OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

9月に見た昆虫

2016年09月25日 | 今日このごろ
9月に見た昆虫

ウオーキングで見かけた昆虫。体力復活のためになるべく歩くようにしている。基本ルートは600メートル先の喫茶店H。できれば2キロ先の喫茶店R。

クマゼミ 2016.9.03 自宅

 出かける時に気付いたが、死んでいた。これが今年最後に見たクマゼミとなった。

ツクツクボウシ 2016.9.11 自宅

 ツクツクボウシはもっと後まで生きている。台風一過で一度涼しくなったが、20日頃から夏が戻って来て、24日にもこのセミの鳴き声を聞いた。

シオカラトンボ 2016.9.10 志井

 水路に産卵中のシオカラトンボ。中央が雌で「ムギワラトンボ」と呼んでいた。左は産卵をガードする雄。

コミスジ 2016.9.21 志徳公団

 目の前を飛んでいたコミスジがとまったので撮影。ミスジチョウ類は飛行中に翅を止めて滑空するという特徴がある。

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遺跡の発掘終了(臨時投稿)

2016年09月24日 | 今日このごろ
9月10日の記事で、スーパーマーケットHDの建て替え工事現場の遺跡発掘について記した。その時に見られた2メートルほどの盛り土の時期が気になったので、古い地形図をネットで見直した。結論から言うとわからなかった。現場は志井川のすぐ近くであるが、志井川の通常の水面よりも数メートル高い平面。地形図では平面の高さが25メートルほどであることを示しているが、1900年頃の古い地形図でもその高さのように見える。ただし、等高線の間隔は10メートルだから、今回問題にした盛り土の有無はわからない。志井川の径路は1986年から1991年の間にこのあたりで直線化された。それ以前の地形は河岸段丘のある河川で、部分的に蛇行している所では段丘を侵食して半月形の低い沖積面がいくつかあったと推測される。この遺跡はそんな低い所を水田などに用いた所だろう。
 遺跡の発掘は21日頃に終了した。短い期間での発掘は苦労が多かっただろう。とくに終り近くに台風で刺激された秋雨前線の豪雨で、発掘地点は水没してしまった。

水没した発掘場所 9月20日撮影

発掘の皆さんの御苦労を思って記した。
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1993年のニュージーランド研究旅行 その16 朝の景色

2016年09月22日 | 昔の旅行
1993年のニュージーランド研究旅行 その16 朝の景色
Research trip to NZ, 1993: No. 16 Morning of the farm

 1993年2月5日から巡検に出て、メンツ(Menz)というところの牧場に宿泊。夜明けとともに目が覚めて、散歩に出る。

16-1 メンツの宿舎 1993.2.6
Hut of Menz

 この場所はかつて開拓の家族が住んでいたが、今は作業場として使われている。家の周りには有用な植物が植えられていて、開拓当初の雰囲気が残されている。

16-2 家の近くの植栽 1993.2.6
A tree along the hut

 裏手にある丘に登ってみる。東の山からちょうど陽がさしはじめる。

16-3 逆光のメンツ 1993.2.6
Menz farm in backlight

16-4 丘の上で記念写真

16-5 遠くの山には雪が残る。
Menz farm

 夏だというのに肌寒く、セーターを着てももの足りないくらい。広い景色の中に点々と、というより重なり合って羊の群が見える。上の記念写真の私の(向かって)右側にゴシャゴシャといるのも。その次の写真で中央に横一列にいるのも羊。

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父の遺した写真 15 静岡から浜松

2016年09月19日 | 鉄道
父の遺した写真 15 静岡から浜松

 富士山の写っている写真をもう一枚。

15-1 東海道本線の客車列車 静岡市由比付近 1957.9.19

 駿河湾の海岸沿いを走る上り客車列車。由比付近と記録されているが、興津に近い所。写真には少なくとも10両の客車が写っていて、当時の列車は両数が多かったことが分る。先頭は電気機関車。沼津・静岡間の電化は1949年。

15-2 高山本線のディーゼル列車 同線打保(うつぼ)付近 1968.7.23

 東海道線の話から逸れるが、ディーゼル列車も両数が多かったということを示す意味でここに掲載した。おそらく高山本線の上り急行列車だろう。川は宮川、打保駅から名古屋方面に1キロほど進んだ所に踏み切りがあって似た地形が見られる。4両の客車が写っているが、撮っている窓との間に数両のディゼルカーがあったことは確実。一番後の車両から撮っているとしても8両以上だろうか。

15-3 貨物列車 庄内川橋梁 1969.6.15

 良い写真は無いが、貨物列車の両数も多かったと記憶している。母の実家が蒲郡にあり、小学校に上がる前に高台から東海道本線を見おろしていたことがあって、私の最も古い記憶の一つだが、貨物列車の両数を数えていた。50は超えていたような気がする。写真は東海道線が庄内川を渡ったところの堤防から撮ったもので、手前に新幹線の線路が見える。写真には15ないし16両のそろった有蓋車が並んでいる。
 写真の転載はご遠慮いただきたい。

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1993年のニュージーランド研究旅行 その15 採石場

2016年09月16日 | 昔の旅行
1993年のニュージーランド研究旅行 その15 採石場
Research trip to NZ, 1993: No. 15 Quarry

 2月5日最後の見学地の採石場は、丘の上にある。採石場の名を、博士らは「ホーズ・クォリー」と呼んでいたが、綴りはHaugh’s Quarry だろう。採石場は人気が無いが、稼働はしているようだ。

15-1 夕暮れの採石場 1993.2.5 

15-2採石場から北を見る 1993.2.5
Haugh’s Quarry

 一通り採石場内を回ったが、入口近くで骨化石を見つけた。何だか分からなかったが、F博士はペンギンだという。地層は漸新世後期。
 遅くなったので、今日の宿のメンツ(Menz)という所に向かう。ここは牧場の作業所で、家の一つが空いているのでそこを使わせてもらうことになっている。みんなで夕食を作るが、私はあまり役に立たない。夕食後ビリヤードのテーブルがあるので少し遊ぶ。スヌーカー台なので、力が入るとすぐにポケットの角ではねかえされる。やっとここで地図が広げられ、今回の巡検の全容が明らかになる。

15-3 ワイタキ川周辺の巡検のルート
Rout of trip

 5日はダニーディンから国道(主要道はオレンジ色)を北上し、途中白亜紀層(地図範囲外)と海岸の第三紀層二か所(KS: Kakanui South HeadとCB: Campbell’s Beach)を見学(見学地は青丸)、Oamaru(都市は赤丸)から再び国道を北へ。ワイハオ川をさかのぼって、二か所(WB: Waihao BridgeとWF: Waihao Forks)を見学、Meyer’s Passの峠を越えて採石場(HQ)近くで宿泊。6日は採石場を再訪した後、ハカタラメア川に沿って下り、Kurowの町でワイタキ川に出会った所で主要道を右折してアワホコモ(Aw: Awahokomo)へ、その後ワイタキ川を下って三か所(GR: Gards Road, Dt: Duntroon, Eq: Earthquakes)を回る。地図にはそこから後の径路は記入していない。というのは疲れて車内で眠ってしまい、どこを通ったかわからないから。
 北九州の芦屋層群の地層名に脇田層というのがある。読みは「わいた」であるから、ワイタキ川と近い。ハカタラメア川というのも博多を思い出すが、もちろん偶然。
 この夜は少し硬いベッドではあったが、疲れてぐっすり眠った。

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