OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

食べれます

2018年02月19日 | 変なもの
食べれます

 写真は、某・小動物カフェ。新しい看板が出ていて「ワニ食べれます」と書いてある。二つの違和感があって、まずは「動物好きの人にワニを食べさせるの?」ということ。たぶん店主は爬虫類好みではないのだろう。

食べれます 2018.2.15 某所

 もう一つの違和感は「ら抜き」。若い人にはアリなのだろうな、と思ったが、ゆっくり考えると「食べられます」と書いたら自分の身の危険を考える人がいるのかもしれない(ジョークです)。だから「食べれます」が正解かな。ちなみに、今使っているワープロアプリでは、「食べれます」に波線が入って、日本語として問題があるかもしれないと注意喚起をされる。
 看板に関係なくこういう店には私はいかない。ご自由に。
 この投稿に失礼があれば削除するので、コメントを。
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円筒分水

2018年02月16日 | 変なもの
円筒分水

 桜橋の北詰に、「円筒分水」というものがある。橋の手前で県道322号の中央分離帯が幅広くなっていて、上下線に別れた橋につながるようになっているところ。フェンスで入れないようになっている。

1 「円筒分水」のフェンス 2018.1.13

2 桜橋の円筒分水 2018.1.13 小倉南区桜橋北

 覗いてみると円筒形の壁の中に、3つの同心円のコンクリート構造物が作ってあって、一番中の円筒は水没していて中央は深いようだ。二番目の円筒は高くて、内側の水面は外側より少し高い。三番目の円筒は縁まで水が来ていて、外側の最も低い水面に向かって水が流れ落ちている。最も外の低い水面は、円周が幾つかの弧に仕切られていて、そこに落ちた水は、周囲の円筒形の壁に3か所開けられた四角の放流口から出て行っている。放流口には鉄製の落とし板があって、外から操作して水流を遮断できるようになっている。水は澄んでいて気持ち良く流れている。
 ここから130メートルほど行った紫川の堰の右岸(こちら側)には取水路が作ってあって、すぐに暗渠になっている。

3 桜橋から見た堰。左端に取水路が作ってある。 2018.2.15

4 取水路。左に本流で上流側から撮影。 2018.2.15

5 右岸(取水側)から見た堰 2018.2.15
 この取水が円筒分水に来ているようだ。「円筒分水」というのは取水した水を一定の比率に分けるための仕組みである。その原理はたぶん次のようなものだろう。二番目の水面の円筒の縁から落ちる水の量は、円周の長さに比例する。それを利用しているのだが、正確に比例させるためには湧き出し口から水流が対称に流れてくる必要がある。二番目の円筒はそのためだろう。さらに中央の水没した円筒は地下から湧き出させた水流を整流にし、また侵食を避けるための構造だろう。各放流口の水量の比率は、仕切りの位置によって調整可能である。ここの場合、円弧は二つに分けられていて、両者はほぼ同じ長さの弧を描く。北側の弧はそのまま放流口に繋がるが、南側の弧は低い仕切りでもう一度二分されていて、残り二つの放流口に向かって水を流している。ただし、低い仕切りを水が越えているから、両者の比率は同じではない。ここで取水した水は、徳力付近のいくつかの用水路に分けられ、その水量の比率は話し合いで厳密に決められていたのだろう。
 なお、上の写真は幅5センチほどのフェンスの間からデジカメを中に入れて撮った。小さなコンデジでないと撮れない写真。こういうことに備えてストラップが付けてあるから落とす可能性は少ない。また、円筒分水のデータベースというのがネットにある。
 この場所をGoogle Map(以下Map)でみると、「小倉南区の円筒分水」と記してある。そのすぐ北側にちょっと気になる記載がある。「徳力軌道 桜橋駅跡地」とある。徳力軌道は、1923年から2年半ほどあった馬車鉄道であるが、その鉄道遺構はないと思う。探してみたが記念碑などの何のサインもなさそう。徳力桜橋駅はその終点であり、北(上り方向)に向かって、徳力図里・守恒・北方の合計4つの駅があったはず。Mapでは、徳力図里駅跡地の記入があったが、最近消されたようだ。よく行くKMD珈琲店から橋を渡ったところ。守恒駅跡地はスーパーのSLの前で、Mapに記入がある。北方駅跡地は記入がないが北九大の正門前だろう。これらのどこにも記念碑などは見当たらない。もしあったらご教示いただければ幸いである。
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1998年のニュージーランド研究旅行 その17 テパパ博物館

2018年02月13日 | 昔の旅行
1998年のニュージーランド研究旅行 その17 テパパ博物館
Research Visit to New Zealand, 1998. Part 17 Te Papa Tongarewa

