にしのサラリーマン時代

にしがサラリーマンで幸福のときを書いている。当時の知り合いや、子や孫たちに読んでもらいたい。

洲本大浜海岸

2012-08-18 23:49:06 | サラリーマン6年生
 8月17日、夏はやっぱり海だと、分解掃除を済ませたカメラを持って友と、洲本市の大浜海岸へやってきた。1968(S43).8月のこと。

 先週は琵琶湖で楽しんでる最中、カメラを琵琶湖に落とすなど、散々な目に合った。それを取り返そうと、洲本の大浜海岸へやってきた。やっぱり潮風はいい。夏はやっぱり海の方が楽しい。

 3年前まで勤めていた地域なので懐かしい場所だ。だが、護岸工事で海岸が変わっていた。工事を終えて間が無いのか、赤い山土が砂に混じっていた。

19680817
 ↑ 防波堤工事を終えたばかりの海岸。

19680818
 ↑ 三熊山に近づいていくと昔通りの大浜海岸が広がっていた。
 小学時代の遠足にはじまり、何度も来たところだ。来るたびに思い出が積み重なる。

 今回、支店や海の家へ寄らないつもりだったが、東京(銀座)へ転勤した元上司にばったりと出会う。とっさに、家族で来られていると思い、長い挨拶もせず、会釈だけで別れた。

 「たそがれの銀座」(唄:黒沢明とロス・プリモス)というムード歌謡が流行っていたときだった。


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カメラが琵琶湖の水中に潜る

2012-08-11 19:12:04 | サラリーマン6年生
 8月10日、土曜日の仕事を2時に終えてから、若人の会で琵琶湖へ泳ぎに行った。湖の家を予約してあったので、夕食まで大分時間がある。早速、水着に着かえて湖畔に向かう。すでに、ボート乗り場は、順番待ちで行列ができていた。時間待ちの間、写真を撮っているとボートの順番がきた。早速、乗ろうと、カメラ片手にボートに足をかけたら、ボートが傾き、ぼくは、カメラとともに水中に沈んだ。1968(S43).8.10のこと

 沈んだところは、背が立つところだったので、溺れはしなかった。気が付いたらカメラを手放していた。こりゃいかん、水の中だ。それに気づいて再び潜り、カメラを引き揚げた。うわー、えらいこっちゃ。中のフィルムも水に浸っていそう。そう思いながらフィルムを巻き戻し、カメラの水を拭き取った。

 汚れ水に使ったカメラは、分解掃除するまで使えない。誰かがそういうので、その後は撮影出来ず。カメラも心配だが、撮影済みのフィルムも心配だ。写真がだめになっていないか、そんなことばかり考えていたら、その後の記憶まで飛んでしまった。


1968081011
 ↑ 琵琶湖の水につかった写真。
 泥水に浸かった撮影済ネガでは、やはり画像が不鮮明だった。写っているボートは傾いたもの。

19680501天使の誘惑
 ↑ その夏は、この曲「天使の誘惑」
が流行っていた。そして年末にレコード大賞を受賞した。


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妹が入院

2012-08-08 23:49:09 | サラリーマン6年生
 8月7日、下の妹が須磨の眼科医院へ入院した。早速、会社から休暇をもらい見舞いに行くと、母が付き添っていた。妹は、手術を終えたばかりで、今は安静にしているのだという。下の妹が高一になり、夏休みに入った1968(S43).8.8のこと。

 それにしても部屋のなかは暑い。個室にクーラーが無いのが当たり前の時代。扇風機の持ち込みはOKだという。早速、買い求めて街に出る。

 電気屋さんの看板を探しながら、少し歩くと見つかった。だが、小さなお店なので在庫が無い。しかたなく陳列台の1台を、譲ってもらった。包装をせず、紐かけだけで持ち帰った。金8,000円也。


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再び若狭湾へ

2012-08-04 11:27:36 | サラリーマン6年生
 一週飛んで、また若狭湾へやってきた。今度はこじんまりと、豊中支店の有志とハワイアンのメンバーだけ。わたしは、先輩が借りてきた乗用車に便乗して、若狭湾まできた。湾岸沿いに走っていくと前方に、ぽっかりと穴が開いた岩が見えた。辺りは暗くて道に迷いそう。だが、ハンドルを握る先輩は、納得するように、もうすぐ着くはずとアクセルを踏んでいた。1968(S43).8.3~4のこと。

 民宿で一泊し、翌朝は借りた漁船でクルージングしたり、泳いだり。

19680804
 ↑ 浜には我々しかいない穴場だった。この写真が汚れているのは、この後で琵琶湖にカメラを落として、ネガが泥水に浸ったため。


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