それによってヒーロー、そしてヒロインは結ばれるわけだが、このお決まりとも云えるパターンというのは人間社会そのものを縮小したものであると思う。
それはつまり、「雰囲気の創出」な訳なのだが、これを感じ、即座に行動に移すには、常日頃よりそれについて局面、局面でどう対処すべきか、それを考えていなければ不可能であろう。
例えば、前に渋沢龍彦の本で”サド”の評論を読んだが、サド侯爵は典型的な「雰囲気の創出」の天才であるかもしれない。
勿論、それが現実面において全て実現出来たか、若しくはしてきたかは私の及び知るところでは無いが、しかし、人間関係における緩急というのがそれについては重要なファクターであるという事は良く分かる。
こういった事柄は「ストックホルム症候群」に近いような気もするが、人がどれだけ環境適応において鋭敏であり、また逆に鈍感であるか窺い知る事が出来る(※)。
ともあれ、「雰囲気の創出」がどれだけ人の行動様式に影響しうるか簡単に触れておいた。
またこれが「愛を育むもの」であるか、それとも「負の連鎖」を生み出すかは、それこそ雰囲気を創出する人の手にかかっている事は、それを可能な立場にいる者はそのための品格を有するよう、同時に意識すべきであろう。
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※真の意味での敏感さに無自覚な人の場合、欝になるか気が狂うか、無自覚なままに自殺をするであろう。
また真の意味での敏感さに自覚している場合は、自殺の意思と機会があれば自殺するか、若しくはそれが出来ない場合、欝か物狂いという方法で以って肉体を放棄せざるを得なくなる。
宛らベルゼバブの説く「クンダバッファ」の話に近い。