ーー 淵明、王維 の 世界 には
酒 が ある ーー
『抜粋』
陶淵明は無類の酒好きだった。彼は自身の文学に酒を素材
として取り上げ、多くの作品を作り上げた。
又、王維にしても、彼に有名な『酒を酌んで裴迪に與う』
という詩がある。その第一句が 『酒を酌んで君に與う
君自ら寛うせよ人情の翻覆 波瀾に似たり』 ( 酌酒與君
君自寛人情翻覆似波瀾 ) に始まっている。王維も淵明と
同じように、酒が人生の一部になっている。これは、こ
の二人に限らず、殆んどの唐土の詩人に対して云える。
漱石はこの点、かなり事情が異なる、というのは、彼は酒
とは無縁のようで、漱石が酒を好む話も、彼が作品の中で
特に酒を取り上げた例もない。
『草枕』の紀行を漱石は「一つの酔興だ」と形容した。確
に、景色や風情に酔うという面はあったが、惜しいこと
にお酒の相伴がない。
漱石の「草枕」を読み、川柳なみの口調で、次のように
評した人が居た。
塵外境の平和な世界である。そのうえ、
酒でも飲めばもう羽化登仙の気分である 、、、、
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『本文』
夏目漱石は作品「草枕」について、冒頭で、このように言う。
《《 こうやって、ただ一人絵の具箱と三脚几を担かついで春の山路をのそのそあるくのも全くこれがためである。淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間までも非人情の天地に逍遥したいからの願ねがい。一つの酔興だ》》
「春の山路をのそのそあるくのも全くこれがためである」、というのは「何のためだろうか」?
漱石が、「山路を登りながら、こう考えた」事の中に、次の一節がある;
《《 苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。余も三十年の間それを仕通して、飽々した。飽き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。余が欲する詩はそんな世間的の人情を鼓舞するようなものではない。俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持ちになれる詩である。
いくら傑作でも人情を離れた芝居はない、理非を絶した小説は少かろう。どこまでも世間を出る事が出来ぬのが彼らの特色である。ことに西洋の詩になると、人事が根本になるからいわゆる詩歌の純粋なるものもこの境を解脱する事を知らぬ。どこまでも同情だとか、愛だとか、正義だとか、自由だとか、浮世の勧工場にあるものだけで用を弁じている。いくら詩的になっても地面の上を馳けてあるいて、銭の勘定を忘れるひまがない。シェレーが雲雀を聞いて嘆息したのも無理はない。
うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。採菊東籬下 ( きくをとるとうりのもと ) 、悠然見南山 ( ゆうぜんとしてなんざんをみる ) 。ただそれぎりの裏に暑苦しい世の中をまるで忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘が覗のぞいてる訳でもなければ、南山に親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。
独 (ひとり) 坐幽篁裏 (ゆうこうのうちにざし) 、弾琴 ( きんをだんじて) 復長嘯( ( またちょうしょうす) 、深林 ( しんりん) 人不知 ( ひとしらず) 、明月来 ( めいげつきたりて) 相照 ( あいてらす) 。ただ二十字のうちに優に別乾坤を建立している。この乾坤の功徳は「不如帰」や「金色夜叉」の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てた後のちに、すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である》》
この一節を読むと、淵明の詩境は、『超然と出世間的に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる』、そして、王維の詩境は、『乾坤の功徳であり、すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である』と。漱石は、そのような心持ちと功徳を求める「ため」に「山路をのそのそあるいている」ということが分かる。
淵明と王維は、唐時代の漢詩人で、漱石は二十世紀の列島作家、異なる空間に活き、千数百年以上の時間の隔てがある。にも拘らず、両者の間に、共感や共鳴が難なく存在している。何時の世の中に於いても、人間が求める理想な「人生」というものは、基本的には、違わないというのが分かる。
採菊東籬下 ( きくをとるとうりのもと ) 、悠然見南山 ( ゆうぜんとしてなんざんをみる ) は、陶淵明の詩「飲酒其の五首」の抜粋であるが、その全文を見てみる;
結盧在人境 人里に庵を結んでいるが
而無車馬喧 車馬騒音は聞こえない
問君何能爾 どうしてそんなことができるんだ?
