~The Night Shadow Allows You~

月の水面に 映りし君の 愛でき姿は 己が命の 容なるかな

国売りが国売りに来て国売り残し国売り帰る国売りの声

2009年08月31日 | society
自民の独裁は敗れた。そして民主の独裁を人々は許した。
「独裁」という意味合いにおいて、これの違いがどこにあるのだろうかと、どれだけの人が思いに及ぶだろう?
民主党の独裁は自民党のそれよりも良い独裁なのか?(笑)

ときに飲み屋であるおやじさんは「自民愛からくる懲らしめ」と仰っていたが、こんなノリは馬鹿馬鹿しくてついてゆけない。そうでなくてもそういう雰囲気である。
実の父とも、ある政策の話をすれば「金を払うものに権利あり」である。
金を払っても「魂」のない者は木偶である。

果たして、党大会で国旗を掲げず、また国旗を切り裂き自己の党旗とした党にどれだけの「魂」があろうか。


地獄

2009年08月21日 | diary
「今、私は地獄にいる」と言うと、多くの人は何を大仰にうそぶくと軽蔑するであろう。
若しくは、私の近しい人々からは逆に大層な心配をされるであろうが、事実は事実である。
では「天国」とは何かと問われたとき、私は決まって「自己自身の心の状態」、「自分が善きと思い、行動したことが実現する状態」と応える。
それを聞いて、次に、経験豊かな人ならば「社会的な地位、他者に認められる」事が必要だと云うであろう。
しかしながら、私の「天国」はそんな世俗的なものでは実現し得ない。
それは相対的世界の生み出した、ただのカースト的理解に留まるからである。

昨今、カースト的理解が曼栄しているが、カーストでは貧者の幸福というものを理解しえない。
その点、カーストの国インドでは、僧侶、修験者などがその上位にいるのは、本来の「天国」的意味合いの名残であろうか。
彼らは本来、「幸福」の見本なのである。
彼らは本来、「地獄」にいながら「天国」を夢見る貧者でなく、「貧者であり天国そのもの」なのだ。

ルドルフ・シュタイナーの「神秘学概論」では、修養の妙境に至り、境界の守護者との対面を示唆する部分がある。
これは洋の東西を問わず、どんな人間にも起こりえる内的体験である。

例えば、日本ではその伝統は「」として顕れている。
天皇は毎朝、その実践を怠らず、またそこから日本の霊統の正統さを証する事を垣間見ることが出来る。
また神話にも、大国主神の自らの和魂との出会いとしてそれが語られている。
他にも、日本の稀有な人物で大沼忠弘氏がカバラ魔術を通して境界の守護者に関するエピソードを語られているが、これはつまり、顕教には語られない隠された秘密なのである。

シュタイナーがこのような事柄に触れうる可能性を与えられたのは、彼自身がその妙境に至った事を示唆している。
そして彼は本当の自分自身との対話を実現させた人物であると想像に難くない。
勿論、彼自身、その段階が全てとは言ってはいないが、しかし、太陽を己の存在をもって実感しうるようになるのが「人」の真なる幸福である事はひしひしと伝わってくる。

ときに私は内面に鏡を有している。
あるとき私が見た夢に、その鏡には地球が映っていた。
勿論、その地球はであり、つまり幻影なのだ。
その幻影はフレキシブルに変化しているのがよく見えた。
それを見ていたときの私はとても幸福だった。

私のかくなる太陽の劣化コピーはそのまま私の魂の改善点を多くに示唆している。
私は今、地獄に在る。しかし、私は改善される。
それは私が性善に備えられた善の機能を有している存在の一人であるからだと、グルジェフの思想に触れて鼓舞される。

続・嘔吐

2009年08月10日 | sub-culture

先に『嘔吐』という記事を書いたが、これに非常によく似たやりとりを思い出したので以下に記そうと思う。

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(『機動戦士ガンダム』第13話「再会、母よ…」より)

(あらすじ)
母の住む故郷に辿りついたアムロは、懐かしの故郷が見るも無残に廃れている事に愕然とする。
その際、自分の母が前線のキャンプにボランティアとして働いている事を知り、母の元に向かうアムロだが、そこはジオン軍の巡回地域でもあった。
彼はその土地の人々に匿われる事になるが、巡回してきたジオン軍兵士を、不本意ながら銃撃してしまう事になる。
以下の台詞は銃撃後すぐの会話。


アムロ・レイ:母さん、怪我なんてしてやしないだろうけど……

カマリア・レイ:あ、あの人達だって子供もあるだろうに……。それを、鉄砲向けて撃つなんて。……すさんだねえ

アムロ・レイ:「じ、じゃあ! 母さんは僕がやられてもいいって言うのかい!? せ、戦争なんだよ!?

カマリア・レイ:そ、そうだけど! そうだけど、人様に鉄砲を向けるなんて

アムロ・レイ:母さん……。母さんは……僕を……愛してないの

カマリア・レイ:そんな……。子供を愛さない母親がいるものかい

アムロ・レイ:嘘をつけ

カマリア・レイ:アムロ……。私はおまえをこんな風に育てた覚えはないよ。昔のおまえに戻っておくれ

アムロ・レイ:今は……戦争なんだ

カマリア・レイ:なんて情けない子だろう!!


