OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

街の化石

2012年03月29日 | 化石
ホテルニューTの化石

家族の食事会を小倉北区の老舗ホテルニューTで開いた。私の母が99才になったので、白寿記念会というわけである。ちょっと待ち時間があったので、ホテルロビーを歩いていたら、ホールの壁に用いられている白い石灰石に化石が入っている。確認できたのは、多数のアンモナイトであるが、地層中でかなり溶けてしまっていて、おおよその形しかわからないのが多い。


1 アンモナイト。隔壁が見える。


2 アンモナイトだが、溶けてしまって隔壁は見えない。


3 ウニ? 中央下にある明るい点は写りこんだシャンデリア。

これは多分セイタカブンブクのようなウニ類。もう一つ同じようなのがあった。


4 ウニ類?

アンモナイトは20個ぐらいあった。ウニ?は2個。他に貝殻らしいものがあった。次の写真はベレムナイトかと思われるが、高い所にあって観察できない。


5 ベレムナイト?

これらから考えられるのは、中生代ジュラ紀あたりの石灰岩であろうということ。アンモナイトの種類はわからない。
なお、今回の写真は画像処理をしてある。大分暗くし、さらにコントラストを増してあるので、現場ではもっと真っ白に見えている。

ついでに石垣の化石

小倉南区の少し古い住宅地(1980年代ぐらいか)の石垣には、「折尾石」という緑色を帯びた黄褐色の砂岩がよく使われている。その名の通り八幡西区の折尾付近にあったいくつかの石切り場の石で、漸新世の芦屋層群の折尾砂岩層の海成層のものである。だから化石が含まれていていいのだが、石材として出す以上、均一な見栄えがいるためか、化石の入っていることはほとんどない。次の写真は、K小学校の近くにある折尾石に入っている化石。


6 折尾石の化石 周りの灰色の所はコンクリート

何かの断面が見えるが、おそらくアナジャコなどの節足動物の化石。殻が薄くて、どこも均一な厚さであるから。ただ、同じような断面になるのがウニ類で、その可能性も少しある。アナジャコならはさみの部分。
折尾石の石垣は風化に弱く、所によってはかなり傷んでいる。今後危ない所も出てくるのでは、と心配になる。表面が凹んでくるだけならたいした事はないが、中に割れ目が伸びて行くとまずい。

3月の投稿はこれでおしまい。暖かくなったので話題が多い。書きためてある「最後の蒸気機関車たち」シリーズはたまにしか使わなくなりそう。

アンモナイト展

2012年03月25日 | 化石
アンモナイト展

開催中の自然史博物館アンモナイト展を見学した。M学芸員の本領発揮というかすばらしい標本を集めた展示会で、解説パネルのうんちくも面白かった。すでに開会の日に少し見学したが、北海道や淡路島の素晴らしい標本に目を奪われた。
この日は、自分で採集した標本が多数展示されているのを見直した。数えていないが20点ぐらいあると思う。それらは3つの経緯の標本で、一つは学生時代に自分で採集したもの。2番目は在職中に出張で採集したもの。最後の一群は出張で採集した標本であるが自分ではクリーニングできず、M学芸員が掘り出してくれたもの。
学生時代の古い標本には、東北地方のものが多い。次の写真のアンモナイトは宮城県の石切り場でいただいたもの。他にも権現という海岸で採集したジュラ紀の標本が複数あって(これらも展示してあった。)、今回良い機会だったのでまとめて寄贈したもの。


1 宮城県石巻市産の三畳紀アンモナイト

在職中の標本にも、運にめぐまれた良いものがある。和歌山県のこの標本は今後採集しようと思ってもまず無理だろう。結構大きな標本である。


2 和歌山県湯浅町産の白亜紀アンモナイト

アンモナイト以外に、オウムガイの採集もできた。佐賀県産のものは結構大きくて気に入っているのだが、左隣にあるOさんの福岡市内の標本にはとてもかなわない。


3 右が私の採集した佐賀県唐津市産の漸新世オウムガイ類

これは、島根県産のタコブネの化石。同じ地点で数個が採集されている。


4 島根県松江市産の中新世タコブネ類

北海道には採集のために二度出張した。自分でクリーニングしたユーボストリコセラスも記憶にある。


5 北海道産の白亜紀ユーボストリコセラス

採ってきたままにしていた標本がある。これは、アイノセラス。この種類が入っていることは知っていたが、二か所に見えていて、どうクリーニングしていいのか分からず、放置していた。アイノセラスは最初塔状に(巻き貝のように)巻いた後、突然ゆるく広がっていくという変わったアンモナイトである。そのために壊さないようにクリーニングするのが難しい。M学芸員の技術に脱帽。


6 北海道産の白亜紀アイノセラス(中央)

