洲本では、毎年、8月1日から3日間、淡路島まつりという夏祭りがある。大浜公園で打ち上げ花火があがり、人形浄瑠璃(じょうるり)や自動車ショーと合わせて、弁天境内では、多くの連が集まって阿波踊りに興じた。我らの支店も35人で連を結成して、踊りに参加した。
↑ 揃いのゆかたで、参加した洲本支店連。先頭ののぼり提灯につづいて女性陣。
男性陣は、そのあとに続いた。
↑ 女性陣につづく男性陣。
私は、阿波踊りは初めて。先輩の姿を見よう見まねで踊り始めた。手拭いで結ぶハチマキは、なぜかみんなと結び目が違う。
途中休憩の後、太鼓のたたき役を交代しようと申し込んだが、新米の私には任せられんと拒まれた。仕方なく、両手を頭上にあげて、手の位置、足の角度を気にしながら踊っていた。「・・・おなじ阿呆なら、おどりゃにゃ損々」と。
他の企業・団体の連も大勢で参加していたので、弁天境内から大浜付近は、人人人でにぎやかだった。
↑ 大浜の広場まで移動しての記念写真。(男性陣のみ)1964年8月1日のこと。
↑ 揃いのゆかたで、参加した洲本支店連。先頭ののぼり提灯につづいて女性陣。
男性陣は、そのあとに続いた。
↑ 女性陣につづく男性陣。
私は、阿波踊りは初めて。先輩の姿を見よう見まねで踊り始めた。手拭いで結ぶハチマキは、なぜかみんなと結び目が違う。
途中休憩の後、太鼓のたたき役を交代しようと申し込んだが、新米の私には任せられんと拒まれた。仕方なく、両手を頭上にあげて、手の位置、足の角度を気にしながら踊っていた。「・・・おなじ阿呆なら、おどりゃにゃ損々」と。
他の企業・団体の連も大勢で参加していたので、弁天境内から大浜付近は、人人人でにぎやかだった。
↑ 大浜の広場まで移動しての記念写真。(男性陣のみ)1964年8月1日のこと。