OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

久しぶりの藍島 3

2016年07月22日 | 今日このごろ
久しぶりの藍島 3

 海岸は風があって気温も街中より大分低く、日陰は快適であった。予定通り13時30分の船で小倉へ。

9 日陰で一休み 2016.7.14

10 帰りのこくら丸 2016.7.14

 何か島で会議のような行事があったらしく、市の職員などが乗船してきた。いつもなら昼の便はガラガラなのだが、今日はすこしだがお客さんがいる。島にいた時間は2時間20分、時間が短いから疲労もそこそこだった。
 小倉に着く直前、右側に新しいサッカースタジアムがおおよそ外見を現わし始めている。トップリーグに進むのは難しそうだが。

11 ギラバンツ・スタジアム 2016.7.14

 化石採集の「試運転」がうまくいって、望外の良い標本が採集でき、ごきげんな一日だった。小倉駅で喫茶店に入って一休みの後帰宅。

12 採集した標本 2016.7.14 スケールは5センチ

 表面が風化で失われているが、脊髄孔の周りに骨の表面があり、滑らかなのでプロトプテルム類の可能性が高い。脊髄孔が小さいので後方の脊椎骨。たぶん尾椎で、そうだとするとやや大型のプロトプテルムである。側突起は表面で少し摩耗しているが。中に埋もれてほとんど壊れていないようだ。なお、骨の周りの色の着いた部分が、発見時岩の表面だったところ。その周りの色の薄い部分は、採集時に割り込んだところ。裏側には化石は露出していない。採集方法がうまくいってお手本のような標本と、自画自賛。
(この項目おわり)

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久しぶりの藍島 2

2016年07月19日 | 今日このごろ
久しぶりの藍島 2

 化石を彫り出すのは、藍島のように硬い砂岩ではちょっとめんどうである。

5 溝掘り 2016.7.14

 すわり込んで作業開始、化石の周りに溝を作る。

6 溝完成 2016.7.14

 溝が浅ければ、下にまだ化石が続いている所で割ってしまう。

7 やっと採集 2016.7.14

8 採集した標本 2016.7.14

 これは、たぶんプロトプテルムの尾椎骨。これまでにあまり見つかっていない部分なので、翌15日博物館に寄贈済み。
(つづく)

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久しぶりの藍島 1

2016年07月16日 | 今日このごろ
久しぶりの藍島 1

 7月14日(木)久しぶりに藍島に向かった。昨年の10月24日藍島、2日後に馬島を見に行って以来である。大きな手術からちょうど3か月目にあたり、天気も梅雨の合間で良さそうなので、快復の様子を見ながら「化石採集の試運転」といった気持で出かけた。

1 いつものこくら丸 2016.7.14

 11時10分着藍島着。いつもと違って瀬崎の方に向かう。私の体は試運転だから、遠くに歩く気もなく、軟弱にも13時30分の小倉行きで帰るつもり。

2 瀬崎を望む 2016.7.14

 瀬崎の手前で左に曲って、島の裏側に向かう。ほとんど歩いたことのない場所である。瀬崎から裏側の港までの間は、たぶん30年ほど前に一度だけ見たところ。同じ船で来た2人の釣り客と同行する。一人はすぐに先行して姿が見えなくなったが、もう一人は最初の岩棚で釣りを始められたので、話をしてみた。何とフグを釣るのだという。ご自分でさばいて食べるのだそうで、「何十年もやってきたことで危険はない」とおっしゃる。仕掛けを作って投げ込むと、たちまち小さなクサフグが釣れる。一時間ほどで10匹くらい。

3 釣れたフグ 2016.7.14

 あまり邪魔をしてはいけないので、日陰で休みながら化石を探すことにする。当方もたちまち化石を発見。試運転にしては調子がいい。

4 化石発見! 2016.7.14

 化石を掘り出す様子は次回。
(つづく)