 2月20日に訪れたのは、ニュージーランド国立博物館。もう一つの名前は、テパパ・トンガレワ。ここでは「テパパ博物館」と記し、誤解の無い所では単に「博物館」としよう。この博物館は、6日前の2月14日に新館を開いたばかりのところ。関係者から「最初の海外からの研究者」だと告げられた。案内していただいたのは、現生鯨の研究者で手品が得意なvHさん。ニュージーランドで鯨のストランディングがあると、必ず駆けつけるという方。
 今回の訪問の主な調査項目は、新しい館だから新手法の展示がないか、という点。結果的には細かい点を除けば、目を引く新手法は用いられていなかった。

17-1 テパパ博物館 1998.2.20.
Te Papa Tongarewa

17-2 博物館入口 1998.2.21.
Entrance of the Museum

 博物館は、町の中心の海側にあって、非常にアクセスが良い。鉄道駅はやや中心から北に離れた所にあるが、博物館から1kmぐらい。以前には博物館はもっと山側にあったのだそうで、この場所にはホテルが建っていた。ホテルは、土台を壊して台車に乗せ数百メートル移動してそこで営業している。「車輪の上のホテル(Museum Hotel de Wheels)」として宣伝していた。

17-3 移動したホテル 1998.2.21.
Museum Hotel de Wheels

 敬意を表してそこに泊った。一泊135 NZDだったから日本円でちょうど一万円くらい。首都の中心街だから高めである。現在の名称はMuseum Art Hotel。

17-4 テパパ博物館のアクセス
Access of the Te Papa Tongarewa

 上の地図の記号は次の通り。(上から)C(赤線) ケーブルカー、Mテパパ博物館、H ホテル(Museum Hotel de Wheels)、博物館からケーブルカー基点(右端)までの直線距離約900m。博物館のやや左のあたりが中心街。
17 Key words Wellington National-Museum Tepapa-Tongarewa Cetacea Stranding Museum-Hotel-de-Wheels Museum-Art-Hotel Cable-Car ウェリントン 国立博物館 テパパトンガレワ 鯨類 ストランディング 車輪の上のホテル 博物館芸術ホテル ケーブルカー 鉄道
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明日は第4回

2018年02月12日 | 今日このごろ
「化石・恐竜のAB志井」

明日13日(火)、第4回を開催いたします。

会場:小倉南区 志井市民センター
時刻:午後7時から。 9時までに終わります。
参加:無料ですが、部屋の使用料と冷暖房費をご負担ください(大人一人100円程度)。
内容:「芦屋層群のクジラ化石」という題で、クジラ化石の発見史を振り返ります。
新規のご参加を歓迎いたします。申し込みは不要です。できれば、ここにコメントを記入してください。

場所は小倉高専と、志井小学校の間です。

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父の遺した写真 67 長良川

2018年02月10日 | 鉄道
父の遺した写真 67 長良川

 橋の写真を紹介している。今回は長良川の橋。

67-1 伊勢大橋 1957.8.25

 伊勢大橋は、国道1号線が長良川・揖斐川を渡る橋で、長さ1000メートルを超える道路橋。型式は15連の下路ランガートラス橋で、1939年に完成した古い橋で現在も使用されている。現在新しい橋を建設中。

67-2 桑名渡し付近 1957.9.12

 伊勢大橋の遠望。長い橋なので壮観である。長良川と揖斐川を仕切る堤防に上流から三重県道106号線が繋がり、丁字路をつくっている。

67-3 尾張大橋 1957.8.25

 1933年に開通した国道1号線の下路ランガートラス橋。13連879メートルで、伊勢大橋よりやや短い。愛知県と三重県の県境にまたがっている。伊勢大橋との間には桑名市長島町がある。写真は尾張大橋の愛知県側で、左にある瓦葺きの家は現存し、醤油の井桁屋の店舗である。橋の両側にある柱状の構造物は何だか分らない。現存しないが、過去の橋の門の痕跡であろうか。

67-4 長良橋 1965.3.23

 ちょっと場所が違うが、岐阜市の金華山のふもとから北に向かい、長良川を越える所にある5径間のプレートガーダ橋。長さ272メートルの道路橋である。1954年に開通した。1956年から路面電車の名古屋鉄道岐阜市内線が通っていた(線路はその先代の橋にもあった。)。画面やや右の連接車?が路面電車だろうか。この時は橋の東側をレールが通っていたが、1973年に中央に移設した。路面電車は1988年に廃止された。現在と比べると、電車のための架線があったのがわかる。現在も電柱があるが照明用らしく、電柱をつなぐ線は見られない。
Key words Bridge Kiso-River Nagara-River Ibi-River Ise-Ohashi Langer-truss Kuwana Owari-Ohashi Nagashima Nagara-bashi Kinkazan Tram-Car Meitetsu 橋 木曽川 長良川 揖斐川 伊勢大橋 ランガートラス 桑名 尾張大橋 長島 長良橋 金華山 路面電車 名鉄 愛知 三重 岐阜
 写真の転載はご遠慮いただきたい。
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