私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 




Dietrich Buxtehude: Orgelwerke Vol. 1
Musikproduktion Dabringhaus und Grimm MD + G L 3268
演奏:Harald Vogel(Orgel)

ディートリヒ・ブクステフーデ(Dieterich Buxtehude, c. 1637 - 1707)は、デンマークの生まれで、父親もオルガニストであった。デンマークで教育を受けオルガニストとして活動した後、1668年4月11日に、フランツ・トゥンダーの後継者として、リュベックの聖マリア教会のオルガニストに就任した。以来39年間、1707年に死亡するまでその地位にあった。同時に教会の主任として、管理と会計も兼務していた。ブクステフーデは、北ドイツのバロック時代最大のオルガニスト、作曲家であった。音楽的活動は、オルガン演奏だけでなく、カンタータの作曲、演奏も行い、また前任者のトゥンダーによって始められた「夕べの音楽(Abendmusiken)」を継承、発展させたことも重要な業績である。
 ブクステフーデのオルガン演奏は、今日バロックの北ドイツオルガン楽派の頂点と見なされているが、当時もその名声は広く知れ渡り、その作品は写譜によって伝えられていた。2006年8月に、ヴァイマールのクラシック財団とバッハ・アルヒーフ・ライプツィヒが共同で発表した、いわゆる「ヴァイマール・オルガン・タブラトゥア」には、ブクステフーデの「さあ喜べ、親愛なるキリスト教徒よ(BuxWV 210 )」のバッハ自身による写譜が含まれており、使用されている用紙や、バッハの筆跡から、1698年、バッハが13歳の時まで遡ることが出来ると考えられている*。この他にも、ヨハン・ゴットフリート・ヴァルターによる写譜で伝えられている作品には、バッハ経由であると考えられるものがある。このように、ブクステフーデの作品は、チューリンゲン地方にも伝わっていたことが分かる。
 ブクステフーデ の作品は、1974年にゲオルク・カールシュテットの編纂で刊行された作品目録によって、BuxWV番号が用いられるようになった**。この目録には、ブクステフーデの作品として、135の声楽曲、89のオルガン曲、26の鍵盤楽器のための作品、24の器楽曲が掲載されている。オルガンのための作品は、前奏曲やトッカータなどの自由曲が42曲、コラールにもとづく作品が47曲ある。前奏曲やトッカータは、モノフォニックな、時には即興的な部分と、フーガなどの対位法的な部分が交互に配置されており、ペダルの技巧的で華麗な独奏が特徴的である。コラール曲は、定旋律を伴うものは少なく、多くはコラールの旋律の変奏や対位法的展開を加えた、変奏曲、パルティータ、ファンタジーなどがほとんどである。この様なコラール曲の様式が、パッヒェルベルに代表される中部、南部ドイツと北ドイツのオルガン音楽の大きな違いである。
 今回紹介するCDには、10曲のコラールと3曲の前奏曲、それにパッサカリアとトッカータが1曲ずつを2台のオルガンの演奏で収録されている。その1台は、リュベックの聖ヤコビ教会の小オルガンである。ブクステフーデがオルガニストとして活動していた聖マリア教会は、第2次大戦中の爆撃で破壊され、そのオルガンも現存しない。それに対して聖ヤコビ教会の小オルガンは、教会の北の壁面に、いわゆる「燕の巣状の柱廊(Schwalbennestempore)」に設置されているオルガンは、現在もオリジナルの状態が保たれている。この教会のオルガンの起源は1500年頃まで遡れるが、17世紀に入る頃には演奏出来ない状態になっていた。これを裕福な商人の資金提供によって、1635年からリュベックに工房を構えていたフリートリヒ・シュテルヴァーゲンが、1636年から1737年にかけて根本的な修復と拡張を行った。このオルガンは、シュテルヴァーゲンによって仕上げられた状態ほとんどそのままを今日まで維持している。そして1977年から翌年にかけて、ヒルデブラント兄弟によって入念な修復が行われた。このオルガンは、三段鍵盤とペダル、31のレギスターを有し、主鍵盤(Hauptwerk)は1500年頃に製作された当時のパイプ、胸部鍵盤(Brustwerk)とリュックポジティフ(Rückpositif)は、シュテルヴァーゲンが製作したパイプが、そしてペダルのパイプはヒルデブラントによって復元されている。ピッチは現在のピッチより全音高い a’ ≒ 494 Hzで、調律はヴェルクマイスター音律によっている。この音律は、Werckmeister IIIあるいは通常単にヴェルクマイスター音律と言われ、ピュタゴラスの完全五度を積み重ねて得られる音律に於いて、12番目の純正五度によるbisの音程とcの間に生ずる差、いわゆるピュタゴラス・コンマを4分割して、これをc-g、g-d、d-a、h-fis間に配分して得られるもので、その結果残りの8つの完全五度は純正だが、長三度はすべて純正ではない。これはより多くの調性で良好な和音が得られる、いわゆる「巧みな調律(独:wohltemperierte Stimmung、英:well-tempered temperament、仏:tempérament bien temperé)」の一種である***。ブクステフーデは、ウェイクマイスターと交流があり、その助言を入れてリュベックの聖マリア教会のオルガンをヴェルクマイスター音律で調律していたという考えがあるが、これは完全には証明されて居らず、反対意見もある。
