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荻野洋一 映画等覚書ブログ

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宇田川町 余話──オルガン坂について

2011-07-21 00:07:00 | 身辺雑記
 「駒形どぜう」の渋谷店がむかし、旧宇田川沿いのクアトロの先、旧タワーレコード裏にあったという件で、余談ひとつ。

 〈原田芳雄特集〉ということで先日テレビで放送したのを録画してあった藤田敏八監督の『新宿アウトロー ぶっ飛ばせ』(1970)をゆうべ見ていたら、まさに1970年代初頭の宇田川町が、くりかえし写っていた。タイトルに「新宿」の地名を冠しておきながら、新宿より渋谷のほうがロケーション日数が多いのではないかと訝しく思えるほどである。
 原田芳雄と渡哲也の両主人公が張りこむ敵の暴力団事務所(「友愛ビル」という名がついている)が、現在の「オルガン坂」、パルコ・パート1と東急ハンズ渋谷店の中間に位置しているのだ。現在はスターバックスのオルガン坂店があるあたりだろうか。もちろん映画ではまだ、パルコもハンズもない。パルコ・パート1が誕生するのは1973年、ハンズは1978年のことだそうである。
 ただ、いまも健在の「仁愛病院」や「ルノアール」の看板がはっきりと写っているし、「宇宙百貨」や輸入レコード店「Cisco」があった大向小学校(現・神南小)から渋谷税務署につき抜ける側道も、画面奥に見えている。この、オルガン坂から右へそれていく側道ではご丁寧にも、大向小の生徒らしき児童の登校姿も写っているのだ。この子たちも、いまは50歳くらいになっているだろうが、〈原田芳雄特集〉の名のもとに自分の姿がテレビで流されたことは、当然のことながら誰も気づいてはいまい。この側道には名称があるのかとGoogleで検索してみると、あるにはあるが、「無国籍通り」「コスミック・スロープ(宇宙百貨があることが由来)」「万国旗通り」と、3つの名称が併存し、いまだ統一されていないとのことだ。
 ところで『新宿アウトロー ぶっ飛ばせ』の原田芳雄はまだ30歳。若い!

 オルガン坂のルノアールには、青山真治監督の『サッド ヴァケイション』公開前の2007年夏、「映画芸術」誌の対談のために呼ばれたことがあった。個室が予約してあり、青山監督のほか、稲川方人さん、坂本安美さんも出席して、旧「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」同窓4人組で『サッド ヴァケイション』について1時間ほど喋った。今からたった4年前のことだが、はるかむかしのことのような気がする。

 私が初めてこのオルガン坂を歩いたのは意外と遅く、高校1年の春、1981年にタワーレコードが初めて東京に出現した時のことだ。その後タワーは1995年ごろ、ファイヤー通りの旧・渋谷PAO(セゾングループが “子ども用パルコ” という位置づけで開店したが、短命に終わった)の跡をほぼ居抜きで借り受け、ここに移転し、現在に至っている。現在のタワーレコードの外壁に黄色のペインティングが施されているのは、タワーのコーポレート・カラーである黄色をあしらったものと思われるところだ。しかし、じつはそうではなく、渋谷PAOのカラーリングだった黄色がそのまま転用されているのであって、基本的にはビルディング竣工時から変わっていない。


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3 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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青山監督 (中洲居士)
2011-07-24 03:48:01
ツイッターによれば、青山監督がゆうべ、森下の山利㐂でモツ煮と赤ワインを召し上がったそうである。うらやましい。山利㐂しばらく行ってない。命の洗濯をしに行かねば…。
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訂正 (中洲居士)
2011-07-29 11:09:38
本記事中に登場する神南小学校に関しまして、正しくは大向小学校である、とのご教示をいただきました。神南小HPの沿革を見ると、大向小・渋谷小・大和小の3校が平成9年に合併して神南小が成立した旨明記されています。本記事中の表記をこの事実にそって訂正させていただきました。ご教示感謝いたします。また、OBの皆様、すみませんでした。
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スターバックス (中洲居士)
2012-11-23 14:30:25
記事中に出てくるスターバックスのオルガン坂店、初めて入店しました。PARCO劇場で芝居を見るのに開場よりだいぶ前に到着してしまったので、立ち寄りました。急ならせん階段があって、幼女が恐怖のあまり途中で立ち往生していました。店内は混雑しているのに隣のイスに荷物を置いているバカップルとか、口も押さえずにでかい咳をする男子とか、いかにも渋谷らしい客層。
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