李白の白髪  仁目子


白髪三千丈
愁いに縁りて  箇の似く 長(ふえ)た
知らず 明鏡の裡(うち)
何処より 秋霜を得たるか

 【  勝 つ と 思 え ば 、 負 け る  】     

2011-07-24 11:42:41 | Weblog

              ーー  勝 つ と 思 う な 

              思 え ば 負 け る 、  

                美 空 ひ ば り  ーー

 

『抜粋』 (1)

 米國に居て、欧米トッププロの活躍を見て気が付くのは、

 日本プロのように、「勝って来るぞ」と勇ましい事を言

 わない。彼等は、「一打一打を真剣に打つ事しか考えな

 い」「結果はおのずと出て来るものである」と言う。試

 合に臨む姿勢の違いは際だって大きい。

 皮肉な事だが、「勝つと思えば、負ける」という「柔」

 のコツを実際に実践しているのは、欧米プロであり、日本

 プロではない。そして、欧米プロは勝ち、日本プロは勝て

 ない。

 

『抜粋』 (2)

濃厚な「サムライ精神」を未だに受け継いでいる日本社会

は、競技が何であろうと、選手が「勝って来るぞ」と勇ま

しく言って出掛けないと、大衆は承知しない、「彼奴には

 やる気が全くない」と叱る。それで、選手達も「長いもの

 には巻かれる」方が無難だから、威勢の好い掛け声を残し

 て出て行く。戦中の出征兵士と全く一緒である。

 戦(いくさ) の弾( たま) は相手に向かって打つものだが、

 ゴルフの球 (たま) には打つ相手は居ない。グリーン上に

 あるホールに、自分の力で一打でも少なく持って行って入

 れる。つまり、戦う相手は自分だけなのに、日本人は「相

 手を倒す」ゲームだと錯覚している。

    

        ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

               『本文』  

 

これは、確か美空ひばりが唱った「柔」(やわら) の出だし文句である。「柔よく剛を制する」という勝負事の真髄をさりげなく唱い出している。                         

ゴルフ人口或いはプロゴルファの数では、日本は紛れもなく米国に次ぐ、ゴルフ大国(先進国)である。所が、世界ツアーに於ける実績を見ると、哀れな位に、ゴルフ後進国の内に入るとしか言い様がない。

 

米国のゴルフは「量」と「質」共に大国だが、日本は「量」大国、「質」小国という極端な不均衡を呈し、日本人は悔しがり、外国人には、好奇の眼で見られている。

 

全世界の人種を集めた国の、計り難い底力を秘めた米国との比較は兎も角として、アジアでは多方面に亙り抜きん出ている日本も、事ゴルフになると、世界の舞台では、台湾や韓国に大きく差を付けられている。

 

最近の女子米国オープン最終日の実況放送中、米人の女性アナが韓国と台湾プロの強さに眼を見張わり、その際、「日本のプロはメージャで勝てないね」という一言のコメントを口にした。事実その通りであるのは衆知の事ながら、野球、水泳、体操等、外のスポーツでは世界の大国なのに、何故、事ゴルフになるとめっきり弱くなるのか、その訳を的確に説明出来る人は殆んど居ないようで、この米人アナも「メージャで勝てないね」とは言ったものの、「何故だろうか」という説明は一言も触れなかった。

 

近年来、韓国女子プロの國際舞台に於ける活躍は驚異に値いするが、男子の方はそれほどでもない、「何故だろうか」という疑問を持つ米國のゴルフ愛好者は多い。筆者もその一人で、コースで韓国女性と一緒に廻る機会がある毎に、それとなく「何故」と聞いてみる。何度か違う人から答えを貰ったが、奇しくも、答えは全て「hot temper」の一言で一致していた。つまり、短気ですぐカッカするから駄目だと云う。日本のプロも國際舞台では女子の方がずっと良い成績を出しているから、これは、日本の男子プロにも共通して言える事だと思う。

 

米國に居て、欧米トッププロの活躍を見て気が付くのは、日本プロのように、「勝って来るぞ」と勇ましい事を言わない。彼等は、「一打一打を真剣に打つ事しか考えない」「結果はおのずと出て来るものである」と言う。試合に臨む姿勢の違いは際だって大きい。

 

皮肉な事だが、「勝つと思えば、負ける」という「柔」のコツを実際に実践しているのは、欧米プロであり、日本プロではない。そして、欧米プロは勝ち、日本プロは勝てない。

 

濃厚な「サムライ精神」を未だに受け継いでいる日本社会は、競技が何であろうと、選手が「勝って来るぞ」と勇ましく言って出掛けないと、大衆は承知しない、「彼奴にはやる気が全くない」と叱る。それで、選手達も「長いものには巻かれる」方が無難だから、威勢の好い掛け声を残して出て行く。戦中の出征兵士と全く一緒である。

 

 (いくさ) の弾( たま) は相手に向かって打つものだが、ゴルフの球 (たま) には打つ相手は居ない。グリーン上にあるホールに、自分の力で一打でも少なく持って行って入れる。つまり、戦う相手は自分だけなのに、日本人は「相手を倒す」ゲームだと錯覚している。

 

その様な出発点の違いが、「量」大国の日本ゴルフを、世界の舞台で、「質」小國に甘んじさせる結果をもたらしているものだと、筆者は信じて疑わない。その責任は、一人選手のみに掛かっているのではなく、必要以上に、選手の尻を叩く社会のゲームに対する理解不足が根本の原因であるのでなかろうか。それは、丁度戦中、訳も分からずに、若者達を戦場に送り出し、無為に死なせるのと、共通性を持つ。

 

欧米や韓国、台湾のように、プロでない社会やマスコミは、プロのやることを暖かい目で見ておればよい、まかり違っても、余計な口出しはするべきでないし、「国の為に」選手の尻を叩くのは、尚更、もっての外であろう。