李白の白髪  仁目子


白髪三千丈
愁いに縁りて  箇の似く 長(ふえ)た
知らず 明鏡の裡(うち)
何処より 秋霜を得たるか

     【  箸  】    

2011-03-31 19:01:10 | Weblog

           ーー    旅   情  ーー

 

『抜粋』

 ある朝、それよりもっと珍しい光景が私の目に入った

 すぐ近くのテーブルで、私と同じように、洋食に箸を使

 っている西洋人を見たのである。西洋の古い伝統を破る

 珍しい光景に、私は、思はずしたり顔になった。

 幾千年の歳月と試練に耐え抜いた東洋食文化の粋、箸。

 それは一対の二十二、三センチ長さの細い竹の棒でしか

 ない。それを片手三本の指で操り、天下の山海 珍味を

 ことごとく平らげることが出来る。その機能性と芸術性

 に疑問を挟む余地はない。  

 ただ、大方の西洋人は、いままで、知る機会に恵まれな

 かっただけのことである。

 私の近くのテーブルで、洋食を前にして、一方の手で箸

 を握ったこの西洋人は、残る片手で新聞をめくり、悠然

 と朝食を取っていた。金属のナイフ・フォークでは味わ

 うことの出来ない竹箸の優雅で静かな食事の雰囲気であ

 る。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

          『本文』  

 

嘗て、私はニューヨークから成田に飛び、信濃路を初めて一人で旅した事がある。

旅情に、土地の風物と駅弁は欠かせない。足で歩いて土地の風物に親しみ、そのあと、揺れ動く車の中で美味しいお弁当を味わう。箸のお蔭である。ナイフ と フォークでは、このような旅情を楽しむことは出来ない。

軽井沢から草津、長野、松本、甲府、そして富士吉田を経て、長年の念願だった、秋の信濃路の旅情を満喫して、東京に戻った。

 

ーー 変わった風景 --

 

品川のプリンス・ホテルに泊まった時、そこの広いバッフェ・レストランで毎日朝食を取った。和洋中と多様性の料理を取り揃えた朝食は、取りも直さず、宿泊客の国際色の豊さを物語っていた。そこの朝食で、私は、洋食に箸を使っている日本人を何人かあっちこっちに見た。


ステーキはともかく、ハム・エッグや サラダのような軽い物を口に運ぶのに、なぜ重い金属製の、ガチャガチャ音がするナイフとフォークを必要とするのか、常々、私の疑問とするところで、西洋だから、なんでも真似して好いものではない、というのが私の考えである。西洋では食事には必ずナイフやフォークが登場すると一般に思はれているが、米国人の多くが好んでバーガーやマックなどで食事を済ませる という現実からも、片手ナイフに片手フォークの食事が、如何に煩わしいものであり、彼等も出来るだけその煩わしさから逃れようとしているのが、容易く想像出来る。

 

ーー 古い文明 --

 

元々、 世界中で箸を使って食事をする地域は中国,朝鮮半島,日本,およびヴェ トナムなど東南アジアの一部に限られていた。この地域は漢字文化圏とも重なる。


この文化圏の発祥地である中国は、だから同時に箸の発祥地でもある。古代の殷 墟から匙とともに青銅製の箸が発掘されていることから,その歴史は、少なくとも紀元前13~14世紀までさかのぼる。ただし,当初、周代から漢代にかけては,飯を食べる用具ではなく,具の入った羹を食べるときに使うものものとされていた。 物の本によると,この用法は少なくとも唐代まで続き、そして今日のように飯を箸で食べる用法は,南方の粘気のある米とともに始まり,南方人が天下を取った明代にこの用法が北方にも波及したのではないかとされている。

 

日本における箸の歴史は文献の上では『古事記』までさかのぼるが,当時の箸は削った竹をピンセットのように折り曲げたものであったといわれている。日本に於いても奈良時代から平安時代末までは,貴族の会食において箸とともに匙が用いられていた記録があるが,その後今日のように箸のみで食べるようになったと伝えられている。

