今週の法話

法華宗北海寺住職-二王院観成による仏教用語と法話集です。毎週水曜日に更新いたします。

NHKは森本アナを謹慎処分に!

2012-11-18 05:37:42 | 宗教と罪悪感

 15日、NHKの森本アナ(47)が強制わいせつ容疑で逮捕

された。同日、昼ごろまで勤務したあと、同僚と食事をしたとい

う。相当に泥酔していたようである。帰宅途中の車内の女性

(23)の胸を触ったということである。

 男性から女性を見ると、魅力的な存在である。特に泥酔して

いるときは、なおさらそう感ずるものである。被害にあわれた女

性は、さぞかし美人だったのであろう。しかし、泥酔していたと

はいえ森本アナの行為は許されないことである。迷惑をかけた

女性に、真摯に森本アナは謝罪すべきである。

 仏教の罪悪感は、誰もが犯罪者になる可能性を説いている。

人間には10の精神的なレベルがある。①地獄(殺人などを悪

と思わない心)、②餓鬼(食物や名誉などを追い求める心)、

③畜生(本能だけで行動する心)、④修羅(自分のエゴから出た

争う心)、⑤人間(あまり悪いこともしないが、特別に良いこともし

ない人並みの心)、⑥天上(てんじょう。人生の成功者の心)、

⑦声聞(しょうもん。現実的な価値観から精神的に一歩抜き出

た人の心)、⑧縁覚(一人で悟りを開いたが、人に説こうとしな

い心)、⑨菩薩(自分のことよりも、他人のためになろうとする心)、

⑩仏(最高の精神段階に達した人の心)のことである。この10

の心は誰もが持っている。したがって、どの心がいつ、どこで出

るのかわからないと説かれている。さらに二つ、三つの心がミッ

クスされて出る場合がある。普段、おとなしい人でも、突如として

殺人鬼になる場合もある。また、凶暴な性格の人でも、自分の子

供にだけは仏のように接する人もいる。いずれにしても、人間は

すべて十重人格者なのである。まさに、人は山頂を歩いている

ようなものである。風の吹く方向しだいでどこにころがり落ちるか

わからないのである。このように、いかなる人でも弱い存在なの

だ、とブッダは説いている。

  森本アナは酒によって畜生の心が出たのであろう。森本アナ

も普通の弱い人なのである。

 森本アナはさわやかな語り口と容姿で、NHKの中でも人気アナ

の一人であろう。「ニュースキャスター」、「昼のプレゼント」など経

験豊富な一番充成熟したアナウンサーである。今ここで森本アナ

を失うのは、あまりにも残念なことである。

 NHKは、森本アナを局内務めとして一年間は謹慎させるべきで

はなかろうか。

 森本アナは、どんな宗教、宗派かわからないが、野僧からいわせ

ていただければ、耐えられなくなったとき、御題目を心の中で唱え、

罪障消滅を祈念すべきだと考える。それは宗教、宗派に関係ない

ことである。それと同時に被害女性に真摯に謝罪すべきである。

 NHKに対しては、寛大な処置をしていただくことを、お願いしたい。 


殺人の時効「撤廃」を

2009-05-09 04:04:40 | 宗教と罪悪感
 殺人の時効が今夏最大の話題になりそうである。法務省
が今年1月、殺人の時効の見直しの勉強会を作り、夏に結
論を出す方向で議論を進めているからである。
 殺人事件の時効は15年であるが、これまでも殺人事件
の時効に疑問を呈する議論はあった。特に、被害者の遺族
から「逃げ得」は絶対に「許せない」という強い思いがあ
る。最愛の肉親などを失った遺族の心情は、誰しも納得で
きることである。むしろ遺族の思いを否定することは不可
能なことである。
 その遺族の思いを実現した損害賠償事件に対する最高裁
の判決が先月の4月28日にあったのは記憶に新しいこと
である。1978年に東京足立区立小の女性教諭・石川千
代子さん(当時29才)を殺害して自宅の床下に埋め、殺
人罪の時効の成立した2004年に自首した元警備員の男
(73)に遺族である弟の憲さんが損害賠償を求めたもの
である。最高裁は4255万円の支払いを命じた2審・東
京高裁の判決を支持し、確定した。提訴してから4年が経
っている。これまでに犯人からの謝罪はなく、「逃げ得を
許すような法律に正義はない」、と憲さんは今後、除斥期
間や時効を見直す活動に参加する考えだと報じられている。
(読売新聞、北海道新聞参照)
 この最高裁の判決などからしても、殺人罪の時効が撤廃
される方向に行くものと推察される。米国は殺人罪の時効
はなく、「逃がさない」、「我々は決してあきらめない」
と遺族と犯人に強いメッセージを発している。特にDNA鑑
定の急速な進歩で、難事件に対しても成果をあげていると
いう。たとえば、22年前に発生して未解決だった刺殺事
件で、事件現場付近で見つかった上着をDNA鑑定したとこ
ろ、被害者と加害者の両者のDNAが検出され、真犯人が逮
捕された。このようにDNA鑑定が捜査技術を向上させ、迷
宮入りした殺人事件を専門に扱う「未解決事件(コール
ドケース)捜査班」が米国各地に相次いで設置されている
と報じられている。元連邦地検検事でロヨラ法科大学のロ
ーリー・レビンソン教授は「DNAは有力な証拠になる。
凶悪事件の犯人は時効で許すべきではない」と語る。米国
の50州のうち33州は殺人以外の放火などでも時効を認
めていない。(読売新聞。5月7日朝刊参照)
 それにしても平和好きの日本で死刑存置派が世論調査で
多数を占めるのは意外なことである。その原因を考えると、
刑期を終えて出所すると、再び凶悪事件を起こされてはか
なわない、という思いが強いようである。しかし、一生、
刑務所から出られないというふうに刑法改正すれば解決で
きる問題である。また、時効の撤廃も死刑の存廃論議に進
展し、廃止論に傾注する一助になるのかもしれないと期待
している。
 ところで、死刑は公務員による残虐な刑罰を禁止してい
る憲法との規定(36条)との関係で問題となったことが
ある。其のとき最高裁は、絞首刑は残虐な刑罰ではないと
いう判断を下したことがある。しかし、国連の死刑廃止国
条約の関係もあり、批准など今後の課題の一つでもある。
 ブッダは、「悪人を変化し治めて、みな仏道に向わしむ」
として教育刑の立場をとっている。また、「たとえ極悪人
に対しても、利益をなそうとする心を起こすべし」と寛刑
主義を説いている。しかし、時効にたいする具体的な内容
は説かれていないと思われる。現在のところ、それに類す
る仏典は見いだせないからである。

