兎も角も

ともかくもいちにちぐらしとぞんずべくそうろう ・・・ 芭蕉

離合集散

2012年11月29日 | 社会・政治
28日、滋賀県の嘉田由紀子知事が代表を務める新党「日本未来の党」発足。「国民の生活が第一」(小沢一郎代表)ら、参加するという。


「罪がもたらす絶望的な結果は常に分裂である」 (ヨアヒム・マイスナー司教)


 … しかし統合に希望が見えるわけでもない。

         ま、当の議員さんらには光明か。


新党の旗印は、「卒原発」です。

嘉田知事は「代替エネルギーを開発しながら電力需要量を減らす」と、再生可能エネルギーに期待を寄せるが、具体的な工程は明らかにしていない。

先行事例としてドイツを挙げたが、ドイツでは電力供給を代替する再生可能エネルギーの送電網の建設のめどは立っていない。火力発電所の増設も採算面で折り合いがつかないことから電力会社が拒否し、脱原発の実現には早くも黄信号がともっている。






「白洲次郎・正子の食卓 」

2012年11月27日 | 本と映画の話
  白洲次郎・正子の食卓

牧山 桂子 著  野中 昭夫 写真  2007年1月 新潮社発行


昨日は雨の一日でした。私は図書館で借りておいた7冊の本を、少しずつ読みました。いろいろなジャンルから選んだ本を並べて眺めていると、ちょっと贅沢な気分になります。

中でもこの本は心地よい本でした。 著者は、白洲次郎・正子夫妻の長女です。ご両親のために作っていた料理の美しい写真と、ほのぼのとしたエピソードが記されています。

美味しそう~っと楽しみ、素敵な器ですねー!テーブルクロスもぴったり~と楽しみ、憧れの白州正子さんの、いかにも!というエピソードをにんまりと楽しむこともできるわけです。


「蟹と春雨の炒め」のページから

ある日、次郎さんが、桂子さんのお宅に現れました。

京都に出かけた次郎さんは、正子さんから「蟹を買って来いと命令され」たのですが、「蟹など一種類しかないと思っていた」次郎さんが買って来たのは、わたり蟹。

正子さんの所望した越前蟹ではなかったので、「母に罵倒された父はわたり蟹を手に、しょんぼりと我が家に登場しました」というわけ。

「父の名誉挽回のために料理本見て作ったのが、この料理です」と。 わたり蟹と旨味をたっぷりすった春雨が、使い込まれた大きな瀬戸石皿にドーン。テーブルクロスは紺地に白い模様を染めたもので、甲羅の色を引き立てます。

そして、「父は蟹ののった皿を持って凱旋しました。食事時に行ってみますと、母は父を罵倒したことなどケロリと忘れ、二人で仲良く蟹をしゃぶっておりました」と、このページは終ります。


食を大切にすることは、豊かな生活の基本ですね。そして、食にまつわる思い出は、一人一人の歴史ですねえ。  それにしても、「あれが食べたい、これが食べたいと、両親から注文がひっきりなしに来るようになりました」と応じてくれる桂子さん…いいな … メグチ ここ見てる?と、つぶやいてみる~ ま、私たちは高級食材を提供するなんてことはできませんけど



始まりへの準備

2012年11月25日 | 社会・政治
松下政経塾出身の民主党三代目野田佳彦総理大臣は、討論に自信があります。衆院選を前に首相は自民党の安倍晋三総裁に党首討論会を申し入れました。突っ込みどころを見つけ、論争に勝ち目ありと思ったわけですね。安倍氏も受けて立ち、29日にインターネットで行われる模様です。

野田首相は24日、安倍氏との討論会について「(衆院選は)候補者を選ぶ選挙である半面、首相を選ぶ選挙でもある。経済、社会保障、エネルギー、外交・安保などの違いがどこにあるか知っていただくことは意義がある」

確かに野田さんの話し方はよく整理されていて、巧みだと思います。最近はさらに高揚感が伝わってきます。しかし言葉に対し誠実であるか、言葉にふさわしい実力を持っているかは不明です。


