林芙美子の原作、千葉泰樹監督による『下町(ダウンタウン)』(1957)は1時間にも満たぬ小品ながら、繊細きわまりない映画体験を約束する。東京・神田の神保町シアターで始まった〈戦争と文学〉という特集内で上映予定である。
シベリアに抑留されたまま生死のはっきりしない夫の帰りをむなしく待つ人妻(山田五十鈴)と、シベリア帰りの孤独な男(三船敏郎)が、冬のある寒い日、ふとしたきっかけで、冷えきった身をたがいに温め合うかのように心を寄せ合う。千葉泰樹の演出は的確そのものであり、男の住みこむ運送屋事務所のざっかけない内装は、成瀬映画でおなじみ中古智の美術である。場末を舞台にした貧しい映画ながら、なんとも形容しがたい気品が漂う。
茶葉の行商をする山田五十鈴が、お茶を急須で淹れずに、ヤカンの中に直接ぶちこんで煮出していたが、あれは庶民の昔ながらの淹れ方である(手に入る茶葉の質が悪いため)。山田ははじめて訪ねた男の事務所で、自慢の静岡産高級茶でそれをやっていたが、あれはもったいない。知り合ったばかりの男に対する見栄、サービス精神の表れだろう。独り者の労働者が急須なんてしゃれたものを持っていないことくらい、行商である彼女は「急須あります?」などと訊かなくてもわかっているのだ。こうしたディテールも大事に見ていきたい。
戦後の混乱と貧困がまだ残り、下宿屋のおかみさん(村田知英子)が、普通の人妻に二号さんの口を斡旋してくる時代である。山田五十鈴は決して、そうしたものを気高く突っぱねるわけではない。しかし、抵抗しなければならないものも明確に見えているのである。
ところで、映画の舞台となっているのは葛飾と浅草。浅草でのデートシーンはともかく、山田と三船が出会う葛飾の地は、正確には「下町」とは言えないだろう。葛飾区は「東京東部の郊外」という呼び方が正しい。「下町」とは、「城下町」を江戸町民が短縮した上に訓読したものであって、江戸城の城下町──つまり神田、日本橋、京橋、銀座、築地、上野、ぎりぎり浅草、吉原あたりまで──が元来の「下町」である。のちに範囲がひろがり、隅田川左岸の深川、両国、向島も「下町」に追加された。さすがに葛飾を城下町と考えるには、あまりにも遠い。逆に、銀座、京橋あたりは現在「都心」と言われて、「下町」という位置づけに違和感を抱く人もいるだろう。
私は原作を未読であるが、もし小説においても葛飾を主舞台としているならば、林芙美子の活躍した戦後まもなくの時点ですでに、「下町」の本当の定義はくずれ去っており、あいまいに東京の東側全体を分け隔てなく「下町」と呼んでしまう「ポスト寅さん時代」が、いち早く到来していたことになる。そのへんの成り行きは、さしずめ川本三郎の本でも読めばくわしく解説してくれているのだろうが、ここでは省略。
本特集では他に、家城巳代治監督の『異母兄弟』(1957)なんてのが、異様な歪みをもって見る者に迫る。オススメである。熊谷久虎『指導物語』(1941)は未見。
『下町』は、神保町シアター(東京・神田神保町)にて、8月7、9、11、12日に上映予定
http://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/
シベリアに抑留されたまま生死のはっきりしない夫の帰りをむなしく待つ人妻(山田五十鈴)と、シベリア帰りの孤独な男(三船敏郎)が、冬のある寒い日、ふとしたきっかけで、冷えきった身をたがいに温め合うかのように心を寄せ合う。千葉泰樹の演出は的確そのものであり、男の住みこむ運送屋事務所のざっかけない内装は、成瀬映画でおなじみ中古智の美術である。場末を舞台にした貧しい映画ながら、なんとも形容しがたい気品が漂う。
茶葉の行商をする山田五十鈴が、お茶を急須で淹れずに、ヤカンの中に直接ぶちこんで煮出していたが、あれは庶民の昔ながらの淹れ方である(手に入る茶葉の質が悪いため)。山田ははじめて訪ねた男の事務所で、自慢の静岡産高級茶でそれをやっていたが、あれはもったいない。知り合ったばかりの男に対する見栄、サービス精神の表れだろう。独り者の労働者が急須なんてしゃれたものを持っていないことくらい、行商である彼女は「急須あります?」などと訊かなくてもわかっているのだ。こうしたディテールも大事に見ていきたい。
