~The Night Shadow Allows You~

月の水面に 映りし君の 愛でき姿は 己が命の 容なるかな

雰囲気の創出

2008年08月28日 | society
アメリカのティーンズドラマ・映画を観ていると必ずしもダンスシーンというのがある。
それによってヒーロー、そしてヒロインは結ばれるわけだが、このお決まりとも云えるパターンというのは人間社会そのものを縮小したものであると思う。
それはつまり、「雰囲気の創出」な訳なのだが、これを感じ、即座に行動に移すには、常日頃よりそれについて局面、局面でどう対処すべきか、それを考えていなければ不可能であろう。

例えば、前に渋沢龍彦の本で”サド”の評論を読んだが、サド侯爵は典型的な「雰囲気の創出」の天才であるかもしれない。
勿論、それが現実面において全て実現出来たか、若しくはしてきたかは私の及び知るところでは無いが、しかし、人間関係における緩急というのがそれについては重要なファクターであるという事は良く分かる。
こういった事柄は「ストックホルム症候群」に近いような気もするが、人がどれだけ環境適応において鋭敏であり、また逆に鈍感であるか窺い知る事が出来る(※)。

ともあれ、「雰囲気の創出」がどれだけ人の行動様式に影響しうるか簡単に触れておいた。
またこれが「愛を育むもの」であるか、それとも「負の連鎖」を生み出すかは、それこそ雰囲気を創出する人の手にかかっている事は、それを可能な立場にいる者はそのための品格を有するよう、同時に意識すべきであろう。

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※真の意味での敏感さに無自覚な人の場合、欝になるか気が狂うか、無自覚なままに自殺をするであろう。
また真の意味での敏感さに自覚している場合は、自殺の意思と機会があれば自殺するか、若しくはそれが出来ない場合、欝か物狂いという方法で以って肉体を放棄せざるを得なくなる。
宛らベルゼバブの説く「クンダバッファ」の話に近い。

悪者

2008年08月27日 | diary
勧善懲悪という言葉がある。
水戸黄門などのフィクションに見られるような現象の一つであるが、しかし、人々の無自覚な「悪」への傾倒を気がつかせるには適当な言葉である。

つまり、「結構皆さん、知らない間に黄門さまに退治されるような嫌な奴になってませんか?」という事。

ベルゼバブはいと高きところに昇りて、神はそれを許し給い、私の背中を撫でる

2008年08月12日 | sub-culture

背中を撫でられるような感覚というのは一種のシンクロニシティーの前兆であろうか?
それは死者のものでもあり、はたまた美しい女のものでもあるが、だが、それが本当に自身の行く末に符合したある種の誘惑であるとは限らない。


ときに「ベルゼバブ」は死者である。しかもヴィヴィットな。
この背徳的な名前というのは、すべてのキリスト者にとっての敵であろうが、その実というのは人の友である。
というのも、それはキリスト者が追放された人々と自負するのと同じく、彼も追放者であり、永らく人と共に歩んで来たことに寄ろうか。
我々の伝統から云うと、彼(もしくはYHWHと同じく女神であるかもしれないが)は豊穣の神であり、皇統に先立つ神々と同じくらいに永く、その威光を保ち続けてきた。

ときに「ベルゼバブの孫への話」というロシアの神秘主義思想家にして20世紀を代表する怪人物、そしてヨガの巨人、ゲオルギイ・グルジエフの手による著作がある。

ベルゼバブの孫の話
ベルゼバブの孫への話―人間の生に対する客観的かつ公平無私なる批判



ゲオルギイ・イヴァノヴィチ・グルジエフ(Георгий Иванович Гурджиев)
1866年1月13日? - 1949年10月29日


この著作の特徴の一つとしては、まずは序文からそれを窺い知る事が出来る。
それは兎角、難解であるように書かれている事にある。
勿論、それは法律家の書く文章のように、文章そのものが実務と理解を妨げる下手糞な文章というものではなく、より多くの示唆を含ませるために、それを読むこと、そして読み解くこと事態がワーク(訳者が示す言葉を借りた)のようになっているのかもしれない。
それに関しては、私も訳者と同じく、「これはワザとそう書いている」と気がついたが、全800ページ近く、上下2段の著書(ほぼコリン・ウィルソンの「オカルト」のような本である)を100ページ強読んで、共感出来た項目と云うのは極めて少ない。
勿論、それは思想的に相容れないものである、といった嫌悪そのものでなく、理解が行き届かないといった意味においてである。
それには当然、実学たる部分が私に欠けているというのもあろうが、何故彼が、私の背中を撫でたのかは謎である。


平和ボケ

2008年08月07日 | society
Googleで「マップ ストリートビュー」なるサービスが日本でも配信されるようになった。
早速、各サイト(参考:GIGAZINE痛いニュース)でもこれが話題に挙げられているが、これに対する反応に「プライバシー」の問題はあるが、「国防」的な示唆をしている者は少ないように思える。

御者のいない馬車

2008年08月04日 | society

馬車は走る 誰とも乗せる訳でなく
馬車は走る 誰とも御者がいる訳でなく

機械化された鞭で執拗に
馬の尻を叩き続ける

馬は死ぬ 血塗れになって
車は動かずそこに止まるだけ


自省を促すならば 道理説く者の命一人分
足りなければ二人、三人、四人、五人、六人・・・屍累累