OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

父の遺した写真 31 常滑線の車窓風景2

2017年01月19日 | 鉄道
父の遺した写真 31 常滑線の車窓風景2

 まず新舞子の水族館の写真。新舞子駅のすぐ海側に出る道の左側にあった。

31-1 新舞子の水族館 1961.9.24

 私たちは「新舞子の水族館」と思っていたが、東京大学農学部附属水産実験所」というのが正式の名称だった。夏休の宿題の調べ事で、実験室におじゃました。調べたのはウミボタルのことで、採集のしかたや、乾燥したウミボタルを潰すと光ることなどを教えてもらった。といっても教えてもらったのは姉で、小学校に上がる前の私は横で見ていただけ。父の写真には水族館の外観はなく、水槽の写真(ウミガメのこども、カブトガニ、たこつぼ)とタカアシガニ剥製の4枚だけが残っている。鯨の骨格が展示されていたという話もある。水族館は1970年に閉館した。現在結婚式場のある所にあった。

31-2 名鉄常滑駅 日時不明

 常滑は陶磁器の産地で、各地に名鉄を使って輸送していた。写真のように駅は活気に満ちていた。積んであるのは輸送される製品で、土管などが有名であった。写真に見えるのもほとんどが土管。常滑線は1982年に貨物輸送を終了。

31-3 常滑の陶器工場 日時不明

 たくさんの煙突が立ち並んでいた。ほとんどの煙突は断面が四角形の煉瓦積みのものだった。
 写真の転載はご遠慮いただきたい。

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1993年のニュージーランド研究旅行 その31 西海岸へ

2017年01月16日 | 今日このごろ
1993年のニュージーランド研究旅行 その31 西海岸へ
Research trip to NZ, 1993: No. 31 West Coast

 2月10日、アーサーズ峠を越えて西海岸地区に入る。このあたりは、広い氾濫原の両側が急な崖になった地形で、まちがいなく氷河地形であろう。

31-1 扇状地とせきとめられた湖。右上には滝も見える。アーサーズ峠手前で。1993.2.10
Topography of fan and glacial lake

 同車両の観光客のグループと話をしてみると、ドイツから来たという。ニュージーランドがちょうど地球の反対側ということで、ドイツ人に人気があるらしい。ついでに座っているところを撮ってもらう。

31-2 トランツ・アルパイン車内で。1993.2.10
Car of Tranzalpine

31-3 レインフォレスト 1993.2.10(再掲)
Rain forest

 西海岸に入ったあたりの森をレインフォレストというのだそうだ。タスマン海からの湿気が、ここで雨を落すのでこちら側が森になるのだそうだ。列車は右に左にカーブを切って終点のグレイマウス(Graymouth)に向かうが、少し遅れているようだ。


31-3・31-4 トランツ・アルパイン号 1993.2.10
The Tranzalpine

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父の遺した写真 30 常滑線の車窓風景1

2017年01月13日 | 鉄道
父の遺した写真 30 常滑線の車窓風景1

 私鉄の車窓風景写真はほとんどない。ただ常滑線沿線がいくつかある。私の家は名古屋市北区の前に日長(現・知多市)にあったから、常滑線をよく利用した。といっても、名古屋に転居したのは、私が小学校に上がる時だったから、日長時代の記憶は乏しい。それでも、今回と次回掲載する5つのテーマのそれぞれに記憶がある。

30-1 聚楽園の大仏 1958.3.2

 東海市の聚楽園には大仏が現在もある。これを電車の中から見た記憶がある。

30-2 長浦のたこ 1960年

 長浦の海岸にあったコンクリート製のモニュメント。長浦からしばらくの間、常滑線は砂浜のすぐそばを走っていた。長浦は海水浴場で、タコの「ターちゃん」が目印だった。これの記憶はかすかにある。

30-3 海苔干し 知多市寺本 1959.2.23

 このあたりは、海苔の産地だった。木の枝を使った海苔ソダが積んであったり、海苔を溶いた桶から升を使って上手に均一に海苔簾(のりす)の木枠の中に流し込む様子、そして海苔を漉いた海苔簾をたくさん重ねて運び、木枠に止めて天日に干す様子を覚えている。写真は寺本付近の海苔干しの様子。

30-4 海苔ソダを使った養殖 長浦 日時不明

 このころ、海苔の養殖には海苔ソダと現在のような海苔網とが混在していた。ソダ(粗朶)を使う方法は、採集に手間がかかるので次第に無くなっていった。秋になるとソダが村に運ばれてきて、乾燥させて葉を取ってから海に挿していったようだった。
 写真の転載はご遠慮いただきたい。

