兎も角も

ともかくもいちにちぐらしとぞんずべくそうろう ・・・ 芭蕉

9月の狭庭

2007年09月27日 | 身近なこと
パイナップルセージ

高さ130cmほど。脇から出る芽を切ら
ないとどんどん広がってしまいます。

     萩
     
     これも、根元と枝を切っていかないと
     たいへん厄介なことになります。

ほおって置いたサボテン

駅ビル開店の時もらい
ました。当時3cmほど
だったのが今は15cm、
初めて花が咲きました。
なんと、今年9月はその
駅ビルの15周年であり
ました。           
アゲハチョウの幼虫 
二匹いるのが見えますか。
ほんとはもっとたくさんいましたが・・
パセリ一株食べ尽くし、ディルの小苗の葉も残りわずか。
さて、二匹の運命は如何に?


 焼き尽くすような陽射しのなか
 大きく広がる
 成熟へと進む
 そして
 いのちを継いでゆく
 

安倍首相会見

2007年09月26日 | 社会・政治
産経新聞より
 安倍晋三首相が24日行った会見の要旨は以下の通り。

 【国民へのおわび】首相の職を辞する前に、どうしても一言、国民におわびを述べたい。私の辞意表明が国会冒頭の、非常に重要な時期、特に所信表明の直後という最悪のタイミングになってしまった。このため国会は停滞し、国政に支障をきたし、多大な迷惑をかけたことに改めて深くおわび申し上げる。辞任を決意した最大の要因について触れなかったことで、国民に私の真意が正確に伝わらず、非常に申し訳なかった。(小沢一郎民主党代表に会談を申し入れた段階では)辞任する決意を固めていた。

 【体調の説明】この1カ月間、体調は悪化し続け、ついに自らの意志を貫いていくための基礎となる体力に限界を感じた。このままでは首相としての責任を全うし続けることはできないと考え、辞任表明に至った。首相は在職中に自らの体調について述べるべきでないと考えていたので、12日の会見では体調の変化には言及しなかった。だんだん食事もできるようになったので、一日も早く退院できるようにと思っているし、25日の首相指名選挙には行きたいと思っている。

 【今後の活動】(自民党の)福田康夫新総裁に心よりお祝いを申し上げる。新たな首相の下で国民のための政策が力強く進められるものと信じている。福田新総裁は安定感のある政策に通じた方だ。福田総裁のもとに一致結束していくことが大切だ。私も一人の国会議員として引き続き、力を尽くしていきたい。去っていく前総裁が誰に(総裁選で投票した)と言うべきではない。

 【クーデター説】麻生氏には辞意ということでなく、「最近少し体調が思わしくない」と話したことはある。巷間(こうかん)言われているようなクーデター説ということはまったく違う。そんな事実は存在しない。麻生太郎幹事長、与謝野馨官房長官の2人をはじめとする政府・与党のみなさんには最後の最後まで、私を力強く支えていただいたことに対し、深く感謝している。(首相が「麻生氏にだまされた」と発言したとされた問題に関しては)そういう事実はまったくない。

(2007/09/24 19:21)



↓朝日新聞
叩きのめして倒れたところをさらに足蹴のよう
この執拗さは気味が悪いほどだ

青白い顔、張りない声 おわびで幕 安倍首相会見
2007年09月25日00時02分

やつれたような表情、張りのない声……。入院から12日目、東京都内の慶応大病院で記者会見した安倍首相にかつての力強さはなかった。辞意表明の時期を「最悪のタイミングだった」と自ら反省。辞任を決めた最大の理由は体調不良だったと強調した。会見のテレビ中継を見た識者らは、病状を気遣いつつも、厳しい印象を口にした。

安倍氏は、辞任の最大の理由が健康問題だったとしたうえで、「在職中に自らの体調について述べるべきでないと考えていた」と釈明した。

コラムニストの石原壮一郎さんは「自分勝手な美学で情報を隠し、国民を混乱させた」と話す。

辞任時に体調不良を明らかにしていれば無用な混乱はなく、イメージダウンも防げたのではないかと指摘する。

 「『アタシ、もうアベしちゃおうかな』という言葉があちこちで聞こえる。仕事も責任も放り投げてしまいたい心情の吐露だ。そんな大人げない流行語を首相が作ってしまったのがカナシイ」

