ーー 【 好き、嫌い、と は 何 か 】 (二) ーー
『抜粋』
ザビエルが、何故日本に興味を持ったか、彼は、こう
書いてい る ;
“ I have learnt from good authorities that there is a country
near China called Japan, the inhabitants of which are all
heathen, quite untouched by Muslims or Jews, and very
eager to learn what they do not know both in things divine
and things natural, I have determined to go thither as soon
as I can ” (A letter of St Francis Xavier to St. Ignatius
de Loyola, 15 April 1549)
「 私は、良き権威筋から、中国の近くに日本という国が
ある事を知った。その地の住民は全て異教徒であり、
まだ、イスラムやユダヤは手を付けられていないし、
私は、彼等が神や自然の諸事について、どのように無
知であるかを切に知りたい、私は、出来るだけ早くあ
の地に赴きたいと決めた」( 1954年4月15日付け、St.
イグナシスデロヨラ宛書簡 ) 。
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『本文』
鉄砲が日本に伝来したのは、1543 年だと伝えられている。そして、スペイン生まれの宣教師フランシスコ・デ・ザビエルがポルトガル王ジョアン三世の依頼でインドのゴアに派遣され、その後、日本に初めてキリスト教を伝えに来たのは1549 年のことで、鉄砲の列島伝来から僅か六年しか経っていない。鉄砲もザビエルも共にポルトガルから、然も、ほぼ同じ時に来日したことになる。
ザビエルが日本に滞在したのは僅か二年余りで、しかも、鹿児島と山口という「地方」にしか殆んど居なかったから、日本全体を総括的に見て了解する機会に恵まれていなかった筈である。
そのザビエルがその他幾多の宣教師よりも遥かに日本人の記憶に残り、記念されて居るのは、彼が、「日本に初めてキリスト教を伝えた」というのが主な原因である。が、そればかりでなく、彼が初めて「良き日本」を欧洲に紹介したという事の方が、その後の日本人に取り最も「忘れ難い」人として、彼はいまだに語り継げられているようである。
「日本人はこれまで自分が接触した国民の中で、
一番優れた国民である」と言っている」
という一言に集約されて、今日の列島でザビエルは紹介されている。
列島の昔ながらの社会体質は、何かを「外国」から取り入れる時は、先ず、例外なく、それを一旦都合よく「和風」に作り直して「国内」で使うという習慣がある。
それだと、ザビエルはもともと、一体どのような「言い方」で日本を総括的に紹介したのかという事が知りたくなる。
米国のウエブにも、「ザビエルと日本」の記事が沢山載っている。米国の記事は、ザビエルがスペイン語、もしくは、ポルトガル語で書いたものを英語に訳したもので原文( text ) ではないが、他国関係の文献に、第三者が手を加える事はしないというのが「世間の常規」であれば、それを参照にした方が、より客観的な内容がつかめる筈で、ロスに住んでいるので、こちらで、肝腎の書簡文句を検索して見た。次のように出ていた;
St. Francis Xavier, during his missionary in Asia, saw in Japan an impressive cultural, economic and social potential. He valued Japan more than any of the nations discovered.
