日韓中、近現代史 共通教材、異なる記述 朝鮮戦争…「解放」と「侵略」
【ソウル=黒田勝弘】日本、韓国、中国の民間による三国共通の歴史副教材として宣伝されている『未来をひらく歴史-東アジア三国の近現代史』が、朝鮮戦争(一九五〇-五三年)に関する記述などでまったく異なる内容になっていることが明らかになった。「歴史認識の共有」と「同じ内容の本を三国の言葉で同時発刊」(あとがき)することを売りものにしたこの副教材は、日本の近現代史を暗黒と否定で描く“反日”では一貫しているものの、結果的には「歴史認識の共有」の難しさを示した形になっている。
違いが目立つのは朝鮮戦争の部分で、日本語版が「北朝鮮の人民軍が半島南部の解放をめざして南下を始めた」とし、戦争の開始を「解放」という言葉で肯定的に記述しているのに対し、韓国語版は「北韓の人民軍が武力統一を目標に南侵した」と記述し「侵略」を明確にしている。
日本語版は北朝鮮の“歴史認識”そのままの記述であり、近年は親・北朝鮮化している韓国でもそれは受け入れられないというわけだ。このすれ違いは、日本側の製作者が、いかに極端な歴史認識を持っているかを象徴するものだ。
一方、この「副教材」は慰安婦問題には異様なほど熱心に多くのページを割いているが、韓国語版が慰安婦を「性奴隷」と表現しているのに対し、日本語版にはこの言葉はない。
このため民間団体による関連イベントについて、日本語版では「女性国際戦犯法廷」となっているのに対し、韓国語版では「日本軍性奴隷戦犯国際法廷」と記述されている。
また十九世紀末の列強のアジア進出、支配については、韓国語版が「進出」と表記しているのに対し、日本語版の方は「侵出」と強い表現になっている。日清戦争(一八九四-九五年)の後、韓国で民族的自主の願いで建てられた「独立門」についても、韓国語版は中国に対する独立を強調しているのに、日本語版は日本に対する抵抗・独立の意味を強調している。
この本は日本の「新しい歴史教科書をつくる会」や扶桑社版教科書に対抗するために製作され、韓国では盧武鉉大統領が称賛し、マスコミが大々的に持ち上げ、日韓双方の執筆者は現在、日本での扶桑社版教科書の採択妨害の先頭に立っている。
(2005年8月3日 産経新聞)
共通の歴史観を持つことが日中朝間の歴史問題を解決すると思い込んで回りに迷惑をかけている事実に気がつかない人が多いのには困ったものです。
持つべき共通の認識は、「それぞれ歴史の認識は違うものだ」ということだと思いますがね。史実と歴史認識は当然別の話なのに、その辺りもごちゃごちゃになっていますよね。史実について語りたいなら善悪論は持ち込むべきではないし。
ま、主張が異なる教科書の採択妨害という行為は、少なくとも教育にはあまりよろしくないかと…。
【ソウル=黒田勝弘】日本、韓国、中国の民間による三国共通の歴史副教材として宣伝されている『未来をひらく歴史-東アジア三国の近現代史』が、朝鮮戦争(一九五〇-五三年)に関する記述などでまったく異なる内容になっていることが明らかになった。「歴史認識の共有」と「同じ内容の本を三国の言葉で同時発刊」(あとがき)することを売りものにしたこの副教材は、日本の近現代史を暗黒と否定で描く“反日”では一貫しているものの、結果的には「歴史認識の共有」の難しさを示した形になっている。
違いが目立つのは朝鮮戦争の部分で、日本語版が「北朝鮮の人民軍が半島南部の解放をめざして南下を始めた」とし、戦争の開始を「解放」という言葉で肯定的に記述しているのに対し、韓国語版は「北韓の人民軍が武力統一を目標に南侵した」と記述し「侵略」を明確にしている。
日本語版は北朝鮮の“歴史認識”そのままの記述であり、近年は親・北朝鮮化している韓国でもそれは受け入れられないというわけだ。このすれ違いは、日本側の製作者が、いかに極端な歴史認識を持っているかを象徴するものだ。
一方、この「副教材」は慰安婦問題には異様なほど熱心に多くのページを割いているが、韓国語版が慰安婦を「性奴隷」と表現しているのに対し、日本語版にはこの言葉はない。
このため民間団体による関連イベントについて、日本語版では「女性国際戦犯法廷」となっているのに対し、韓国語版では「日本軍性奴隷戦犯国際法廷」と記述されている。
また十九世紀末の列強のアジア進出、支配については、韓国語版が「進出」と表記しているのに対し、日本語版の方は「侵出」と強い表現になっている。日清戦争(一八九四-九五年)の後、韓国で民族的自主の願いで建てられた「独立門」についても、韓国語版は中国に対する独立を強調しているのに、日本語版は日本に対する抵抗・独立の意味を強調している。
この本は日本の「新しい歴史教科書をつくる会」や扶桑社版教科書に対抗するために製作され、韓国では盧武鉉大統領が称賛し、マスコミが大々的に持ち上げ、日韓双方の執筆者は現在、日本での扶桑社版教科書の採択妨害の先頭に立っている。
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