OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

最後の蒸気機関車たち その23 1970年9月

2012年08月30日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その23 1970年 9月
The last steam locomotives in Japan. No. 23 (Sep. 1970)

夕方に広島駅に移動する。目的は急行「音戸1号」の出発風景の撮影。音戸1号は広島発の夜行で新大阪までの急行。
広島駅に着くともう暗くなっている。呉線の蒸気機関車牽引の普通列車が発着するのを撮る。


116N 広島駅 1970.9.18 C59?
116-120 San’yo line, Hiroshima Station, Hiroshima Pref

九州夜行特急(上り)も通過してゆく。


117N 広島駅 1970.9.18 特急「はやぶさ」

そして、「音戸1号」が入線。広島駅でもホームから降りて撮影して問題がないようだ。


118N 広島駅 1970.9.18 C59-162



119N 広島駅 1970.9.18 急行「音戸1号」C59-162

そして出発。


120N 広島駅 1970.9.18 急行「音戸1号」C59-162

見送った後、芸備線・木次線経由の夜行急行「ちどり」に乗車して山陰に向かう。木次線にはもちろん初めての乗車だったが、その後ずっと乗る機会がなく、夜行のみということが気になっていたが、2006年にやっと乗車できた。その時は、同年6月に乗車予定で新見に着いたら大雨のため芸備線が運休となった。駅員が「タクシーで備後落合までお送りします。」とのことだったが、それでは新見ー備後落合間が未乗車になってしまうし、備後落合からの木次線の運行状況も不確実だったので、別経路運送のルールで松江に向かった。あとで考えると、経路変更したほうがたぶん旅程が短いので払い戻しの可能性もあったかもしれない。結局この部分は同じ年の11月に行き直して乗車した。従って、芸備線の備後落合から広島寄りは、夜間の乗車であり、少々気になっている。同じようなところは、上越線の一部にもある。いずれ乗り直そう。

登場蒸機 C59(写真116?・118~120)

2020.6.08 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.
2012年9月1日 一部の写真が間違っていたので訂正した。

新若戸道路ウォーキングに行ってきました

2012年08月27日 | 今日このごろ
新若戸道路ウォーキングに行ってきました
Walking event of new Wakato Tonnel

若戸大橋の開通から50年、交通量の増加に対応するための新しい道路ができた。今度の道路は、洞海湾の下を通る海底トンネルである。9月15日の開通を前に、26日に「開通記念ウォーキング」が催されたので、行ってきた。

ちょっと寝坊して家内に車で送ってもらい、戸畑側の受付のあるという大橋公園で降りた。11時半である。受付の締め切りが12時とのことで、ちょっとあせっていた。すでにリュックやジョギングスタイルの家族連れなどでにぎわっている。


1 大橋公園から見た若戸大橋

歩く人の移動方向を見て、それらしい方向に行く。昔、博物館準備室の収蔵庫の一つのあった突堤の方向である。
倉庫の間の狭いところを抜けると新しい道路の横に出る。受付も見当たらないのでそのまま道に入ると、入口の案内看板があって皆さんが記念写真を撮っている。どうやら両側のトンネルを使ってそれぞれを一方通行にしているようだ。将来の車と同じ左側通行である。


2 戸畑側のサイン

その先に「新若戸道路ウォーキング」と書いたアーチがあって、そのあたりから次第に下り坂、そしてトンネルの入口に。


3 戸畑側アーチ


4 戸畑側のトンネル入口

このトンネルは、コンクリートの箱を沈めてつなぐ工法でできている。そのためか断面は丸くなく、大きな長方形である。トンネル入口の上には「若戸トンネル」と記されている。対向車線は若松側からくぐってきた人たちで、にぎわっている。


5 トンネル内部

いよいよトンネルに入るが、路面はけっこう左の方に傾斜しているのが印象。戸畑側は直線的で次第に下る。一番低い部分に到着。戸畑と若松の境界の標識が壁に貼ってあるところで、人だかりがしていて皆さん記念写真を撮影している。ここで私も撮ろうとしたところで、事件。デジカメのバッテリーが切れてしまった。それで、ここからの写真はない。携帯電話の写真機能はあるが、残念なことに記憶カードを入れていないので写真が保持できない。

若戸側は最低地点からしばらく水平で、左に曲がってゆく。最後に少し上り坂になって出口。さらに先に向かって道路ができるようになっている。両側にここで出る車のための上り坂があって、ウォーキングはこちらに誘導される。「戸畑へ戻る方は対向車線へ、ここで出る方は受付でそう言ってください。」とガイドされるが、「戸畑で受付されていないが…」と言うと、「ではそのまま出てくださってもいい。」とのこと。
帰途は若戸渡船を使うことにして、炎天下を1.5キロほど歩く。ちょうど渡船が出るところだったので、乗船料100円をはらって飛び乗り戸畑へ。


6 若戸渡船(携帯で撮影)


