「土の記」高村薫 新潮社
上記は昨年秋、単行本が出版された。
その時少し話題になった。
読んでみたいと思ったが、彼女の前作「晴子情歌」「新リア王」が難解だったので、しり込みしていた。
しかし、娘の旦那が購入しているのを知り、読み終わったら貸してくれとお願いしておいた。
6月、娘が自動車学校へ通うため迎えに行ったとき借りてきた。
その頃は妻も仕事中だったし、独りでモンちゃんの世話をしながら開く気にはならなかった。
最近は暑さと腰痛のため外仕事をする元気も出なかったので、読み始めた。
大筋は奈良の山中の旧家上谷家に婿として入った東京育ちの男の物語だ。
伊佐夫は16年に亘って植物人間となった妻の看護を続けた。
その妻が亡くなってから物語が始まる。
妻がバイクでダンプカーと正面衝突する交通事故に会うまでは、妻がコメ作りなどの農業に従事し伊佐夫はシャープに勤務するサラリーマンだった。
しかし、事故後は退職してその後を引き継いでいる。
72歳になる伊佐夫は理科系の出身で学生時代は地質学を学んだ。
コメ作りにも相当なこだわりを持って取り組んでいる。
この地域では垣内、”かいと”と呼ぶ隣近所からは、また上谷の理科の実験が始まったといわれている。
このコメ作りが、かなり細かな専門用語で記述されている。
作者もかなり勉強したものだと思う。
序盤はこのコメ作りや地域の自然、家族の歴史、親戚や垣内のメンバーの人物像が細かく綴られていく。
この辺りで、標題に付けられた「土」の意味が朧げに想像させられてくる。
上谷家は代々跡継ぎの男の子に恵まれず、婿取りが続いている。
しかし、その娘たちは生命力に溢れた、美女の系統だ。
出だしの部分で、伏線なのかよそに男を作り出奔した妻の祖母の話が書かれている。
そんな家の長女だった妻の交通事故にも何か仔細がありそうなことが少しずつ仄めかされていく。
この辺りはミステリー作家として出発した作者の面目躍如たる語りになる。
こんな輻輳した語りの中に、人生の大方を過ぎた72歳の男の目線や思考が織り込まれてゆく。
上巻の半分ほどまで読み進んだ段階で私は興味が強くなり深夜まで読み続けたが、果たしてまだ若い娘の旦那にとってこんな話が面白いだろうかとの疑問がわいた。
上巻を読み終わって、翌朝下巻を手に取ったときどうも開かれた痕跡がみられないように見えた。
特に下巻では、伊佐夫の心象風景などの表現に老年のボケや思い違い、記憶の揺れなどの記述が増える。
私には然も有りなんと納得できる場面が続くが、若い人にとっては何の同情も共感もわかないだろうと思う。
妻の妹の旦那も同じ年に亡くなり、その妹がぽつりと、やはり姉さんと腕づくで喧嘩しても伊佐夫と結婚しておけばよかったなどと告白する場面などもある。
妻の事故も、どうも自分からダンプカーに突っ込んでいったのではないかとの感想も出てくる。
やはり他に男がいたようだと仄めかされる。
また伊佐夫には慶應義塾大学を卒業し、コロンビア大学に留学したキャリアウーマンの娘もいる。
この娘もそれを知っていて、高校生の時から母親や父親を責めていたようだ。
それで早くこの家を離れようとする。
その高校生の孫が夏休みの一時期、同居したり、孫の父親と離婚してアメリカに渡った娘がアイルランド出身のアメリカ人と結婚して、新婚旅行の途中で窓も連れて来日したりとかなり幅広く伊佐夫の生活が物語られる。
私にとっては久しぶりに読む小説であったが、色々あったがよい人生であったと、晩年に至って思わせられる話だと思った。
諦念も多く含んで。