箸文化の食習慣は、箸だけで食べなければならないため,箸には切る,はがす, ほぐす,押えるなど,運ぶ以外にも多くの機能が求められて発達し、今日に至り、 食道楽人種は一対の箸を懐 ( ふところ ) に世界各地に出かけてグルメを食べ歩く事すら出来るようになった。

近年,中華料理を始め、日本、韓国、ベトナム、タイなどの料理店の普及により、欧米人始め、各国人のあいだでも箸は一つの食具として受け入れられている。食べ物により、ナイフやフォークを使うよりも、箸を駆使する方が合理的、そして便利である事が広く世界的に認識されるようになった。

日本において箸の使い方の乱れがいわれている昨今, プリンス・ホテルの朝食で、私は、四角ばらずに、洋食に箸を使って楽しんでいる日本人を何人か目にした。そして、その気楽な光景に私は思わず微笑んで仕舞った。

 

ーー 気楽な食事 --

 

ある朝、それよりもっと珍しい光景が私の目に入った。

すぐ近くのテーブルで、私と同じように、洋食に箸を使っている西洋人を見たのである。西洋の古い伝統を破る珍しい光景に、私は、思はずしたり顔になった。


幾千年の歳月と試練に耐え抜いた東洋食文化の粋、箸。それは一対の二十二、三センチ長さの細い竹の棒でしかない。それを片手三本の指で操り、天下の山海 珍味をことごとく平らげることが出来る。その機能性と芸術性に疑問を挟む余地はない。ただ、大方の西洋人は、いままで、知る機会に恵まれなかっただけのことである。

私の近くのテーブルで、洋食を前にして、一方の手で箸を握ったこの西洋人は、残る片手で新聞をめくり、悠然と朝食を取っていた。金属のナイフ・フォークでは味わうことの出来ない竹箸の優雅で静かな食事の雰囲気である。

 

ーー  バーガー と 箸 --

 

旅を終えて、ニューヨークに戻る JAL 便の機内食は、好物の魚グラタンだった、ナイフとフォークは勿論、そして、意外にも、割箸も添えてあった。

私はすっかり喜び、ためらいなく割箸を取り上げた。隣席の海外駐在員らしき男性は、ナイフとフォークを一旦両手に持ったが、狭い空間に戸惑い気味で、ふと私が 手に持った箸に気が付き、彼はすぐにナイフとフォークを手放して仕舞った。恐らく、内心ほっとしたに違いない。


永 六輔 著「明治からの伝言」という本に、同氏が新幹線で遭遇した、箸に纏(まつ)わる実話が出ている。

     女はふくれ面をしてナイフとフォークを持ってきた。

     老人の困惑した 顔。そこへハンバーグが運ばれてきた。

     案の定、老人はナイフとフォークを不器用に持って、

     なぜかつけあわせのグリンピースから食べようとした。

     背中の丸いフォークに丸い豆が、しかも、ゆれてい        

     る新幹線の中で乗るわけがない。

     なんでもフォークの背中にのせて喰べる作法はどこ      

     から伝わってきたのか、外人までビックリしている。

     僕は鍋かシラミかといった女に 「箸を持って来なさ          

     い」 といった。またしても 「箸なんかおいてません」

     だ。
             

 「それじゃ車内販売の弁当の折からはずして来いよ」

     僕は負けずに命令した。
               
     女は文句をいいながら箸をとりに行き、乱暴にテーブル          

     に置いた。
              
    「おじいさん、箸で食べなさいよ」

     「でも、ハンバーグだから」と老人はかたくなに答える

     「ハンバーグでもなんでも喰いやすいように喰えばいい  

      んです!」

        老人は気の弱い笑い方をして、やっと箸で食べはじ             

        めた。

        僕はホッと しながら、どうしてこんな世の中になった  

        のか淋しくなっていた。

        老人はやっと楽しげに食事をすすめはじめたが、そ     

        の時、アメリカ人が 五、六人、食堂車に入ってきた。 

        電光石火、老人は箸をフォークとナイフに持ちかえ     

        ていた。


 