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京都大学グリークラブ創立 6

2017年01月12日 | 50年
京都大学グリークラブ創立 6
 
 今から50年前(1966年)年始からグリークラブの本格的練習活動が開始された。京都大学学歌や愛唱曲はもちろん、本格的なものの練習が開始された。まず、組曲「父のゐる庭」が選ばれた。グリーの印刷した楽譜(B5版・T.H.氏作製のがり版刷り)の発行が50年前の今日1月12日。

「父のゐる庭」

 この組曲について調べてみよう。
 作詞は津村信夫(1919-1944:兵庫県生れ)、作曲は多田武彦(1930年大阪府生れ)。多田氏は京都大学法学部出身。2015年にグリー創立50周年式典を行った(少々フライイングだったが)時点では、お身体を壊しておられたというが、しばしばグリークラブにご協力戴いていて、私も拝見したことがある。
 組曲は4曲からなり、1 驛前旅館 2 太郎 3 早春 4 紀の国 であった。1961年に前述の京都大学男声合唱団によって初演されたという。その時のソリストの一人が鳥越俊太郎だったという。

第1曲「驛前旅館」

 私たちが練習したのも同じだったが、後に第1曲は他の曲の「父と子」というテーマからはずれるので、「父が庭にいる歌」に変更された。変更後の初演は私たちが行なった。4曲目の「紀の国」はしばしば演奏される。上に書いた2015年のグリー創立50周年式典(ホテルグランビア京都)では、歴代のクラブ員が「紀の国」を合唱したがその迫力はものすごかった。なお、組曲の「ゐ」の仮名遣いは、最近の楽譜では「い」に直されている。

シリーズ「50年」は、グリークラブ創立50年をきっかけとして始められたが、50年前の他の出来事を含めて、そのつど掲載する予定。

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同窓会に行ってきました

2017年01月10日 | 今日このごろ
同窓会に行ってきました

 1月8日(日)に開催された愛知教育大学附属名古屋中学校同窓会「古希・還暦・成人を祝う会」に出席した。私の頃の「愛知学芸大学...」が改称されている。
 あいにくの雨天の中、昼過ぎに中区丸ノ内の名古屋銀行協会に到着。事前に「古希にあたる14期生を代表して(一番遠くから来るから)挨拶を」と言われていたので、何かあるといけないと思ってちょっと早く会場へ。玄関を入るとロビーが華やかな振り袖のお嬢さんたちとスーツの若者であふれている。「そうか。明9日は成人の日だから何か別の式典があるのかな。」と思って5階の受付に行くと、もっとたくさんの新成人が集まっている。受付の役員さんに聞くと、何と同窓会に参加する20歳の会員だという。私たちのちょうど50年後!の後輩だったのだ。その数約150名。
 私はこの同窓会新年会新年会に参加したのは初めてのこと。聞いてみると、近年の新年会は新成人を主に対象にしたもので、例年多くの卒業5年目の方が参加するという。今年の参加者は卒業生の9割以上!なお、現在の附中も私たちの頃と同じ一学年5クラスだが、男子学級はなく、E組は帰国子女向けのクラス(15名)、A〜Dは定員40名とのこと。いずれも定員一杯ではないそうだ。

1 新成人の記念写真 2017.1.08

 4時すぎから式典が始まり、古希代表として私の挨拶の順番となった。会場の200名ぐらいが静かに聴いて下さったから、たぶんうまく行ったのだろう。中学生当時のできごとを振り返る内容でお話した。一年生の年の伊勢湾台風、二年生の年はローマオリンピックで、2016年と同じ「東京オリンピックの4年前」だったこと、三年生の年には人類の宇宙飛行が行われたこと。そして最後に私事だが2016年に患ってほぼ快復したことを話して、皆さんの健康を祈って話を終えた。

2 挨拶する私 2017.1.08 同期生のHさん撮影

 写真は顔の部分をぼかしてある。その後、懇親会に移行。広い会場の立食パーティーであった。ここで同期の皆さんとお話できたが、一部の方とは十分なお話ができなかったのが残念。小学校から大学まで同じ学校だったY君と久しぶりに談笑。

3 華やかな懇親会 2017.1.08

 場所を移して二次会が9時すぎまで賑やかだった。
 翌9日は、名古屋にいる姉たちと昼食。雨もあがって日没を見ながら新幹線で帰宅。今回の旅行は、かなり快復した私の姿を御心配戴いた皆さんにお見せするのが目的で、十分に達成できたと思う。

4 新幹線から見た日没 岡山付近 2017.1.08

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