孫たちに会いに行きます。

「くじ、作ってねっ」と、いーちゃんが言ったから  
お菓子と玩具と文房具、こまごまとしたものを、じーじとばーばは集めましたよ。
可愛らしいのや面白いのいろいろ見て歩いて、楽しかった~


いーちゃん、あーちゃん、まっててね~~
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「原発事故20年」

原発事故20年―チェルノブイリの現在

ピエルパオロ・ミッティカ 著  児島 修 翻訳
単行本: 237ページ
2011年11月10日 柏書房 より発行


内容(「BOOK」データベースより)

四半世紀前のウクライナで起きた核の大惨事。立入り禁止区域に生きる人びとの姿が暗示するフクシマの未来。 

チェルノブイリの立入禁止区域内の現状が、84枚のモノクロームの写真と共に、静かに語られていきます。 図書館で出会った本です。

取り返しできないことを繰り返してしまったのだ…、という現実が迫ってきます。人類の歴史はこんなものかもしれません。悪夢から覚めかけたと思うころ、またもや悲惨な悪夢の中に転がり落ちる、というように。しかし、生かされている限り望みを持つべき。光へ目を向けるべき。


チェルノブイリは証明した 
     ―――地球が、核の事故が起きるには
     あまりにも小さい惑星だということを。


     チェルノブイリは過去ではない
     チェルノブイリは歴史ではない
     チェルノブイリは始まりである


1986年のソ連は自由のない、完全な検閲制度の下で情報がコントロールされる共産主義の化け物だった。現在私たちがいるのは世界でも最も民主主義が行きわたった先進国の日本だ。しかし、核に関する限り、悲劇は繰り返される。結局、チェルノブイリでも福島でも、独裁政治でも民主政治でも、 核を前にすると変わりないのだ。


清掃人の一人、ウラジミールはこう述べている。
「略  私はチェルノブイリの事故を生き延びました。それがどのようなものであったかを知っています。それでも、多くの人と同様、この核の悲劇が本当に何を意味しているのかは理解できないままです。私たちには何ができるのでしょうか? 何もありません。私たちはただ、もう一つのチェルノブイリが起きるのを待つだけなのです。 世界の人びとは、どうするつもりなのでしょう? 私たちと一緒に、それを待つつもりなのでしょうか?」


1986年に起こったチェルノブイリのたった一つの原子炉の爆発は、地球上の半分の地域に放射性降下物を拡散させた。それにもかかわらず、原子力が経済的で、クリーンかつ安全な、魔法のようなエネルギーを生み出すという絶えざる宣伝文句が世界各地で止むことはない。

怒りがこみ上げてきますね。
放射能汚染とその理不尽な悲しみは、確実に進行中なのです。
にも拘らず、経済的利益や利権を優先させてその危険性を無視している。たまる一方の放射性廃棄物はどうするのか。 … 無知で無関心であった自分に対してもです。


追記
放射能には一つだけ長所がある。民主主義の精神と同じように、それは富める人であれ貧しい人であれ、政治家であれ市民であれ、平等に降り注ぐ。放射能には国境はなく、政治や経済の利権を意に介さない。ただ、風と雨で運ばれていくだけである。

…住宅や道路など、周辺を除染したからといって安全なわけがない。



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「福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書」3

「福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書」3

じっくり読み、さらに情報を書き加え、そして
どう行動するかを各自考えるべき本だと思います。

野中郁次郎委員の 「現実直視を欠いた政府の危機管理」 から抜き書きします。

露呈したのは、閉鎖的コミュニティがもたらした知の劣化が、福島第一原発事故による人災を引き起こした、ということである。官邸チームにも東電にも、危機対応リーダーシップと覚悟が欠如し、十分な機能を果たせなかったことが明白になった。