アメリカという、フォークとナイフの国に、私共一家が住みついてもう二十年ほどになるが、手にナイフとフォークを持ってハンバーグを食べるアメリカ人を、私は殆んど見ない。私共が最も長く住んだニューヨークで、慌ただしい毎日を過ごしている一般の庶 民に取って、バーガー、マック、サンドなどは、文句なしに彼等の最も好む日常食で、わけは至極単純である、手で掴んで口に持っていけるからである。ナイフやフォーク を使い、四角張って食事をするのは、一寸贅沢なフランスやイタリー料理位な もので、西洋人といえど、朝晩、ナイフとフォークで食事をしているわけではない。

 

手で掴んで口に持っていくのは、人間を含む動物の最も原始的な食べ方であるのは言うまでもないが、ナイフとフォークはそれよりやや進化した鉄器時代に遡る食器 の形見である。それを銀製にして、形よく作り直し、今日まで使って来たわけだが、ガチャガチャという音に象徴されるように、元が前近代的なものであったから、とても利器と言えるような代物ではない。煩わしい食事用具である。その反発が、手で掴んで口に入れる食べ物、バーガー、マック、サンドなどの飛躍発展に大いに貢献したのであろう。

東洋人の食習慣に、そのような極端な変化が見られないのは、「箸」という利器があるからに外ならない。この貴重な事実を見逃している東洋の人達が結構居るのは、なんでも西洋であれば良いという、可笑しな迷信によるものではないかと思う。

 

ーー  箸 と 恥 --

 

永 六輔の新幹線実話は、次のように続いていた。

           「おじいさん、箸でいいんですよ」

           「でもアメリカ人がいるから」

           「アメリカ人がいても、ここは日本なんです。箸で 

              いいんです」

           「恥ずかしくないかね」

           「箸で食べた方が立派です」

             老人は僕の言葉に再び箸を手にしたが、その箸を   

            かくすような姿勢で、アメリカ人に背を向けて喰べ 

            ていた。


            一方、注文を終ったアメリカ人の一人が老人の箸   

            をみて、「私たちも箸で食べてみたい」といいだ

            した。

            驚いたことにお姐ちゃんはニコニ コとアメリカ人

            に箸をくばった。

            アメリカ人たちは老人を見て見様見真似で不器用  

            に箸をつかいはじめた。

            そして老人の箸がグリンピースをつまんだりする

            と感嘆の声をあげるのだった。
                      
            いつのまにか老人は堂々たる風格で箸をつかい、

    やがてお姐ちゃ んに声をかけた。

    「オイッ ビール でも貰おうか!」

 

そうです、数千年の試練に耐え抜いた箸は、東洋人が誇りにすべき貴重な文化なのです。

 

ーー 世界の橋になる箸 --

 

信濃路の旅で、私は、箸に旅情を味わい。東京のホテルで、私は、初めて洋食に箸を使う西洋人を見た。そして、帰途の便で、私は、機内の洋食に添えてあった箸に喜び、幾千年の歳月と智慧が残した箸の存在価値を改めて再認識した。箸は、東洋の文化から、更に進んで、世界の貴重な文化になる日はさ程遠くない。

今日、中華は元より、和食、韓国、タイ などの料理を楽しむことが、西洋でも日常茶飯事になって来たのは、料理の味も然ることながら、役割を合理的に果たす「箸」の存在と深く係わっているようである。

 

いずれ、世界中の長距離列車に、割箸付の駅弁が出回るようになるかも知れない。そうなれば、世界各地の旅はもっともっと楽しくなるに違いない。そのような想像を逞しくしている昨日今日である。
 
 
  
             
 
 
 
 
 
 

 


    【  「 倭 の 里 」  風  情  】   

2011-03-24 22:11:57 | Weblog

  ーー   な ぜ 、 自 分 の 名 を 、 

        自 分 で 軽 蔑 す る   ーー

 

 

『抜粋』 ーー 「魏志倭人伝」の意味するところ ーー

 日本列島の島民で、歴史に疎い人でも、列島に関する最古

 の文字記載である「魏志倭人伝」という五字は、皆さんよ

 く知っている筈です。

 この人口に膾炙している「魏志倭人伝」という五つの字

 に、二つの国の呼称が出ている、一つは、「魏」で、これ

 は古代唐土の国名、いま一つは、「倭」という古代列島に

 あった国の名である。

 この二つの漢字は共に、「禾(いね)と女」、つまり「委」

 というを字を含んでいるが、日本の「倭」には「人へん」

 が付いているのに対し、中国側の「魏」には「鬼つくり」

 が付いている。これを目にして、意外に思わないだろう

 か。

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  『本文』   

 

