見ましたよ、今日夕方、地震雲(恐!!)。
とまあ、関東直下型大地震の脅威が叫ばれている今日この頃ですが、私としてはどうしようもないのだから、取り敢えず食料買いだめしています(いつもの事ですが:笑)。どちらにしても、帰る家がなくなってしまうのと、自分自身が不自由な体になるか、それとも死んでしまうのは恐ろしいですね。
ところでこんな書き下しですが、どうしてなのかと云うと、先日師匠ジプシー手塚の教室にてあるハプニングがあったためです。というのもその日、地震があったのですが、丁度例のチャーリー・パーカーの難曲「DonnaLee」を演奏していたのです。
あれは確か曲の冒頭の頃でしょうか、突然の揺れにテーマを見失ってしまいました。すると師匠は、「(大丈夫だ)合ってるっ!!」と私に強い口調で活を入れ、演奏を続けていました。当然、私も「自分の演奏をしなければ」という使命感のようなものを感じ、テーマこそアドリブになってしまいましたが、何とか演奏を続けることが出来ました。
と、このような出来事であったのですが、私はあの時に、演奏家の宿命みたいなものを感じたような気がします。それはどういうものかというと、演奏家は、天地ひっくり返るような天災が起ころうとも、決して自分の演奏をやめてはいけないという事です。「これぞ芸術の神(日本で云うならアメノウズメ)の加護か」とも思い、大変感激しました。
ときに演奏家の宿命について、フルトベングラーほど著名な人はいないと思います。とは言っても、私はTVでその存在を知った訳ですが、彼は第二次世界大戦を又にかけてドイツで活躍した大音楽家でした。
性格に関しては、1935年3月、宣伝大臣ゲッベルスと会見し、「自由な人間として芸術にのみ奉仕する」と表明するというように、そこからも常人離れした精神が窺えます。ですが戦争の音は、結局彼の指揮する音楽をかき消し、「1945年1月23日にベルリン・フィルと、28~29日にはウィーン・フィルとの、戦時中最後のコンサート」になり、スイスへ亡命しました(ドイツ降伏が1945年5月8日である事を考えてみると、やはり凄い人だと思います)。
ともあれ、このような大音楽家の話を聞いても、この道の使命感というものに奮い立たされます。
とまあ、関東直下型大地震の脅威が叫ばれている今日この頃ですが、私としてはどうしようもないのだから、取り敢えず食料買いだめしています(いつもの事ですが:笑)。どちらにしても、帰る家がなくなってしまうのと、自分自身が不自由な体になるか、それとも死んでしまうのは恐ろしいですね。
ところでこんな書き下しですが、どうしてなのかと云うと、先日師匠ジプシー手塚の教室にてあるハプニングがあったためです。というのもその日、地震があったのですが、丁度例のチャーリー・パーカーの難曲「DonnaLee」を演奏していたのです。
あれは確か曲の冒頭の頃でしょうか、突然の揺れにテーマを見失ってしまいました。すると師匠は、「(大丈夫だ)合ってるっ!!」と私に強い口調で活を入れ、演奏を続けていました。当然、私も「自分の演奏をしなければ」という使命感のようなものを感じ、テーマこそアドリブになってしまいましたが、何とか演奏を続けることが出来ました。
と、このような出来事であったのですが、私はあの時に、演奏家の宿命みたいなものを感じたような気がします。それはどういうものかというと、演奏家は、天地ひっくり返るような天災が起ころうとも、決して自分の演奏をやめてはいけないという事です。「これぞ芸術の神(日本で云うならアメノウズメ)の加護か」とも思い、大変感激しました。
ときに演奏家の宿命について、フルトベングラーほど著名な人はいないと思います。とは言っても、私はTVでその存在を知った訳ですが、彼は第二次世界大戦を又にかけてドイツで活躍した大音楽家でした。
性格に関しては、1935年3月、宣伝大臣ゲッベルスと会見し、「自由な人間として芸術にのみ奉仕する」と表明するというように、そこからも常人離れした精神が窺えます。ですが戦争の音は、結局彼の指揮する音楽をかき消し、「1945年1月23日にベルリン・フィルと、28~29日にはウィーン・フィルとの、戦時中最後のコンサート」になり、スイスへ亡命しました(ドイツ降伏が1945年5月8日である事を考えてみると、やはり凄い人だと思います)。
ともあれ、このような大音楽家の話を聞いても、この道の使命感というものに奮い立たされます。