OK元学芸員のこだわりデータファイル

最近の旅行記録とともに、以前訪れた場所の写真などを紹介し、見つけた面白いもの・鉄道・化石などについて記します。

最後の蒸気機関車たち その79 1972年9月

2014年05月29日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その79 1972年9月
The last steam locomotives in Japan. No. 79 (Sep. 1972)


北海道の帰り道、東能代の機関庫に行った。


414N 東能代機関区 1972.9.13 28667
414-418: Higashinoshiro SL depot†, Akita Pref.

415N 東能代機関区 1972.9.13 28688


416N 東能代機関区 1972.9.13 28667

ここの主力は8620型であるが、扇形機関庫にはC11も休んでいた。


417N 東能代機関区 1972.9.13 C11-242 18677

C11-242は、1973年11月廃車。8620型機関車の廃車状況は分からなかった。


418N 東能代機関区 1972.9.13 28688

石炭を積み込むために、コンクリート製の床がつくってあり、その上から撮影した写真。
機関区での撮影はかなり自由で、もっといろいろな写真を撮りたくなった。

登場蒸機 8620(写真414~418)C11(写真417)

2020.6.20 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.

バラ園

2014年05月25日 | 今日このごろ
バラ園

若松区のグリーンパークにあるバラ園が見頃だというので行ってみた。小さな谷を整備してたくさんの品種のバラが植えてある。



品種名の札もあるが、多すぎて覚えられない。一つだけ「クイーン・エリザベス」というのを覚えている。


クイーン・エリザベス

他にも美しいのがたくさん。





園内で弁当を食べて帰宅。


お世話になった先生のご逝去 臨時投稿

2014年05月24日 | 今日このごろ
2014.05.24
京都大学・大学院在学中に長くご指導いただいた亀井節夫先生が昨日ご逝去されました。
私は出来の悪い弟子でした。それにもかかわらず、卒業後もなにかとご指導いただきました。
感謝の意を表し、ご冥福をお祈りいたします。


在学中にご指導いただいた標本のひとつ:岐阜県産のゴンフォテリウム・アネクテンス

孔子鳥化石産出地をたずねて その7

2014年05月21日 | 昔の旅行
孔子鳥化石産出地をたずねて その7 鳥の進化
Visit to the Locality of Confuciusornis: Part 7. Evolution of early birds.

 今回のシンポジウムの内容は鳥類の進化と起源に関する討論と、熱河動物群に関する討論の二つからなる。近年、中国遼寧省では鳥類の進化に関する新しい発見が相次ぎ、新聞や科学雑誌などをにぎわせている。このきっかけは、「孔子鳥」の発見に端を発している。孔子鳥 Confuciusornis sanctus は、1995年に新種記載された中生代白亜紀のハトぐらいのサイズの鳥類で、翼に3本の爪のある指を持つことや特異な広がった関節を持つ上腕骨などが特徴である。鳥類の祖先といえば、言うまでもなく始祖鳥Archaeopteyx lithographicaが有名であるが、始祖鳥の産出した地層の年代が、今から約1億5000万年前のジュラ紀であるのに対してそんなに違わない年代であると(当時は)考える研究者がいたこと、そして始祖鳥と比較してかなり進んだ段階の鳥類であることから、中国こそが鳥類の起源の土地であるとの意見さえ出て非常に大きな意気込みをもって研究されたものであった。ところが、この地方の鳥類化石の発見はその後の数年間で少し違った方向への転換を見せ始めた。一つは、発見された地層の地質年代に関する論争が起こったことが挙げられる。遼寧省の中生代化石といえば、戦前から有名なリコプテラという魚類がある。10センチに達しない小さな淡水魚類であり、尾部の構造が古い硬骨魚類の特徴を持っているのだが、以前から中国の化石のお土産といえばこれぐらいしかないと言っていいほどたくさんに産出するものである。これのラベルを見ると中生代ジュラ紀の代表的な魚類ということになっている。しかし、よく考えてみると淡水の地層の年代を決めるのはアンモナイトなどが出てくる海成層と比較してかなり難しいはずである。朝倉書店の「地史学(下巻)」でも、遼寧省の地層をジュラ紀としているが「海生動物の化石を含まないため、世界的な時間尺度と対比するのがはなははだしく困難である。」としている。そこで孔子鳥の記載されたころから放射性元素を用いた絶対年代の測定が試みられ、1億4000万年前~1億2000万年前という、つまり白亜紀前期ごろの数字が続々と出てきてしまった。これだけだったら、「始祖鳥の年代(こちらのほうは海生の動物がいっしょに出てくるのでジュラ紀という年代に疑問はない、というよりもここの地層をもってジュラ紀と決めたのだから。)よりも後の時代に、孔子鳥という進んだ鳥類がいた。」という、当たり前の結論になってしまって、はなはだ面白くない。しかしその後出てきた化石は、この点をしのぐ興味深いものであった。まず、「中華竜鳥」という60センチほどの小型の肉食恐竜がある。