岐阜県 飛騨高山に、非常に格式の高い、「倭の里」 という名の 日本宿がある。 この宿に宿泊した旅行のプロが、全国一と絶賛し、次のように書いていた。

     

 ビックリします!1万5000坪にたった8室の贅沢

   なつくり。 飛騨 の文化を薫る『囲炉裏』を囲み、かっ

   ぽ酒をかわす、 美味しい食事はあたりまえ、こんなに

   日本の風情がみ渡る旅館ってあるのでしょうか?

 

この旅館の名前に使われている 「倭」という字は、正式に「記紀」で使われていた列島の古代名称で、古くは、列島に関する最古の文字記録として、唐土の「漢書」地理志に始まり、三海経、論衡、後漢書、三国史、晋書、好太王碑文、宋書、南斉書、梁書、南史、惰(耳偏)、北史、旧唐書、新唐書、朝鮮の三国史記、更に、列島の古事記、日本書紀、続日本紀と、八世紀に至るまで ずっと公式の史書、文書で使用されていた日本の古称であった。

 

所が、自分のふるさとである「倭」という名の意味が、未だによく分からない日本人が結構多い。 意味はよくは分からないのに、不思議にも、「倭」という字には、人をバカにする意味があると思っている人が結構居る。尚且つ、面白い事に、その「卑しめられている」という意味の解釈がまちまちで、十人十色になっているのである。

 

書物やウエブなどで、目に留まった解釈の例を幾つかここに挙げて見る ; 

 

例 一、「倭」は「背が曲がって丈(たけ)の低い人」を表し、古代中国で日本・日本人を指した字。 まあ、中華思想は昔からあって、自分たちが世界で一番素晴らしいと思っている国ですから周りの国々を常に低く見て蔑称で呼んでいたんです。

例 二、 倭というのは字義が「小さい」という意味。 古代中国人は周辺民族の呼称に何らかの悪い字を用いることが多かったようです。

例 三、 「委」(現代中国語の発音wei)はその解字が禾(曲がった稲)と,女で、「しなやかに 力なく倒れること。」

例 四、 「倭」とは遠く曲がりくねったという意味があり、中国から見て遠かったから。

例 五、 「倭」とは曲がりくねったという意味があり、倭人が腰が曲がっていて見にくかったから。

例 六、 「倭」を矮小の「矮」に通じるので、矮小化した蔑称。

例 七、 「和」とか「日本」とか名乗ること自体、嫌っていた証拠なので、当然、「倭」 という呼称 に侮辱、軽蔑の意図を感じたから嫌ったのである。

例 八, 中国語では「倭」は「醜い」「曲がってる」「歪んでる」だという意味だと聞いたことが あります。

 

以上の如く、例を挙げて行けばきりがないほど、「倭」という字にはバカにされている意味がある、と思っている人が今の列島にかなり多い事が分かる。特に,「今の列島」と強調したのは、昔はそうではなかったという事実と対比する為です。

 

「昔の列島」はどうだったか、昔は、列島自体が、七世紀まで堂々と「倭」と自称し、他称も容れていたし、 八世紀になっても大和国の意味で使われた他、神武天皇の名の一部に使われていた。それで、数多くの漢学や歴史の権威が指摘するように、「倭」が悪い意味だから嫌ったというのは史実ではないのです。

 

阿部吉雄 編集の旺文社「漢和辞典」によると、「倭」という字は、形声文字で、人 と、まかせる意とともに、音を表す委とから成り、意味するのは、 (1) 従順なさま。すなをなさま。つつしむさま。 (2) まわり遠いさま という風に解説し、特に、「卑しめる」という意味があるとは言っていない。