戦後の混乱と貧困がまだ残り、下宿屋のおかみさん(村田知英子)が、普通の人妻に二号さんの口を斡旋してくる時代である。山田五十鈴は決して、そうしたものを気高く突っぱねるわけではない。しかし、抵抗しなければならないものも明確に見えているのである。
ところで、映画の舞台となっているのは葛飾と浅草。浅草でのデートシーンはともかく、山田と三船が出会う葛飾の地は、正確には「下町」とは言えないだろう。葛飾区は「東京東部の郊外」という呼び方が正しい。「下町」とは、「城下町」を江戸町民が短縮した上に訓読したものであって、江戸城の城下町──つまり神田、日本橋、京橋、銀座、築地、上野、ぎりぎり浅草、吉原あたりまで──が元来の「下町」である。のちに範囲がひろがり、隅田川左岸の深川、両国、向島も「下町」に追加された。さすがに葛飾を城下町と考えるには、あまりにも遠い。逆に、銀座、京橋あたりは現在「都心」と言われて、「下町」という位置づけに違和感を抱く人もいるだろう。
私は原作を未読であるが、もし小説においても葛飾を主舞台としているならば、林芙美子の活躍した戦後まもなくの時点ですでに、「下町」の本当の定義はくずれ去っており、あいまいに東京の東側全体を分け隔てなく「下町」と呼んでしまう「ポスト寅さん時代」が、いち早く到来していたことになる。そのへんの成り行きは、さしずめ川本三郎の本でも読めばくわしく解説してくれているのだろうが、ここでは省略。
本特集では他に、家城巳代治監督の『異母兄弟』(1957)なんてのが、異様な歪みをもって見る者に迫る。オススメである。熊谷久虎『指導物語』(1941)は未見。
『下町』は、神保町シアター(東京・神田神保町)にて、8月7、9、11、12日に上映予定
http://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/
サミュエル・フラーの『東京暗黒街 竹の家』で、シャーリー山口が河岸向こうの芸者と差別される場面があったと記憶してますけど、もともと向島や葛飾は下町じゃなくて河岸向こうなどという呼び方をされていたんでしょうか。この映画の場合、「ダウンタウン」と付け足しているところから見て、地理的・歴史的な厳密さよりも、アメリカでいうところの人間模様が交錯する街という象徴的な意味での下町(ダウンタウン)かなあという気がしたのですが。
千葉泰樹はいいですねえ。自分は成瀬より先に千葉泰樹を観ていたので、世の常識に逆らってでも、個人的には東宝では千葉が一番手、成瀬が二番手だと思っています。千葉泰樹の本を作りたいともう何十年も思い続けているのですが、最初にそう思った矢先に千葉泰樹その人が亡くなってしまったことがトラウマになっているのと、愚鈍と無知が災いしてもう30年近く手をつけていません。ウィキペディアに千葉泰樹の項目を作っただけで、もうやるべきことはやったかと最近ではすっかり消極的になっていますが。
失礼しました。
なるほど…。人間模様が交錯する街という象徴性…。有難うございます。
人と人がぶつかって行き先の角度が変わり、また別の方向へと四散していく、そんな人の世のジャンクションのようなイメージですよね。そういう映画だと感じます。
実は私も、題名の『下町』にわざわざ「ダウンタウン」とルビをふっているのが気になってはいたのですが、英語のdowntownというと、NYのウォール街のような都心のビジネス街という意味になってしまい、その点でもちぐはぐな題名だなあ、としか思っていなかったんです。いずれにせよ、語義に囚われすぎました。
作成なさったウィキペディアの「千葉泰樹」の項目をさっそく拝見しました。『めし』の監督が、病気降板した千葉泰樹の代役で成瀬巳喜男にまわってきたこと、そして『めし』の交代がふたりの監督の運命を決した、という指摘の部分で来歴説明を結んでいらっしゃいます。これこそまさに映画史の「ダウンタウン」だなあ!と思いました。
『誘惑』の原節子が佐分利信に窓ですくい上げられる瞬間の足首が良かった記憶もあります。