李白の白髪  仁目子


白髪三千丈
愁いに縁りて  箇の似く 長(ふえ)た
知らず 明鏡の裡(うち)
何処より 秋霜を得たるか

【 言葉 に見る 日本人 三つの型 】 

2014-10-30 17:23:40 | Weblog

                  (1) 「 カタカナ人種 」

 

          (2) 「 国際通用型日本人 」

 

        (3) 「 日本人らしい日本人 」

 

 

         ーー   内  一 つ は  紛 い 物 日 本 人   ーー

 

 

『抜粋』 (1) 「 カタカナ人種 」

 一つは、「カタカナ人種」で、俗に云う所の「単細胞」

  人間に属する。カタカナ人種は、大きく分けて二通り

  あるようで、「真面目」を「マジ」に言い替える人達

  で、これは智能の低下とも関係があるものと思われる。

  今日の列島には、この「単細胞」人間が多数を占めて居

  るようである。

 逆に、外国語に弱い知識人が、つまらぬ「見栄」を張り、

 「真面目」を「シリアス」に言い換えて、これ又外国語

   に弱い衆愚を騙そうとする人達である、特に、何とか

  「評論家」という肩書きが付いている者にこのような傾向

   が強ようである。

 

『抜粋』 (2) 「 国際通用型日本人 」

 二つは、「国際通用型日本人」で、日本語は言うに及ば

 ず、外国語にも堪能で、言うなれば、加藤周一氏のような

 人間で、世界何処へ行っても通用する人間である。が、残

 念なことに、列島にはこの人種の人間は然程多くは居ない

 ようだ。

 

『抜粋』 (3) 「 日本人らしい日本人 」

 三つは、「日本人らしい日本人」で、分かり安く例を挙げ

 ると、森鴎外、夏目漱石、永井荷風などに代表される。

 外は独逸留学、漱石は英国留学、荷風は仏国留学で、各々

 外国語に堪能であるが、揃いも揃って、「カタカナ」を使

 わずに、立派な「日本語」で数多くの名作を後世の日本人

 に残した。明治以降今日に至る迄、列島には数え切れない

 ほどの作家が存在したが、今だに、鴎外、漱石、荷風の右

 に出る者は居ない。

 理由は簡単である、彼等は日本語らしい日本語で名作を残

 したからである。

     ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『本文』  

 

日本の代表的国際知識人加藤周一氏が、一九七七年二月に、朝日新聞社から『言葉と人間』という本を出している。その中に、ーージャポングレまたは「フラングレ」の事ーーという一文があった。

フラングレとはフランセ(フランス語)+アングレ(英語)から来た単語で、英語が混じったフランス語という意味。従い、ジャポングレとは、ジャポン( 日本語 )+ アングレ( 英語 ) 「ちゃんぽん語」という意味になる。

 

ジャポングレの具体例として、《言葉と人間》加藤周一 1977 P 67 に、『ジャポングレまたは「フラングレ」』の章に出ている。その一部分をここに出してみる

 

 《《  カンジをおぼえるには、テマがかかる。テマのかかることをミニマムにするのは、デモクラシーのプリンシプルである。そこでカンジセイゲン。もっとテッテイして、いっそカンジをやめてしまえば、コンミュニケイションはスムースになり、マイホーム、マイカントリ、マイトーキョーのナウなセンスがいきるだろう。

 

「ヒャッカテンがやすもののカグをうりだした」といっては、ツマンナーイけれど、「デパートのカジュアルショップにフアニチュアフエアがオプン」といえば、オモシローイのである。

 

ナガヤにすむより、アパートまたはマンシヨン、またはいっそシャトーにすみ、ナツヤスミのダンタイリョコーではなくて、バカンスのツアーやツーリングやジャルパックやゴルフアックにでかける。

 (中略)

ああ、カタカナのメリットやかくのごとし。エルゴ、わたしはそらにむかってさけびたいのである、カタカナ、ゴー・デスカバー、ジャポングレ・レット、カム、リンギステイッシェ・ヒュペルエグゾーテイシェ・ヤブレカブレール・フィエスタ・ナチオナーレ!》》

 

加藤氏は、多国語を解し、この『ジャポングレ』の一文は、同氏が、定着しない日本語、変転と摸倣を盲目的に好む日本人の性格を嘆いているもので、全文、カタカナ平仮名で書き上げているが、カタカナという記号が代表している字句の原語は、漢字、英語、フランス語、ドイツ語、ラテン語、スペイン語、イタリー語等ちゃんぽんであり、個々の日本人が好んで使う片言のカタカナ外来語を拾い集めて、加藤氏が文章に仕上げたものであるが、いざ文章にすると、そのままで読んで分かる日本人は、居ないことはないと思うが、極めて稀れであるのが実情であろう。