更に、「広辞苑」を見てみる。

『倭』 (1) 中国、朝鮮で用いられた日本の古称。 (2) 日本の自称。 やまと。和。 と、たったの二行で簡単に済ましている。

 

このように権威辞典の解説には、前述の、背や腰が曲がっているとか、背が低い、醜い、歪んでいる、しなやかに倒れる などなどの意味はないのに、何故、今の列島で多くの人が、昔は、「倭」という字によって、卑しめられていたと思うのであろうか。臍( へそ ) 曲がり( perverseness ) だとしか思えない。

 

ここで、ウエブの「知恵袋」に出ていた現代列島人の質問例を参考までに見てみる。

 

質問; 「倭」と呼ぶときは、最近は日本を蔑称して使われているようですが、 「倭」は人と稲と女で作られていますよね。 なぜこの「倭」が蔑称の意味を持つのか教えてください。

 

この質問に対して、ベスト回答として掲載されたのは、次のようなものであった;

 

回答 ; 中華思想の表れで、野蛮な周囲のクニ(日本だけではありません) には、わざと悪い漢字を当てたそうです。発音は独自のものですが (古代中国語では「和」でもほとんど一緒らしい  です)、どの字をあて るかはあちらさま次第ということです。

中国語では「倭」は「醜い」「曲がってる」「歪んでる」だという意味 だと聞いたことがあります。

 

 

この遣り取りを目にして、先ず、不可解に思うのは、質問者は、何故「倭」の意味を漢和辞典で調べようとしなかったのかという事。辞典をめくれば、一発で疑問は解消するのに、それをせずに、敢えて在野の素人に問うて、トンチンカンな知恵を得ている。 何故トンチンカンなのか、この回答者の口調は、 「、、、当てたそうです」、「、、、一緒らしいです」「、、、聞いたことがあります」というように終始して、自分でも肯定しかねる口調で答えている事。このような答えがベストであるか、トンチンカンであるか、多少漢字の知識がある人なら、一目了然です。

 

しかし、知恵袋で、ベスト回答と唱っているので、質問者を始め、その他不特定人数の読者は、それを真に受けて信じる可能性が多いにある。昨今、かなり多くの人が「倭」という字を目にして、バカにされたと過敏に思うのは、恐らく、このような全く「いい加減」な言い分を、そのまま鵜呑みにしているからではないだろうか。

 

ともあれ、「倭」という呼称が最初に記載された文書は唐土の「漢書」である。 その記載内容は次のようになっている ;

 

   然して東夷は天性柔順にして、三方の外に異なる。故に

 孔子、道の行なはれざるを悼み、浮を海に設け、九夷に居

 らむと欲するは以( ゆえ)有るかな。楽浪海中に倭人あり。

 分かれて百余国と為り、歳時を以て来たり献見すと云ふ。

   ( 原文は漢文)

 

つまり、東夷は天性柔順で、他の北狄,南蛮,西戎とは異なっており、孔子が東夷の地に渡海しようとしたのも理由のある (無理はない) ところであると記している。 これは、明らかに東夷を良く評価している記載である。その東夷の中に、倭人が含まれているのである。

 

この記載のどこに、「卑しめ」の意味を見つけ出すのであろうか。且つ、孔子ですら九夷の地に渡りたいと云っているのに、何故、「倭」の子孫は自ら、自分を卑下するのだろうか。それが先ず不可解である。

 

唐土の古書「旧唐書」に、倭国が自ら其名を悪(にく) む、 という記載がある。 その内容は次のようになっている;

      

    日本国は倭国の別種なり、其の国、日辺に在るを以て、

  故に日本を以て名と為す。或は曰く「倭国、自ら其の名

  の雅ならざるを悪み、改めて日本と為す」と。

  或は云う、「日本は旧(もと) 小国にして、倭国の地を併

  (あわ) すと」。  

    其の人、朝に入る者、自ら大を矜(ほこ)るもの多く、実を

  以て対(こた)へず。故に中国焉(これ) を疑ふ。      

    ( 原文は漢文)

 

 

この記載によると、列島が、名を「倭」から「日本」に変えた理由は、二つの可能性がある。

一つは、自ら其の名雅ならずを悪( いや)がり日本に改めた、というもの。

いま一つは、日本旧 ( もと) 小国にて倭国の地を併合したので、国の名も日本に変わった、というもの。

 

