にしのサラリーマン時代

にしがサラリーマンで幸福のときを書いている。当時の知り合いや、子や孫たちに読んでもらいたい。

電算学院修業見込み

2012-09-21 23:58:07 | サラリーマン6年生
 9月21日、早いもので、あれから半年過ぎた。半年前、清水の舞台から飛び降りる覚悟で月給の2カ月分を支払い、申し込んだ電子計算学院。受講料の元を取るには何としても、学んだことを活かすことだ。そんな思いから、昨年までお世話になった前尼崎支店長のT部さんに、相談しに大阪へ出向いた。1968(S43)年9月のこと。

 土曜日の勤務を終えて、大阪へ着いたときは夕方だった。「なんじゃ、相談とは」 企画調査部へ赴任されて近寄りがたい存在になられたその方、私がアルコールが苦手なことをご存知だった。

 新地の手前の喫茶店で、電子計算学院の修了見込みや、近い将来への希望を聞いてもらった。帰り際、「怖い(?)企画調査部長に、それとなく話してみるわ」と言っていただいた。

 怖いと言えばこんなことがあった。支店に、名前を名乗らない電話が架かってきた。わたしが受話器を取るといきなり、「支店長に代われ」と告げられた。「どちら様ですか?」と尋ねると、「ええから代われ」と繰り返す。傍で聞いていた課長が機転を利かせて支店長に、「企画調査部長から電話です」と伝えていた。

 後で聞くと、女の子でも電話口の声で判るのだと云う。わたしには判らなかった。恐持(こわも)ての企画調査部長は、俳優の「伊藤雄之助」に似た方で、わたしは入社したときから、気になっていた人だった。



記念の万年筆

2012-09-15 00:42:25 | サラリーマン6年生
 9月14日は第二土曜日で、半年に1回ある利盛り作業の日。担当外であっても女子社員たちは、自分の仕事を終えてから、作業を手伝っていた。女子社員でないわたしも、経験あるので少しだけ手伝った。でも後輩女子は手伝う気配がない。このままでは、仲間外れになるので、そうならないように、手伝いを指示した。1967(S43)年9月のこと。

 半年まえに転勤してきたばかりの娘。すんなり引き受けてもらえると思ったら、違った。課長が言っていた通り従順ではない。「そんな手伝いは、課長からするように聞いていない」 そう言って、帰りかけた。うわー、困った。日々のOJTを任されていたわたしの、面子が丸つぶれだ。

 なんとしてでも手伝ってもらいたい。追っかけたら、近くのバス停に立っていた。バスが来るまでに説得して、やっと戻ってもらった。

 席に戻っても、万年筆の先端でわたしの手のひらを刺すなど、ふざけた態度をとる。わたしも頭に血が上り、声を張り上げていた。我に返って手のひらを見ると血がにじんでいる。拭き取ってもインクは消えない。まるで刺青のようになった。

19680914
 ↑ 万年筆の先が刺さってできた、手のひらの刺青

19680827
 ↑ そのときの万年筆。インクカートリッジの寸法が最近のものと合わないが、スポイトでインクを補給すればまだ使える。関連会社から褒美にもらった万年筆なので、大事に使ってやるつもりだ。


「夕月」/黛ジュン(1968.9.10発売)
 ↑ このころ、「夕月」/黛ジュン
(1968.9.10発売)をラジオでよく耳にした。