私メ、昔から頭と読解力が、世間の皆さんよりかなり低いため漢字は大の苦手です・・。
滅多にない文章などを書く時はパソコンに頼って書きますが、なにせ基の文字を知らない!
そのため変換した字が違っている場合もよくあり・・お恥ずかしい限りです。
よく読む?ではなく眺める「新聞」、(時には本や雑誌なども眺めますが) 実は手放せないものが二つ。
一つはもうこの歳ですから「メガネ(老眼鏡)」、もう一つが「辞書」です。
字が見えない!のも困りものですが・・字が読めない!これも非常に困りものです。
読めないと前後の文章で理解できる場合もありますが、新聞では理解しがたいこともある。
若かりしころからの持って生まれた頭の悪さと不勉強が重なり、今になってあえいでいる。
新聞を眺めながら、おバカな私メが個数を示す「ケ」ってなぁ~になんて変なことを思った。
いまの中国では字形を大幅に簡略化した「簡体字」というものが多く使われているという
その中でもっともよく見かけるのが「个」だという・・?
「个」は矢印の記号ではなく、れっきとした漢字なんだそうで、日本語でいう「册」とか
「枚」のように数字と名詞をつなぐ働きをする文字で、本来の形は「個」であったという?
しかし「個」をどのようにいじくりまわしても「个」にはなりそうにない・・?
「个」は実は「個」の異体字である「箇」の上にある《竹》を半分にした形からできたのだが
しかしそれは近代の文字改革によって作られた新しい字ではなく、非常に早い時代から
「個」の俗字として使われていたという・・?
戦国時代に作られた文献『春秋左氏伝』のなかにも、すでにその用例が見えるそうです。
ところで活字体での「个」は三画になるが、実際に中国人が手書きで書く時にはすべての
筆画を続けて書くから、結果的にカタカナの「ケ」とよく似た形になる。
これが日本語で「ケ」を「個数」の意味で使うようになった由来であり、もともとは
中国から輸入された荷物の箱などに「个」という文字が手書きで書かれていたのを、
日本人が「ケ」と誤読したのが始まりではないかと言われているそうです。
中国語の授業でものを教えるときの言葉を説明する時の余談として「リンゴ三ケ五〇〇円」
と書くのはこのような理由によると説明すれば、学生は興味津々として話を聞くそうだ?
しかしそれと同時におこなう「目に一丁字(いっていじ)を識らず」という表現に関する話が、
まったくウケないのは実に悲しいことであるといっています。
「目に一丁字を識らず」、あるいは「目に一丁字無し」とは、文字を読む能力が全くない
ことをいう表現であり、またそこから意味が展化して、たとえば映画などで字幕が変わる
スピードが速く、字が読めない時などにも使われることがあるが、これはもともとは
唐代の張弘晴(ちょうこうせい)という人物の伝記に「今天下は無事なり。汝らは両石の力弓を
挽きうるも、一丁字を識るにしかず」とあるのが出典であるという。
しかし「一丁字」とある部分は本来は「一个字」(=一個字)と書かれるべきで、
「丁」は実は「个」を誤り写したものなんだという・・。
なんだかよく理解しがたい話しだが、それでも勉強になりました!
解説をなさっていた漢字学者“阿辻先生”に感謝です。
滅多にない文章などを書く時はパソコンに頼って書きますが、なにせ基の文字を知らない!
そのため変換した字が違っている場合もよくあり・・お恥ずかしい限りです。
よく読む?ではなく眺める「新聞」、(時には本や雑誌なども眺めますが) 実は手放せないものが二つ。
一つはもうこの歳ですから「メガネ(老眼鏡)」、もう一つが「辞書」です。
字が見えない!のも困りものですが・・字が読めない!これも非常に困りものです。
読めないと前後の文章で理解できる場合もありますが、新聞では理解しがたいこともある。
若かりしころからの持って生まれた頭の悪さと不勉強が重なり、今になってあえいでいる。
新聞を眺めながら、おバカな私メが個数を示す「ケ」ってなぁ~になんて変なことを思った。
いまの中国では字形を大幅に簡略化した「簡体字」というものが多く使われているという
その中でもっともよく見かけるのが「个」だという・・?
「个」は矢印の記号ではなく、れっきとした漢字なんだそうで、日本語でいう「册」とか
「枚」のように数字と名詞をつなぐ働きをする文字で、本来の形は「個」であったという?
しかし「個」をどのようにいじくりまわしても「个」にはなりそうにない・・?
「个」は実は「個」の異体字である「箇」の上にある《竹》を半分にした形からできたのだが
しかしそれは近代の文字改革によって作られた新しい字ではなく、非常に早い時代から
「個」の俗字として使われていたという・・?
戦国時代に作られた文献『春秋左氏伝』のなかにも、すでにその用例が見えるそうです。
ところで活字体での「个」は三画になるが、実際に中国人が手書きで書く時にはすべての
筆画を続けて書くから、結果的にカタカナの「ケ」とよく似た形になる。
これが日本語で「ケ」を「個数」の意味で使うようになった由来であり、もともとは
中国から輸入された荷物の箱などに「个」という文字が手書きで書かれていたのを、
日本人が「ケ」と誤読したのが始まりではないかと言われているそうです。
中国語の授業でものを教えるときの言葉を説明する時の余談として「リンゴ三ケ五〇〇円」
と書くのはこのような理由によると説明すれば、学生は興味津々として話を聞くそうだ?
しかしそれと同時におこなう「目に一丁字(いっていじ)を識らず」という表現に関する話が、
まったくウケないのは実に悲しいことであるといっています。
「目に一丁字を識らず」、あるいは「目に一丁字無し」とは、文字を読む能力が全くない
ことをいう表現であり、またそこから意味が展化して、たとえば映画などで字幕が変わる
スピードが速く、字が読めない時などにも使われることがあるが、これはもともとは
唐代の張弘晴(ちょうこうせい)という人物の伝記に「今天下は無事なり。汝らは両石の力弓を
挽きうるも、一丁字を識るにしかず」とあるのが出典であるという。
しかし「一丁字」とある部分は本来は「一个字」(=一個字)と書かれるべきで、
「丁」は実は「个」を誤り写したものなんだという・・。
なんだかよく理解しがたい話しだが、それでも勉強になりました!
解説をなさっていた漢字学者“阿辻先生”に感謝です。