心遠地自偏 心が俗世から離れれば、自然と僻地にいる
ような気分になる
采菊東籬下 東籬の下で菊を採り
悠然見南山 悠然と南山を見る
山気日夕佳 山の空気は夕方が素晴らしく、
飛鳥相与還 鳥は連れ立って巣に還っていく。
此中有真意 この境地の中にこそ真意はある
欲弁已忘言 説明しようとするが、もう言葉を忘れてし
まった
なるほど、このような境地の中に活きておれば、『超然と出世間的に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる』だろうし、「どうして?」などという余計な説明は、必要はない。
一方、王維の「竹里館」の方は、というと;
獨坐幽篁裏 一人ひっそりとした竹林の中に座り
彈琴復長嘯 琴を弾いたり、詩歌を長吟したりして過ご
している
深林人不知 深い林の中なので知る人はいない、が
明月來相照 明月が来て、私を相照らす
「竹里館」というのは、王維が長安の東南、秦嶺山脈のふところにあった藍田県に所有していた広大な別荘「モウセン荘」の一つです。
その竹林の中で、一人で琴を弾いて、詩を吟じているわけで、実に優雅、風流ここに極まるという感じ。『乾坤の功徳であり、すべてを忘却してぐっすり寝込むような功徳である』と、漱石はその境地を形容している。
漱石は、列島の押しも押されもしない「文豪」であるが、「とかくに人の世は住みにくい」と、『草枕』の冒頭で強調している。ならば、どうすれば良いか。
漱石は又、こうも云う;
《《 住みにくさが高こうじると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟さとった時、詩が生れて、画えが出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りょうどなりにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容くつろげて、束つかの間まの命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降くだる。あらゆる芸術の士は人の世を長閑のどかにし、人の心を豊かにするが故ゆえに尊たっとい 》》
こう云う漱石自身は芸術の士であり、小説家のみでなく、詩も得意で、画も描く。それで居て、本人は、終生を通じ、殆んど「神経衰弱」に悩まされていた。
陶淵明は無類の酒好きだった。彼は自身の文学に酒を素材として取り上げ、多くの作品を作り上げた。例えば、采菊東籬下、悠然見南山という詩句の中に、「酒」という字は見えないが、この詩の題名が『飲酒其五』となっている事からも分かるように、淵明は、菊を採り、南山を見ながら酒を楽しんでいるのである。
又、王維にしても、彼に有名な『酒を酌んで裴迪に與う』という詩がある。その第一句が 『酒を酌んで君に與う 君自ら寛うせよ人情の翻覆 波瀾に似たり』 ( 酌酒與君君自寛 人情翻覆似波瀾 ) に始まっている。王維も淵明と同じように、酒が人生の一部になっている。これは、この二人に限らず、殆んどの唐土の詩人に対して云える。
漱石はこの点、かなり事情が異なる、というのは、彼は酒とは無縁のようで、漱石が酒を好む話も、彼が作品の中で特に酒を取り上げた例もない。
『草枕』の紀行を漱石は「一つの酔興だ」と形容した。確に、景色や風情に酔うという面はあったが、惜しいことにお酒の相伴がない。
漱石の「草枕」を読み、川柳なみの口調で、次のように評した人が居た。
塵外境の平和な世界である。そのうえ、
酒でも飲めばもう羽化登仙の気分である
成程ねえ、と思わせる評言である。と同時に、なぜ、漱石が淵明や王維に傾倒するのかというわけも、これで十分納得出来る。
ここで、「たられば、、、」を言わして貰うなら、もし、漱石が「酒好きであったなら」、彼は一生、恐らく「神経衰弱」に、そんなに悩まされることはなかったであろう。