菅首相は会話を触発せず、現場感覚抜きのバーチャルな分析に終始した。 現場との重要な接点であった官邸地下の危機管理センターと5階の首相らの間では、リアルな共感の場が喪失した。 情報伝達の階層が多すぎて、組織的連携の遅れ、データー隠蔽や相互不信を生んだ。 菅首相は、個別事象に介入し、特定の側近を重視するあまり、衆知を集め全体像のプロセスを洞察し判断する迅速性を発揮できなかった。


福島原発の現場責任者であった吉田昌郎所長は、状況即応の判断を重ね海水注入による冷却を継続させていた。 これに対し近年の東電トップ連はいずれも企画か資材畑出身で、霞が関への対応やコストダウンは得意であったが、緊急事態対応への実践知は希薄だった。


今回の原発事故は、想定の甘さに加え事故発生後の対応に問題を残した。特に危機管理の様相は、現実直視を欠いた二元論的なゲームに終始し、安全保障を軽視し、ダイナミックな危機対応ができない、リーダー不在の国家経営の縮図であった。

原発事故関連の会議議事録の不作成は、失敗から学ぶことを難しくしている。その重い事実に真摯に向き合い、未来を担う賢慮のリーダーを育成し、有機的エネルギーシステム構築や安全保障、危機管理において世界をリードする、復元力のある知識国家の再構築にいささかでも貢献していきたい。


野中郁次郎氏の著書 「失敗の本質」 日本軍の組織論的研究
を読んだことがあります。 6名の方との共著。良い学びのできる本でした。
  本「失敗の本質」 2011年4月6、7,8日

ここも?→「福島第一原発事故報道メモ」
大手新聞社の記事って意外といいかげんなんですゥ。
Web新聞だと余計なんですゥ。
書換え変更されても証拠が残らないんですゥ。
ウソも繰返せばホントになるんですゥ。
理屈は後から貨車でやってくるゥ。
リンク切れると有料でしか見れません。m(_ _)m 



自衛隊について記されていたところも抜き書きしておきたいです。
最終章 「国策民営」のあいまいさ  より

しかし、今回、最後の砦は自衛隊だった。自衛隊は、放射線量の高まる原発敷地での原子炉と使用済み燃料プールへの注水作業を先導した。これは、統合幕僚監部の幹部の表現を使えば、「計画はない、作戦もない、情報もない中での対応」だったが、自衛隊員たちは、その任務を黙々と遂行した。

過酷な原子力事故が起こった場合の国の責任と、その際に対応する実行部隊の役割を法体系の中に、より明確に位置づけなければならない。将来的には、米国の連邦緊急事態管理庁(FEMA)に匹敵するような過酷な災害・事故に対する本格的実行部隊の創設を目指すべきであろう。

東電の現場の方々も、「決死隊」をつくり、放射線量を浴びながらベント作業などをなさいました。

命をかけて働かれた方々、今も過酷な作業に従事されている方々 m(_ _)m


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「福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書」2

「福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書」


本書のはじめの部分、「北澤宏一委員長のメッセージ」からの抜粋を続けます。

元経済産業省高官はこう語りました。「東京電力はですね、自家発電業者が東京電力の電線を用いて送電させてくれといってもことごとくたたき落とす。そのために利用するのが国の規制。つまり『我々はいいんですけれど、国の規制でできませんから』と言って独占体制を固めてきた。(略)」 規制する側と規制される側が、この馴れ合いの関係。

この「原子力ムラ」は多種多様な癒着構造を持っている。 与野党の政治家へ電力会社経営者および労働組合からの献金、マスメデイア各社への電力会社からの巨額な広告費、原子力関連研修者への多額の寄付、電力会社や原子力関連財団への官庁からの天下り、電力会社から官庁や原子力関連財団への出向、子どもたちの原子親和教育を支援する文化財団や教員グループへの国からの支援、自治体への交付金の支給、電力会社による自治体への文化施設などインフラの寄付など。  

このような、様々な形で結びつき、空気を読みつつ惰性によって働く利益共有型の集団の中に規制機関や安全に関する評価委員会を設置しても馴れ合いになることは明白。法律・制度や組織体制の抜本的改革が必須。かつ、ムラの外側からも主要な人材を連続的に取り入れていくことの組織改革が必須の条件です。


