李白の白髪  仁目子


白髪三千丈
愁いに縁りて  箇の似く 長(ふえ)た
知らず 明鏡の裡(うち)
何処より 秋霜を得たるか

【 白髪三千丈 ー Wikipedia  仁目記事 】   

2016-12-22 18:13:06 | Weblog

         ーー 序 ーー

Wikippedia に、「白髪三千丈」という、千年来人口に膾炙して来た詩句の記事が掲載されている。

その記事の冒頭に、次のような「タグ」が貼ってある。

この記事の正確性に疑問が呈されています。問題箇所に信頼できる 情報源を示して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参 照してください。(20057月)』

このタグは 2005 年に貼られたもので、十一年過ぎた今日に至るも、何ら記事の改善はされていない。古今の名句が哀れに見えてしようがない。

筆者は、その前に、俗に「仁目記事」と謂れていた「白髪三千丈」の記事の管理者であった。その後、「仁目記事」は「ずたずた」にさかれて、今の記事になった。

それを、当時の Wikipedia 管理者は、私に、下記の message を送って呉れた。

お久しぶりです。白髪三千丈を拝見しました。寂しい限りです。

当てはまるかどうか、「船頭多くして船山に登る」ごとき集団の知恵 の行き着いた先がこれか、という思いですね。それにしても骨抜きし すぎで、含蓄も教養も抜け落ちてしまった記事になってしまったよう です。それでも最低限のことは追加執筆で補うしかないのではないで しょうか。所詮、デモクラシー優位の共同作業なので、かなりの妥協 をするしかないかと思いますけど。心中お察しします。Mishika

この「船頭多くして船山に登る」という一言に、私も深く共鳴して、それっきり Wikipedia から離れた。

しかし 「骨抜き」され、ずたずたにされた記事を時折目にする度に、心が傷む。

それで、今一度、「含蓄 教養」のある記事を生き返らしてみたいという願望のもとに、昔の 「仁目記事」を元に、下記のように、若干手直しをして、Wiki に協力するつもりで、投稿してみたいと思っている。

ただ、昔の苦い経験があるので、今回は、直接 wikipedia に投稿せず、筆者のブログに掲載する事とした。これなら、不特定多数の船頭に、「ずたずたにされる」恐れも無く、趣味のある閲覧者にじっくりと読んで貰えるからである。

ーーーーーーー      以下、全文     ーーーーーーー

 

白髪三千丈(はくはつさんぜんじょう)は、唐代の李白の五言絶句『秋浦歌』第十五首の冒頭の一句。

この句は、日本で、「白髪が三千丈の長さに伸びた」という意味で解釈され、日本では中国人の誇張癖を象徴するものとしてしばしば引用されるが、中国ではそういう使い方はしない。

  (1)「原義と日本語の意味のズレ」

何故原産地の中国で誇張の表現として使われていない文句が、日本で誇張の表現として使われるようになったのか? その原因は、解釈の違いにある。つまり、日本は字面だけを捉え、真意を解していないためである。白髪、つまりシラガは、増えるものであって、長く伸びるとは言わない。伸びるのは髪の毛であり、白髪はそれの変色した部分を指して言う。

李白の「秋浦歌」第十五首は 次のように、四句ある。     

    白髪三千丈、縁愁似箇長、

      不知明鏡裏、何処得秋霜 

冒頭の一句が 「白髪三千丈」、最終句が「何処より秋霜を得たるか」となっている事からも分かるように、頭上の白い部分が一面霜降りの状態になっている。つまり、李白はシラガが増えた、或いは、多くなったと言っている。

「白髪三千丈」は、中国の成句である以上、その真意を求めるなら、本家の典籍を参照するのが筋というものであろう。

中国の詩集「千家詩」の現代語注釈をみると、

  白髪三千丈は、頭上の白髪がふえた、

    一本一本継ぎ足すと延べ三千丈になる

    だろうとの作者の嘆声。


という解釈なっており、長く伸びたとは言っていない。

三千という表現は、元は、仏法の「三千大千世界」から来たもので、広大無辺の仏法世界を意味していた概念を、文人達が取り入れて、「極めて多い」、「極めて広い」などという意味で包括的な形容に使うようになったものであって、算術の「三千」ではない。

従い、白髪が長く伸びた、三千丈の長さに伸びた、という日本人による解釈は間違った字面の解釈であり、本来の詩句、李白の言わんとする真意を解していない。

  

(2)「箇くの似く長(ふえ)たり」


『秋浦歌』第十五首は、白髪三千丈に始まり、続く「縁愁似箇長」の、日本語訳は「愁いに縁(よ)って
箇(かく)の似(ごと)く長(なが)し」となっている。だから、白髪は長く伸びたという解釈に結び付く。

