Johann Sebastian Bach: Das Kantatenwerk Vol 5 (BWV 79 - 99
Teldec 4509-91759-2
演奏:Detlef Braschke (Soloist of the Knabenchor Hannover, Soprano), Paul Esswood (Alto), Max van Egmond (Bass), Knabenchor Hannover, Leonhardt-Consort, Gustav Leonhardt (BWV 79)
Wilhelm Wiedl (soloist of the Tölzer Knabenchor, Soprano), Paul Esswood (Alto),
Kurt Equiluz (Tenor), Ruud van der Meer (Bass), Tölzer Knabenchor, Concentus musicus Wien, Nikolaus Harnoncourt (BWV 80)
マルティン・ルターが、1517年10月31日にヴィッテンベルクの城の教会の門に「95箇条の論題」を掲示したことが、宗教改革の始まりと伝えられている。ルター派の教会に於いては、この日は重要な記念日として、毎年礼拝が行われている。
バッハは、ライプツィヒに於いて、この宗教改革記念日の礼拝のために、日曜日やザクセン候国の服喪の期間に当たる年を除いて、毎年カンタータを演奏していたと思われるが、現存するものは2曲だけである。また、この宗教改革記念日は、ライプツィヒ大学の聖パウロ教会における「旧来からの礼拝(alter Gottesdienst)」に含まれており、伝統的にトーマス・カントールが曲を提供することになっていたが、その記録も残っていない。
「主なる神は太陽であり楯である(Gott der Herr ist Sonn und Schild)」(BWV 79)は、1725年10月31日に初演されたものと思われる。これは1725年末までパート譜の作製に主に関わっていたヨハン・アンドレアス・クーナウが関与していることから推定されている。この初演の際には、2本のフラウト・トラヴェルソは、まだ加わっていなかったようである。その後1729年から1731年の間に再演された際にこの2本のフラウト・トラヴェルソが加えられたことが、カール・フィリップ・エマーヌエル・バッハが作製したパート譜によって分かる。作詞者は分かっていない。全体は6楽章からなり、オーケストラはG管のホルン2、ティンパニ、フラウト・トラヴェルソ2、オーボエ2に弦楽合奏とオルガンという編成である。冒頭の合唱は、シンフォーニアに合唱フーガを組み込んだ構成である。この楽章と第5楽章のソプラノとバスのアリアは、後にルター派ミサト長調(BWV 236)のグローリアとドミネ・デウスに転用された。
もう1曲は「神は我らの堅固な城(Ein feste Burg ist unser Gott)」(BWV 80)で、このカンタータは、ヴァイマールで1715年3月24日の四旬節の第3日曜に演奏されたカンタータ「すべて神より生まれたものは(Alles, was von Gott geboren)」(BWV 80a)をもとにしてライプツィヒで作曲された。ライプツィヒでは四旬節から受難節に入り、カンタータは演奏されなかったため、バッハはこのカンタータを宗教改革記念日のカンタータに改作した。原曲のカンタータは残っていないが、ザーロモ・フランク(Salomo Franck, 1659 - 1725)による歌詞が”Evangelisches Andachts-Opffer”という表題の1714年から1715年にかけての教会歴1年分の歌詞集に収められており、それによって6楽章からなるこの作品の復元が可能である。バッハはこのカンタータの6つの楽章の内第6楽章のコラールを除いてすべての楽章を転用し、その際歌詞も元のままで使用した。これにルターの作詞、作曲と伝えられる宗教改革の象徴的なコラール「神は我らの堅き城」を第1、第5、第8楽章として加え、さらにもとのカンタータの第1楽章にもとづく第2楽章のアリアにもソプラノによるコラールを組み込んだ。このカンタータには、自筆総譜の最初の1葉が3つに分割された断片が存在し、その用紙の透かし模様によって、1728年から1731年の間に作曲されたものと考えられている。その際第1楽章とおそらく第5楽章は、現在残されているものより単純なコラール合唱であったようだ。その後1730年代後半以降の再演の際に第1楽章とおそらく第5楽章も拡大され、元の1本のオーボエが3本に変更された。この改作後の姿は、バッハの弟子で、娘婿であるヨハン・クリストフ・アルトニコル(Johann Christoph Altnickol, 1720 - 1759)による総譜写譜で伝えられている。
