今週の法話

法華宗北海寺住職-二王院観成による仏教用語と法話集です。毎週水曜日に更新いたします。

日本国債格下げ対策を急げ

2011-01-28 08:45:48 | 貨幣経済
 日本の長期国債の格付けが「ダブルA」から「ダブルAマイナス」に
1段階引き下げた、と米格付け会社のスタンダ-ド・アンド・ブア-ズ
社が発表した。その理由は、財政状況の深刻さと経済成長見通しの弱さ
を挙げているという。
 たしかに経済状況が上向く資料はない。財源不足の一方で児童手当や
高速道路の無料化など選挙対策としか思えない政策が先行している。ち
ぐはぐな状況と云えよう。ここで問題なのは、どうしても解決しなけれ
ばならない一つとして学校給食費問題がある。支払う親と支払わない親
がいる。これは不条理なことである。正直者が馬鹿をみるようではおか
しい。児童手当の前に、学校給食費を無料とすべきではなかろうか。し
たがって、今どうしてもしなければならないことと、しなくとも良いこ
とを判別する必要がある。また、経済状況が悪化している現状から、国
民から我慢してもらわなければならないことは、正直に国民に訴えて耐
えてもらうことも必要ではなかろうか。それが経済運営の智慧である。
 また、どうしてもしなければならない一つとして首都機能移転問題が
ある。かってブラジルは経済状態が良くない状況下でリオデジャネイロ
からブラジリアへ首都移転している。1960年のことである。やろう
と思えばやれるのである。さらにロシアではサンクトペテルブルグ(レ
ニングラ-ド)からモスクワに遷都している。1918年のことである。
首都機能移転は、前にも何度も書いたように、どうしてもしなければな
らないことである。そのためには無駄をはぶき、国民に辛抱してもらわ
なければならないことは正直に訴えるべきである。それが智慧である。
移転が具体化すれば、雇用は増大し、雇用条件も良くなり、民間会社も
体力がつき、税収も増大することになる。経済的に自立できないでいる
契約社員も自立できるようになるだろう。「雇用、雇用」と叫ぶだけで
は問題解決とはならない。具体的に問題提起して取り組んでこそ、真の
政権政党となるだろう(読売新聞、北海道新聞。参照)。