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父の遺した写真 7 瀬戸線土居下付近

2016年07月13日 | 鉄道
父の遺した写真 7 瀬戸線土居下付近

 前に記したように、瀬戸線の廃止部分、堀川✝から土居下✝までは、名古屋城のお堀を使っていた。堀川から東に向かい、久屋橋の東で直角に北に折れて、土居下で堀から出て東に向かっていた。

7-1 清水橋から見た瀬戸線 1959.1.07

 この写真は清水橋から北を見たところ。走っているのは、大津町行の上り電車である。大津町駅✝は堀川から本町✝に次いで3番目の駅で(他にもあったが、この頃には廃止)、堀川からたった1.0kmだから、大津町折り返しというのもちょっと変だが、堀川との間に「ガントレットポイント」という実質単線部分があって、線路容量が少なかったからだろうか。またそのくらい堀川付近は利用者が少なかったのだろう。大津町から栄町に路面電車が行っていたから乗降客が多かったのだろう。

7-2 土居下駅 1976.2.03

 1976年2月15日に土居下駅付近から堀川までが廃止された。写真はその12日前のもの。土居下駅に停車する下り喜多山行き電車。

7-3 土居下駅 1976.2.03
 
 同じく上り大津町行き電車。土居下駅には私も縁があって、小学校に入学した最初の一か月間(学校の建設が遅れて、5月から始まった。)だけ、この駅を通学に利用した。家は土居下駅の北約1.4kmにあって、一年生の脚で40分ぐらいかかったろうか。瀬戸線を降りるのは矢田駅で、こちらも学校まで0.8kmぐらいだろうか。ずいぶん歩いたものだ。6月になると、黒川から矢田町四丁目(現在の地下鉄大曽根駅東出口付近)に行くバスが通るようになって、ずいぶん歩く距離が短くなった。さらに矢田町四丁目から同十丁目(地下鉄ナゴヤドーム前西出口付近)を通るトロリーバスや、そこから砂田橋までのバス(随分小さなボンネットバスだったと記憶しているが、写真はない。)などが通ったから、ほとんど歩かなくて済むようになった。それも、まもなく直通の砂田橋行きが運行されるようになったから、便利になった。このルートは、高校卒業まで通学のお世話になった。
 写真の転載はご遠慮いただきたい。

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1993年のニュージーランド研究旅行 その7 ザ・サザナー号2

2016年07月10日 | 昔の旅行
1993年のニュージーランド研究旅行 その7 ザ・サザナー号2
Research trip to NZ, 1993: No. 7 The Southerner 2

 オアマル(Oamaru)の手前でワイタキ川(R. Waitaki)の長い橋を渡る。ここで広いカンタベリー平原が終り、ダニーディンとの間の山越えに入る。行政的にもカンタベリー地域とオタゴ地域の境界となっている。
 パーマストン(Palmerston)の手前で、反対向きのThe Southernerとすれ違う。

7-1 反対列車とのすれ違い 1993.2.2
Train of opposite

 パーマストンを過ぎると本格的な登りに入る。これまで直線だった線路が曲がりくねって登って行く。

7-2 パーマストン・ダニーディン間の車窓。 1993.2.2
Scenery between Palmerston and Dunedin

 このあたりで次第に天候が悪くなってきた。ダニーディンは深い湾の奥にある。それだから開拓初期には良港として栄えたわけだが、その湾の入口付近に来たころにはついには雨が降り出した。

7-3 天候が下り坂。 1993.2.2
Rain comes

7-4 ダニーディン湾口を狭める砂洲。左が外洋。 1993.2.2
Sandbank at the mouth of Dunedin Bay

7-5 湾の奥に開けた町がダニーディン。左の向うの方は太平洋。列車は右に降りて行く。 1993.2.2
Dunedin Bay

 ついにダニーディンの町が見えてくる。線路は次第に下って行って、駅に到着。駅にはF博士が迎えに来てくれていた。今晩からは博士の自宅に泊めていただくことになっている。

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