~The Night Shadow Allows You~

月の水面に 映りし君の 愛でき姿は 己が命の 容なるかな

フルトベングラー

2005年07月31日 | music
見ましたよ、今日夕方、地震雲(恐!!)。

とまあ、関東直下型大地震の脅威が叫ばれている今日この頃ですが、私としてはどうしようもないのだから、取り敢えず食料買いだめしています(いつもの事ですが:笑)。どちらにしても、帰る家がなくなってしまうのと、自分自身が不自由な体になるか、それとも死んでしまうのは恐ろしいですね。

ところでこんな書き下しですが、どうしてなのかと云うと、先日師匠ジプシー手塚の教室にてあるハプニングがあったためです。というのもその日、地震があったのですが、丁度例のチャーリー・パーカーの難曲「DonnaLee」を演奏していたのです。

あれは確か曲の冒頭の頃でしょうか、突然の揺れにテーマを見失ってしまいました。すると師匠は、「(大丈夫だ)合ってるっ!!」と私に強い口調で活を入れ、演奏を続けていました。当然、私も「自分の演奏をしなければ」という使命感のようなものを感じ、テーマこそアドリブになってしまいましたが、何とか演奏を続けることが出来ました。

と、このような出来事であったのですが、私はあの時に、演奏家の宿命みたいなものを感じたような気がします。それはどういうものかというと、演奏家は、天地ひっくり返るような天災が起ころうとも、決して自分の演奏をやめてはいけないという事です。「これぞ芸術の神(日本で云うならアメノウズメ)の加護か」とも思い、大変感激しました。

ときに演奏家の宿命について、フルトベングラーほど著名な人はいないと思います。とは言っても、私はTVでその存在を知った訳ですが、彼は第二次世界大戦を又にかけてドイツで活躍した大音楽家でした。

性格に関しては、1935年3月、宣伝大臣ゲッベルスと会見し、「自由な人間として芸術にのみ奉仕する」と表明するというように、そこからも常人離れした精神が窺えます。ですが戦争の音は、結局彼の指揮する音楽をかき消し、「1945年1月23日にベルリン・フィルと、28~29日にはウィーン・フィルとの、戦時中最後のコンサート」になり、スイスへ亡命しました(ドイツ降伏が1945年5月8日である事を考えてみると、やはり凄い人だと思います)。

ともあれ、このような大音楽家の話を聞いても、この道の使命感というものに奮い立たされます。

啓示(パズルのピース)

2005年07月27日 | sub-culture
今回はちょっと自分の内面的な話。

先日、地震の後、本屋に行って偶然にも民俗学の面白い本に出会った。この本の詳細については、今後エッセイにも書こうと思うが、その出会いが地震の後だっただけにさらに印象深かった。

何というか、あの地震は、私にとってその後の知的衝撃を予感させるものだったのかもしれない。と書くと、トンデモなく怪しまれるだろうが、つまりはさまざまな事柄が一つにまとまってゆくような事である。

先日、TV番組のCMで「アハ」体験なるものの紹介がされていたが、まさにそれである。
因みに、「アハ」体験とは、心理学者の巨人ユングの唱えた説でもあるが、これはある意味、無意識に蓄積された事柄が、なんともない出来事、例えば道を歩いていたらどこかの家庭の晩御飯のシチューの匂いがしてきて、それでより多くのことに気が付いた、というようなものである。

つまりこのような体験が、私のパズルのピースをはめたような気がするのである。知的興奮というのは、このような形でやってくる場合もある、そんな出来事であった。またこういうのは、なかなか共感出来ないだろうな、と寂しくも思う。

Donna Lee

2005年07月23日 | music
ついこの間、ジャズ教室でチャーリー・パーカーの名曲、「Donna Lee」のレクチャーを受けた。
因みにこの曲、名曲ではあるが難曲でもある。伴奏のほうは初見でも何とか弾けるのだが、メインテーマに関しては要練習である。
他に以前、彼の曲でレクチャーを受けたものとして、ジャズブルースの曲で「Billie's Bounce」というものもあるが、これも難解であった。どちらも是非、レパートリーに加えたい楽曲だ。

ともかく、スタンダードは奥が深い。自分がどれだけ精進したかで演奏も変わってくるし、またジャズ癖のようなものを摑む事が出来るようになれば、どんな曲が来ようと怖くなくなるだろう。そして自分では、この曲は「まさにジャズ」の部類に入る曲であるが、これをクリアーした時には、きっと新たな音楽の領域が眼前に広がるのではないかと期待している。

日々精進、これこそ音楽家にとって「俺的音楽」から自由にしてくれると思う。「俺的音楽」は、ある意味、太った人がダイエットが出来ない理由を、「自分は太りやすい体質だから」と安易に言うのに似ている。

勿論、これがチャーリーのように、自分のソロが楽曲として、後の世でも弾き継がれるものであるのなら文句はない。そして寧ろ、私にとっての「俺的音楽」は「Donna Lee」でありたいものである。

ブルースには酒が合う

2005年07月18日 | music
昨日、師匠の主催で催された、ハーモニカの天才少年・千賀太郎君の父・千賀明三氏率いるユニット、「BLIND LEMON BROTHERS」のライヴを、ドラマーのMasakiと観に行った。

実際ライヴ観て思ったのだが、太郎君はハーモニカの天才少年として、「たけしの誰でもピカソ」など、TVでの露出度も高く、私も認知していたのだが、流石にそのハーモニカは15歳の少年の奏でるものでない位、素晴らしく感じた。