「国家と宗教」(読売新聞)に反論する

2011-01-17 08:38:38 | 宗教
 1月17日読売新聞(朝刊)に「国家と宗教」(パスク・ヤポニカ)なる一文が
掲載された。宗教評論家なる人物が書いたものである。日本の歴史上の平和な時代
だとする平安と江戸時代を見習い、世界に発信すべきだ、と説いている。しかし、
その中で事実誤認を含む見逃すことのできない事項がある。順を追って書くと、「
イギリスは長期にわたる植民地支配と、異民族との熾烈な抗争を経験しているが、
日本はそうではなかった」、「平安時代には、死刑は法的に存在したけれども実行
に移されることはなかった」、「神仏共存のシステム・・・を世界に向けて発信し
ていく段階にきているのではないだろうか」という三点に問題がある。
 第一点の、「イギリスは長期にわたる植民地支配と、異民族との熾烈な抗争を経
験しているが、日本はそうではなかった」というのは明確な事実誤認である。日本
も中国や朝鮮半島を始めとする東アジアの諸国を植民地化して凶悪な暴力主義で制
圧してきたのは周知の事実である。
 第二点の、「「平安時代には、死刑は法的に存在したけれども実行に移されるこ
とはなかった」というのも事実誤認である。「神亀二年(725)12月、聖武天
皇は一時的に死刑廃止の詔を下された。次いで嵯峨天皇は弘仁九年(818)の宣
旨をもって律を改正し、死刑を廃止した。以来348年間わが国から死刑という刑
罰は消えた」(『地球成仏』165頁参照)。このように、死刑という制度そのも
のが消えたのである。平和志向の善政が平和をもたらし、絢爛たる平安文化をもた
らせた要因の一つといえよう。一方、江戸時代も平和だったと云っても、厳罰主義
による平和の維持という点を見逃すことはできない。基本的には殺伐とした不条理
な点があったのも事実である。平安時代の平和な世界とは異質なものである。
 第三点の、「神仏共存のシステムと象徴天皇の統治システムを世界に向けて発信
していく段階にきているのではないだろうか」という点も問題多き提言である。「
神仏共存」と「象徴天皇の統治システム」を同一に論ずるのは適当ではない。場合
によっては天皇の存在そのものを危ぶましむるものであり、賛成できない。「神
仏共存」と一口にいっても太平洋戦争に走らせたのは国家神道という間違った統治
システムにも重大な一因がある。その問題点はいまだに未解決である。簡単に神仏
共存と割り切れない問題点の最重要課題は靖国問題がある。仏教界の多くは国家の
犠牲者となった戦没者の慰霊施設そのものを否定しているのではない。神道といっ
た一つの宗教による間違った合祀方法を改め、諸外国からも納得される施設を新設
すべきだと主張しているのである。その好例としてアメリカのア-リントン墓地が
ある。見習うべきである。先の大戦の推進力の一つとなった靖国神社と国家神道の
戦争責任は解明されないままである。野僧の経験上から云うと、ハワイからの帰途
の飛行機で4・5人の中国人と飛行機後部の喫煙場所で会ったことがある。その際、
中国人の一人は野僧に聞いてきた。「日本の神社をどう思うか」、と聞かれた。「
私は仏教徒なので、神社は好きでない」と答えると、嬉しそうに中国人達は笑顔に
なった。やはり戦争と神道の関係を深く中国の人達は思っているのだな、と直感的
に思い知らされたものである。もしも「神仏共存」と「象徴天皇の統治システム」