11 中華鳥竜 尾の縞模様にも注意
11 Sinosauropteryx prima Ji et Ji

 中華竜鳥の模式標本は二つに割った二枚の石板であるが一つが北京に、もう一つが陳丕基先生の南京古生物研究所に置いてある。この標本は、完全な骨格がそろっていることも驚くが、その周りの地層面に針のような「毛」の跡があることには誰もが目を見張った。恐竜の尾の「毛」には周期的な色の濃い部分があることも見て取れる。そして次に見つかった「尾羽鳥」Caudipteryxと呼ばれる種類は、尾の部分にうちわのような羽毛をもち、前脚の先にも10本ほどの羽毛がついている、という不思議な形をしていた。つまりこれらの化石を飛ぶものに近づくように順に並べると、次のようになる。1 小型の肉食恐竜で、針のような「毛」を持っている(中華竜鳥)。2 小型の肉食恐竜で、前脚と尾の先に飛ぶには足りないが羽毛を持っている(尾羽鳥)。3 肉食恐竜に似ているが、羽毛があり飛ぶことができる(始祖鳥)。ここまでの動物は歯があり、尾が長い。4 歯が無くて尾が短い点で現在の多くの鳥と同じであるが、前脚の指がある点では原始的である(孔子鳥)。つまり、羽毛の起源としてウロコから進化して針のような「毛」ができ、当初の機能としては多分保温が主であったものが、昆虫をはたき落とすような、または異性を呼ぶディスプレイの機能を持つ部分的な羽毛を持つようになり、それが滑空の段階を経て現在の飛行する鳥へと進化していったように見える。ただしこういった各段階の化石が、始祖鳥以外は同一の地層から産出する、という渾沌に戸惑う。飛ぶことへの適応に注目してならべた前記の系列も、必ずしも進化の順ではなく、別の枝が混じっていることも後に分ってきた。
 孔子鳥それ自身の化石にも新たな発見がなされた。おそらく数百体以上の、それもほとんどが完全体の化石が発見され、この鳥が集団で生活し、集団死をしたものであることが分かった。長い飾り羽を持つ雄とそれの無い雌の違いが認識された。化石のマーケットでは孔子鳥の化石が売り買いされ、新聞紙上ではこれの違法性についての論議も起こった。孔子鳥が一種類ではなくいくつかの近縁の種類があることも分かってきた。


最後の蒸気機関車たち その78 1972年9月

2014年05月17日 | 最後の蒸気機関車
最後の蒸気機関車たち その78 1972年9月
The last steam locomotives in Japan. No. 78 (Sep. 1972)


大沼公園での撮影を終えて、函館に向かう。


409N 函館本線函館・大沼間 1972.9.12 D51-29
409-410:Hakodate line, between Hakodate and Onuma Stations, Hokkaido。

410N 函館本線函館・大沼間 1972.9.12 D51-29

またしてもペンキ書き込みである。かなり初期の型なので良い写真が撮りたかったが……。


411N 松前線湯ノ里駅付近 1972.9.12 
Construction of Seikan Tunnel, from Matsumae line†, near Yunosato Station, Hokkaido.

松前線に乗車。湯ノ里駅付近の青函トンネル作業場が見える。青函トンネルの完成は、この16年後である。フィルムにはこの後函館山の夜景が写っている。函館に泊まったのか、夜行の青函連絡船に乗ったのか不明。青函連絡船乗船の際には、必ず「旅客名簿」に記入して係員に渡さねばならなかった。


412 青函連絡船旅客名簿 用紙
Form of passenger list for the Seikan Ferry†.

北海道内の移動を通じて、できる限り未乗車の国鉄線に乗った。この時点で乗っていない所は次の場所。興浜北線、興浜南線、渚滑線、名寄本線の中湧別・湧別間、白糠線、夕張線の清水沢・夕張間、歌志内線、函館本線の砂川・上砂川間、札沼線の一部、留萠本線の留萌・増毛間、幌内線、室蘭本線の東室蘭・室蘭間、岩内線、瀬棚線、江差線の木古内・江差間(15か所)。北海道は広く、まだまだ乗っていない所があった。
このころ、蒸気機関車は北海道で主力の動力であった。運行している所が多く、蒸気機関車の走らない区間の方がずっと少なかった。


413 1972年4月の蒸気機関車運行区間
Distribution of steam locomotives at April, 1972 in Hokkaido, with picture points.

運行区間(青)1972年撮影地点(赤)以前の撮影地点(黄色)。
データは「鉄道ジャーナル‘72/5」を参考。
運行区間は、函館本線の札幌・深川間などで、1971年と比較してそんなに減っていない。

登場蒸機 D51(写真409・410)

2020.6.20 写真を入れ替えた。番号の後に「N」が付いているのが改善した写真。

Trivial database of a retired curator, OK.