安倍総裁には、ご自分に与えられている考えを、誠実に申し立てていただきたいと思います。




  主は言われる。「あなたがたの訴えを出せ」と。

  ヤコブの王は言われる。「あなたたがたの証拠を持ってこい」 
                      
                           イザヤ 41章21






長い日々でした

2012年11月24日 | 社会・政治
  
   2006年04月24日
   衆院千葉7区の補欠選挙

「日本は格差社会だ!」というマスコミ キャンペーンは、
民主党のスローガン「負け組ゼロへ」の追い風となりました。

「二大政党制」を期待する向きも多く、2009年8月末の衆院選で
民主党は自民党を破り、政権交代を果たしました。

御三方の今は。


鳩山由紀夫元首相はやっと政界引退を決意。(2012.11.21) 
「考え抜いた揚げ句、立候補しない決断をした。政界を引退し、第3の人生を歩みたい」 と。 

 産経新聞 【政論】 阿比留記者 2012.11.22 09:44
 さらばミスター民主党 失意の鳩山氏にかつての「友」の姿なし
「ルーピー」(気が変)と呼ばれる珍奇な言動で政界をにぎわしてきた鳩山由紀夫元首相が21日、引退を表明した。夢想と現実の区別がつかず、虚言と食言で日本の国益を毀(き)損(そん)し続けたこれまでを思うと遅すぎる決断だ。とはいえ、「政権交代の立役者」(藤村修官房長官)である「ミスター民主党」が誰にも惜しまれずに孤独に去りゆく姿は、政治の非情さと諸行無常を表し感傷を禁じ得ない。  →全文

不可解なかたでした。 


強い民主党の求心力となるべく期待されていた(らしい小沢一郎氏はすでに離党。3人とも同じ傾向がありましたが、民主党が政権を取ると直に、小沢氏は143人の国会議員を含む643人の代表団を率いて訪中しました。
 には、

日中(民主党・中国共産党)「交流協議機構・長城計画訪中団」
(2009年12月10日~12月13日)報告
|実施期間(代表団訪中期間)|団構成|日程|行事概要|
【実施期間】
2009年12月10日(木)~13日(日)

【団構成】

○ 議員団
○ 一般団員 :民主党会派議員
:一般参加者 143名
496名

● 議員団名簿(143名)
名誉団長
名誉副団長
団長
団事務総長
団事務局長
団事務局長代理
団員 小沢一郎
輿石東
山岡賢次
細野豪志
高山智司
中谷智司
交流協議機構会長(幹事長)
同機構会長代理(幹事長職務代行)
同機構事務総長(国対委員長)
同機構事務総長代理
同機構事務局長

(衆議院議員)
田中けいしゅう、海江田万里、小林興起、滝実、黄川田徹、城島光力、市村浩一郎、内山晃、奥村展三、小宮山泰子、神風英男、鈴木克昌、田名部匡代、中塚一宏、樋高剛、松木けんこう、山口壯、青木愛、石川知裕、石関貴史、太田和美、岡島一正、梶原康弘、古賀敬章、辻惠、橋本清仁、福田昭夫、松崎哲久、宮島大典、森本哲生、若井康彦、若泉征三、渡辺浩一郎、相原史乃、阿知波吉信、網屋信介、石井章、石田三示、石森久嗣、石山敬貴、打越あかし、江端貴子、大谷啓、大西孝典、大山昌宏、奥野総一郎、小野塚勝俊、小原舞、笠原多見子、勝又恒一郎、加藤学、金子健一、河上満栄、川越孝洋、川島智太郎、木内孝胤、菊池長右エ門、京野公子、櫛渕万里、熊田篤嗣、黒田雄、小林正枝、斉木武志、斉藤進、斎藤やすのり、坂口岳洋、阪口直人、杉本かずみ、菅川洋、瑞慶覧長敏、空本誠喜、高野守、高橋昭一、高橋英行、高松和夫、高邑勉、田中美絵子、玉置公良、玉城デニー、玉木雄一郎、中後淳、道休誠一郎、長尾敬、長島一由、中島正純、中林美恵子、野田国義、萩原仁、畑浩治、浜本宏、福嶋健一郎、松岡広隆、水野智彦、皆吉稲生、三宅雪子、三輪信昭、村上史好、室井秀子、本村賢太郎、森本和義、森山浩行、矢崎公二、谷田川元、柳田和己、山尾志桜里、山口和之、山崎誠、山田良司、横粂勝仁、和嶋未希、渡辺義彦、川村秀三郎
(参議院議員)
一川保夫、工藤堅太郎、佐藤公治、藤田幸久、岩本司、川上義博、室井邦彦、植松恵美子、大久保潔重、金子洋一、川崎稔、行田邦子、主濱了、鈴木陽悦、友近聡朗、富岡由紀夫、外山斎、姫井由美子、平山幸司、藤谷光信、藤原良信、牧山ひろえ、横峯良郎、吉川沙織、米長晴信
● 一般団員:一般参加者等(496名)