どれも採集時の記憶をたどると懐かしい標本である。異形巻きアンモナイトは展示すると目を引くので、担当していた頃には力を入れて採集・購入したものだ。

ショップも充実していた。欲しいものもいくつかあるが、できる限り自分で採集するように務めているので、目の毒。


7 ショップに並ぶアンモナイト

この展示会は自然史博物館で5月の連休まで開催されているので、また見に行くつもり。

佐世保に行ってきました その1

2012年03月21日 | 旅行
佐世保に行ってきました その1

連休を使って佐世保に行ってきた。無職の身なので、休日に動いて得なことはないのだが。
目的は長崎県佐々から報告されている足跡化石の確認。結論から言うと空振りに終わった。
小倉を昼前に出発。佐世保までは博多乗り換えで2時間44分と意外に近い。在来線の特急はどちらも空いていた。それでも博多までの特急が5分ほど遅れて、4分あるはずの乗継時間がなく、「みどり」が出発を遅らせて待っていた。弁当を買う時間が無いではないか。着いたら食べよう。今日は佐世保に宿泊するだけで、歩くのは二日目だから、時間に余裕がある。


1 佐世保駅

「みどり」終点の佐世保で下車。バスターミナルから水族館の前まで市営バスに乗車。運転手さんから「長崎スマートカード」というICカードを購入。裏面に使用できる会社名が列記してある。西肥バス・佐世保市営バス・島鉄バス・長崎県営バス・長崎バス・さいかい交通・長崎電気軌道。えっ、松浦鉄道はないの?と思ったが、明日聞いてみよう。20分ほどで水族館前(バス停名はもっと長い)に着いた。そのあたりで昼食を、と試みたが、休日で家族連れやカップルが多くて食堂が空いてない。先に水族館へ。


2 水族館で見た「キヨヒメクラゲ」

アシカグッズを2点購入。水族館はクラゲの展示が面白かった。軽く食事をして、水族館南の少し離れた海岸へ。
そこに化石層があることを知っていたので、すこし見たかったのだ。海岸から20メートルほど離れた小島に神社があって狭い橋がつないでいる。神社に登る坂の手前から右の海岸にグリキメリスを主とする貝殻が多数集まった化石層がある。


3 恵比須神社


4 化石層

しかし、保存が悪く貝の姿がほとんど分からない。サメの歯などもありそうだが、見つからない。少し海岸を歩いて神社に登り、帰ってくる。みつけても、国定公園内だろうから採集は遠慮するところ。
また市営バスに乗って、佐世保駅前へ。佐世保駅前は中心街から少し離れ、寂しい。何とか場所を探して夕食。名物のビーフシチューを食べてホテルに戻る。


最後の蒸気機関車たち その5 1969

2012年03月17日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その5 1969

九州に入ると、蒸気機関車の姿が多くなった。最初に目に付いた機関車が難物。小倉と門司の間に停めてあったのだが銘板がない。C51だろうと思うのだが確信が無い。


022N 門司・小倉間 1969.3.21 C51??

これの後にC11が逆向きにつけてある。こちらには銘板がある。下の写真の後の炭水車はもちろんC11のではなく、前の写真のC51? のもの。


023N 門司・小倉間 1969.3.21 C11-125

小耳に挟んだ所では、教材用の機関車というが、詳細は解らない。C11-125は、1968年12月末に廃車されている。
もちろん現役の機関車も見ることができた。


024N 門司・小倉間 1969.3.21 C11-347

C11-347は、1972年11月に廃車。


025N 門司・小倉間 1969.3.21 C11-299

これも門司―小倉間で撮影したもので、バックの建物が前の写真と同じ。ちょうど電柱と重なって機関車の写真として全くの失敗。一つ前の写真に見える石炭積み込みのためのホッパーや、この写真のものが面白い。でもこれらのホッパーに石炭を載せるのにはどうやったのだろう?ベルトコンベアーは見当たらないので、リフトや人力だろうか。ホッパーのじょうごの角度が狭いので水用には見えない。C11-299は1971年6月に廃車。
次回はいよいよ北海道へ。
登場蒸機 C51?(写真022) C11(写真023~025)

2020.6.04 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, Ok.
The last steam locomotives in Japan. No. 5 (1969)
022-025: Kagoshima line, between Moji and Kokura Stations, Fukuoka.

最後の蒸気機関車たち その4 1969

2012年03月14日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その4 1969

1969年3月には部活の演奏会のために、宇部・小倉・福岡と動いた。途中、広島で見かけたC62。最も有名な機種だけにもっと見たかった。C62型機関車は、D52の改造で造られ、幹線で使用さえ、特急列車の牽引もしたので人気が高い。C62-41はこの一年後の1970年3月に廃車。


017N 広島駅 1969.3.18 C62-41

宇部線へ乗り換えのために、小郡(現・新山口)駅のホームにいるときにいくつか撮影。


018N 山陽本線小郡駅 1969.3.18 C58-276


019N 山陽本線小郡駅 1969.3.18 特急「みどり」


020N 山陽本線小郡駅 1969.3.18 特急「はと」

当時は駅員さんものんびりしていて、線路に降りて撮影しても安全な限りあまり注意されなかった。そこで記念撮影。写っているのはちょっと若い私。


021N 山陽本線小郡駅 1969.3.18 C58-276 と私

C58-276は、1971年5月に廃車された。
この後一行は九州に向う。
登場蒸機 C62(写真017) C58(写真018・021)

2020.6.02 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, Ok.
The last steam locomotives in Japan. No. 4 (1969)
017 San’yo line, Hiroshima Station, Hiroshima.
018-021: San’yo line, Ogori Station, Yamaguchi.