その何れが真相なのか、唐土の人にはよく分からない。しかし、入朝する者、自ら大を矜(ほこ)るものが多く、実を以て対さないので、中国はその言い分を疑問視している。さすがに、古い国だけあって、第六感は鋭い。

 

言い分を疑問視していたが、列島が自分の名前を変えたいというのだから、唐土は別に深く詮索もせず、また、する必要もないと思ったでしょう、その後、列島に関する記述を、「倭国伝」から「日本国伝」に書き変えた。やはり、大人の国である。

 

列島の使いが、「実を以て対さない」ので、唐土側は改名の真相をよく知らない。となると、改名の真相は列島自体に求める外はない。

 

列島古代史は、皇国史観のもとにずっと昔から、国民に知られないように真相を隠し続けて居た。従い、改名の理由は、前述のように、二つの可能性があるにも拘らず、列島では、ずっとそれを「倭という字は良くない意味を持つから」という言い分に絞って、庶民に説明した来た。 それがそのままずっと庶民の頭に残り、今日に至るも、日本人は自分のふるさとの名に卑しい意味が含まれていると思い込んでいるのだろう。

 

日本古代史の真相は、戦後、皇国史観の衰退につれ、学者達により、徐々に仮面が剥がれ、真実が明るみに出るようになった。 その結果、旧唐書に記載されていた倭国の改名は、「倭」という名を持つ九州王朝が、近畿のヤマト王朝に滅ぼされた為に、「倭」という国が無くなり、新たに、「日本」という名の国が誕生した、というのが真相である事が分かった。

 

つまり、「日本旧 (もと) 小国にて、倭国の地を併合したので、国の名も『日本』に変えた」 というのが真相なのである。 それは、同時に何を意味するのかというと、従来信じられて来た 「倭の名雅ならず、それで日本に改めた」という説明は事実では無かったという事である。

 

ところが、庶民というのは単純だから、一旦、そう教え込まれると、なかなかそのような迷信から抜け出せない。だから未だもって、多くの日本人は、立派に「人つくり」のついている「倭」という字に偏見を持ち、自国の古代の呼称を卑しいものだと思って敬遠する。

 

自国の歴史の虚偽記述と皇民教育により生じた迷信が、他人からバカにされた訳でもないのに、自己軽蔑と言うか、自己卑下と言うような自虐概念を齎( もた)らしたものに外ならないのである。

 

古代文字を持たなかった列島の呼称に、「倭」という漢字を当てたのは、文字を持った唐土である。 何故、「倭」という字 ? 日本古代史の権威の一人である 上田正昭 教授が 昭和五十一年二月に 講談社より発行した 「倭国の世界」という著書の 六十六 ページに 「倭の意味」という一節がある。下記に、要約引用してみる;

 

 倭とか倭人を、ことごとく日本列島ないし 列島内の種族

   としがたい例はほかにもある。  

      ( 中略 )  

 ところで、「倭」には一体いかなる意味があったのであ

   ろうか。  

 倭 は 我、吾の転じたものとするような考え (『釈日本紀』

『日本書紀纂疏』) や、人 に従い女に従うの意味があって、

   中国人が女治を伝聞して用いたとするような解釈 (『異

   称日本伝』) などはまったくの臆説である。  

      ( 中略)  

 本来は、『説文解字』に「順児、人に従い、委の声」とあ

 り、委もまた委従とされていて、柔順の意味が強い。そし

   てこの字を東夷のなかに用いたのは、五行思想にもとづく

   と考えられる。すなわち五行思想における東は、五行で

   木、五徳で仁にあたる。だから、『前書』でも『後漢

   書』も、東夷にかんして「天性柔順なり」と表現したの

   であう。

 

この通り、歴史と漢字の造詣に深い先生は、「倭」という字の真意、並びに、それが「五行思想」に基く呼称である事までちゃんと知っているのである。庶民の了解とは、雲泥の違いがある。

 