この「原子力ムラ」については、 第2部 歴史的・構造的要因の分析 第9章「安全神話」の歴史的背景のなかで、事故の原因となる社会的な側面の一つとして詳しくとりあげています。技術的な原因などの事は難しくて飛ばし読みしましたが、ここは一般国民として丁寧に読んでおこうと思いました。

「ムラ」は、施設がある地域をさす以外に、原子力行政・産業、財界・政界・マスメデイア・学術界などの原子力を維持していくための体制があります。これを中央の「原子力ムラ」という言葉をここでは用いています。この、中央の「原子力ムラ」が、原子力と他のエネルギーとを比較するなど代替案を検討せずに、(「日本においても反原発をベースにした政治勢力やジャーナリズムがうまれてきた」にもかかわらず)これまで通り原子力発電を継続できると主張し、多くの国民を「安全神話」の中に引き戻そうとしてきたのである。 (略) その中で、常に形を変えながらも、閉鎖的・保守的な原発の推進を志向する中央の「原子力ムラ」は解体することなく、「安全神話」を復活させるべく、様々な形で影響力を行使しようとしている。

もう一つの「ムラ」、原子力発電所及び関連施設の立地地域はどうか。受け入れ維持しようとする背景になにがあるのか。 住人レベルでは、・それまで第一次産業を中心に成立していた地域に巨大で安定した雇用先ができ、住民の収入増と人口流出を抑えた。 ・プラントの定期検査で一時的に作業員が増え、民宿その他の関連産業を潤し、波及効果も大きかった。 
自治体レベルでは、・検査時から運転に至るまで、固定資産税や交付金が収入となり、施設やインフラなどへの公共投資や医療費などへの恩恵が生じた。 

しかし、これらの状況は永続するわけではなく、固定資産税は年々減価償却で下がり、初期に整備した施設の維持費増加などで財政赤字が積みあがる。 すると、新たな給付を求めて原子炉増設や関連施設建設が要望されることとなる。

とりわけ、日本における80年代以降の製造業の海外移転や地方リゾート開発政策の失敗、あるいは90年代後半以降の自治体への交付金の削減をはじめとする自助努力の要請は、地方にとっての健全な財政の維持策を狭め、結果として原発立地地域が原発をより求める構造を作っていった
 
例として、元双葉町長の岩本忠夫氏の言葉を記しています。1999年の東海村JCO 事故を経た2003年に、前二葉町長だった岩本氏は、元々社会党の福島県議会議員で反原発の立場にいた人でした。

私は長い間、東京電力との関係において、発電所での「多少のトラブルはありましても、極度に安全性に影響するものはなかった」と実は思っています。

今回の問題で、一時は確かに一部からはいろいろな感情も出てきましたが、10年とか20年とかのスパンで考えれば、お互いに信頼関係で結ばれてきたものは、そう簡単に無くなるはずはないのです。

ですから私は前向きにとらえているつもりなのです。いつまでもダラダラと問題点を突いていたのでは、自分自身が後ろ向きになってしまうものですから、極力前向きに考えているのです。(略)原子力についてもっと正常な姿を構築するために、どのような面で協力が出来るかを、むしろ本気になって考えていく必要があると実は思っているのです。

現在の原子炉の構造の中で、最悪の事故が放射能漏れの事故ですが、わが国の原子力発電所はそれを完全に封じ込める機能を十分持っていると私は思っています。アメリカのスリーマイル島の原子力発電所の事故とか、ソ連のチェルノブイリ発電所の事故とか、あのような事故につながっていくことは日本の原発ではまず無いと思っているのです。