ここで、「長」という漢字が内包する意味を検証してみる。

『広辞苑』に七通りの意味が載っている。「ながいこと」の意味は、その六番目に出ているが、その前に、「かしら」「としうえ」「最もとしうえ」「そだつこと」「すぐれること」などが挙げられている。

旺文社『漢和辞典』は、上記の外に、「いつまでも」「おおきい」「あまる」「おおい」「はじめ」などが挙げられている。

試しに、中国の『辞海』も見てみる。そこには、次のような意味が新たに見られる。「速い」「久しい」「引く」「達する」「養う」「進む」「多い」「余り」など。

以上でほぼ分かるのは、「長」という字は、必ずしも「長い」「長くなる」という意味に限定されていないということである。

俗語の「無用の長物」、この「長物」は辞書により、「長すぎて使えない物」「全く役に立たない物」「余分な物」「ぜいたくな物」などに分かれて解釈されているが、そのどれが正しいかということより、その場その場の使い様で、このような異なる解釈が生じた、と見る方が妥当であろう。

「長」という字に、「多い」という意味も内包されていることに、大抵の人は意外に思うかも知れないが、日本語の「年長者」は、年が多い人の意味であり、「長者」は、お金の多い人である。年が長い人、お金の長い人、とは云うまい。

すると、「愁いに縁って箇の似く長し」という読み方を、「愁いに縁って箇の似く長(ふえ)たり」に読み替えても、それは間違いであるという根拠は何処にもない。あるとすれば、李白に質すだけであるが、それが出来ないなら、李白の意を汲んで読むしかない。

その後に続く、不知明鏡裏、何処得秋霜、の二句を見る。

  「知らず明鏡の裏(うち)、何れの処より

    秋霜を得たるかを」

李白は、ある日、鏡に映る頭上の秋霜に愕然とした。何処から降って来たのだろう、この秋霜は?もともと、髪の毛が白く、それが伸びたのであれば、李白は気付かない筈がない。黒い髪の毛が、灰色に、そして白い色に徐々に変色したから、見落としていただけのこと。ある日、突然鏡に映る頭上の秋霜に気が付く、誰しも、「シラガが増えたなあ!」と溜め息を付く。「シラガが伸びたなあ!」とは言うまい。

  () 「シラガの算術」

漢文は、文字自体、字画が多くて複雑であるだけに、そのような文字によって表現される意味も往々にして奥が深く、分かり難いところがある。俗に云う、「意味深長」である。チンプンカンプンという日本語の元が「珍文漢文」であることからもよく分かる。

「白髪三千丈」は漢文だから難解である。それを算術に切り換えて見たらば、存外分かり易くなるのかも知れない。試みに、「白髪三千丈」を漢文と仏法から切り離して、算術で計算してみる。

一丈が十尺で、一尺が 33.3 センチだから、一丈は 303 センチ、つまり 3.03 米になり、三千丈は、9,090 米の勘定になる。一万米足らずである。

人間の髪の毛は、一般に約十万本あると言われている。仮に、一本当たりの長さを 10 15 センチと見積もると、延べ長さは約一万から一万五千米に達する。三千丈を遥かに上回る。

だから、三千丈を単なる数詞として、算術で計算してみても、かなり保守的な数字であるということが分かる。李白は、誇張どころか、大変に保守的な表現を使っている。勿論、李白が算術を頭の中に入れて詩を詠う訳がないが、詩句を数詞として読む人には、このような解説が必要かも知れないので、敢えて、ここに付け加えたもの。

   () 文学、詩句の修辞というものは


「後宮佳麗三千人」という、白居易
(白楽天)の「長恨歌」に出て来る文句を知っている日本人は多い。しかし、これを字面通り、算術で考えたら、とんでもない事になる。

李白は、西暦762年に亡くなったが、奇しくも、同じ年に唐玄宗も亡くなっている。その43年後、詩人白居易(白楽天)が、玄宗と楊貴妃の悲恋物語「長恨歌」を作る。その中で、白居易は、「後宮佳麗三千人、三千寵愛在一身」と詠い、後世の人々は、それにより、玄宗の後宮に美女が三千人居ることを初めて知った。

果たして、その通りだろうか?答えは「否」であろう。

先ず、「詩歌」というのは、「歴史書」ではないという事。次に、良識で判断してみること。

楊貴妃が皇帝に望まれ、始めて驪山の華清池に召された時、玄宗は年が56、貴妃は22で、正式に妃に冊立された時、玄宗は61、貴妃は27であった。それから、二人は日夜一緒に暮らすわけだが、精神的な慰安は扨置き、肉体的な溺愛は、心欲すれど、体力意の如く成らず、と云った所が実状であった筈。

