荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『くちびるに歌を』 三木孝浩

2015-04-08 02:49:22 | 映画
 一昨年、森崎東が『ペコロスの母に会いに行く』で長崎という土地の起伏をじつに表情豊かに見せてくれたが、今作に映りこむ長崎・五島列島の水景はまさに息を飲むほどである。内海がジグザグに蛇行し、島々が書き割りのごとく折重なり、海の水色、島々の緑色、曇天のグレー、この3色が素晴らしい配置ぶりを示す。その絶景はジャ・ジャンクーの『長江哀歌』に匹敵するほどなのに、今作は最低限しか見せない。冒頭近く、女子中学生の主人公(恒松祐里)が朝の登校前、高台にある自宅から礼拝堂へむけて自転車で滑り降りていく爽快感を、引きのカットで素っ気なくとらえたところで、早くもこの映画は信用できると確信した。
 心に傷を負ったまま代用教員として赴任した新垣結衣は、ある事件が原因でピアノの弾けなくなったピアニストであり、上映時間のほとんどをかたくなな表情で終始する。だから終盤で見せるかすかな微笑が貴重と思えてくる。女子中学生の早世した母親(石田ひかり)が言い残した「汽笛の音はドの#」という言葉が、冷たい女教師(新垣結衣)に伝えられ、鍵盤でおそるおそる叩かれる「ドの#」の単音が見る者の心の奥に、再生への希求にむけた楔を打ちつける。そしてその伴奏としてヒューという五島列島をおだやかに通り過ぎる風のかすかなノイズが、耳元をしばし騒がせる。さらに汽笛の「ドの#」は、自閉症少年の「ボー」という野放図な咆哮に接続され、やがてそれはラストの汽笛へと反響していく。
 ネタバレというほどではないから少しだけ言うと、この自閉症の少年がラストで全部をかっさらっていくだろう。まるでそれは、ヒッチコック『三十九夜』(1935)におけるMr.メモリー(ウィリー・ワトソン)のごとしである(さすがにそれは褒めすぎか?)。
 三木孝浩という監督は、『陽だまりの彼女』(2013)、『ホットロード』(2014)、『アオハライド』(2014)と好不調の波を経ながら(上から目線の物言いみたいになってしまい、大変恐縮ではあるが)どんどんいい監督になってきている。同時期に公開中の『幕が上がる』とは、奇しくもまったく同じストーリーを持つ学園ドラマとなった。キャスティング面においては、人気アイドルグループ一世一代の熱演という点で『幕が上がる』に軍配が上がるかもしれない。しかし、いっさい奇をてらわず、映画の風を存分に吹かせている点で、作品としての構えはこの『くちびるに歌を』の方が大きい映画であるように思える。


新宿ピカデリー(東京•旧新宿松竹会館)にて続映
http://kuchibiru.jp


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2 コメント

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Unknown (橋脇隆)
2017-06-07 11:42:35
遅ればせながら、WOWOWの録画で観ました。
良い映画だったなぁ。
ガッキーがあんなに「できる」女優さんだとは、
知らなかったです♬
「汽笛のド」。
ラストの方でどう使ってくるか、
いろいろ考えていましたが、
おー、そうきたか!って感じでした(笑´∀`)
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ガッキー (中洲居士)
2017-07-05 02:13:53
ガッキーが、なんとかいうドラマで再ブレイクする前に、こんないい演じをですね、やっていたのですね。
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