安倍氏は濃紺のスーツに青いネクタイ。顔色は青白く見え、話しながら何度も唇をなめた。

高木勝・明大教授は「生気がなく別人のようだった」と気遣いつつも、「厳しいようだが、健康管理ができない人に首相の資格はない」。

謝罪の言葉はあったが、国民に対する謝罪は政府、与野党関係者の後だった。高木教授は「順番が逆だ。会見は単なる言い訳ばかりだった」。

この日の安倍氏は、目に力が感じられず、声にも張りがなかった。自身は「ここ1カ月で、自らの意志を貫く基礎となる体力に限界を感じた」と説明。医師からは、入院から12日たっても食欲が回復せず、5キロ減った体重が元に戻っていないことが明らかにされた。

精神科医の和田秀樹さんは「機能性胃腸障害だけでなく、精神的にも追いつめられていたのではないか」と指摘する。

「そうだとすれば、『無責任』とか『逃亡した』といった批判は、病状を悪化させるおそれがある。安倍さんの政治信条に共感はしないが、今回の件では、気の毒に思えてしまう」と案じた。

安倍氏は入院中の21日、53歳の誕生日を迎えた。会見では、25日の首相指名の投票に参加し、次期衆院選にも立候補する意向を表明。そのうえで、「1人の国会議員として力を尽くしていきたい」と語った。

草野厚・慶大教授は「国会議員を辞めるなら『お疲れ様』と言ってあげたいところ」としながらも、「再起を期すつもりなら、ウソをついてはいけなかった」と指摘する。辞任会見では、インド洋で自衛隊の給油を継続するための「局面の転換」を辞任の理由に挙げていた。小沢民主党代表に呼びかけた党首会談が実現しなかったことも一因に挙げていたからだ。

「本当は体力がもたないから辞めるのに、人のせいにした。よくよく反省しないといけない」

さらに草野教授は、「議員辞職の可能性まで一部で報じられた中で、この会見は、まだまだ政治家として仕事をしたいというアピールだった、とも受け取れる。アピールにしては弱すぎるけれども」と話した。



備忘録 産経新聞(2007.9.25~26)
【首相交代】(上)新YKK“謀議”で「反麻生」 いつの間にか町村派主導


自民党総裁に決まり、議員らの拍手に応える福田康夫氏。首相指名を受ければ初の「親子首相」誕生となる=23日午後、自民党本部
福田康夫を第22代総裁に選出した23日の自民党両院議員総会。福田が滝のようなフラッシュを浴びる中、両院議員総会長の谷川秀善が首相、安倍晋三のメッセージを読み始めると会場は急に静まりかえった。

「首相の職を辞すことにより、今日の政治空白を招いたことに対し、麻生太郎幹事長をはじめ、自民党所属国会議員、党員・党友、そしてすべての国民の皆さまに心よりおわび申し上げます」

メッセージで実名が挙がったのは麻生だけ。「自分が麻生支持を表明すれば、逆に麻生に迷惑がかかるかもしれない」と考えた安倍の最大限の配慮だった。それを感じ取った麻生は微動だにせず、目を潤ませた。

北朝鮮問題などで安倍と敵対してきた福田が総裁選で圧勝したことは、自民党が「戦後レジームの脱却」を掲げた安倍路線を否定したことを意味する。「安倍路線の継承」を掲げた麻生は8派閥に包囲網を敷かれ、締め上げられた。あまりに厳しい選挙戦に、麻生陣営のある閣僚経験者は「今回の総裁選にスポーツマンシップはない。ケンカだ」とこぼした。

その麻生が、下馬評をはるかに上回る132票もの国会議員票を獲得したことは、自民党に大きな衝撃を与えた。両院議員総会終了直後、握手をしようと追いかけた福田を振り払うかのように、麻生は演壇を降りた。自民党が昭和40~50年代の「角福戦争」のような闘争に突入していくことを予感させる瞬間だった。

