みかん日記

省農薬ミカン園の様子や農薬ゼミの活動内容を伝えます。

6/16 『食と農の社会学』輪読会①

2017-06-17 22:15:18 | ゼミ活動

こんにちは。

前期後半6/16から7/28までのゼミでは『食と農の社会学 生命と地域の視点から』(枡潟俊子、谷口吉光、立川雅司;ミネルヴァ書房;2014)を輪読します。

各週2名が担当の章をプレゼンし、6週で全12章(序章と終章は除く)を網羅します。各プレゼンでは、内容を踏まえて農薬ゼミの活動にどう活かせるか(内容によっては難しいので、個人、京大、京都など身近なレベルでどう活かせるか)考えるのが狙いです。

最初の発表は私、ふじいが第8章「ローカルな食と農」を担当しました。

有機農業や「オーガニック」という言葉は、もともと「地域に根ざす」「人と人とのつながり」という意味合いや、社会への変革力といったものを持っていました。しかし、食の「安心・安全」ばかりが先に立ち、有機認証制度をクリアするためだけの有機農業や、巨大なアグリビジネスに取り込まれた「産業化」した有機農業が蔓延し、「地域」「コミュニティ」「持続可能性」といったものからかけ離れていったのです。この現象は世界レベルで起こりました。

そんな動きに対抗するように、「ローカル・フードムーブメント」という、有機農業・「オーガニック」から失われてしまったそれら「ローカル」「コミュニティ」を取り戻そうとする動きが高まります。具体的にはファーマーズマーケット、CSAなどの広まりで、米国では「ローカル」「コミュティ」へのつながりが顕著ですが、日本ではそれに比べるとまだまだなのかもしれません。

農薬ゼミの省農薬みかんは、「生産者、消費者、環境に安全、安心」という当初の目的であったであろう取り組みとしては、ひとつのモデル作りを果たしたと考えます。しかし、「ローカル」「コミュニティ」という点で見ると、地産地消ではなく全国各地に輸送していたり、生産者と消費者の双方向のつながりもなく、地元下津町大窪の方々とも関わりがなく、果たして持続性があるのかと問われると疑問です。今回そのことに気づかされたことで、消費者の理解や交流、地元の方々との交流などを考えていけたらと思うようになりました。

次に、かわはらだから第7章「生ごみと堆肥」についての発表がありました。

ごみというのは人間の考え方、価値観によるもので、それに着目するのがごみの社会学ということです。

ごみ処理、特に生ごみ処理の理想は、「有機物の小さい循環」に帰着することです。食卓で出た生ごみが堆肥になり、土に還り、農作物になり、再び食卓へ。大きい循環であると、循環の間が不透明になるのでよくありません。

江戸時代では生ごみの処理はさほど問題にならず、糞尿の処理が一大事でした。糞尿は値段をつけられ売買され、郊外で堆肥化され再び農作物栽培に用いられるという地域内循環が徹底されていました。しかし、明治時代になり大規模な焼却処理、下水道の整備、化学肥料の使用、食料流通の拡大が起こり、生ごみを堆肥化してローカルに循環される仕組みは壊れ、ごみという終着点に向かう一方通行になってしまいました。

地域循環型農業の再生への取り組みとして、インドネシアのごみ銀行、セブンイレブンの取り組み、京都市の取り組みが紹介されました。

農薬ゼミとしては、省農薬みかんの皮が生ごみとなってしまう問題があります。防腐剤を使用していないので安心して皮も食べられるとして過去にニュースレターに皮も使うレシピを載せたり、新歓で皮入りみかんジャムをつくったりしていますが、もっと大きく消費者を動かす力はないものかと皆で頭を悩ませました。

次回は第4章「近代科学技術」第6章「畜産」です。
ふじい


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