大修館と言えば、漢和辞典の権威出版社である。その大修館の解釈を参考までに見てみるのも、目を開く一つの手であろう。

 

 中国では日本のことを「倭」と呼んでいました。なぜそう

   呼ばれたのか、これも確かなことはわかりませんが、この

   字は本来「なよなよ している」 「従順な」といった意味

   ですから、当時の中国人は日本に対して、そんなイメージ

   を持っていたのかもしれません。

 

大修館も 「従順な」( 正確には、柔順 ) という意味であると言ってます。

 

列島の国技である「柔道」は、柔でもって剛を制するというのが奥義です。柔は、単なる「なよなよ」ではないのです。

 

江戸時代に一部学者による「卑しめ」の意味があるとする主張は、根拠のないもので、多分に「排華意識」による一種の煽動 ( デマゴーグ) に外ならないものと思われる。 学術に忠実な学者、歴史家は、それは違うから是正すべきであると主張する者が多い。

 

ウエブに、歴史言語学なる学問を勉強した方の書いた「倭の語源について」という記事が載っている。 その主張の内容を要約して、ここに引用紹介してみたい;

 

「倭」(wa)の語源 について 「中国を取り巻く異民族の名

 称が、どのように決まっていたかを調べ、その知見を元に

「倭」の語源を求めるというのが、合理的な手法のハズ

  です」 「中国を取り巻く異民族の名称、例えば、匈奴、

   鮮卑、突厥、夫余などの語源は、すべて、自称に基づく

   ものです。例えば、匈奴については諸説ありますが,「人」

   を意味したとされてます。鮮卑は、se(a)bi で、彼等の

   聖山もしくは、瑞兆を表わす獣から名づけられたとされ

   ます。夫余 の puyo も同じく、聖山もしくは聖獣である

 「鹿」の意味で、突厥は、 trk つまり、トルコ(チュルク

   )民族の名称を表記したものです」。

「中国の歴史書に現われる他民族の名称は、原則的に、彼ら 

  自身の言語による自称に基づくものであって、その音を漢

  字で表したものである。 これが、原則です。

  従って「倭」の漢字(中国語)の意味をあれこれ詮索して

 も、その名称の起源を探る上では、無意味だと考える」

 「上に述べたような原則から、明らかに、 「倭」は wa

 の表音文字である wa は、日本人の自称によるもの、つ

   まり古代日本語であることになります」。

  「 結論だけ言うと、」 「倭 (wa)」とは、「我ら」を意

  味する、我々日本人の言葉でした。中国人がつけた、

  「従順な」でも「背の低い」でもない、「我ら」という古

    代日本語です」。  ( 中略 )

 「 私は、国粋主義者ではありませんが、一部の歴史学者

   のいわゆる「被虐的歴史観」には嫌悪を抱いています。

   なぜ「倭」の語源を,「日本人が中国人から、どう見ら

     れていたか」という観点から解釈しなければならないの

     か、理解できません。

   このような解釈は、中国人が異民族の呼称をどう決めて

     いたかという一般原則に反するものです」   ( 後略 )

 

 

この専門家の記事を読んで、確かにその通りだと思う。 自分 或いは、自国の評価をするのに、他国の観点に立つ必要が何処にあるのか。日本人は、口で大きな事を言う割には、他人の目付きばかり気にする。自己過信と 自己喪失が常に同居しているやうなものであると、よく外国人に言われる、無理もない事である。

 

終りに、別の古書記載からも、「倭」の字義を見てみたい。

 

ーー 「魏志倭人伝」の意味するところ ーー

 

日本列島の島民で、歴史に疎い人でも、列島に関する最古の文字記載である「魏志倭人伝」という五字は、皆さんよく知っている筈です。

 

この人口に膾炙している「魏志倭人伝」という五つの字に、二つの国の呼称が出ている、一つは、「魏」で、これは古代唐土の国名、いま一つは、「倭」という古代列島にあった国の名である。

 

この二つの漢字は共に、「禾(いね)と女」、つまり「委」というを字を含んでいるが、日本の「倭」には「人へん」が付いているのに対し、中国側の「魏」には「鬼つくり」が付いている。これを目にして、意外に思わないだろうか。