を同時に世界に発信すれば、中国や韓国などの反発を招くのは確実である。軽々に
発言するのは大いなる過ちを招きかねない。また、「神仏共存」を主張するのは宗
教間、宗派間の軋轢をなく、平和に向かうことを意図しているものと思われる。そ
れは一理あるが、それ以上に危険性をはらんでいることも認識すべきだと思われる。

他力信仰は仏教に非ず

2011-01-12 15:15:34 | 仏教
 ブッダは自身の死を悟り、最後の教えを説いている。
「ア-ナンダよ、私は法をすべて裏表の区別なくそっくり教えて
きた。私の法には秘密はない。私はこれまでも教団を統率してき
たつもりはない。今さら教団に向かってあらためて指図を与える
必要はない。私は八十才の高齢に達し、私の体はボロ車のように
がたぴし動いているだけだ。『ア-ナンダよ、汝たちは自分自身
を灯明とし、自分自身をよりどころとせよ。法を灯明とし、法を
よりどころとせよ』」というのがブッダの遺言である。これを「
自灯明(じとうみょう)、法灯明(ほうとうみょう)」、という。
(長阿含経)
 「自分が愛(いとお)しいと思うならば、自分自身で自分をよ
く守れ」(法句経)とも説いている。
 さらに「多く悪名を聞くといえども、苦行者はこれを忍ぶ。苦
しいからといって自害すべからず」(雑阿含経)
 これらの教えは、あくまでも自分の精進(努力)によって道を
切り開いて人生を歩めというブッダの基本的な教えである。ブッ
ダの教えのどこを探しても「他力」という考え方は出てこない。
ブッダの流れをくむ仏教教団の僧侶だからといって、ブッダの教
えと正反対のことを説いている具体的な例である。だから「ブッ
ダに帰れ」と云われるのである。第一、大乗仏教はおかしい。「
神」と同じような教えを説くことを自覚しながら矛盾性や欺瞞性
を無視し続ける態度は仏教徒とは云えない。仏教と関係のない外
道であると云わざるを得ない。南方仏教では歴史上のブッダとい
う一仏だけである。法華経の「久遠実成の仏」とは、歴史上のブ
ッダを哲学的に深化させたものであって、「神」のような同義語
的な仏ではない。「神」的ないろんな「仏」をとくのはブッダを
冒涜するものである。第一、絶対的な神を否定して立ち上げたの
がブッダであるということを忘れてはならない。
 それにつけても、ヴァン・クライバ-ン・コンク-ルで優勝し
た辻井伸行氏について、ホストとして同居して迎え入れた家族の
奥さんは云っている。「たまには気分転換に泳ぎに行きませんか
」とさそっても、「練習、練習」と云って辻井氏は断ったという。
辻井氏にとって練習するのが最高の楽しみなのであろう。これま
で練習を積み上げてきた結果として、同コンク-ルで辻井氏が演
奏したショパンの「ピアノ協奏曲第一番」を聞いた審査員の一人
は云っている。「彼を深く崇敬しています。なぜなら神様は目を
奪いましたが、ピアノで偉業を成すべく身心を賦与した。しかも
ショパンの協奏曲をあれほど甘美で優しく心揺さぶる誠実さで弾
ける。私は涙を抑えきれず外にでました」。また辻井氏と共演し
たフォ-トワ-ス管弦楽団の指揮者ジェ-ムズ・コンロン氏は「
言葉の壁も、視力の壁もありますが、壁は崩れるためにあるって
ことだね」と云っている。多くの音楽家の指導と協力があったと
はいえ、第一番の功労者は辻井氏自身である。
 野球のイチロ-氏とて同じことである。自分自身の努力によっ
て今日を築いたのであって、自分の努力なくして他の力によって
今日があるのではない。