福田陣営が党本部1階で開いた報告会には、支持議員約60人が集まった。津島派会長で元厚相の津島雄二、山崎派会長で元副総裁の山崎拓らは、「夢か幻か…」と目を潤ませる福田を満面の笑みで迎えた。

しかし、福田擁立の立役者である元幹事長の古賀誠や加藤紘一の姿はなかった。元首相の森喜朗は、腹心の前幹事長、中川秀直に「ご苦労さん」と静かに声をかけ、福田と握手を交わしたが、笑顔を見せることはなかった。

                   ◇

「11月にはテロ対策特別措置法の審議が行き詰まるだろう。そこがチャンスだ」

安倍が辞任を表明する前日の11日夕、東京・紀尾井町のホテルニューオータニのフィットネスクラブ「ザ・ゴールデンスパ」で加藤がこうささやくと、山崎は深くうなずいた。

11月1日に期限切れとなるテロ特措法の延長をめぐり、安倍政権が窮地に追い込まれるのは間違いない。それまでに安倍包囲網を構築し、一気に倒閣する。これが加藤が描いたシナリオだった。

加藤は11日昼、山崎との密会に先立って「新YKK」のもう一人、古賀と東京・赤坂の日本料理店で会っていた。3人は安倍包囲網構築を掲げていたが、今年5月ごろから古賀は加藤らと距離を置くようになっていた。

「山崎は『うちの派閥は安倍内閣への人材派遣会社だ』などと、はしゃいでいるじゃないか」

「倒閣を成就させるには古賀を引きずり込むしかない」と考え、必死の説得を試みる加藤に、古賀は山崎への不信感をあらわにした。

なかなか首を縦に振らない古賀に、加藤は山崎から7日にかかってきた電話の中身を打ち明けた。「訳の分からぬうちに安倍の続投が決まり、麻生が次期政権に向け露骨な動きをしている。このままでいいのか」

「麻生」の名に古賀は目つきを一変させた。

「麻生の渋谷の邸宅は門から玄関まで何分もかかる。そんな邸宅に住むやつに庶民の気持ちが分かるはずない!」

同じ福岡県選出で「マコちゃん」「タロちゃん」と呼び合う仲だった2人の関係はこれほど冷え切っていた。

3人は11日夜までに、次期総裁選は麻生以外の候補を担ぐことで合意した。世襲ではない「たたき上げ」の政治家ばかりで11月10日前後に会合を開き、次期総裁選に向けて本格的に動き出すことも決めた。会合に誘う相手として、総務会長の二階俊博、国対委員長の大島理森、津島らの名が挙がった。

ところが翌12日午後、安倍は突然辞任を表明。具体的に煮詰まっていなかったとはいえ、「反麻生」で一致した3人の謀議が、福田擁立の受け皿となった。

                   ◇

福田擁立にはもう一つ動きがあった。安倍の後見人である森である。福田の父である元首相、故福田赳夫の薫陶を受けた森はかねて「清和政策研究会(町村派)の首相候補はまず福田、次が安倍」と考えており、順番が逆になったことに複雑な思いを抱いていた。

森が安倍の辞任表明を知ったのは外遊先のパリだった。慌てる森に一本の国際電話がかかった。「メディア界のドン」といわれる男からだった。

「すでに山崎や古賀、前参院議員会長の青木幹雄は福田支持でまとまっている。あなたの残る仕事は派内の調整だけだ」

森は青木に電話で意向を確認するとともに、町村派幹部には「他派閥に迷惑をかけているのだから自重しろ」と命じた。だが、すでに自民党内では「森は福田擁立で腹を固めた」との情報が流れていた。

13日朝に成田空港に到着した森は同日昼、青木、山崎らとひそかに会談し、福田擁立を決めた。町村派がこの事実を知ったのは夜になってから。ある中堅議員は「昼間は『町村(信孝)擁立』と聞いていたのに、いつの間に入れ替わったんだ」と首をひねった。