(略)そのように信じて対応していかないと、これからの原子力行政に自ら携わっていくことができ難くなります。常に疑心暗鬼で原子力とお付き合いしていくような想いは、私としてはしたくないという感じがするものですから、これまでのことはそれはそれとして、国も東京電力もいたく反省をして、力一杯頑張っているわけだし、とにかく前向きに取り組んでいることを評価しているのです。

私はどのようなことがあっても原子力発電の推進だけは信じていきたい。それだけは崩してはいけないと思っています。それを私自身の誇りにしています。

(社団法人原子燃料政策研究会が発行している機関誌『プルトニウム』2003年 42号、「取材レポート」題名は「発電所は運命共同体」) 元福島県双葉町長岩本氏は、2011年7月16日に、避難先で亡くなられたそうです。

「一般国民」も、経済規模を維持する上で原子力が重要度を増していった状況の中で、批判はありつつもそれ以上の疑念を持つことなく、「安全神話」を受け入れ続けたのでした。



さて、原発及び原発安全神話は、先行きを心配した民の願い求めに応じて作られた「金の仔牛」だったのか、
間違った方向なのか ……



「社会的側面」は「技術的」あるいは「制度・政策的な側面」に比べると、今回の福島第一原発事故の直接的な原因ではないように思われるかもしれない。しかし (略) 無意識的、無批判的な態度の上で、事故に至るような「技術的」、「制度・政策的」な状況が作りあげられた。



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「福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書」

「福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書」

著者 福島原発事故独立検証委員会
委員長 北澤宏一(前科学技術振興機構理事長)
委員   遠藤哲也(本国際原子力機関理事会議長)
     但木敬一(弁護士)
     野中郁次郎(一橋大学名誉教授)
     藤井真理子(東大先端科学技術研究センター教授)
     山地憲治(地球環境産業技術研究所長)

出版社: ディスカヴァー・トゥエンティワン 2012年3月12日発行
単行本(ソフトカバー): 412ページ

Amazonの説明文より

財団法人日本再建イニシアティブは2011年3月に起きた東日本大震災の直接的な被害の立て直しにとどまらず、根本的な原因から教訓を引き出し、新たな復興と再建の道筋をつけるため設立された。
シンクタンク機能を中核としつつ、ネットワーク、メディア、クラブの諸機能を併せ持った「シンクタンク複合体」として、民間の独立した立場から日本の再建を構想し実現する、世界の知的インキュベーターを目指している。

財団法人日本再建イニシアティブが最初に手がけたプロジェクトが、「福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)」で、2012年2月に「調査・検証報告書」をまとめて、発表した。

当初、非売品として限定部数のみ作成されたが、各メディアで報道がなされると問い合わせが殺到。「国民の視点からの検証」である報告書を広く世論に訴えたい、とディスカヴァーからの発売が決定いたしました。

福島第一原発の中で必死に働いた作業員の方の体験談をプロローグとして始まり、経緯をまとめた「第1部 事故・被害の経緯」、官邸の事故対応を含めた「第2部 原発事故への対応」、原子力ムラの構造に踏み込んでいく、「第3部 歴史的・構造的要因の分析」、国際協力の枠組みを検証した「第4部 グローバル・コンテクスト」。民間事故調の「真実、独立、世界」をモットーとする独自の視点からまとめられた報告書です。
 
「財団法人日本再建イニシアティブ」のホームページこちら



短期間に組織をつくり、報告書としてまとめ上げた熱意と尽力に敬服します。

プログラム担当の船橋洋一氏のメッセージ ――「真実、独立、世界」をモットーに――の中に、このように記されていました。

日本では、政府の災害対応や政策の大きな失敗について、政府や国会が、真実を究明し、そこから教訓を学び、それを国民の前に示し、二度と同じ、間違いをくり返さないよう国民的合意をつくることをしてこなかったと思います。

日中戦争にしても太平洋戦争にしても、戦後、政府はそれに関する調査報告書をつくりませんでしたし、国会もその原因と背景と責任を調査し、検証することをしませんでした。

 (略)