○総括:
「日中両国の平和と友好のための、永遠の『長城』が築かれる」ことを目指した本訪中団は、「両国民の心と心の交流をさらに深めていく、大切な役割」を果たすことになった。特に、衆・参国会議員及び一般参加者が、かかる意識を持って訪問団に参加し、訪問先の中国要人や一般の方々と日中友好を確認しあえたことは意義深かった。

「日中友好を確認しあえた」と。
小沢氏は 岩手県第4区 当選回数14回。


東京18区から出馬する 菅直人前首相の街頭演説の様子→・・・ この人を首相にしてしまったのだネ



衆院解散

2012年11月16日 | 社会・政治
16日午後の本会議で衆院解散。選挙日程は、12月4日公示・16日投開票



  事の終わりはその始よりも善し 
   

  汝神の業を考ふべし 神の曲げたまひし者は誰かこれを直くすることを得ん

  幸ある日には楽しめ 災いある日には考へよ 神はこの二つをあひ交へて

  降したまふ 是は人をしてその後の事を知ることなからしめんためなり

                                伝道の書


   
さて、兎も角も事は終わりました  
全てをご存じのお方の御業を考え、待つことにいたします 



稽古

2012年11月14日 | 謡と仕舞
11月13日 (火曜日)


 謡 玉葛  (所)大和国 初瀬  (季)秋  稽古 4回目

クセ「たよりとなれば早舟に乗りおくれじと松浦潟。唐土船を慕ひしに心ぞかはる我はたゞ。うき嶋を漕ぎ離れても行く方や何くとまりと白波に。ひびきの灘も過ぎ。思ひにさはる方もなし。かくて都の中とても。我は浮きたる舟のうち。猶や憂き目を水鳥の陸にまどへる心地して。たつきも知らぬ身の程を。思ひ歎きて行きなやむ。足曳の大和路や。唐土までも聞ゆなる。初瀬の寺に詣でつゝ。

シテ「年もへぬ。祈る契は初瀬山。

地「尾上の鐘のよそにのみ。思ひ絶えにし古の。人に二度二本の。杉の立ちどを尋ねずは。古川のべと眺めける。今日の逢ふせも。同じ身を思へば法の衣の。玉ならば玉葛。迷を照らし給へや。

ロンギ地「げに古き世の物語。聞けば涙もこもり江に。こもれる水のあはれかな。

シテ「あはれとも思は初めよ初瀬川。早くも知るや浅からぬ。

地「縁にひかるゝ

シテ「心とて

地「唯し頼むぞよ法の人。弔ひ給へ我こそは。涙の露の玉の名と名のりもやらずなりにけり名のりもやらずなりにけり名のりもやらずなりにけり。


きれいだな~と、聞き惚れる。…聴くだけでいいや…という気分。ダメデスヨ!と 師。…ですよね…と、ばんばりました。 おオもォい マワシの落とすところは伸ばさないっと。



 仕舞 「玉鬘」

お稽古の曲を決めていなかったので、「玉鬘」を直していただく。 しっかり練習したつもりも、覚え間違いなどなどなどなど。次にもう一度見ていただき、謡ながら舞えるようにするつもり。

型の一つ一つが心の動きとつながっていると教えてくださるのです。 そして私は、自分の思いと行いとが、呼吸をすると同じように自然に一致するようになりたい、と考えているのです。 師は私の姿見。



姿見…セツコさんも私の姿見となってくださってます。 不慣れな着物で行きますので、着物にくわしいセツ子さんの視線でチェック。 今回は義母の行李に入っていた紬。身丈も裄も短めでしたが、無事パスしたみたいでした。



   他人はみなわが水鏡秋麗
   ひとはみな
   わがみずかがみ
   あきうらら


  
ヤギさん、お具合悪くお休みです。小さなグループなので、お一人でもそろわないと淋しいです。早く回復されますように。





思い出

2012年11月09日 | 身近なこと
昨日は、はらから三人、実家の庭について語り合いました。弟が小さなころのことをとてもよく覚えていて話してくれたので、私は懐かしい気持ちになりました。


その庭は、私が生まれる前に亡くなった祖父が作りました。祖父は育てた花を近くの子どもたちが摘みに来ると、「また蝶々さんたちが来たね」と、喜んで見ていたと父から聞きました。 玉簾(ゼフィランサス)の花で縁取りされた花壇はしばらくはそのまま残っていましたので、私も覚えています。