                   ◇

急速に党内をまとめ上げた福田擁立劇は、次期総裁最有力といわれた麻生を一気に引きずり降ろしたが、遺恨も残した。

町村派を除く各派は、調整型の福田をそろって支持することで、森、小泉純一郎、安倍と続いた「清和研政権」色を薄めたいとの思いがあった。だが、当初、選挙対策本部が置かれたのは町村派事務所のある「グランドプリンスホテル赤坂」。陣営を取り仕切ったのは少し前まで安倍シンパを名乗っていた町村派議員で、司令塔は森と中川秀直だった。選挙対策本部は途中で自民党本部内に移ったが、町村派主導の選挙戦は最後まで続いた。

福田擁立劇の主役の一人は「森が院政を続けるために、われわれが利用されたのではないか。なんかしっくりこない話だ」と不満顔。別の派閥領袖級も「大量に麻生に票が流れたのは町村派への批判の表れだ」と打ち明ける。

各派領袖からは「自分で果たせる役割があるなら一緒になって支え抜く」(古賀)、「われわれの意見を聞き、バランスの取れた人事をやってほしい」(山崎)など、さっそくポスト要求の声が上がっている。福田が党役員人事、組閣でさじ加減を誤れば、各派の不満が噴出する可能性もある。

ある閣僚経験者は「挙党態勢というのは意外ともろいものなんだ」とうそぶいた。総裁選は、自民党混迷の序幕にすぎないのかもしれない。

 (敬称略)

(2007/09/24 13:05)



【首相交代】(下)大幅改造は両刃の剣

 「本院は福田康夫君を内閣総理大臣に指名することを決しました」

25日午後1時半。衆院議長、河野洋平の声が衆院本会議場に響くと、福田は席を立ち上がり晴れやかに一礼した。与党から大きな拍手がわいた。

首相を退任した安倍晋三は福田の様子を最後列でジッと見つめ続けた。昨年9月26日に同様の拍手を浴びた自らの姿を重ね合わせていたのだろうか。安倍は午前中の安倍内閣最後の閣議では「山積する課題を前に去るのは断腸の思いだ」と吐露していた。

安倍が本会議場に姿を現したのは午後1時3分。すでに開会を知らせるベルは鳴り終え、ほとんどの議員は安倍の入場に気づかなかった。前幹事長の麻生太郎が「本当にお疲れさまでした」と歩み寄ると、安倍は立ち上がろうとしたが、麻生は「そのままで…」と押しとどめ、深く頭を下げた。2人は握手で別れたが、安倍が本会議場で笑顔を見せたのはこの一瞬だけだった。

新内閣の組閣作業は、臨時国会中のため、大規模な閣僚差し替えは望めなかった。中途半端に閣僚を差し替えると逆に党内の反発が高まると踏んだようだが、新政権としては地味なスタートとなった。

   × × ×

24日朝、東京・神山町。久々に自宅でゆっくりしていた麻生は、枕元の携帯電話の着メロに起こされた。声の主は福田の所属する町村派重鎮だった。

「福田から何らかの入閣の打診があるかもしれないが、その時は受けてもらえないか」

麻生は「私は長い間要職を与えていただきましたので、しばらくゆっくりしようと思っています」と丁重に断ったが、声の主は「党が一致結束するためにもよろしく頼むよ」と念を押した。

この数時間後、再び麻生の携帯電話が鳴った。今度は福田だった。

福田「ぜひ内閣の一員として協力していただきたいのですが…」

麻生「大変有り難いお言葉ですが、私は一政治家として内閣に協力したいと考えています。それよりも私を支持してくれた甘利明(経済産業相)や、鳩山邦夫(法相)らをぜひよろしく」

穏やかな会話の中に、福田と麻生の政治的思惑が交錯した。

福田にとって、総裁選で197票を獲得した麻生は「野放しにできない」存在だった。将来の「福田降ろし」の温床ともなりかねない麻生支持勢力を骨抜きにするためには、麻生自身を閣内に取り込むのが最善の一手だった。