その後すぐ、アムロはホワイトベースからの通信に応じ、帰還する事になる。
そして母の台詞、


カマリア・レイ:男手で育てたからかしら……。あ、あんな子じゃなかったのに……。虫も殺せなかった子が……


次にアムロと母との離別のシーンである


カマリア・レイ:嫌なのかい

アムロ・レイ:嫌とかじゃないんだ……。あそこには仲間がいるんだ

アムロ・レイ:こ、これからも、お達者で。お母さん

カマリア・レイ:……ア、アムロ

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如何であろうか、さながらコリン・ウィルソンが論評するヘミングウェイの「戦士の故郷」ではないだろうか?
カマリア・レイは明らかに現実が分かっておらず、そしてアムロの愛し方を間違い、追い詰めている

以前に『ニュータイプの結晶化』と云う記事をして、富野由悠季氏のアウトサイダー的側面を書き記した事があったが、この台詞のやり取りは見事にそれを顕している。
ある意味、このようなやり取りは、『嘔吐』を感じる(若しくは感じた)人間にしか分かりえない暗号のようなものでもあろう。


ときに、西洋の全書(いわゆる「バイブル」)でイエス・キリストと呼ばれる聖人に関して、父ヨセフの家業を休みがちになっている事に関して、母マリアが心配し、ヨセフを通してそれを諌めようとするエピソードがあったように思える。
それに対しイエスは「(父)の仕事をしている」と云い、救世の伝道者として開眼してゆく際の、当然の応対をしている。
これに対し、彼の事実上の両親がどのような気持ちで以って接したかは不明であるが、映画『ベン・ハー』(1959年)の冒頭では、父親としてのヨセフの愚痴にも似た台詞を聞く事が出来る。


ベン・ハー 特別版 [DVD]
出演: チャールトン・ヘストンスティーブン・ボイド
監督: ウィリアム・ワイラー

Ben-Hur(1959) - Title Music
Ben-Hur(1959) - Title Music


ともあれ、アウトサイダーの問題にはやはり、理解者が必要なのだと云いたい。


拘泥

2009年08月08日 | music

布袋寅泰は非凡なギタリストであった。

Glorious Days
Glorious Days

HOTEI MATERIALS 1988 GUTARHYTHM LIVE
HOTEI MATERIALS 1988 GUTARHYTHM LIVE

布袋寅泰 / GUITARHYTHM
布袋寅泰/ GUITARHYTHM

Climb
Climb

UPSIDE-DOWN
UPSIDE-DOWN

「さよならアンディ・ウォーホル - Goodbye Andy Warhol」 Tomoyasu Hotei 布袋寅泰
さよならアンディ・ウォーホル

hotei tomoyasu/EMERGENCY
hotei tomoyasu/EMERGENCY


勿論、今でもそうなのだが、彼の音楽でその道に開眼した頃の印象と比べるから平凡なのだろうと思う。 

しかしながら、今、GUITARHTHMⅡのライブ盤(『GUITARHYTHM ACTIVE tour '91-'92』)を聴いているのだが、某のアンプから出るシングルコイルのテレキャスターの音、シンセサイザー、そして何よりも重厚なビートは、さながら至高の音楽的雰囲気に引き込んでくれる。

布袋寅泰 BEAT EMOTION
布袋寅泰 BEAT EMOTION

布袋寅泰 PRISONER
布袋寅泰 PRISONER

布袋寅泰 STARMAN

布袋寅泰STARMAN


GUITARHYTHM II

音楽そのものが余興であり、人の堕落の最たるものであるのなら、そんな堕落があっても良い。ただ只管、これに拘泥してゆくのは、これもまた真実、神秘体験であろうかと想うところがある。


因果と転生

2009年08月03日 | diary
アニメの「お伽草子」を観た時に戦慄したのは、1クール目と2クール目の因果のつながりである。
いうなれば1クール目は過去生の話、2クール目は転生後、現在の話なのだが、過去より主人公たちにかかわった人間が、容(かたち)はそのままで違う生き方をしながら(主人公たちもまた違う生き方をしている)関わってくる部分は本当に興味深い描き方だった。

Otogi zoushi
(youtbeより-話数不明 ※シーンは安部清明が、恐らく自分自身と会話をしているというものか)

ちなみに話の本旨としては、世界そのものの輪廻転生とも云いえるが、それに素朴に抗う、純粋な人々の話であるように思える。
安部清明といったスーパーマンも出てくる。一度観ては如何かとお勧めする。


ときに、私もこういった因果を感じることがしばしばある。
最も私を悩ませる現象としては「デジャヴ」であるが、その他にも、思わず口に出してしまった事柄などもそうかもしれない。
最近だと、ある女性を「姫」と言った事がある。
あまりに自然に出たので、自分自身が一番怪訝に感じた。

ちなみにその日に前後して、また私の目撃談を初めて会う人から聞いた。
私のそっくりさんに関する話は本当に昔からよく聞くが、もしかしたら、私の半神かもしれない。