弟は「じいさんの気持ちがよく表れている庭だったよ」と言いました。 風流という趣はなく、実のなる木が多かったのです。 ウメ、ヤマモモ、ナツメ、イチジク、グミ、ブドウ、ザクロ、キンカン、なかでも柿の木は13本ありました。 弟が「今よりずっと食糧や甘味が貴重な時代だったからね。あそこの土地だって実によく考えられた場所だよ」 「それにね、あそこにはたくさんの虫たちがいたんだよ」 そうそう、弟はチャンバラ遊びが好きでしたが、虫愛ずるおのこでもありました。

「みんなの樹があったの、知ってる?」と、弟。 もちろん、私も知っていました。父の樹はイチョウ、私は赤い八重の椿、弟は幹が大人でも手が回らないほど大きく育ったヤマモモ、9歳違いの妹にはずーっと遅くなって成人式の頃に菊桃が植えられました。 弟は祖母に背負われて「『このヤマモモはあなたの樹だからね』と、いつも言われていたよ」と言いました。祖母の樹が松であったとは、私は知りませんでした。 とすると、祖父の樹は松の近くのマキかイトヒバかギンモクセイか?  追記→違いました。祖父の樹はきっとヒノキです。マツもヒノキも良い姿でしたがほっそりとしていました。

「俺の樹だと言われていたのに、突然ばっさり引き抜かれていたのだ」弟は薄く笑いました。「庭はすっかり変わってしまった。全く違ってしまったのだから何の愛着もないよ」と。 


そうか…誰もあそこに帰る事はないのだな。 ヤマモモは切詰められて他家にもらわれ、柿の木はすべて切り倒され、松と菊桃は枯れ、花壇は芝生に代わった。 そうだね…心にあるんだから、それでいいのだね。弟は覚えていることを絵に描くと言っていました。 私も、てらてらと波打つガラスを通して見ていた笹薮の向こうの夕焼け空を忘れません。


  

    ふるさとは更地になりて月こうこう
 
     
          (何年か前に夫の実家を見ての句。
            義父の枯池も、竹藪のなかのお稲荷さんも…)







柊木犀

2012年11月07日 | 身近なこと
柊木犀から甘い香が漂っていました。やわらかな、美味しいクリームのような香と、純白の花がわたしは大好きです。

11月に入ると、香にひかれるように古い友から連絡が入ります。はじめは三人のグループでしたが、一人が33歳のこの月に召されてゆきました。 それで、残った二人で彼女の分までお喋りすることにしているのです。 

あの人は何時までも若いまま、私たちはずいぶんおばあになりましたね、と。

あの人の分までいろいろ食べて、私たちは百歳までかるくいくよね、と。



  香り立つ真白の花に亡き友を
           
            偲ばん秋の葉の身となりて


  かおりたつ
  ましろのはなに
  なきともを
  しのばんあきの
  はのみとなりて




ピンポ~ン 連絡 ~

さて、「コウホウイインカイ」の三人は集合できるかな?
これで三人そろって名実ともにおばあだね
忘年会はしましょうね  

        ピンポ~ン 連絡おわり ~

「転生夢現」読み通せず

2012年11月04日 | 本と映画の話
  転生夢現 

  莫言 著  吉田富夫 訳  中央公論社発行

図書館本なので1回延長して借りましたが、後編の半分まで読んだところで時間切れとなりました。

このダイナミックな作品を読むに足る想像力と熱心さが、私にはなかったというところです。


藍瞼という登場人物がいます。彼は、この本の主人公である西門鬧に拾われた孤児でした。 革命後、西門鬧は地主であるという理由で銃殺され、西門鬧の作男として働いていた藍瞼は、西門鬧の第二夫人を妻としました。

中国の激動の50年間に民衆は翻弄され、右往左往するわけですが、この藍瞼は同じ場所に居続けるのです。 革命後、農村が公社化される中で、迫害を受けながらも全国唯一の個人経営者として踏ん張りました。 すると、時代のほうがぐるりと一転し、改革開放路線となり、彼は時代の先頭に立っていることになるのでした。

その時の、藍瞼に言わせている言葉

「わしはただ一つの理屈にかじりついていただけじゃ。血を分けた兄弟ですら分業するのに、姓の違う人間を無理に一つにして仲良くやっていけるわけがない、とな。なんと、このわしの理屈が正しかったわけじゃ」



~0~0~0~0~0~0~0~0~0~0~0~0~0~0~0~0




 … 損得を考えて右往左往することの滑稽さよ
        希望に捕われし人よ 神の時を待つように … 



  「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」 のですから



 … これは読後感想ではなく、基軸の食べものを反芻して …