これに対して、麻生はそうやすやすと福田に取り込まれるわけにはいかなかった。麻生を支持してくれた議員の気持ちも考えなければならなかったし、入閣してしまえば、せっかく集めた197票の麻生への求心力が弱まるのは確実。ポスト福田戦略にも悪影響が出る。結局、福田は麻生の起用を断念した。

   × × ×

24日に行われた「党四役」人事には早くも不満の声が噴出した。特に第2派閥ながら、安倍政権に続いて派内から党四役を出せなかった津島派は、財務相の額賀福志郎が総裁選出馬断念に追い込まれた経緯もあるから、なおさらだ。

25日昼に都内で開かれた津島派の臨時運営幹事会。会長の津島雄二は「四役に代表選手を送り込めず大変申し訳ない」と謝罪したが、「党執行部にきっちりモノが言える派閥運営をすべきだ」などと数人が不満を爆発させた。

   × × ×

連立与党の公明党は「ハト派」色が濃い福田政権を歓迎しているが、さっそくほころびも見え始めた。

福田は衆院での首相指名選挙直前に、国会内で開かれた公明党の代議士会に顔を出した。

「ここに来ても特別な所に来た気がしない。しっかり協力関係を築き、誠心誠意つとめたい」

福田のあいさつに公明党議員は満面の笑みと拍手で応えたが、続いてあいさつを促された自民党幹事長の伊吹文明の言葉に、前代表の神崎武法らの笑顔が一瞬消えた。

「政策は大事だが、人間の信義というものがある。苦しい時も約束を守る。うれしい時に有頂天になり、苦しい時にした約束を忘れるようでは、どんなに政策が立派でもこういう人間関係はうまくいきません」

伊吹にも拍手が送られたが、ある公明幹部は「『自民党の弱みにつけ込むようなマネはするな』とクギを刺したのか」といぶかる。

7月の参院選で愛知、埼玉、神奈川で現職候補を落とす歴史的大敗を喫した公明党は、その敗因について、自民党に追随しすぎ、「ブレーキ役を果たさなかったためだ」と結論づけた。支持母体の創価学会からも「閣外協力も視野に入れるべきだ」との声も上がる。

13日昼に開かれた公明党議員団会議では、国土交通相の冬柴鉄三が「自民党といつまでも『親密なだけの関係』を続けていてよいのか。自民党は選挙で応援してほしいだけなのかもしれない。考えを変えていかなければいけない」と言い切った。長く自民党とのパイプ役をつとめ、「自民党よりも自民党らしい」といわれてきた冬柴の発言だけに周囲は驚いた。

25日夜、福田と公明党代表の太田昭宏との初の党首会談がなごやかに行われたが、自公の絆(きずな)はもろくなり始めている。(敬称略)=この企画は石橋文登、水内茂幸、佐々木美恵が担当しました。

(2007/09/25 22:39)





9月の畑

2007年09月24日 | 身近なこと
9月は始りの季節。夏野菜を片付け、心新たに、
種と苗を土に埋める。

問題は、土なのです。温かなふかふかとした土
にするには、良く耕して堆肥をすきこまなければ
なりません。 

「深さ50cmは耕しているよ」 と言うトリスさんの
畑は、見るからにふんわりして気持ちよさそう。
うちの畑は20cmくらいです。

  
ブロッコリーとカリフラワーの苗には虫除け


  
キャベツ、レタス、チンゲンサイの苗
サトイモと落花生はもう少しで収穫
右の、支柱に巻きついているのは三尺ささげ


  
三尺ささげです。三尺!まではいかないと思います。
30cmから40cmの長さで収穫。
柔らかく茹で、クリームソースをからませてフオーク
にくるくると巻いて食す・・ウソです。




