片雲の風に誘われて

自転車で行ったところ、ことなどを思いつくままに写真と文で綴る。

8/16 高村薫「土の記」読了

2017-08-17 22:22:29 | 読書

「土の記」高村薫 新潮社


   上記は昨年秋、単行本が出版された。
その時少し話題になった。
読んでみたいと思ったが、彼女の前作「晴子情歌」「新リア王」が難解だったので、しり込みしていた。
しかし、娘の旦那が購入しているのを知り、読み終わったら貸してくれとお願いしておいた。
6月、娘が自動車学校へ通うため迎えに行ったとき借りてきた。
その頃は妻も仕事中だったし、独りでモンちゃんの世話をしながら開く気にはならなかった。
最近は暑さと腰痛のため外仕事をする元気も出なかったので、読み始めた。

  大筋は奈良の山中の旧家上谷家に婿として入った東京育ちの男の物語だ。
伊佐夫は16年に亘って植物人間となった妻の看護を続けた。
その妻が亡くなってから物語が始まる。
  妻がバイクでダンプカーと正面衝突する交通事故に会うまでは、妻がコメ作りなどの農業に従事し伊佐夫はシャープに勤務するサラリーマンだった。
しかし、事故後は退職してその後を引き継いでいる。
72歳になる伊佐夫は理科系の出身で学生時代は地質学を学んだ。
コメ作りにも相当なこだわりを持って取り組んでいる。
この地域では垣内、”かいと”と呼ぶ隣近所からは、また上谷の理科の実験が始まったといわれている。
このコメ作りが、かなり細かな専門用語で記述されている。
作者もかなり勉強したものだと思う。
序盤はこのコメ作りや地域の自然、家族の歴史、親戚や垣内のメンバーの人物像が細かく綴られていく。
この辺りで、標題に付けられた「土」の意味が朧げに想像させられてくる。
上谷家は代々跡継ぎの男の子に恵まれず、婿取りが続いている。
しかし、その娘たちは生命力に溢れた、美女の系統だ。
出だしの部分で、伏線なのかよそに男を作り出奔した妻の祖母の話が書かれている。
そんな家の長女だった妻の交通事故にも何か仔細がありそうなことが少しずつ仄めかされていく。
この辺りはミステリー作家として出発した作者の面目躍如たる語りになる。
こんな輻輳した語りの中に、人生の大方を過ぎた72歳の男の目線や思考が織り込まれてゆく。
上巻の半分ほどまで読み進んだ段階で私は興味が強くなり深夜まで読み続けたが、果たしてまだ若い娘の旦那にとってこんな話が面白いだろうかとの疑問がわいた。
上巻を読み終わって、翌朝下巻を手に取ったときどうも開かれた痕跡がみられないように見えた。
特に下巻では、伊佐夫の心象風景などの表現に老年のボケや思い違い、記憶の揺れなどの記述が増える。
私には然も有りなんと納得できる場面が続くが、若い人にとっては何の同情も共感もわかないだろうと思う。
  妻の妹の旦那も同じ年に亡くなり、その妹がぽつりと、やはり姉さんと腕づくで喧嘩しても伊佐夫と結婚しておけばよかったなどと告白する場面などもある。
妻の事故も、どうも自分からダンプカーに突っ込んでいったのではないかとの感想も出てくる。
やはり他に男がいたようだと仄めかされる。
また伊佐夫には慶應義塾大学を卒業し、コロンビア大学に留学したキャリアウーマンの娘もいる。
この娘もそれを知っていて、高校生の時から母親や父親を責めていたようだ。
それで早くこの家を離れようとする。
その高校生の孫が夏休みの一時期、同居したり、孫の父親と離婚してアメリカに渡った娘がアイルランド出身のアメリカ人と結婚して、新婚旅行の途中で窓も連れて来日したりとかなり幅広く伊佐夫の生活が物語られる。

  私にとっては久しぶりに読む小説であったが、色々あったがよい人生であったと、晩年に至って思わせられる話だと思った。
諦念も多く含んで。



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8/9・10 東京

2017-08-12 10:53:37 | 日記

散歩道の川の土手に咲く小さな宵待草?


  娘がまた盆を挟んでモンちゃんと帰るというので、妻と迎えに出向いた。
9日夜は板橋で何時ものメンバーで飲んだ。
最近はあまり難しい話題は出なくなった。
それでも4時間以上がすぐに過ぎるほどしゃべりが続いた。
その中で私がぼやいたことがある。

