父の遺した写真 63 西枇杷島の国道・県道
1970年頃、父が勤務していた西枇杷島町(現・清須市)の国道22号線の様子を写した写真がある。
63-1 西枇杷島町国道22号線 1970.8.20
この頃、国道22号線は名古屋から名神高速一宮インターへの道だから、(全部ではないが)「名岐バイパス」(1969年全線開通)として整備された。写真のように、郊外で片側3車線プラス側道というのは当時としては別格の道だった。写真の正確な位置はわからない。この頃、新幹線はもうできていたが、大学生の私にとっては贅沢で、名古屋・京都間の行き帰りには主に高速バスを用いたから何度もここを通っているはず。
63-2 西枇杷島町弁天歩道橋 1970.10.27
西枇杷島警察署の前の県道67号線に今でも歩道橋がある。写真は南から見たところ。写真では歩道橋の桁に「西枇杷島町小場塚新田」と書いてある。現在もほとんど同じ位置に同じ事が書いてある他、その下にローマ字標記があり、さらに右に「名工建設弁天歩道橋」と記されている。
63-3 西枇杷島町弁天歩道橋 1970.10.27
ほとんど同じ場所を、歩道橋の上から撮ったもの。朝の風景だが、名古屋方面に向かう車線がかなりの渋滞である。名岐バイパスは既にあったが、このあたりで東を迂回していて、こちらの方がまっすぐなので利用する車が多かったのだろう。
Key words Nishibiwajima Kiyosu Meigi-Bypass Pedestrian-Bridge 西批杷島 清洲市 名岐バイパス 歩道橋 愛知
写真の転載はご遠慮いただきたい。
1970年頃、父が勤務していた西枇杷島町(現・清須市)の国道22号線の様子を写した写真がある。

63-1 西枇杷島町国道22号線 1970.8.20
この頃、国道22号線は名古屋から名神高速一宮インターへの道だから、(全部ではないが)「名岐バイパス」(1969年全線開通)として整備された。写真のように、郊外で片側3車線プラス側道というのは当時としては別格の道だった。写真の正確な位置はわからない。この頃、新幹線はもうできていたが、大学生の私にとっては贅沢で、名古屋・京都間の行き帰りには主に高速バスを用いたから何度もここを通っているはず。

63-2 西枇杷島町弁天歩道橋 1970.10.27
西枇杷島警察署の前の県道67号線に今でも歩道橋がある。写真は南から見たところ。写真では歩道橋の桁に「西枇杷島町小場塚新田」と書いてある。現在もほとんど同じ位置に同じ事が書いてある他、その下にローマ字標記があり、さらに右に「名工建設弁天歩道橋」と記されている。

63-3 西枇杷島町弁天歩道橋 1970.10.27
ほとんど同じ場所を、歩道橋の上から撮ったもの。朝の風景だが、名古屋方面に向かう車線がかなりの渋滞である。名岐バイパスは既にあったが、このあたりで東を迂回していて、こちらの方がまっすぐなので利用する車が多かったのだろう。
Key words Nishibiwajima Kiyosu Meigi-Bypass Pedestrian-Bridge 西批杷島 清洲市 名岐バイパス 歩道橋 愛知
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