5月19日から22日まで、3泊4日で、海上自衛隊舞鶴教育隊の集団訓練を受けた。前年の新入社員教育で取り入れて、評判がよかったので、入社4年目になる我々までも、順番に招集されたのだ。1966(S41)年5月のこと。
19日の朝、半分づつに分けられた同期生が大阪駅に集まった。そこから東舞鶴まで列車で3時間。団体切符で乗車するとみんなは遠足気分になった。車中で食べよと配られたお茶と弁当、窓の景色を眺めながら食べると修学旅行を思い出した。
山陰本線を走って1時間半、連結車両の後部が分断されて、進行方向が二股に別れた。わたしたちが乗る後部車両はバックするよう動き出した。どうやら最後尾に蒸気機関車がつながったらしく、黒煙が窓から入り込んできた。あわてて窓を閉めたが懐かしい香りだ。高校図書館にあった石炭ストーブのにおいを思い出していた。
やっと東舞鶴駅に着いた。車に乗り替えて自衛隊に着いたら昼が過ぎていた。まず案内されたのは宿舎となる営舎。鉄パイプ製の2段ベッドがあり、各人の名前が付されていた。早速、自分のベッドを見つけて、班長の指導により、毛布・毛布カバー・シーツなど、自分でベッドメイキングを行う。ベッドの床は固く、手の感触からすると藁(わら)のようだったのでびっくりした。
宿泊準備を終えたあと、ロッカールームで白い制服に着替えてから訓練を見学、それから日課へ入った。
食事も日課のひとつ、全員そろって食べる。夕食後は入浴、国旗降下、営舎の清掃をする。日課が終わるのは夜8時か9時ごろになる。あとは自由時間となり、10:00丁度に消灯・就寝となる。
翌朝、6時5分前になると、「総員起こし5分前!」の号令がスピーカーから流れる。それに目を覚ますと次の号令を待ち、6:00丁度の号令で起床する。それからは、急いで枕・毛布を片付け、衣服を着用・靴を履いて、6:05までに表の広場へ駆け足で集まる。全員そろったところで体操して、1日がはじまった。
↑ なまった身体を整える体操。
はじめはラジオ体操程度のものだったのが徐々に厳しくなる。片腕で体重をささえる腕立て伏せは、かなりきつかった。
↑ 身体を動かした後の食事はうまい。
朝は、体操から掃除、それから食事の準備をみんなで分担する。
テーブルにご飯を運びおかずを運ぶ。味噌汁を配りお茶を入れ全員の用意ができたら、号令で一斉に食べ始める。
時計を見ながら、一所懸命食べた。
食べるとき、子供のころの父の話を思い出した。父は、昭和15年ごろ(徴兵制の時代)軍隊にいた。みんなで食事するとき、「おいしいものから先に食べる」という。それは、いつ・なん時に「出動命令」が出て、食事が中断するかわからない。そうなっても後悔しないよう、好物から先に食べるのだと。
↑ カッター(短艇)を漕ぐ訓練。
16人乗ったボート、左右2列に別れてオールを漕ぐ。2メートル以上あるオールは、一人で1本持つ。グリップ部分は太くて、にぎりにくいし、コツをつかむまでオールが機能しない。掛け声どおりにオールが動くようになったとき、ボートが順調に前進する。達成感をみんなと共有できたとき、手には豆ができていた。
↑ 営舎の清掃は日課のひとつ。
朝・夕行う清掃は、早く・美しく・丁寧にをモットーに全員で行なう。いやいややっていると、班長の目がひかり、叱咤がとぶ。みんな、それなりに真剣になった。
今回の訓練で、組織の基本である規律・連帯責任、団体の中での協調性や思いやりの重要性を十分認識させられた。身近な例として「5分前主義」がある。約束の時間丁度に集まるのではなく、5分前に集まる。これなどは、時間にルーズな私にはいい教訓だった。