  6月さつま芋を植えるため耕運機で耕しているとき、少し無理な取り扱いをした後に腰に痛みを感じた。
当座は、筋肉でも傷めたかとたかを括り、そのうち痛みも消えるだろうと思っていた。
しかしなかなか痛みは治まらず、たまに歩行が困難になるほどの時も出始めた。
そこで整形外科で受診した。
結果は脊椎の圧迫骨折による神経痛だといわれた。
昔、柔道をやっていたり、木から落ちたことなどもあるため脊椎に若干の傷があることは承知していたが今夏愛はそれとは違うらしい。
骨密度の測定の結果、同年代の男性に比べ70%程度になっているそうだ。
原因は、胃の全摘によるビタミン類やカルシュウムの摂取不良によるもの。
医者からはもう重いものを持つな、芝刈り機や耕運機などの取り扱いもするな、山登りも途中で歩けなくなる可能性が高いのでするなと言われた。
治療は簡単ではないらしいが、当面ビタミンD 剤と数回の注射で様子を見ることになった。
膝の痛みがなくなって、さあ今年は山登りができると意気込んでいたのにとんだ夏になってしまった。
モンちゃんを抱き上げることも注意しなくてはならない。

  これに対して友人からはそれほどの同情を得ることはなかった。
お前は今まで散々他の人が出来ない事をやってきたから良いじゃないかと言われた。
確かに全摘依頼7年が過ぎて、医者にいわれた影響が随所に出てきた。

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8/6 名古屋 放送大学講演会

2017-08-07 11:12:35 | 日記

庭の鉢に咲いた蓮の花


  妻が申し込んだ放送大学の公開講座で名古屋まで出かけた。
JRジパングの割引を使って新幹線を使った。
私は2割引き券が終わって3割になった。
妻は最後の2割だ。
会場は名古屋駅のすぐ近く。
12時前に着いて、まず昼食と駅の中や高島屋の食堂街を探したがどこも既に長蛇の列だ。
訊くと30分、1時間と応える。
仕方なく駅のはずれに列の短い安い蕎麦屋を見付けた。
10分ほどで席に付けた。
久し振りににしんそばを注文した。
京都にいた頃以来だから50年振りに近い。
昔ながらの味だと思った。

  講演は「子育て支援の心理学」との演題。
妻が仕事から離れて、放送大学のいくつかの講座を受講してみようと考えて取り寄せた資料の中に見つけ申し込んだものだ。
ここで言う支援の主眼は障害を持つ子供やその親、また貧困家庭で充分な養育環境にない子供や親に対するものだ。
そんな子供や親に対する社会からの支援は早ければ早いほど、投資に対する将来のアウトカム(年収・教育・福祉の受給・犯罪・健康など)が大きくなる。
こんな事例をカナダやアメリカなど外国の実験例を挙げながら説明してくれた。
古文書解読講座も知らなかったことが教えられて楽しいが、この講義もそれに似て、漠然とそうだろうと考えていたことに具体的データを示されるようで蒙を開かれる心地がする。
私にはまだ放送大学の仕組みそのものがよく理解できていないが、興味がもてそうな講座があれば受講してみようと思っている。
10月からの受講申込みの締め切りが8月末だとのこと。
それまでに検討できるだろうか。

  お寺から頂いてきて鉢に植えた蓮にやっと花が咲いた。
ネットなどで調べると、毎年3月頃に植え替えて育てると簡単に開花するようなことが掛かれている。
しかし我が家の蓮は数年前に鉢に入れて、葉は沢山繁ったが花は咲かなかった。
去年、葉の割に鉢が小さいように見えたので大きな鉢に植え替えた。
それで花を付けたのかもしれない。
ネットでは植替えの時、蓮根をどのくらいにして植えるのかまでの説明が見付からない。
来年、いくつかのサイズで実験してみよう。


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8/4 原村・霧ヶ峰

2017-08-05 13:40:31 | 旅行

娘夫婦の新築現場


  日帰りで信州を巡ってきた。
妻が退任したら手を付けたいと思っていた台所廻りの片付けが一段落したので、どこかへ出かけたいと言い出した。
それではと娘夫婦の家の進捗状況見学を兼ねて出た。
家の様子は建築会社のウェブサイトに写真がアップされるので時々チェックはしている。
しかし周りの風景を詳しくは見ることができない。
今回現場を見て分かったことは、基礎が驚くほど頑丈に築かれていることだ。
そのため掘り出された土砂の量が半端でない。
敷地は緩く傾斜しているので、土砂の処分に困ることはなさそうだ。
庭の設計で使えるだろ。


車山山頂から八ヶ岳方面を見る。

  その後、白樺湖、車山方面に車を向けた。
もう遅いだろうと思いながら霧ヶ峰のニッコウキスゲを観たかった。
初めて車山を訪れたのは高校二年の冬のスキー教室だった。
次が大学生の時、今でも付き合っている4人で夏に来た。
その時はニッコウキスゲが満開で、その時4人で写した写真がある。
青春の数ページがこの霧ヶ峰で綴られている。
しかし、キスゲは既に終わっていた。
わずか数株に花が残っていただけだ。
群落地らしき地域の周りはロープで立ち入りが制限されてる。
どうもその様子を見ると、株の数は相当減っているような様子だ。
7月の盛りの時期に来ても草原を埋め尽くすキスゲの様子は見ることが出来なくなっているのかもしれない。


枯れ残った数輪のニッコウキスゲ。



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