広島女児殺害事件と宗教の罪悪感

2005-12-04 23:14:56 | 宗教と罪悪感
 広島市の小学1年生の木下あいりちゃんが殺害
されるという残忍な事件が発生した。あいりちゃ
んのご冥福を祈るのみである。
 逮捕されたペルー人のピサロ・ヤギ・ファン・
カルロス容疑者は、接見した弁護士に「悪魔が自
分の中に入ってきて体を動かした」と話したいう
表現が注目されている。
 「悪魔が自分に入ってきて体を動かした。出て
いかず、そのままにした。当時、神様にお祈りを
していなかった。気が違ったようにいつもと違う
行動を取った。これまで否認していたのは悪魔が
やったこと。隠さないといけないと、悪魔がいっ
た」、このようにピサロ容疑者は話したという。
 これに対し、読売新聞は「理解しがたい部分」
とコメントしている。犯罪は自己責任、因果応報
という仏教的な社会に住んでいる人にとっては当
然理解できない疑問である。
 実は、キリスト教徒にとって、罪悪感の典型的
な根本認識なのである。「新約聖書」の「マタイ
の福音書、7」を読めばすぐに分かる。
 「主よ。主よ。私たちはあなたの名によって預
言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あ
なたの名によって奇跡をたくさん行ったではあり
ませんか」、という記述がある。悪魔が自分の中
に入って体を動かした」。すなわち、すべての罪
悪は悪霊がしたことで、自分がしたことではない。
奇跡(善いこと)を行ったのは、主(神)がした
ことである、という道徳観はキリスト教の基本的
な考え方である。この点について、公判でどのよ
うに評価されるのか注目される。
 また、同章には、「イエスは言葉をもって霊(
悪霊)を追い出し、また病気の人々をお直しになっ
た」との記述もある。
 さらに、「悪霊どもはイエスに願ってこういった。
もし私達を追い出そうとされるのでしたら、どうか
豚の群れの中にやってください。イエスは彼らに『
行け』といわれた。すると、彼らは出て行って豚に
はいった」という記述もある。これはイスラム教に
大きな教訓を与えて今日にいたっている。イスラム
教徒が豚肉を食べないのは、ここに根拠がある。豚
は汚れた動物である、という考え方は豚に対する差
別である。ブッダは、すべての生きとし生きるもの
に慈悲を与えることを説いているのとは対照的であ
る。
 一方、「豚に真珠」という言葉も、「マタイの福
音書、6」が根拠となっている。「聖なるものを犬
に与えてはなりません。また豚の前に、真珠を投げ
てはなりません」という記述である。
 このように、残忍な殺人も、悪霊がしたことであ
って、自分に責任はない、という歪んだ価値観のも
ととなっている。こんな考え方では安全な社会も世
界平和も築けないことを有神論の宗教信者は理解す
べきである。凶悪犯罪の発生率は、仏教信者の多い
国よりも、有神論主流の国々では多発しているとい
われている。
 また最近、栃木県の小学1年生の吉田有希ちゃん
が殺害された。ご冥福を祈らずにはいられない。日
本人も心が歪んできている。怒りのやり場のないこ
とに無念の思いがする。「殺すな」というブッダの
言葉を、再度思い出してほしい。
 「日蓮泣かねど、涙ひまなし」の心境である。