李白の白髪  仁目子


白髪三千丈
愁いに縁りて  箇の似く 長(ふえ)た
知らず 明鏡の裡(うち)
何処より 秋霜を得たるか

 【 「 チ ョ レ イ 」  と は 漢 方 薬 の 事 ? 】

2018-03-20 17:55:14 | Weblog

  ーー 坊 主 憎 け り ゃ   袈 裟 ま で 憎 い  ーー

 

列島で流行りの剣道や空手試合は、気合や掛け声が終始怒号のように飛び交うが、「うるさい」 と苦情を言う人は居ない。 テニスのマリア シャラボウア はボールを打つ度に大声を出す。 女性テニスで、このような大声を出すのは彼女だけ。それも打つ度に叫 ( わめ) くものだから、「うるさい」という 観衆の苦情が少なからず居るが、日本人は苦情を言わない。 訳は至極単純で、日本男性は、シャラボア にぞっこんだから、 「痘痕もえくぼに見える」為である。

 

剣道も空手も、そして、シャラボアも、手を出す度に 「奇声」を発する。卓球の張本は、得点をした時に限り「奇声」を発する。 「うるさい」の度合から言うと、張本の方は そんなに「うるさい」ことも無い。 が、彼だけに日本人の苦情が集中している。

ということは、「チョレイ」という掛け声が五月蝿いのでは無しに、他に訳があることがはっきりしている。

 

張本に関するウエブ記事を見ると、先ず「中国人」という文句が最初に出て、次に「チョレイ」が続き、締めくくりは 「嫌い」、という具合いになるのが 大体、定式になっている。

これで、簡単に分かるが、両親が「中国人」なので、彼は「嫌い」という「嫌中」感情が原点であり、「チョレイ」が五月蝿いというのは、原点を避けた「言い分」に過ぎない。

 

列島の諺 坊主憎けりゃ 袈裟まで憎い 』に当てはめれば、非常に分かり易い。

つまり、「中国」が坊主であり、 「チョレイ」は 「袈裟」で、本来なら、憎まれるべき対象でないのに、八つ当たりのような気分で、憎まれるようになったもの。

八つ当たりであっても、憎むに値いするような、らしきこじつけというのが必要で、「五月蝿い」からというのがその主なこじつけにされ、次に、相手を馬鹿にしているというのが続く。

 

中には、「嫌中」の度合いがかなり濃厚な者も居るようで、「チョレイは、猪の糞である」のに、相手の居る試合で、そのような文句を口にするのは、誠に無礼千万、だから 張本は「嫌い」という極論、曲論まである。

 

何故、「チョレイ」が「猪の糞」になるか、その訳を知ろうとするなら、話を「卓球」から 「漢方薬」に移さなければならない。

 

漢方薬に「猪苓」という、利尿・解熱・止渇薬などに用いる薬がある。日本語で「ちょれい」と読む為に、「チョレイ」にこじつけたものであるが、大変なこじつけである。

 

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説によると、ちょれい / 猪苓 とは;

   担子菌類、サルノコシカケ目サルノコシカケ科に属するチョ  

   レイマイタケGrifola umbellata (Fr.) Piltが地下につく

   る菌核をいう。猪苓(ちょれい)とは、イノシシの糞(ふん)

   を意味する中国語で、形が似ていることからつけられた。

   日本でも、岩手県の南部地方では、古くからオニノカナク

   ソとよんでいる。


という具合いになっていて、菌核の形が猪の糞に似ていることから、猪の糞を意味する 「猪苓」という名を付けたもので、 猪の糞 そのものではない。

 

「こじつけ( 故実け) の意味は、辞書の説明によると、

  『意義素類語無理につじつまを合わせようとすること理屈を

   並べる屁理屈を並べる理屈をこねる屁理屈をこね

   るこじつけを言う屁理屈を言う詭弁を弄する白を

   黒と言いくるめる』


という事で、糞に形が似ているものを、糞そのものだと言い替えるのは、勿論こじつけであり、しかも大変なこじつけである。

 

事は卓球の試合である。そこまで大変なこじつけまでして、「嫌中」の煽動をする必要がどこにあるのかと思う。日の丸を背負って「打倒中国」を期待している張本を嫌う、ならば、何をして貰いたいのだどうか

 

最後に、『ゆとり卓球世代』の記事 『 張本智和のチョレイの意味!』を下記に引用して、本文の締めくくりとしたい

 

 卓球をやっている人ならばチョレイの意味がわかるかと思いま

 すが、卓球をやっていない人からするとチョレイの意味がわか

 らないはず。チョレイという叫び声には意味がなく、試合中に

 自分の気分を高める為に出しているもの。福原愛選手を例に出

 すとわかりやすいと思うのですが、福原愛選手は「サー!!」

 と声を出しますよね?張本智和選手の場合は「サー!!」では

 なく、「チョレイ!!」と声を出しているだけなんです。

 

 卓球選手は人によって叫び声が様々。「サー!!」とか「チョ

 レイ!!」以外にも「よっし!!」とか「ッシャー!!」とか

 色々あります。得点をした時に声を出すことで、自分の気持ち

 が高まり、プレイに勢いがついたりします。声を出すことでよ

 いプレイが出来る傾向にあるということ。

 

 ただ、張本智和選手は意識してチョレイと言っているわけでは

 なく、自然に喜んだ時の叫び声がチョレイとまわりから聞こえ

 るだけ。自分が得点した時に自然に出る声は人それぞれですの

 で、たくさんの叫び声の種類があることでしょう。

  ちなみに自分は「よう!」とか「ッシャ!」とか言ったりしま

 すよ


【 卓 球 張 本 智 和 の ジ レ ン マ  】

2018-03-14 16:16:33 | Weblog

      ーー   フグは食いたし 命は惜しい (dilemma)