報告書を書くにあたっては、以下の点を織り込むように努めました。

・民間事故調の民間事故調たる所以は、東京電力と政府が、原発の過酷事故に際して、「国民を守る」責任をどのように、どこまで果たしたのか、そこを検証することに尽きる。とくに原発を国策として進めてきた政府の責任の在所を明確にすることだ。

・事故対応に関しては、政府、それも首相官邸の意思決定の検証が重要だ。意思決定の際の判断過程も綿密に検証しなければならない。

・事故と被害の原因には、近因、中因、遠因とある。そのどれもが重要だが、それを遠近法で描き分けることが肝要だ。

・原発事故という「見えるもの」の背景にある「見えないもの」にも目を向け、見えるものを規定している真因を探求すべきだ。構造、パワー、メカニズム、行動スタイルなどを隠れた深い部分から分析するために、自然科学と社会科学とが統合して作業にあたることが望ましい。

・「情報は誰のものか」という視点が必要だ。「パニックを起こしてはいけない」という心配から必要な情報が共有されなければ、かえって国民の不安は増大し、政府の情報発信への信頼性が低下する。

・「世界のなかでの東電の福島原発事故」という観点を忘れてはならない。グローバル化のなかでの原発の安全を含むさまざまなリスクの高まりとそれを管理するためのルール作りや国際強調過程に日本が十分に応えられなかった側面を見落としてはならない。


2011年9月から半年間に、日米の政府関係者らおよそ300人に聞き取りなどを行った。

以下は、北澤宏一委員長のメッセージより抜き書きしました。

この事故の最大の特徴は、「過密な配置と危機の増幅」でした。危機は次々と拡大していきました。

近藤駿介氏(元東京大学大学院工学系研究科教授、東京大学名誉教授2004年1月より、内閣府 原子力委員会委員長)は、3月25日、「最悪のシナリオ」を作成し、菅首相に報告していました。。 それによると、使用済み燃料プールの破損を想定。他への連鎖を引き起こして大量の放射性物質が放出。その結果、避難地域は原発外側の250㎞、3000万人の避難が必要となる可能性もありました。

官邸は異様な危機感の中で事故収集作業に直接乗り出してきました。「このままでは国がもたないかもしれない」というという大きな危機感を抱いていたのです。

特に事故発生当初、現場から東電本社、原子力安全・保安院や原子力安全委員会、そして官邸との間には疑心暗鬼の状態が生じていました。 「国民がパニックに陥らないように」との配慮にしたがって情報操作もありました。非常時にも円滑な情報共有がなされるような組織形成が必要です。

安全維持の仕組みが形骸化していった、その象徴が「安全神話」です。もともとは立地地域住民の納得を得るために作られていったのでしょうが、しだいに電力会社もメーカーも縛られていきました。(なんと) 原子力安全委員会は、「長期間にわたる全交流電源喪失は、送電線の修復が期待できるので考慮する必要はない」とする指針を作っていました。  

調査中、政府の原子力安全関係の元高官、東京電力元経営陣は異句同音に「安全対策が不十分であるとの問題意識はあった。しかし、自分一人が流れに棹をさしてもことは変わらなかったであろう」と述べていました。徐々につくられた「安全神話」の舞台の上で、すべての関係者が「その場の空気を読んで、組織が困るかもしれないことは発言せず、流れに沿って行動する」態度をとるようになったということです。これは日本社会独特の特性であると解説する人もいます。しかし、もしも「空気を読む」ことが日本社会では不可避であるとすれば、そのような社会は原子力のようなリスクの高い大型で複雑な技術を運営する資格はありません。

なお、東京電力はこの委員会の調査に応じませんでした。

まだざっと目を通しただけです。

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「マーガレット・サッチャー」

映画  マーガレット・サッチャー

2011年イギリスで製作 英題は THE IRON LADY 
2012年3月16日から日本公開。上映時間は 1時間45分。
第84回米アカデミー賞・主演女優賞/メーキャップ賞受賞作
監督  フィリダ・ロイド
脚本  アビ・モーガン
出演 
メリル・ストリープ (Margaret Thatcher)
ジム・ブロードベント (Denis Thatcher)
アレクサンドラ・ローチ (Young Margaret Thatcher)
ハリー・ロイド (Young Denis Thatcher)

