの好きだった革命』が作られるまでの経緯。
もともと映画化を目的に書いたシナリオだったが持ち込んだ映画会社であえなくボツ。そのかわりに戯曲にして演劇として上演することになった。(初演2007年)
幸運にも公演を見た別の映画会社により映画化が決定した。喜んだものの監督の堤幸彦が忙しくなり順延になっていた。その間に当の映画会社が赤字になり再び無期延期。
それが黒字になって再び撮影が本決まりになって現在に至るそうだ。

この紆余曲折が、映画化には特別なことなのか、またはありがちななのかは私には解らないけれど、ともかく今回上演される公演のほうのPRをひとくさり。
この芝居には中村雅俊が歌うシーンがあり、客席で号泣する中高年が必ずひとりはいるという。かつての学生運動に、配役の中村雅俊はいかにも似つかわしいではないか。
鴻上は演劇化に際し、いまどきの高校生を知るために現役の高校生(同級生の娘さん)にインタビューをしたという。「学生運動って知ってる」と聞いてみたら、校内美化運動とどこが違うのかと問い返され絶句したそうだ。

ビートルズはライブをやめてからダメになったと鴻上は言う。スタジオ制作になってからコードミスなどのミスを犯すことが重大になった為だ。ライブではミスがあっても観客が熱狂できれば問題にならなかった。本来ライブとは演者と観客が多少のミスがあっても人間同士許しあえる関係だからである。スタジオ制作では満点が求められミスを犯すとそれでチャラ(ゼロ)になる。人間は本来70~80点あたりで生きてるでしょと。

ここらあたりから本日の本題(演劇の魅力を語る)の“ことばの教養”の話にはいる。これはスタニフスキー(演劇をやる人なら知らない人はない、神さまのように崇める人もいる人・・・高橋注)の提唱したことだそうだ。人が喋る状況を三つに分類している。

第1の輪・・・周囲が暗闇の中、自分の周囲1mくらいのスポットライトが当たった状態。・・・相応しいことばとしては「ひとり言」

第2の輪・・・同じ暗闇の中、自分と相手の二人に1.5~2mくらいのスポットライトが当たった状態。・・・「あなたと話す言葉」

第3の輪・・・舞台全体に照明のある状態。・・・「みんなと話す言葉」

この対応が一致しない喋り方をすると何だかお尻がムズムズするわけである。
ところが、喋りの巧い人は、これをあえて自在にずらして話してみせるという。それが“言葉の教養”が高いということになる。
同じ「生きるべきか、死ぬべきか」のハムレットの台詞でも、かつては観客席にむかって言い放つ形が多かった。それがひとりブツブツとつぶやく形が興隆を極め、いまは誰か一人の相手役に向かって話すパターンが現れてきた。と演劇ふうの解説が面白かった。

実は、人間にとって第2の輪がいちばん緊張度が高いのだという。
だから多くの人は(それより楽な)「ひとり言」に逃げる。ずばり告白できず、ひとり言で「僕と結婚してくれるといいなあ」と言い、振られた男がいるそうだ。喋っている当人は言ったという充実感があっても、結局相手には全く通じていない。
ちゃんと第2の輪で話せるようにならなきゃ、と。

鴻上は、いまの日本には個人が他人とキチンと対峙する「社会」が成立していないと言う。ほとんどの日本人は「世間」に生きている。しかもこの「世間」は「壊れかけた世間」でありかつてのように個人のセーフティネットにはなってくれない。
日本人は宗教を持たないといわれるが、宗教に代わるものとして「世間」があったからである。
一神教の教えでモーゼは「私以外の神を信じるな」といった。
この神の代わりにあったのが世間の掟である。この掟を守らないと多くの日本人は生きてはいけなかった。だから従ったのである。その代わりに人々が不遇の時はセーフティネットの役割を果たしていたのである。
いま「世間」は個人の不運・不遇に際して日本人を守ってくれない。それが「壊れかけた世間」だからである。

日本より遥かに格差社会の進んだアメリカでは教会の存在が大きい。日本ではホームレスの人々にボランティア団体が週1回の炊き出しをするとニュースになるくらいだが、米国では失業した人々に日に3食を保障する教会がいくらでもあるという。同時にキリスト教の教えに反する行動をとる人間には過酷で、中絶手術を行っている産婦人科医が射殺される事件(キリスト教は堕胎を禁じている)が毎年起こっている。

現代の日本では「空気を読め」という同調圧力が強く、空気の読めない人間には厳しい。実はこの空気が、「空気」=流動化した世間なのだと鴻上はいう。
だが空気を読むことに汲々としても、もはや個人はどこからも守って貰えないのだ。なぜならば、それは最早「壊れて」しまっているのだから。

その世間と空気に負けない生き方を書いた本を近いうちに出版しますとのこと。

人からは空気が読めないといわれているB型の私。読めないんじゃない、読まないんだと内心うそぶいてはいるが、そんな世間が息苦しくてたまらないのが正直なところだ。
鴻上の話を聞いて、演劇はさすがに社会の最先端を走っているなあと感嘆する。

『僕たちの好きだった革命』の公開稽古レポートはこちら→http://www.fujitv.co.jp/events/movie/boku_keiko.asx(音が出ますので注意!)




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2 コメント

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文筆家ぱぺっとサマのフォロワーです (農林100号)
2009-07-10 16:39:08

いつも愉しく読ませて貰ってます。
コウカミさんの芝居本編のレビュー待ってます。
あと、シーティーティーについてのレポートも楽しみ楽しみ!
ありがとうございます (おけい)
2009-09-24 18:41:21
ご贔屓ありがとうございます。
更新が途切れがちになるのが玉に瑕では
ありますが、今後ともよろしく。

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