サトー師匠のスイカです。
大きなお化けスイカでした~ 美味しくはないそうです。
  

師匠のご実家では、お化けじゃないスイカを作って
いらっしゃるということで、送っていただきました。
山形県の尾花沢のスイカ、とっても美味しかったです。

↑ 小田原お城の公園にいる象の梅子さんの
  還暦お祝いにプレゼントされました。

自民党新総裁

2007年09月23日 | 社会・政治
日経 「自民新総裁に福田氏、25日に首相指名・
    麻生氏も善戦」

産経 「自民総裁に福田康夫氏 330票獲得 」
           
NHK「自民党新総裁 福田康夫氏選出」

朝日 「自民党新総裁に福田康夫氏 330票で
    麻生氏に大差」 


   ・・麻生氏善戦  でしょうに・・    

総裁選

2007年09月15日 | 社会・政治
安倍晋三首相の辞任表明を受け、自民党は15日午前、総裁選の立候補受け付けを行い、福田康夫元官房長官、麻生太郎幹事長が届け出、両氏による一騎打ちが確定した。麻生派を除くすべての派閥が支持を決めた福田氏が圧倒的優位だが、派閥談合型の総裁選への批判が広がっており、麻生氏がどこまで巻き返すかが焦点となる。(09/15 11:23)産経



・・小泉氏再登板は、100%ないそうだ・・
13日午前11時過ぎ、森、町村両氏と、町村派事務総長の中山成彬元文科相ら幹部が会談中に森氏の携帯電話が鳴った。小泉氏からだった。

「おれは100%出ない!」

小泉氏はその後も「出ない」を3連発。声はやけに大きく、そばにいた町村、中山両氏にもはっきり聞こえた。森氏が「それを対外的に言ってもいいのか?」と尋ねると、「いい!」とやはり大きな声が電話口から響いた。

中川氏から電話で福田使擁立の打診を受けた小泉氏はきっぱりと言った。

「いいんじゃないか。福田氏ならば最前線に立ってやるよ」
(9月14日産経)


どちらになっても、構造改革の方向は変わらないでしょう。
失速はするのでしょうが。

改革を続けるということはすごく大変なことです。改革によって一部の人たちは大きな利益を失いますが、一方で改革によって恩恵を受ける人たちの利益というのは広く薄いからです。反対派は必死になって、なりふり構わず抵抗します。賛成派といえども自分自身に目に見える大きな利益が転がり込んでくるわけではありませんから迷いも生じる。改革推進者は、そういう中で戦い続けなければならないのですから、相当に強靭な気力が必要なんです。  (竹中氏)


『安倍内閣改造で遠藤武彦氏が入閣したとき、「霞ヶ関」
は3年前に会計検査院で指摘されていたことを官邸に
故意に知らせなかった。遠藤氏は「霞ヶ関」が仕掛けた
トロイの木馬だった。』 と、猪瀬直樹氏が書いていた。


利権を失うまいとする人たち。

記載漏れなど些細なことを大きくしつこく取り上げながら、
小沢代表の保有資産の謎には知らんふり。偏った報道
をし続けた一部メデイア。

自由主義の前提を無視して、すべてのつけを政府にまわ
すように煽った野党に なびいた人たち。


 しかしまた、新しい雲がわきおこる。
 くずれてはまた新しくわきあがる。

 秋の雲 ながめてつきぬ 面白さ


政界再編の可能性があれば小泉氏の再登板もあるでし
ょう。安倍首相の再チャレンジもあるかもしれない。

 散ればこそいとど桜はめでたけれ~

安倍首相辞意表明

2007年09月12日 | 社会・政治
首相退陣表明 会見要旨 (産経)全文
本日、首相の職を辞す決意をした。7月29日の参院選は大変厳しい結果だったが改革を止めてはならない、戦後レジーム(体制)からの脱却という方向性を変えてはならない。この決意で続投した。また、シドニーでは「テロとの戦い」、国際社会から期待され、高い評価をされている活動を中断することがあってはならない、何としても継続していかなければならないと言った。国際社会への貢献は、私が言っている「主張する外交」の中核だ。この政策は何としてもやり遂げていく責任が私にはある。この思いの中で、私は中断しないために全力を尽くしていく、職を賭していくと話した。そして、そのために一身をなげうつ覚悟で、全力で努力すべきだと考えてきた。