     


私は、能に限らず本であれ映画であれ、老女物が好きなのです。 映画でいえば、『森の中の淑女たち』『八月の鯨』『ドライビング・ミスデイジー』『フライド・グリーン・トマト』などです。この映画をその中に加えたいと思いました。

マーガレット・サッチャーさんは英国史上ただ一人の女性首相で、鉄の女と称されるほどの強い信念を貫いた大変魅力的な女性でありますが、やがて立場を追われ勢いも翳り愛する人たちと別れ、ご自身も混沌とした老いの領域に入っていくことになります。

  「すべての人は草、その栄光は、すべて野の花のようだ」 

イザヤ書に記されています通りの普遍的な物語と言えます。


サッチャーさんを「鉄の女」と名付けたのは、ソヴィエト連邦のメディア。共産主義に断固として反対していた彼女の態度から付けられたそうで、ご本人も気に入っていたということです。

不正を喜ばずに真理を求め、強くそしてエレガントに戦い抜いた姿が、このように一篇の物語として再生され、とても嬉しいと思いました。

メリル・ストリープは、全てのシーンを体全体で自然に演じていました。言葉も息遣いも実にリアル。二人がぴたりと重なって見えます。

印象に残る言葉もたくさんあります。

引退後の病院でのシーン 「私がどう思うか、と聞くの? 最近の人はどう感じるかを重視しすぎています。私は感じるより考えます。考えがその人の言葉になり、言葉が理性になり、理性が行動に、行動が習慣に、習慣が人格になる。そして人格がその人の運命を形作るからです。 父から教わりました」(正確ではありません。うろ覚え

「最近の政治家は『何をすべきか』ではなく、『どう見られるか』ばかり考えすぎます」…ほんとうに。


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稽古

3月13日(火曜日)

 謡曲 「敦盛」 2回目 

ワキ詞「いかにこれなる草刈達に尋ね申すべき事の候。

シテ詞「此方の事にて候ふか何事にて候ふぞ。

ワキ「唯今の笛は方々の中に吹き給ひて候ふか。

シテ「さん候我等が中に吹きて候。

ワキ「あら優しや。其身にも応ぜぬわざ。返す返すも優しうこそ候へ。

シテ「其身にも応ぜぬ業と承れども。それまさるをもうらやまざれ。劣るをも賎しむなとこそ見えて候へ。

ツレ「其上樵歌牧笛とて。

シテツレ「草刈の笛樵の歌は。歌人の詠にも作り置かれて。世に聞えたる笛竹の。不審ナなさせ給ひそとよ。

ワキ「げにげにこれは理なり。さてさて樵歌牧笛とは。

シテ「草刈の笛木こりの歌の。

ワキ「憂き世を渡る一節を。

ワキ「歌ふも

シテ「舞ふも

ワキ「吹くも

ワキ シテ「遊ぶも

地歌「身の業は好ける心により竹の。好ける心により竹の。小枝蝉折さまざまに。笛の名は多けれども。草刈の 吹く笛ならばこれも名は青葉の笛とおぼし召せ。住吉の汀ならば高麗笛にやあるべき。これは須磨の塩木の海士の焚きさしと思しめせ海人焼きさしと思し召せ海士の焚きさしと思しめせ海人焼きさしと思し召せ。


そこの草刈りの方々に伺いたいことがあります。

どのような事でございましょう。

先ほどの笛は、あなた方のどなたかが吹いていらっしゃったのでしょうか。

ええ、我われで吹いていたものです。

草刈りという職業からは想像も出来ない、風流なことをたしなまれるのですね。いやはや、なかなか風流心がおありだ。

職業からは想像できない風流なことと、おっしゃいましたが、「まさるをも羨まざれ、劣るをもいやしまざれ」(自分より優れているからといって、相手を羨んではいけない。自分より劣っているからといって、相手を蔑んではいけない)ということわざもございます。