「三千寵愛在一身」というのは、玄宗の全ての愛が貴妃一人を対象にしていた事を物語っている訳だが、61の年寄り、しかも、今から1300年昔の61だから、昨今の80歳位の爺さんに相当する。

如何に妖艶であろうと、よれよれ爺さんに、美女は一人で充分であろう。だから、白居易は「三千寵愛在一身」とはっきり詠った。

そこから、もう一つ考えてみるべき事がある。ならば、「後宮佳麗三千人」は何の為、誰の為にあるのかという事である。

答えは、常識で判断出来る。つまり、後宮に佳麗は多数居たが、三千人は居なかったという事である。

玄宗はかなり純情だったようで、一人の美女にぞっこん惚れ込み、そして、彼女が亡くなったあとは、深い悲しみに沈み、夜な夜な、枕を抱いて、独衾(ひとりね)していたそうで、そのような純情皇帝の後宮に、三千人の美女を置いて遊ばせる必要は毛頭ない。察するに、言わんとするのは、後宮に美女が多数居たということであろう。百人居たかどうかも疑わしい、勿論、三千人など居るわけがない。良識で判断すれば、こうなる筈。だから、詩歌の一句を以って史実に当てるのは、何ら意味を成さないと言える。

  ( 5) 木暮三千代、新珠三千代が意味するのは

昔、日本女性によく「三千代」という名前が付いていた。ところが、三百代、三万代、という女性の名前は見たことがない。

辞書で見ると、百代、千代、万代、の意味は各々に、長い年月、非常に長い年月、限りなく長く続く世、になっており、百年、千年、万年とはっきり区切られた意味で出ていない。つまり、これらの数詞は、「長い年月」という包括的な意味を表わす形容詞であるということが分かる。

何故、「三千代」に限って女性名に使はれるのか?恐らく、「三千大千世界」に始まる、仏教信仰の縁起かつぎから来たものであろうと思はれる。これは何も、女性名に限ったことではない。幕末の勤王志士高杉晋作が詠ったとされる有名な都々逸に

  三千世界の鴉を殺して、主と朝寝が

    してみたい

というのがあるが、これも「三千」であって、百や万の世界ではない。高杉はただ「天下の鴉を殺したい」と言ったまでのことである。

「三千代」は大袈裟でないのに、何故、「三千丈」なら大袈裟になるのか。髪の毛は三千丈に伸びる訳がない、同じように、人の命も三千代活き長らえる訳がない。

 三千の俳句を閲 ( けみ ) 柿二つ」

これは、正岡子規が詠った俳句である。この句をくだけた現代語に直すと、「三千の選句を終えて、好物の柿を二つ食べる」、になって読み易くなる。

俳人正岡子規は身体があまり丈夫でなかった。三十五歳の若さで、肺の患いで亡くなった事からも、病弱に生まれたということが分かる。そのような弱い身体「三千の選句:」がこなせるのかと思う。

一寸心算してみる。仮りに、一句に一分の時間を掛けたとする、三千句を閲 ( けみ ) し終えるのに、優に五十時間は掛かる。五十時間働いて、やっとこさ柿二つを食べる。生身の人間の身体が持つ訳がない。況して、病弱の子規。思うに、子規は三千もの厖大な数の句を閲したわけではなく、「沢山の選句を終え、一段落して、柿を二つ食べた」、ということであろう。あろうと言うより、正にその通りに違いないのである。その沢山というのは、二十句か、五十句か、はたまた百句か、それはもはや定かではない。が何れにしても三千句ではない。

それとも、いや、子規は間違いなく、三千の選句を終えて、始めて柿を二つ食べたのだ、と言い張る御仁が居るのだろうか。

   ( 6 ) むすび

中国「千家詩」の解釈と、これだけ多くの日本語実例を元にして、考えれば、「白髪三千丈」は、文学上の修辞形容であり、誇張の意味が全く無い事が分かる。

日本に、「論語読みの論語知らず」という言葉がある。字面の上で理解するばかりで、真意がつかめないことのたとえであるが、李白の詩句「白髪三千丈」を誇張な表現だという人は、「詩句」と「算術」のけじめも付かないから、「論語読みの論語知らず」の中に入るであろう。

詩仙李白の折角の「名句」、その真意を解して鑑賞すれば、古今稀なる 『詩情』を楽しむ事が可能になる筈。人貶しに使うのは、勿体無い。
   
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