改革を進めていく決意で続投し、内閣改造をしたが、今の状況でなかなか国民の支持、信頼の上で、力強く政策を前に進めていくことは困難だ。ここは自らがけじめをつけることで局面を打開しなければいけない、そう判断するに至った。


わからない・・。

お疲れ様でした。 ゆっくりお休みになってまたご活躍
なさってください。

民主党、民主党支持者、朝日新聞
          さぞお喜びのことでしょう。

能を観に

2007年09月09日 | 謡と仕舞
 宝生会月並能  9月9日(日)午後1時始


能 「俊寛」 (しゅんかん)

シテ;登坂武雄 ツレ;高橋亘 山内崇生 ワキ; 宝生欣哉
大鼓;内田輝幸 小鼓;住駒幸英 笛;内潟慶三
間;三宅近成 地頭;三川淳雄  
罪を得て鬼界島に流されていた俊寛僧都、入道康頼、少将成経のもとに都より赦免状がもたらされる。三人は喜ぶが、赦免状には何故か俊寛の名が無い。やがて俊寛を残し船は出て行く…人間の孤独と絶望を描く傑作。

先回の「俊寛」の感動がはっきりと残っております。
それで、今回は・・

前半の、諦めた中での穏やかさという情景が私には見
えませんでした。それで、後半の落胆、無念さをあまり
感じることが出来ませんでした。

見所はやや空席が目立ちましたが、良い雰囲気でした。
終ったあと「よかったねぇ」という声が近くで聞こえました。


狂言 「樋の酒」 (ひのさけ)

三宅右近 高沢祐介 三宅右矩
いつも留守をさせると何かと悪戯をするので、家来の太郎冠者を軽物蔵に、次郎冠者を酒蔵に封じこめて、主人は外出してしまいます。次郎冠者は、早速酒蔵の酒を飲みはじめ、羨ましがる太郎冠者には太い竹で樋をつくり、蔵の窓越しに太郎のいる蔵へ渡して酒を流してやります。二人が酔って騒いでいるところに主人が帰ってきてしまいます。



能 「半蔀」 (はしとみ)

シテ;佐野 萌 ワキ;工藤和哉 大鼓;國川純
小鼓;鵜澤洋太郎 笛;一噌康二
間;三宅近成 地頭;高橋章  
都北山雲林院で立花供養を営む僧のもとに一人の女が訪れます。女は夕顔の精であると仄めかして花の陰に消えます。僧が教えのまま五条辺りに出向くと、夕顔棚の蔭より女が現れ、光源氏の想い出を語り舞を舞います。

優美な白足袋の動きに見とれているうちに、眠気が。

今朝5時に起きて台風で荒れた畑の片付けをしてきた
のでした。夢かうつつか幻か~のうちに蔀の戸は閉め
られました。 


能 「大会」 (だいえ)

シテ;亀井保雄 ツレ;小倉健太郎 ワキ;殿田謙吉
大鼓;安福光雄 小鼓;古賀裕己 太鼓;徳田宗久
笛;藤田次郎 間;前田晃一 地頭;寺井良雄 
西塔に住む僧のもとに山伏姿の天狗が現れ命を助けて貰った礼に、望みを叶えようと言う。僧の望みで釈迦になって霊鷲山の説法を見せた天狗は、僧が信心を起してしまったせいで帝釈天に攻められ本体を現されてしまう。

睡魔去る。休憩時間に飲んだコーヒーの効用か、いや。
「お調べ」の響きに覚醒されたに違いない。

そう思うほど笛の音に魅了されました。耳大いに喜ぶ。

そして、もちろん目も楽しみました。動きも話しの展開も
早く、天狗の姿も奇妙。とても面白い能です。

お稽古

2007年09月03日 | 謡と仕舞
8月は夏休みでありました。

春夏の花も過ぎてぇ ・・ 秋になりましたが
仕舞「胡蝶」は未だ終らず。

3回に分けて教えていただいてから今回が
2度めです。つまり5回目。普通はとうに次
の曲に進むのでありましょうが、私の場合、
ここからがシゴキ・・いえ丁寧に教えていた
だくことになるのであります。