7 若戸渡船(携帯で撮影)むこうは皿倉山

渡船は二隻が同時に出る。若松からの船は若戸大橋の橋脚を迂回する形なので、二隻はちょっと離れてすれ違う。
戸畑駅まで歩くとここでもちょうど小倉行の快速に間に合った。戸畑大橋公園で車を降りてから、1時間10分後には、小倉駅に着いた。デジカメの充電切れは残念だった。注意不足である。
若戸大橋も昔は徒歩通行が可能だったが、車線増加工事で歩道が無くなってしまった。一度通っておけば良かった。

投稿が数分遅れました。すみません。

最後の蒸気機関車たち その22 1970年9月

2012年08月22日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その22 1970年 9月
The last steam locomotives in Japan. No. 22 (Sep. 1970)

三原機関庫ではかなり自由に行動できそう。そこで私もずうずうしく運転台に登って記念写真。これでも怒られないのだ。


111N 三原機関庫 1970.9.18 C62-16と私
111-115: Mihara SL Depot, Hiroshima Pref.

ついには、一緒に入った内の一人が事務所から「安芸」のヘッドマークを借りてきて、勝手に機関車につけて撮影。私も記念撮影。写真で分かるように、結構大きい。機関車の前に長さ30センチほどの平たい鉄製の板が垂直に取り付けてあり、ヘッドマークの後面にあるスリットを差し込むようになっている。


112N 三原機関庫 1970.9.18 C59-164 C62-17


113N 三原機関庫 1970.9.18 C62-16


114N 三原機関庫 1970.9.18 C59-164と私

C62-17は、1971年3月に廃車の後、名古屋の東山動植物園で静態保存されていたが、2011年に名古屋市港区のリニア・鉄道館に移動されたという。なぜ名古屋なのかというと、1954年に名古屋に近い東海道本線木曽川駅付近で17号機が時速129kmという狭軌蒸気機関車最高記録を出したからだろう。


115N 三原機関庫 1970.9.18 C50-142 C62-16

三原機関庫ではとにかく自由にさせてもらった記憶が残った。C50-142も1970年11月に廃車。
登場蒸機 C62(写真111~113・115)C59(写真112・114)C50(写真115)

2020.6.07 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.
The last steam locomotives in Japan. No. 21 (Sep. 1970)

最後の蒸気機関車たち その21 1970年9月

2012年08月19日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その21 1970年 9月
The last steam locomotives in Japan. No. 21 (Sep. 1970)

次に向かったのは、三原機関区。撮影が趣味の何人かといっしょに許可をもらって入場する。注意を記したガリ版の紙を渡され、さらにヘルメットと腕章を付けて入場。厳しいのかと思ったら、次々と予想に反する事が起こる。


106N 三原機関庫の写真撮影の注意 1970.9.18 
Instruction of taking pictures at Mihara SL Depot†, Hiroshima Pref.


107N 三原機関庫 1970.9.18 C59-162  D51-760 C59-164 と私
107-110: Mihara SL Depot†, Hiroshima Pref.

D51-760を含む多くの機関車がこの年の11月の呉線電化時に廃車となった。ただ、C59-164は梅小路に保存された。
写真中央は若い私。こんな所まで自由に入れる。今なら決して許されない。でもそれだけではなかった。


108N 三原機関庫 1970.9.18 C50-88


109N 三原機関庫 1970.9.18 C50-88

C50-88は、この後紀伊田辺に移動、1971年8月に廃車。


110N 三原機関庫 1970.9.18 C62-16

何と機関車の上に小学生が登っている!ヘルメットをかぶっているので、許可を得た子供たちに違いない。
登場蒸機 C59(写真107)D51(写真107)C50(写真108・109)C62(写真110)

2020.6.07 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.
The last steam locomotives in Japan. No. 21 (Sep. 1970)

投稿が40分ほど遅れた。

最後の蒸気機関車たち その20 1970年9月

2012年08月14日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その20 1970年9月
The last steam locomotives in Japan. No. 20 (Sep. 1970)

また移動して糸崎駅へ。目的は、一日一本だけある山陽本線まわり広島行の普通列車(323列車)の撮影。C59が牽くのでこれも面白い。もちろんこの年暮れの呉線の電化に伴って山陽本線の蒸気機関車牽引の列車もなくなった。


101N 山陽本線糸崎駅 1970.9.18 C59-161
101-105: San'yo line, Itozaki Station, Hiroshima Pref.


102N 山陽本線糸崎駅 1970.9.18 C59-161


103N 山陽本線糸崎駅 1970.9.18 C59-161


104N 山陽本線糸崎駅 1970.9.18 C59-161


105N 山陽本線糸崎駅 1970.9.18 C59-161

前回(その19)で、100枚目の写真を見ていただいた。今回は101枚目からの投稿。最終的には500枚程度の写真が登場する。

登場蒸機 C 59(写真101~105)
20回を終わったので登場した機種をまとめておく。
10回まで:登場蒸機 C11 C12 C50 C51 C56 C57 C58 C60  C62 8620 D50 D51 D61 9600 (14型式)
新たに登場20回まで: 4110 C61 C 59 (計17型式)

2020.6.07 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.