しかも「樵歌牧笛」といって、草刈りの吹く笛の音や木こりの歌などは、歌人の和歌にも詠まれてきたのです。だから、草刈りである我われが、誰もが知っている笛を吹くからといって、不審にお思いくださるな。

なんとも趣きのある答えだろう。

では「樵歌牧笛」とは何の事ですか。

草刈りの吹く笛の音や木こりの歌は、辛い日々を送るための生活の一部。

謡うことも、舞うことも、

吹くことも、

興じることも、

世の中の風雅な芸とは、それを愛する人の心にこそ伝わるもの。「小枝」「蝉折」など、笛の名前もいろいろあるが、草刈りの吹く笛の音を聞いたならば、それは「青葉の笛」と思いなされ。住吉の海の近くで聞くば、それは「高麗笛」に違いない。ここは須磨の浦だから、漁師が塩を焼いたたきぎの、燃え残りと思いなされ。

いいですねえ…良い気分です。とっても


前回のおさらい。

「憂き身の業こそ物憂けれ」 れーェェー↓ェェ の、さいごの「ェェ」の音が低くて声が出ません。

私は始まりの音を七音音階名で記して目安とし、上がり下がりを「ほぼ3度音程」というように覚えたりしています。しかし、謡曲は上げ下げが必ずしも一定ではないので、工夫すれば「ェェ」が消えないようにできるかな?と、音を下げないように下げないように~~と、上ずりましたらば、駄目でしたね。やっぱり


 仕舞 「敦盛」キリ 3回目 

かゝりける處に。かゝりける所に。
うしろより。熊谷の次郎直実。
遁さじと。追つ駈けたり

敦盛も馬引つ返し。波の打物抜いて。
二打ち三打ちは 打つぞと見えしが
馬の上にて。引つ組んで波打ち際に
落ち重なって終に。討たれて失せし身の。


ここまでで、1ページ分です。全部で3ページですから、夏までには通すことができるかしら。

今回はしっかりお浚いしました。拍子を踏む箇所の謡と形を合わせるには、その前の盛り沢山の動きを滑らかに運ばねばなりません。先ず頭で覚え次に体に教え込む。時間がかかりました。

師も見かねて、謡のお稽古の前後2回に仕舞の稽古をしてくださることになりました。有難いことです。なんとか1ページ分の流れはだいたいわかりました。全体にもっと力強く舞わなければなりませんし、ま、注意点は山ほどあるに違いありませんけれども


ヤギさんはお休みです。絵画のお仲間と毎年開く展覧会最終日でした。油絵3点、お稽古の前に見せていただきました。お上手! セツ子さん、独りお稽古用に「竹生島」の豆本を手に。ますますお上手に。 帰りの電車では、師のご実家に飾られたお雛様の掛け軸のお話など。

大社の河津桜は満開でした。
 さすが、お菓子処のバームクーヘン
             ありがとうございました 
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追悼式

東日本大震災1周年追悼式
天皇陛下お言葉


産経ニュースより 全文はこちら


国民皆が被災者に心を寄せ、被災地の状況が改善されていくようたゆみなく努力を続けていくよう期待しています。そしてこの大震災の記憶を忘れることなく、子孫に伝え、防災に対する心掛けを育み、安全な国土を目指して進んでいくことが大切と思います。





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梅日和


3月7日(水)

 


  梅香る羽根木の岡に人を待つ
  うめかおる はねぎのおかに ひとをまつ


  かにかくに人待つ日和梅日和
  かにかくに ひとまつひより うめびより 


  あきらめて回転寿司に行く日永
  あきらめて かいてんずしに いくひなが


 




妹と羽根木公園に。
待ち人は来ず。
回転寿司は美登利寿司目黒店。

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