何というか、ブレスが最高なのである。それは、まるで語りかけるように、メロディと共に聴こえてくる。まあ考えようによっては、それは少年の拙い語り口調のようにも取ることが出来るが、だがその年代の感情や価値観を伝えるには、あまりにも完璧なものかもしれない。一度、教育者であるうちの親父に聴かせてみたいものだ(笑)。

因みに、ブルースハープに関しては、近年弾き語りのブームの再来もあってか、聴く機会も多くなったのだが、流石に太郎君のように奏でる事が出来る人は、プロでない限りそうざらにいない。寧ろ、ファッションとして吹くことは結構あるが(参照)、それはある意味、太郎君のように音楽を愛している人に対して失礼だと思った。

ときに父明三氏であるが、この方の存在感は強烈であった。何というか、ブルースマンそのものなのである。一見すると、私の地元にもいそうな普通のオッサンなのであるが、ギターを持って一度ライヴに望むと、その姿は通常の倍の大きさに見える。正直言うと、太郎君の存在感もさるものの、やはり父・明三氏の方にどうしても目がいってしまった。

そして明三氏の最大の魅力は何かというと、それは氏の歌声である。因みに、ブルース声というのは、ポップスにあるような清涼感のあるようなものでなく、所謂濁声なのだが、これが実際の演奏に合間るとそこで一つの世界観を形成する。そしてそこにブルース独特のビブラートがかかるともう鳥肌モノである!!思わず体を揺らしてグルーヴを感じてしまう、そんな気持ちにさせてくれる。

ブルースには酒が合う。また酒を飲みながら、直に彼らの奏でる音楽を聴きたいものだ。。。

指の分離で気が付いたこと

2005年07月17日 | music
音楽を志す全ての人間にとって指の分離は最も退屈で苦痛な練習だと思う。
因みに、その練習法とは、弦楽器であれば指盤上をくまなくクロマチックスケールでいったりきたりするという感じである(パターンはいくらかあるが、ここでは割愛する)。
指の分離については、手のフォームというのが重要になってくるので、これを自分なりに正しいものを身に着けておかないと、後でなく事になる(事実今の私がそうだ)。

そこで指の分離について、最近になって気が付いた事を書いてゆこうと思う。

ときに、このクロマチックの練習法であるが、先に書いたとおり、はっきり言って苦痛でしかない。
そこで工夫のしがいがあるのだが、それにはメトロノームを用いると良い。
さらに、そのメトロノームは2拍4拍だけを鳴らすようにする。最初のうちは、この方法は慣れるまでそれ自身が苦痛になるだろうが、慣れてしまうとクリック音がドラムのスネアのように聴こえてくる。

こうなると不思議な事に、少しクロマチックの練習が楽しくなってくる。

さらに余談ではあるが、メトロノームを用いたクロマチックスケールの練習は、指の分離も当然ながらリズム感、特に裏ノリの感覚を摑むのに効能がある。これについてはまた後日書くことにする。

ともあれ、このようにすると至極退屈な練習でさえも変化に富んだものになる。それこそ、裏のノリを覚えたときのクロマチックの練習は、ちょっとしたスリルを感じる事も出来るようになる。

そして問題の手のフォームについてであるが、指盤を押さえるのに指が立つよう、ギターであればネックを握り込まないフォームが適当であると思う(クラシックフォームか)。
そして次に気をつけなければならないのは、実際に運指を行う際、薬指以外の指で指盤を押さえる場合(特に小指)、薬指をなるべく浮かしておく事である。

何故かと言えば、一般的に薬指は小指と連動しているという事に挙げられる。
また小指はトレーニングによって、他の指とは独立して強くなる事が出来るが、薬指との同時の運指だと、どうしても薬指がその邪魔をする事がある。因みに、これが変な癖になる。


とまあ、このようにグチャグチャ書いてしまったが、私自身も実は変な癖がついてしまった一人である。ここに書いたのは、その上で最近気が付いて、改善点となった部分を書いたつもりだ。
ともかく、日々精進、だな。

ジャズ二年目

2005年07月15日 | music
ジャズギターを始めて早2年目となった。
 
思うに、始めるときはかなり緊張ものだった。
それは何故かというと、音楽理論、テクニック共に優れている人間だけが、それを許されるという、ある意味神の領域をイメージしていたためだった。

だがこのように続けてみて思うのだが、そんなものはあくまでも幻想でしかないという事だ。勿論、それには技量の優劣こそあるが、だがそれがジャズをあきらめる理由にはならない。まずは始めてみる事、それが肝心なような気がする。

ときに、音楽を「自己満足」という範疇に押し込めようとする人が、よくいる。それは「他者を満足させるようにしなければならない」、と思っている人に対しても同じような事が云える。これははっきり言って健康的な音楽でなく、非常に不健康な音楽であると思う。

因みに、最近になって、師匠ジプシー手塚を始め、寺屋ナオ氏、兄弟子にあたる吉野悟氏のプレイを見、またセッションを通して思うのは、音楽には本モノか偽モノしかない、言い換えれば、良いか悪いかであると再認識させられた。その事自体に気が付いたきっかけになったのは、ロックギタリストの三宅庸介氏との出会いであるが、本物はその時の音楽の趣味趣向を越えて、聴き手に何らかの影響を与える。結局、全く自己満足は問題にならないのだ。

ともかく、私が本物になれるかどうかは自分自身にかかっている訳だが、自己満足という安易なワナにかからないよう、これからもジャズを、音楽をやり続けて行こうと思う。