 
そこで、これら諸々の外国語音読を、辞書、辞典の助けを借りて原語に書き下してみると、次のようになる

 

《《  漢字を覚えるには、手間が掛かる。手間の掛かる事を minimum にするのは、 democracy principle である。そこで漢字制限。もっと徹底して、いっそ字を止めて仕舞えば、Communication smooth になり、my home, my country, my Tokyo now sense が活きるだろう。

「百貨店が安物の家具を売り出した」と言っては、マンナーイけれど、「depart (ment) casual shop furniture fair openと言えば、オモシローイのである。長屋に住むより apart または mansion , またはいっそ cha^teau に住み、夏休みの団体旅行ではなくて、vacance tour touring Jal Pac golfuck に出かける。

(中略)

ああ、片仮名のmerit かくのごとし。私は空に向かって叫びたいのである、カタカナ、go discover, Japonglais let, come, linguistische ヒュペルエグゾーテイシェ ( huper exotische ) 破れかぶれーる Fiesta Nationale! 》》

 

さて、上記の如く、片仮名外国語を全部原語に書き戻してしまったら、今度は、横文字だらけになってしまい、とても一般の人には読めそうにないので、日本語の「現代語訳」に今一度取り組む外はない。そうすると、次のような「訳文」になる

 

《《  漢字を覚えるには、手間が掛かる。手間の掛かる事を最小限にするのは、民主主義の原理である。そこで漢字制限。もっと徹底して、いっそ漢字を止めて仕舞えば、意思の伝達は順調になり、我が家、吾が国、わが東京の現代的な感覚が活きるだろう。

「百貨店が安物の家具を売り出した」と言っては、ツマンナーイけれど、「デパートカジュアル・ショップファーニチュア・フエイアオープン」と言えば、オモシローイのである。長屋に住むより、アパートまたはマンション、またはいっそシャトウに住み、夏休みの団体旅行ではなく、バカンスツアーツアリングジャル・パックゴルファックに出かける。

(中略)

ああ、カタカナの取り柄やかくのごとし。私は空に向かって叫びたいのである、カタカナよ去れ。ジャポングレ の正体を明らかにしよう。来たれ、真なる語学、去れ、外来語。破れかぶれだよ、国を挙げてのお祭りさわぎは   》》

 

いくら、外来語も日本語のうちに入ると力説する人が居ても、また、力説した所で、それは、圧倒多数の日本人の分からない言葉であるから、勿論日本語では有り得ない。恰度、中国の拉麺が、ラーメンに名を変えて、日本で大繁昌した所で、元祖は中国から日本に変わることがないのと一緒である。そして、いくらSushi が米国で流行り、米国の風味に変わったところで、それはもはや日本食ではないという説を認める日本人はまず居ないだろうから、外来語は、所詮、外来語である。

 

上述のように、同じ一つの物事を言い表すのに、列島では、三つの異る言い方がある。三つの異る言い方があるという事は、列島に三つの異なる型の「日本人」が存在しているという事に外ならない。

 

一つは、「カタカナ人種」で、俗に云う所の「単細胞」人間に属する。カタカナ人種は、大きく分けて二通りあるようで、「真面目」を「マジ」に言い替える人達で、これは智能の低下とも関係があるものと思われる。今日の列島には、この「単細胞」人間が多数を占めて居るようである。逆に、外国語に弱い知識人が、つまらぬ「見栄」を張り、「真面目」を「シリアス」に言い換えて、これ又外国語に弱い衆愚を騙そうとする人達である、特に、何とか「評論家」という肩書きが付いている者にこのような傾向が強いようである。

 

二つは、「国際通用型日本人」で、日本語は言うに及ばず、外国語にも堪能で、言うなれば、加藤周一氏のような人間で、世界何処へ行っても通用する人間である。が、残念なことに、列島にはこの人種の人間は然程多くは居ないようだ。

 

三つは、「日本人らしい日本人」で、分かり安く例を挙げると、森鴎外、夏目漱石、永井荷風などに代表される。鴎外は独逸留学、漱石は英国留学、荷風は仏国留学で、各々外国語に堪能であるが、揃いも揃って、「カタカナ」を使わずに、立派な「日本語」で数多くの名作を後世の日本人に残した。明治以降今日に至る迄、列島には数え切れないほどの作家が存在したが、今だに、鴎外、漱石、荷風の右に出る者は居ない。

