にしのサラリーマン時代

にしがサラリーマンで幸福のときを書いている。当時の知り合いや、子や孫たちに読んでもらいたい。

追突

2016-01-29 23:00:00 | サラリーマン9年生
 1月28日、休暇をもらえたのでひとり、ドライブに出る。手に入れて2カ月の中古のブルーバード。どこへ行くともなく走ると、国道2号線を走っていた。
 この道は1ヵ月前、クリスマス(イブ)パーティを終えた帰り、二人の女の娘を乗せて送った道だ。どのあたりで降ろしたかなぁ。キョロキョロとわき見をしながら走っていると、前車のブレーキに気付くのが遅れた。あわててブレーキを踏んだが遅かった。(わたしの目にはあまり目立たない)前車のバンバーを凹める追突をしてしまったのだ。1972(S47).1.28のこと。


 ↑ 追突前、こんな感じで走っていた。(再現写真)
 事故後、大したこと無いので示談成立。(修理代金を持って)翌日逢うことを約束して、別れた。


 ↑ 翌日、約束の場所へ行き、修理見積もり16,000円を払い、一件落着。
 その結果、またまた金欠生活に再突入。女の娘を誘い出すなんてしばらく先になりそうだ。

 そんな沈んだとき、青春ドラマ「おれは男だ!」を観ると癒される。主題歌' さらば涙と言おう 'は、ドラマの主役の森田健作が唄う。元気がもらえる曲なのでレコード(昭和46年3月発売)を買ってよく聴いた。

 そのころマスコミは、もうすぐはじまる札幌冬季オリンピック(2月3日~13日)の準備状況を報じていた。前年に発売(競作)されたオリンピックのテーマソング「虹と雪のバラード」が、なかでもトワ・エ・モワの曲がよく流れていた。

母と伊弉諾神宮へ

2016-01-01 22:54:48 | サラリーマン9年生
 1月1日、実家で朝寝坊していると、「お雑煮が伸びるので早く起きてこいよ!」 と、おふくろに起こされた。1972(S47).1.1のこと。

 起きて、雑煮を食べ終わると、「これから伊弉諾神宮へ交通安全のお守りをもらいに行こうよ」という。「交通安全なら近くの神社でいいじゃない」と言うと、「絶対、伊弉諾神宮へ行きたい! だから乗せていってくれ」という。
 おふくろにそこまで言われると、断れない。早速、二人で行くことにした。


 ↑ 自転車にも乗れない昔人間のおふくろの道案内で、西淡湊から海寄りの道を北へ車を走らす。やっと郡家の標識を見つけ、やがて伊弉諾神宮に着いた。
よく考えたら、わたしは2回目の詣でだ。前回は7年前、成人式にセットされた新成人の団体バス移動なので楽だった。昔馴染みの同級生ばかりなので、遠足の雰囲気でもあった。だが今回は、母と二人。何を探すでもなくキョロキョロしながら、拝殿に向かう。

 拝殿で祈願してからは、交通安全のお守りを買い、ぐるっと境内を一周して帰ることにした。


 ↑ 早速、お守りの札をつりさげて、帰路についた。
 隣村まで帰ってくると、今度は、回り道をねだってくる。よくよく尋ねると、おふくろの仕事先で1・2度行ったことがある先だという。そこに、年頃の娘が居るから寄って行こうと、強引に家の近くまで案内された。

 少し離れたところの路上から家の方向を眺める。数分ほど眺めただろうか、「変に思われるよ!早く帰ろう」とわたしが言い出し、車のエンジンをかける。「いい娘ならもうじき見つかるよ!」とわたしは言い逃れを言って、帰ることにした。

 そうか、忘れていた。2か月まえ、母から寮に「いい娘がいるよ」との手紙が来ていたことを。隣村だと農業を継ぐ嫁にうってつけだと、母の策略。これには応じられないと、正月からすこし抵抗してしまった。