 もう一台の北ドイツ、ニーダーザクセン州のオスト=フリースラントにある街ノルデンの聖ルートゲリ教会のオルガンは、1566年から1567年にかけてアンドレアス・デ・マーレによって建造されたが、1602年に戦乱によって損傷を受け、1616年から1618年にかけてエド・エファースによって再建され、1653年から1660年にかけてルーカス・フォン・ケーニヒスマルクによって、1664年にはヨハネス・パウリーにより補修拡張が行われた。アルプ・シュニットガー(1648 - 1719)はこのオルガンを、1686年から1688年にかけて、既存の10のレギスターなどを利用しながら新造し、さらに1691年年から1692年にかけて、オーバーポジティフを増設して、4段鍵盤とペダル、46のレギスターを擁するオルガンを完成させた。その後1838年に平均律に変更され、さらに19世紀の内に当時の趣味に合わせてレギスターの変更が行われた。第二次大戦中の疎開と戦後の復元などがあったが、最終的に1981年から1985年にかけて、ユルゲン・アーレントの工房によって、元の状態への復元、修復が行われた。ピッチは、現在のa’ = 440 Hzより5/8音高いコーアトーン、調律はアーレントの工房が1985年に完了した修復に於いて採用した修正中全音律である。これは、5度の積み重ねのサークルの内、c - g、g - d、d - a、a - e、e - h、h - fisを1/5ピュタゴラスコンマ狭く、fis - cis、cis - gisを純正に、gis - es、es - bを1/5ピュタゴラスコンマ広く、そしてb - fは純正、f - cは1/5ピュタゴラスコンマ狭くする調律法である。これは、中全音律の難点である極端に狭い五度に起因する不快な和音、いわゆるウルフを和らげ、かつ美しい和音が得られる、いわゆる「巧みな調律」の一種と考えて良い。これによって、純正な長三度の和音はなくなるが、シャープとフラット2つまでの長調(ハ長調、ト長調、ニ長調、ヘ長調、変ロ長調)の長三度の和音は、純正より僅かに広くなるが、かなり美しい響きが得られる。
 演奏をしているハラルト・フォーゲル(Harald Vogel)は、1941年生まれのドイツのオルガニスト、オルガン学者で、特にアルプ・シュニットガーをはじめとした北ドイツの歴史的オルガンとそれによる歴史的演奏様式を実際の演奏によって広く伝える活動を行っている。録音は、このブクステフーデのオルガン作品全集にとどまらず、歴史的オルガンを紹介するCDや、中世、ルネサンスからバロックの多くの作品の演奏まで、多数行っている。
 ムジークプロドゥクツィオーン・ダブリングハウス・ウント・グリム(Musikproduktion Dabringhaus und Grimm = MDG)は、ドイツ、デトモルトに拠点を置くCDレーベルで、その共同経営者、ヴェルナー・ダブリングハウス(Werner Dabringhaus)とライムンド・グリム( Reimund Grimm)からその名が由来している。ウェブサイトには、楽器の自然な響き、演奏される部屋の響きなど、音へのこだわりが強調されている。そのレパートリーはバッハ、ヘンデルなどバロック時代からパウル・ヒンデミット、ジョン・ケージにまで至っている。オルガン音楽は、MDGのレパートリーの重要な部分を成していて、ブクステフーデやバッハからメシアンまでの作曲家の作品紹介の他にも、ドイツを中心とした各地のオルガンの紹介など、多岐にわたっている。
 このCDの録音は、1966年9月に行われた。ブクステフーデのオルガン作品全集は、7枚組と1枚ずつのCDで販売されている。出来れば全7枚のCDを聴いて欲しいが、まずはこの第1巻をお勧めしたい。

発売元:Musikproduktion Dabringhaus und Grimm

* この「ヴァイマール・オルガン・タブラトゥア」については、「バッハの生涯に関する貴重な発見、「ヴァイマール・オルガン・タブラトゥア」 のCD化」で説明した。

** Thematisch-systematishes Verzeichnis der musikalischen Werke von Dietrich Buxtehude – Buxtehude-Werke-Verzeichnis (Bux WV), herausgegeben von Georg Karstädt, Breitkopf & Härtel • Wiesbaden, 1974

*** 中全音律やヴェルクマイスター音律などのいわゆる「巧みな音律」については、「 西洋音楽の音律についての簡単な説明」を参照。

注)アルプ・シュニットガーについては、Gustav Fock, “Arp Schnitger und seine Schule”, Bärenreiter Kassel, usw. 1974を、オルガンの調律については、CDに添付の冊子に掲載されているハラルド・フォーゲルの解説及びHerbert Kelletat, “Zur musikalischen Temperatur, I. Johann Sebastian Bach und seine Zeit”, Merseburger, 1981を参考にした。

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