一番できていないのは形・・つまり基本であ
りますから、困ったことです。 形が定まらな
いうちに次の形に流れてしまうのです。

『うん、次は完璧だっ』と、わかったつもりに
なっても、きっと次にはまた他の箇所でみっ
ちり怒られるのだろうなあ 

というわけで、師が『できないことはできない
のだ』と諦めるまで次には進まないのであり
ます。

でも私は「胡蝶」が好きです。くるりくるりと廻
っても目が回ったりはしなくなりました。


お稽古が終われば師も涼しく、お茶をお出し
すると、「あ・・ぁ 美味しい」と穏やかに。 ま、
お茶は美味しいはずです。あれだけ怒鳴ら
れたんだから。

出来の悪い生徒一人のために続けてくださっ
て本当にありがたいことでございます。

本「バルザックと小さな中国のお針子 」

2007年09月02日 | 本と映画の話
 バルザックと小さな中国のお針子

 ダイ・シージエ 著
 新島 進 訳
文化大改革の嵐が吹き荒れる1971年、医者を親に持つ僕と羅は、反革命分子の子として再教育のため山奥深くに送りこまれた。僕は17歳、羅は18歳だった。厳しい労働に明け暮れるなか、僕らは村に唯一ある仕立屋の美しい娘、小裁縫に恋をした。あるとき僕らは、いまや禁書となっている西欧の小説を友人が隠し持っていることを知る。壮大な愛や冒険の物語に僕らはすっかり夢中になり、これに刺激を受けた羅は、小裁縫にバルザックの小説を語り聞かせる。二人は次第に親密になっていくが、本によって自分たちの運命が大きく変わってしまうとは知らなかった…。在仏中国人作家が自らの青年時代の体験をもとに綴り、世界30カ国で翻訳された話題作。(背表紙より)


著者は、1954年中国福建省で医師の両親のもとに生
まれ、1971から74年の間、下放政策により四川省の
山岳地帯で再教育を受けました。

文化革命で揺れる中国、その暗く過酷な時の体験を
元にして、しかも、爽快な青春小説なのです。

絶望感に負けない方法は他にもあるのでしょうが、豊
かな想像力でしょう。毛沢東は「本は読めば読むほど
バカになる」と言ったそうです。独裁者にとって、本は
自由な想像の世界を広げる都合の悪い物だったので
しょう。

ロマン・ロランやアンドレ・ジードなどなど懐かしい小説
がでてきます。音楽同様、時空を越えて若者の心を揺
すり育てる力を本に見ることが出来ます。

本 「柘榴のスープ 」

2007年09月02日 | 本と映画の話
 柘榴のスープ

 マーシャ メヘラーン (著)
 渡辺 佐智江 (翻訳)

流血のテヘランから逃れた美しい三姉妹が、アイルランドの小さな村バリナクロウで、ペルシア料理店「バビロン・カフェ」を開いた。


ペルシャ料理、癒しのレシピ、新しい出会い、三姉妹の
事情も次第に明らかになってゆきます。

濃厚な料理の香りと、香草のエメラルド・グリーや金色に
煌くサモワールなどの鮮やかな色彩の中に心地よく入り
込みました。一章毎に料理のレシピが記されて、それも
なかなか魅力があります。

最初に 難しい名前の登場人物が次々に出てくるので、
紙切れにメモしました。さまざまな村人たちとの交り
も可笑しさや温かみが感じられます。

著者は、イラン革命直前テヘランに生まれ、80年代、家族
とともに動乱から逃れて、アルゼンチンに渡り、アメリカ、
オーストラリア、アイルランドで暮らし、現在はニューヨーク
在住ということです。美しく逞しく才気溢れる素敵な方であ
ろうと思います。


抜書き
自分もラバーシュみたいなものだろう、とマルジャーンは思った。時間と、暖かく居心地のいい環境があれば、どんなことでも可能になると。

シンプルに、やさしく、とマルジャーンは厳粛にうなずきながら、ご飯を入れた鍋の火を弱めた。どういう状況にも、そういうふうに対処しなければ。料理でも、人生でも。