にしのサラリーマン時代

にしがサラリーマンで幸福のときを書いている。当時の知り合いや、子や孫たちに読んでもらいたい。

はじめて、フェリーで帰省

2015-12-31 22:00:00 | サラリーマン9年生
 12月31日(金)は年末だが営業日である。営業店では遅くまで残業しているだろう。でも、センターでは持ち場によって退社時刻がきまる。すでに18:00を過ぎている。わたしの勤務時間は終了だ。早速帰省を申し出て退社した。去年までの帰省は電車と客船で帰ったが、今年は自分の車で、フェリーに乗って帰ることにした。1971(S46).12.31のこと。

 会社を18:00過ぎに出て車で走ること半時間あまり、はじめて行く「甲子園フェリー」乗り場に着いた。切符を買おうと窓口へ行くと、すぐ出るから急いでといわれる。出帆時刻が迫っていたのだ。

 乗船すると意外にもガラガラ。乗客が少なく長椅子を独り占め出来てしまうぐらい。

 長椅子の客席ではテレビをみんなで観ていた。歌謡番組のようだ。森進一が「おふくろさん」を歌っている。あれ! もう紅白が始まっているのかな? よく観ると違っていた。レコード大賞の発表番組だった。

 この曲、わたしには、くすぐったくてあまり好きになれない。「おふくろ」と呼び捨てにするわたしには、どこかが違っていた。
歌詞の意味するところに非はない。何回も聴いていると、まんざらでもない。帰省途中でもうじき「おふくろ」に会えると考えるうちに居眠ってしまった。何分ほど経ったか、フェリー着岸のアナウンスが流れたので目が覚めた。


 ↑ 甲子園フェリー(写真は1985年就航のもの)

ダンス・パーティー

2015-12-24 23:22:02 | サラリーマン9年生
 12月20日、ユニバックのSEさんから、クリスマス・イブのダンスパーティ券を2枚をもらった。早速、昨日の太閤園で知った女の娘に電話をする。でも、はじめての電話でもあり突然過ぎると断られた。
それでもと近くの喫茶店で待ってみたら、切符2枚を手渡すことができた。1971(S46).12.20のこと。

 24日、パティー当日の夕刻が来た。わたしは車を社ちかくに置いたまま、女性二人を梅田駅で迎えた。そして三人でパーティ会場へ向かった。
 会場ではすでにパーティーが始まっており、SEさん等が大勢踊りまくっている。そこへ二人の女の娘も踊りの仲間に入れてもらった。
 パーティは盛んになりつつもさそった娘とはまだ踊れない。踊りたくてもパートナーチェンジができない。いつも誰かと組んでおり、時間だけが経ってゆく。とうとう気になる人とは踊れずじまい。今日はそのまま帰ることになった。
 早速、車をまわしてきて、二人を自宅近くまで送って行った。夜もだいぶ更けたクリスマス・イブのこと。
 そのことを、女房に聞いてみたら、「そうだったかしら、忘れた」とそっけない返事。

 二人を降ろしたあととんだ事態になる。車のガソリンがほとんどなくなっていたのだ。
 このままでは路上でエンストしまう。そう思いながら、国道や府道を迷いながら走り回る。深夜のためどこのスタンドも閉店状態。これでは寮に帰れない。そう思ったとたん覚悟を決めた。次に見つける閉店スタンドの前で車中泊をしようと。

 冬の車中泊は寒さでなんども目が覚める。やっと朝になり、1番で給油してもらった。
これで路中エンストの心配がなくなり、余裕で車を飛ばせた。寮に帰ってはいつもの朝食のあと、出社した。

'71 クリスマス パーティ

2015-12-19 23:00:00 | サラリーマン9年生
 12月19日、大阪ブロック恒例のクリスマスパーティが太閤園であった。日曜日なので寮からマイカーで出向く。お酒は飲めない方だし、かわいい娘でも乗せる機会ができたらいいなぁとおもい。いい加減なことを考えながら車を飛ばした。買ってから半月あまりの車で、どこへでも乗って行きたかったのだ。1971(S46).12.19のこと。



 ↑ 昼間は、子供達のための家族パーティ。



 ↑ 夕方から大人向けの音楽会。



 ↑ のど自慢もあり。



 ↑ ダンスで疲れた合間は、生演奏で時間を過ごした。

 毎年のことだが今年も軽音楽の演奏でパーティに参加した。演奏が終わり、喫茶コーナーへ休憩しに行くと、元支店の上司クーさんに出会う。そのテーブルには見知ら女の娘が2人居る。紹介してもらうと、前の支店の女の娘だとわかった。どうやらわたしが転出した2年後に入ってきた人らしい。

 帰り際、車で送ろうと申し出たが、先約があって断られた。