理由は簡単である、彼等は日本語らしい日本語で名作を残したからである。

 

さて、読者諸氏よ、上述三つの内、貴方は自分がどの人種に属するものなのか、この際、検証して見ませんか。

 

検証法は簡単であえる、加藤周一のような日本人を尊敬する、或いは、そのような人間に成りたいと思うなら、貴方は、国際通用型の日本人に成れる素質を持っている。

鴎外、漱石、荷風などの名作を好んで読む、或いは、それらの名作に興味を持ち、なんとか読みこなしてみたいと思うのであれば、貴方は、「日本人らしい日本人」の内に入るでしょう。

 

ところがもし、「真面目」を「マジメ」と言うのを嫌がり、「マジ」を好んで口にするようであれば、日本離れの嗜好が濃厚で、又、福袋に手にした時「福袋ゲットした」、野球得点を「点をゲットっした」などと云う貴方であれば、国際通用は言うに及ばず、日本の文豪、鴎外、漱石、荷風などの純然たる日本語で書かれた名作ですら読みこなせないから、とても「日本人」とは言い難い。そのような貴方であれば、紛(まが)い物の日本人になりつつあると言うことが出来る。

 

いかがでしたか、読者諸氏の検証結果は ? 

 


【  貧 乏  暇 な し  】   後編  

2014-10-16 19:55:43 | Weblog

    ーー   衣食住 足りても、、、心は貧乏  ーー

 

『抜粋』(1)

軍事戦争に負けた日本は、戦後、留まることを知らない伝統

な社会性格の欠陥を改めようとせず、経済戦争でも、痩せ

馬の先走りで猪突猛進し、ついにダブル崩潰を招き、「米国

にノーと言える」ようになるどころか、米国の実質「属国」

に甘んじ事を余儀なくされた。

苦労性のお蔭である。良識よりも、血気や意地っ張りの方が

まれる社会性格のお蔭である。

 

『抜粋』 (2)

長部日出雄氏が、一九九六年に新潮社より発行して絶賛を浴

た「天皇はどこから来たのか」という本の終りの頁で、

著者はこう書いていた;

『わが国において、ほぼ全員が同一方向へ一斉に走り出す

  ときは、危険信号なのである。、、、、国際紛争を解決す

  る手段として武力の行使を放棄し、なおかついまの日本か

  らは遥かに遠い国際社会での名誉ある地位をかち得ようと

  するのは、われわれが持てる能力のかぎりを尽くして取り

  組むに値する難問なのではないだろうか 』

   

  このような良識ある人達による愛国論説と、ただ血気には

  やるサムライ論客による「挙国一致」「武力必要」の勇ま

  しい論説、この両極とも言える方向の十字路に今の日本人

  は立っている。

 

     ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 『本文』  

 

琉球を取ったら、台湾も取りたくなる。朝鮮を併合したら、満州も取りたくなり。満洲を取ったら、中国全土も取りたくなるといった塩梅(あんばい) で、留まるところを知らず、挙げ句、米国とも衝突して、大日本帝国は自滅してしまった。

 そこまでやる必要は毛頭無く、また、やるべきではなかったが、やったのは、「苦労性」なので、留(とど) まることが出来ない為である。見境いが無くなるからである。

 結果が出て、始めて人びとは、「馬鹿な事をやった」としきりに言うが、それでは遅過ぎるし、何よりも、「馬鹿な事をやった」と言っている人間の中には、日の丸片手に、声を嗄らして戦争勃発を応援した者が結構いたのは皮肉である。

 

秀吉にしろ、昭和軍人にしろ、なぜ、そこまでやらければならないのか。

 よく、「現実に無知な誇大妄想としかいいようがない」という評を目にする事があるが、「猿」というあだ名が付く秀吉には打って付けだと思うし、また、じっとしておれない性格は、世間では「猿のようにあちこち飛び跳ねる」とも形容する事がよくある。だから、秀吉にしても、昭和軍人にしても、大変な「苦労性」であったのだろう。

仮に、信長、秀吉、あるいは、昭和軍人でもよい、「忙しそうやね」と声を掛ける機会が、もしあったとしたら、恐らく、戻って来る答えは「貧乏暇なし」の一言に違いない。

 

此のところ、列島に、戦前同様、勇ましい発言を売物にしている「サムライ 論客」がめっきり増えて来た。世の中太平過ぎると、退屈でつまらないと思う人が多いせいか、誰でもよいから、手当たり次第、外国相手に喧嘩を吹っかける論調がやたら目につく。特に、近隣であるほど、その度合いはひどい。