               江戸の敵を 長崎で討つ  (欺瞞による安慰)  ーー

 

今、日本卓球界の寵児である 張本 智和に関する記事が ウエブに、「卓球  張本 智和」 の標題で出ていて、 記事は 108060 件ある。その記事に、 「張本  中国人」 「張本 チョレイ 張本 嫌い」 という三つの見出しが付いていて、記事件数が、 本体記事より多く、それぞれ、 281000 件 188000 件 224000 件ある。

 

張本は 日の丸を背負って、中国相手に戦っている卓球選手。「打倒中国」を悲願にしている日本で、その悲願達成がもっとも期待出来る選手であるが、両親が中国人である為、大変な Dilemma ( 板ばさみ) に陥ち入っている。

 

「フグは食いたし、命は惜しい」という Dilemma の列島諺で説明すると、張本に中国を打倒して貰うのは 「食いたい フグ」であり、 そうなれば、日本の体面や誇りを失うから 「命は惜しい」という事で、張本を応援する日本人が多くおれば、逆に 張本嫌いだという 日本人も多くいる、d i l e m m a を列島は抱えている。

 

このような列島の実情に対し、張本の父祖の地中国人の反応はどうか、ウエブで、『ゆとり世代卓球部』が調べた資料を公開しているので、引用する。

 

《《 中国の反応  》》

 ・中国人は彼を日本人だと思っている!しかし、日本人は彼を

 中国人だと思っているよ。

・中国人だから卓球が上手いと思ってるの?中国の環境が卓球

 を上手くさせるんだよ。彼は今後苦労するだろう。

・日本で生まれてるから日本人でしょ?中国と何か関係あるの?

・東京五輪では俺たち中国がお前を負かす!

・中国には天才卓球少年がいっぱいいる。もし中国だったら彼

 は日の目を見ないまま終わるな。

・卓球で生きるならやはり中国!他国ではスポンサー付けるの

 すら難しい。

・自分の夢のために祖国と民族を裏切るなんて意味あるの?

・こうやって人材が流出していくのか。

・中国では代表入りはできないレベルかな。

・金メダル獲ってみろ。祖国に挑んでこい。

 

読んでみて、総じて、冷静で、卓球という競技に徹した反応であり、列島のような「嫌い」という声は全く見えない。

 

張本は、日本選手権で水谷を下し優勝した時、水谷と握手せず、コーチである父親に駆け寄って抱き合った事で、叩かれている。ダビンチの名言「物事は見ようでどうにも変わる」を借りて、考えてみる。

米国日系人の M i r a i N a g a s u は、平昌冬季 O l y m p i c 女子フィギュア 団体の一員として 、星条旗を背負って 銀メダルを勝ち取った。彼女は、二十四歳の成年だったが、記者会見で、迂闊にも、優勝は、自分が最大功労者である、というような発言をして、米国の媒体に非難された。しかし、彼女が日系人だから 「嫌い」だという声は皆無であった。

張本が選手権で優勝した時は、まだ十四歳の未成年者であり、未来長洲よりも十歳若い。まだ子供とも言える その若さで、数多くの経験豊富な大人選手を退け、全国選手権で優勝する事は殆んど信じ難い事である。十四歳の張本が勝った瞬間の 喜びが如何に大であったか、 計る術もない程のものであったのは容易に想像出来る。 大の大人でも気が顛倒しかねない、況して、弱年の子供。

 

筆者は、競技運動が好きだから、米国の You Tube で実況放送を楽しみ、卓球の国際試合を良く見るが、張本は他の選手同様、試合後は、相手選手と必ず握手していた。 それが、ただの一回、選手権優勝で喜びに気が顛倒し、握手を忘れてしまった。そのただ一回の粗忽を取り上げ、列島の媒体は、張本 叩きに躍起となっている。 そのただ一回の粗忽が 十四歳の日本人であったなら、日本の媒体は叩くどころか、その喜びを分かち合い、粗忽に惜しみなく了解を示すのは間違いない。 張本だから叩く、何と、大人げない事だろう。

 

「江戸の敵を 長崎で討つ」という列島の諺は、このような 「大人げない」列島の M e n t a l i t y ( 意識 信条) 誠に旨く表現して呉れている。

決勝で水谷を下した張本は多くの日本人に取っては 間違いなく 「江戸の敵」である。 「江戸」である卓球で、張本を打ち負かす事が叶わぬなら、「長崎」という 粗探しで 張本に嫌がらせして 仇を討つしかない。これは、極めて列島独特の、伝統的な 「自己欺瞞」に頼る 「自己安慰」の手段であるのは、衆知の通りである。

 

張本智和 未来 長洲は、同じ境遇の選手で 共に、祖国ではなしに、生まれ育った国の旗を背負って、祖国相手に戦っている。同じ境遇ながら、長洲 張本よりずっと 幸せである。張本の卓球実力からすれば、彼は米国で トップ 選手に成れるし、重宝がられる事は間違い無い。何にもまして、嫌がらせや嫌われる事はない。

 

第三者の立場から、そこで思うのだが、日の丸を背負って貰いたいなら、張本を大事にして、嫌がらせを止めるべきであろう。差別排外を最優先の誇りとするから、それが出来ないというのであれば、張本に、日の丸を背負せないようにすればよいではないか。

打倒中国をして貰いたいのに、彼の足を引っ張ってばかりしている。 余りにも、虫の良過ぎる 列島の m e n t a l i t y だと、思わないだろうか。