 「NOBUYUKI TSUJII IN 13th Van
Cliburn international Piano 
Competition」参照。

二人の天才、辻井信行氏とイチロ-氏。

2011-01-03 06:21:06 | 人間の尊厳
 謹賀新年 

「よく説くも聞かずんば王師(王の軍隊)もて討伐す」、「敵に剋(か)ちて勝ち
 を制す。つとめは人を安んずるにあり」(侵略者に対する心がまえ)
                           (ブッダ・四十華厳)
 皆さまのご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。

   平成23年元旦
                           二王院観成 合掌


 この年末年始は楽しかった。12月31日には、BS朝日は「世界の辻井伸行
『奇跡のピアニスト』」と、1月1日、「辻井伸行リサイタル」を放映した。一
方、NHK衛星第一は、1月1日「イチロ-、2244安打、全部見せます」と、
「イチロ-特別対談『僕の歩んだ道』」が放映されたからである。すべて録画し
た。この二人の天才話しは感動的なものである。しかし、同じ天才でもその内容
は対照的なものだった。天才といっても、日ごろの練習や心がまえが基本にある
点は二人とも同じである。
 まず辻井氏であるが、TV朝日が11年追跡録画したものである。敬意を表せ
ざるを得ない。2009年6月のヴァン・クライバ-ン国際ピアノ・コンク-ル
で辻井氏が優勝したときNHKがその内容などを放映したのである程度は知って
いた。ヴァン・クライバ-ン氏は「伝説のピアニスト」といわれているそうであ
る。最終選考ではオ-ケストラをバックに演奏しなければならない。したがって
いろんな経験が重要なようである。辻井氏が天才と思われる映像があった。辻井
氏が2才3ケ月のとき、おもちゃのピアノで「おもちゃのチャチャチャ」を突然
弾いた。母親がいつも歌っていたのを聞いて覚えたようである。また、母親らが
ピアノの弾き方を教えたわけではないという。それも両手で演奏している。右手
でメロディ、左手で和音をかなでている。これは普通の幼児ではできないことで
ある。それも辻井氏は先天的な盲目の身である。感動的な一瞬である。それが辻
井氏とピアノの出会いだった。野僧はクラシック音楽にはうとい方であるが、そ
れだけに興味津々たるものがある。辻井氏が今日あるのは、両親をはじめ、幾多
の音楽家の協力と助力の賜物であろう。何よりも東京音大講師の川上昌裕氏の指
導が光る。楽譜を見れない辻井氏に、自分で演奏したテ-プを聞かせ、右手と左
手を別々に教え、そのあとで両手で弾かせる練習を徹底した。その教え方が良か
ったようである。12年間、川上氏は指導している。辻井氏は8才のとき、モス
クワでトロイカを演奏したことがある。その音を聞いて感動したモスクワ音楽院
のカステルスキ-教授は、来日したとき辻井氏に個人指導している。帰り際に、
「辻井氏の音と心が美しい。世界最高のピアニストになるだろう」と言い残して
いる。まさに今日の辻井氏を見通しているかのような発言である。同教授は作曲
家の三枝成障氏に辻井氏のたぐいまれな資質を話した。三枝氏は辻井氏の演奏を
聴いて感嘆、その後、サントリ-ホ-ルなどでリサイタルを開催して経験を深め
させた。また、ベルリン・ドイツ交響楽団の指揮者、佐渡裕氏はオ-ケストラと
共演させている。「音楽の神様が本当に彼を守っているようだ。楽譜は二次元の
世界。作曲者はもっと複雑な感情の世界。彼は直でその世界につながっているよ
うだ」とも云っている。また指揮者の広上淳一氏は「彼の宇宙というか第四次元
というか、私たちにはなかなか感じ取ることのできない宇宙と交信しながら弾い
ている」と絶賛している。ヴァン・クライバ-ン氏は「彼にはあっと云わせるテ
クニックがある」、「彼は奇跡のピアニストだ」と云っている。辻井氏は、すば
らしい聴力があるという。メロディは勿論のこと、複雑な和音でも一度聞けばわ
かるという。また記憶力も抜群で、CDを一度聞けばすべて暗記するという。さ
らに川上氏は「彼は壁にぶち当たることはないだろう」と云う。難解な練習や曲
でも、すべてクリアしてきているからだという。ピアニストの河合優子氏は、「
頭脳の楽譜、響きという音像、たくまい機能をとらえ、脳の中でそれと同等の方
法を確立している。精密さ、脳の正確さはたぐいまれな才能だと思う。それは地
道な練習によるものだろう。その完成度と表現力は苦労を苦労と思わない、頭に
入れる作業を心から喜びをもって日々やっているからだろう」と絶賛している。
今後の活躍と進化が楽しみである。
 次にイチロ-氏であるが、200本安打を10年連続記録した。前人未踏の快
挙である。それ以外にもいろんな記録を書き換えておりまさに天才である。殿堂
入りは確実である。しかし、野球もこれでよし、ということはないだろう。イチ
ロ-は45才ぐらいまでブレ-できるだろう。まだ37才だからあと8年はある。
フアンの一人として期待していることがある。4割を打ったら引退してほしい、
と思っている。惜しまれて引退すること以上の快感はないはずである。素人判断
であるが、2ストライクの後は三振しければ4割打てるのではなかろうか。三振
しない特殊技術はイチロ-ならマスタ-できるはずだ、と思っている。たしかに
まっすぐのボ-ルでも、手元でアップしたり、落ちたり、横や斜めにカ-ブする
ことがあるだろう。それを見極めるのは困難なことだと思う。しかし、それに挑
戦してみるのも快感の一つではなかろうか。未知への挑戦である。自己との戦い
でもある。
 ところで同じ天才でもイチロ-選手と辻井氏でははっきりした違いがある。チ
-ムの一員と、個人という存在そのものの違いである。辻井氏はマイペ-スです
む。極端な云い方をすれば一人で楽しみながら進化できる。それに対しイチロ-
選手は集団の中の一人であるから不必要と思われるような気遣いがある。イチロ
-選手は余りにも気を使いすぎる傾向にある。そんなことで労力を費やす必要は
まったくない。「柳に風」の心境で対処すればいい。他人がどう思おうが、悩ん
だり、自己嫌悪におちいる必要はない。他人に迷惑をかけたり、法律に違反しな
ければ、それでいいのである。同僚をはじめ、他人の悪口さえ云わなければいい。
それを仏教では「即身成仏」という。たとえスランプにおちて、ヤジられても気
にすることはない。もっと太っ腹な気構えでいるべきだと考える。
 イチロ-選手も、辻井伸行氏も頑張ってもらいたい。今後の活躍が楽しみであ
る。