 

去年、半藤一利氏が、一風変わった「昭和史」を出版した。

終戦このかた、「昭和史」の出版は数知れず多い。大半は「戦争」を軸にした内容が多い。且つ、日本が起こした「戦争」を、何かと正当化させようと弁明する内容が多い。その中にあって、半藤氏は、過ちを二度と繰り返さないように、若い世代に訴えるべく、戦争の実体を、善しも悪しくも、包み隠すことなく率直に書き出している。その意味で、一風変わっている本である。

昭和ヒトケタ生まれの筆者には、この本の価値が如何程なものなのかよく分かる。そして、井上ひさしが、「疑いもなく一つの偉業でしよう」と評したのは、尤もであると思った。

 

しかし、この偉大な著作は、予期したほどに一般日本人には読まれていないようで。筆者の極く親しい複数の友人が、この本に対し、一顧だにしなかった事を知った時は、少なからず衝撃であった。

思うに、過去の反省に 「自虐史観」というレッテルが貼られ、それを悪とする「サムライ 論客」の罠に、多くの庶民は引っかかているようであり、戦前の愛国翼賛体制の再現を、目の前に彷彿とさせる。

半藤さんは、それに気が付き、再び「馬鹿げた過ちを犯し」国家の前途に危険をもたらすことがないようにという良識ある判断に基いて、この本を出した。

 

全巻二冊の分厚い本だが、第一冊の戦中篇に「日本人はなぜ戦争をするのか、、、」、第二冊の戦後篇に「日本人はまた戦争をするのか、、、」 とそれぞれに言葉短い見出しが付いていた。

言葉は短いけれど、意味は深長である。その短い言葉とは、「戦争」の二字である。

 

軍事戦争に負けた日本は、戦後、留まることを知らない伝統的な社会性格の欠陥を改めようとせず、経済戦争でも、痩せ馬の先走りで猪突猛進し、ついにダブル崩潰を招き、「米国にノーと言える」ようになるどころか、米国の実質「属国」に甘んじる事を余儀なくされた。

苦労性のお蔭である。良識よりも、血気や意地っ張りの方が好まれる社会性格のお蔭である。

 

半藤さんは、この大著のあとがきを、次のような語りで締め括っていた;

『 戦前の昭和史はまさしく政治、いや軍事が人間をいかに強引に動 かしたかの物語であった。戦後の昭和はそれから脱却し、いかに 私たちが自主的に動こうとしてきたかの物語である。しかし、これからの日本にまた、むりに人間を動かさねば、、、、という時代がくるかもしれない。 そんな予感がする 』

 

長部日出雄氏が、一九九六年に新潮社より発行して絶賛を浴びた「天皇はどこから来たのか」という本の終りの頁で、著者はこう書いていた;

『 わが国において、ほぼ全員が同一方向へ一斉に走り出すときは、危険信号なのである。、、、、国際紛争を解決する手段として武力の行使を放棄し、なおかついまの日本からは遥かに遠い国際社会での名誉ある地位をかち得ようとするのは、われわれが持てる能力のかぎりを尽くして取り組むに値する難問なのではないだろうか 』

 

このような良識ある人達による愛国論説と、ただ血気にはやるサムライ論客による「挙国一致」「武力必要」の勇ましい論説、この両極とも言える方向の十字路に今の日本人は立っている。

お金があっても無くても、生活に追われても追われなくても、「貧乏暇なし」を好んで口にする日本人は、要するに「苦労性」人種に外ならない。

 

半藤さんの大著「昭和史」の最終章は「日本はこれからどうなるのか」で、この章の終りで、これからの日本の選択は、まさに若い皆さん方の大仕事でロートルには発言権はない、としながらも、横町の隠居なりのお節介な忠言を申し上げることはできますといって、今の日本に必要なものを五つ挙げている。

ここでは、その五つ目だけを書き出す;

さらに言えば五つめ、「君は功を成せ、われは大事を成す」( 吉田松陰 ) という悠然たる風格をもつことができるかーーー現在の日本に足りないのはそういったものであって、決して軍事力ではないと私は思います。

全く同感です。列島は、今、衣食住足りて、、、の時代に進んだ。もうそろそろ、伝統的な「苦労性」から抜け出し、『 悠然たる風格 』をもつような社会になるべきではないか、と庶民の私もそう思うので、この一文を草した次第。

 

列島の人々よ、そろそろ貧乏性や苦労性から抜け出し、心の豊かな民になるべきではなかろうか。

 

全文終わり仁目子