このカンタータは、ルターのコラールの4節すべての歌詞がその旋律によって歌われており、1724年の三位一体後第1日曜から1725年4月1日の復活祭第1日曜までの日曜祝日に連続して演奏されたいわゆるコラール・カンタータの範疇に属する作品と考えることが出来るので、現存する原典とは一致しないが、1724年の宗教改革記念日に初演された可能性がある。しかしこれには、いかなる証拠もない。
このカンタータの第1楽章と第5楽章は、ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハによって、それぞれラテン語の歌詞を付けて演奏されたようだ。その際フリーデマン・バッハによって作製された総譜が残っている。これは、おそらくオリジナルのパート譜を手本に不明の写譜者に声楽と弦楽声部および通奏低音を写譜させ、これにフリーデマン・バッハが3本のオーボエに代えて、3本のトランペットとティンパニーおよび全音低く移調されたオルガンの声部を書き加え、ラテン語の歌詞も記入した。フリーデマン・バッハは、この2つの楽章を、何らかの機会に演奏したのであろう。
旧バッハ全集(バッハ協会版 = BG)に於いては、ヴィルヘルム・ルストが、アルトニコルの写譜を不完全なものと解釈し、第1楽章と第5楽章にフリーデマン・バッハが加えた3本のトランペットとティンパニーを加えて1970年に第18巻として刊行した。そのためこのカンタータは、永らくトランペットとティンパニーを加えた編成で演奏された。新バッハ全集では、アルトニコルの写譜を基本に、トランペットとティンパニーの無い編成で刊行された。
今回紹介するCDは、すでに「オリジナル編成によるバッハ教会カンタータ全集」をはじめ、「バッハの三位一体後第27日曜日のためのカンタータ」と「バッハの復活祭のカンタータ『キリストは死の枷に捕らわれた』をオリジナル編成で聴く」でも紹介した、テルデックの「教会カンタータ全集」に含まれるものである。オリジナルのLPは2枚組で、BWV 79は第20巻、BWV 80は第21巻に分かれて収録され、いずれも1978年に発売された。その後これらは同じ2枚組のCDとしても発売されたが、現在入手可能なのは、CD6枚のセットの第5巻で、2曲ともその1枚目に収録されている。
「主なる神は太陽であり楯である(Gott der Herr ist Sonn und Schild)」(BWV 79)は、グスタフ・レオンハルト指揮、レオンハルト・コンソートとハノーファー少年合唱団、コレーギウム・ヴォカーレ・ヘントによる演奏、「神は我らの堅固な城(Ein feste Burg ist unser Gott)」(BWV 80)は、ニコラウス・ハルノンクール指揮、コンセントゥス・ムジクス・ヴィーン、テルツ少年合唱団による演奏である。このバッハの教会カンタータの唯一のオリジナル編成による演奏を担った、2人の指揮者とその演奏団体による演奏を、それぞれのカンタータで聴くことができる。
これまでにも繰り返し記してきたことだが、このテルデックによる録音の後は、バッハの教会カンタータの演奏は、女姓の独唱者や混声合唱団を加えた、オリジナル編成を放棄した演奏が主流になってしまった。そのため、バッハの教会カンタータや受難曲などをバッハが演奏していた当時に近い演奏で聴くには、このテルデックの全集しかない状態が今後も続くことになりそうだ。テルデックは、今後もこの全集を販売し続けて欲しいものである。
発売元:Warner Classics & Jazz
注)この2曲のカンタータについては、主に新バッハ全集第I部門第31巻宗教改革記念日とオルガン聖別のためのカンタータ(フリーダー・レップ編纂)の校訂報告書を参考にした。
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