1日1時間の贈り物

お勉強blog!

ま坂

2017-04-09 | 日記
小学校一年生の時からお世話になっている3つ歳上の近所のお姉さん
この春、長女が進学した高校を卒業して次のステージへと進んでいった。
家内が彼女の母親から聞いたところによると
進んだ先というのは某私立医科大学らしく
僕は下世話ながらそれにかかる費用を考えずにはいられなかった。

医者という資格は確かに国家によって守られた最高の既得権益であり
その階層への帰属を許されれば一生食べて行くには困らない収入が約束されるだろう。
親としては子供がその世界への切符を手に入れたとあっては嬉しくないわけがないわけである。
しかし、手に入れた切符が私立医科大ということになれば
そのための費用は、まあしょうがないか…と笑って済ませられるレベルではない。
(もちろん、僕にとってという前提である)
授業料に6年間の衣食住費あわせて恐らく50,000,000円ということになるだろう。
自分にもしこの切符の金額が提示された時、僕は子供にその切符を買ってやるのだろうか?

人生には上り坂と下り坂に加えて「まさか」がつきものだというのは陳腐なフレーズ。
しかし、わずか3年後にはそんな「まさか」の選択を迫られる事もありうるのである。
僕は教育という深淵の底に蠢く親という存在の愚かさを強烈に突きつけられたような気がした。
それは近所のお姉さんの話であると同時に、僕の話でもあるのだ。
僕はその選択を決して愚かな選択だとは笑えないし
僕がその立場でそんな選択をしないなどとは決して言い切れないのである。
幸いにして長女の選択の日までにはあと3年の猶予がある。
長女がどんな選択をするのか僕にはまだ見当もつかないが
今の段階で投資できる東進さんの塾の費用などかわいいものなのだ。
その魔の50,000,000円からできるだけ遠ざかるためにも
いよいよこの勝負の3年間の投資を怠るべきではない。

しかし例えばいつの日にか大学を卒業した長女が
ハーバードのビジネススクールで学びたいと言ってきた時に
僕はその授業料16,000,000円プラスアルファを出すのだろうか。
僕は自分の老後も顧みずにきっと出すのだろう。
親というのはそれくらいに愚かな存在であり
僕もその愚かさからは逃れられないのだ。
「まさかの坂」は私立の医大や海外留学だけではない。
どんな坂が来ても気持ちの準備だけはしておかねばいけないのだろう。