直訳すると、「ザビエルは、宣教師としてアジアに滞在中、日本で、印象に残る文化、経済、社会の潜在力を見た。彼は、彼が見い出した何れの国々よりも日本を評価していた」になる。
この一文の重点は " potential " 、即ち、( 日本の) 「潜在力」に言及したものであって、「現実の姿」を伝えたものではない。それを、日本では、簡単に「一番優れた国民」という一言表現に置き換え、「現実の姿」であるようにしている。所謂、「作り直し」というものでしょう。
ザビエルが、何故日本に興味を持ったか、彼は、こう書いている;
“ I have learnt from good authorities that there is a country near China called Japan, the inhabitants of which are all heathen, quite untouched by Muslims or Jews, and very eager to learn what they do not know both in things divine and things natural, I have determined to go thither as soon as I can ” (A letter of St Francis Xavier to St. Ignatius de Loyola, 15 April 1549)
「私は、良き権威筋から、中国の近くに日本という国がある事を知った。その地の住民は全て異教徒であり、まだ、イスラムやユダヤは手を付けられていないし、私は、彼等が神や自然の諸事について、どのように無知であるかを切に知りたい、私は、出来るだけ早くあの地に赴きたいと決めた」( 1954年4月15日付け、St. イグナシスデロヨラ宛書簡 ) 。
ザビエルは日本が「異教徒」( heathen ) の地である事に興味を持ち。日本人が、神や自然の諸事について、どのように無知であるかを知りたい為に日本に来た。
英語のheathen は、異教徒と邪教徒の意味を併せて持ち、俗語として「未開人」の意味で使われる、という事を英和辞典で教えているから、知っておくと、非常に良い参考になる。
それらを綜合して判断すると、ザビエルは、キリスト教文化から見ていまだ「未開の地」である日本に宣教に来た事になる。
ザビエル日本発の書簡第3 巻に、次のような中国に関する紹介がある;
- Opposite to Japan lies China, an immense empire, enjoying profound peace, and which, as the Portuguese merchants tell us, is superior to all Christian states in the practice of justice and equity. The Chinese whom I have seen in Japan and elsewhere, and whom I got to know, are white in colour, like the Japanese, are acute, and eager to learn. In intellect they are superior even to the Japanese. Their country abounds in plenty of all things, and very many cities of great extent cover its surface.
「日本の対岸に中国という、巨大な、極度の平和を楽しんでいる帝国がある、そして、ポルトガル商人が私に伝えた所によると、そこの、正義と公平の慣習は、全てのキリスト教国よりも優れている由。私が日本或いは外の所で見た、又は、知り合った中国人は、日本人のように肌が白く、鋭敏な感覚を持ち、物覚えには熱心である。知性の面でも、彼らは日本人より優れている。彼等の国(中国) は諸々の物資が豊かで、数多くの巨大都市がその地表をおおっている」
この一節を読んで、気が付くのは、ザビエルという宣教師は、神や自然の諸事については、かなりの知識を持っていたが、世間一般の事は余り知らないようで、古い中国は、日本はおろか、全キリスト教国よりも色んな面で優れていると言い切っている。それが、事実であるかどうかを扨置いて、一方で、中国は日本より優れていると言っておきながら、片方で、日本人が一番優れているとも言うのは、どうにもこうにも通しようのない論理で、果して、それらが、ザビエルの本心であったかどうかの疑問が生じて来る。
ザビエル書簡の「日本評価」について、日本で紹介されている幾つかの代表的な記述を拾い上げてみる;
( 1 ) 暁教育図書株式会社、1975 年発行、日本の歴史 第十七巻「異郷の人々」35 ページ ( 青山大学院教授 岡田 章雄 )
「日本人はこれまで自分が接触した国民の中で、
一番優れた国民である」と言っている。
( 2 ) 弘文堂 1987 年発行 「公式 日本人論」ーー ルース
ベネデイクトの弟 子達による 執筆ーー 48 ページ
「日本人を今まで見た未開人の内でもっとも優れた
民族」と評価している。
( 3 ) 中央公論社 1983 年発行 「フロイスの日本覚書」
著者 松田毅一、E. ヨ リッセン P 42
1549 年 海外向け通信の中で、ザビエルはこう述べている。
「日本について今日まで私が観察したところを書き送ろう。
第一に、この国民は、私が今日までに交際した限りにおい
て、すべていままでに発見されたあ諸国民のうちで最良の
ものであり、異教の国民中、日本人に比しうべきものあり
とは考えられぬ」
ザビエルという一人の人間の一言「評言」が、日本で異なる人に依って、異なる日本語表現で紹介されている。
このうち、どれがザビエル本来の言うわんとする意向を、もっとも率直に伝えているか、読者の判断に任せる事にしたい。
、、、 つづく 、、、