 

中国は、周囲の異民族に「獣へん」の付く字を呼称として用い、軽蔑するというのが列島に於ける数多くの人の概念であるなら、その中国が、他国に「人へん」の名を付け、自国に「鬼つくり」の名を付けるのは、どうしてだろうか。又、「魏」というのは、有名な「三国史」に出て来る国だが、同じ三国史に出て来る「蜀」という国にも、「虫」が付いている。


日本人の生半可な漢字の素養では、鬼、虫、獣、偏などが付く字は、全て、好ましくない意味合いを持ち、他人を軽蔑する為に使われると解釈しているが、唐土が自国の名称に「鬼」や「虫」を付けても、お隣の列島には丁重に「人へん」付けて「倭」という字を当てている。正しく、唐土というのは、文化の古い、礼儀の邦である。所が、そのように評価する声は列島で殆んど聴かない。逆に、聴こえるのは、バカにされているとか、バカにしてやがる、などという声ばかりである。変だと思わないだろうか。

 

この「魏志倭人伝」の五字を、字義で表すと、「鬼志吾人伝」になる。

 

「倭人」の二字は、「我は人」の意味だから「吾人」になる。だから、「魏志倭人伝」の字義を、列島風に解釈すると、「私は、鬼だが」「貴方は、人間だよ、人間だよ」と言われているのに等しい。

それは、「怪しからん」と言って文句を付ける列島人種は、余程、どうかしていやしないかと思う 。

 

冒頭に出したように、飛騨高山に、「倭の里」という名の純日本風の格式高い宿がある。 旅行のプロの絶賛を、今一度読んでみる。

 

 ビックリします!1万5000坪にたった8室の贅沢な

   つくり。飛騨の文化を薫る『囲炉裏』を囲み、かっぽ酒

   をかわす、美味しい食事はあたりまえ、こんなに日本の

   風情が染み渡る旅館ってあるのでしょうか?

 

「倭」という卑しい字を名にしても、この宿の格式は高い。と言うより、「倭」という字そのものの格調が高いのではないか。

 

日本風情の染み渡る旅館に相応しい名前を付けた宿の主人は、どんな人物だろうかと、想像してみたくなる。 そして、お金を溜めて、一度だけでよいから、そこに泊まって、「倭」の里の風情をじっくり味わってみたいと思う。

 


    【   万 斛 の 涙    】  

2011-03-17 11:11:23 | Weblog

   ーー   い か に も 情 け な い ーー 

        ( 南 無 妙 法 蓮 華 経 )

 

『抜粋』

  「万斛の涙」という言葉の味は、十万斗の涙」と

        いう意味る。

  「斗酒なを辞せず」という。大変な酒量の事である。

        一斗で変な酒量だというのだから、十万斗の涙

        は、天文数字の量になる。酒はいくらでも生産出来

        るが、涙は人体の分泌物だから、出る量は限られ

        ている。杯( さかずき) 一杯も出ない涙に、十万斗

        の数詞を配する。あり得ない事だと知ってて使う、

        誇大筆法の表現に属する。

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

      『本文』     

 

昭和二十年八月十五日、昭和天皇により、日本がポツダム宣言を受諾し、無条件降伏する事が、国民に知らされた後、時の鈴木内閣による、国民に対する「内閣告諭」が発表された。

その告諭の中に、次のような一節がある;

  本日畏くも大詔を拜す、帝國は大東亞戰爭に従ふこと

    実に4に近く、 而も遂に聖慮を以て非常の措置に

    より其の局を結ぶの他途なきに至る、 臣子として恐懼

    謂ふべき所を知らざるなり

     ( 中略 )

    固より帝國の前途は此に依り一層の困難を加へ更に國

    民の忍を求むる に至るべし、然れども帝國はこの忍

    苦の結実によりて國家の運命を將來 に開拓せざるべ

    からず、本大臣は茲に万斛の涙を呑み 敢てこの難き

    を同胞に求めむと欲す

  ( 後略)

  昭和廿年八月十四日

  内閣総理大臣 男爵鈴木貫太郎

 

この一節に,「万斛の涙を呑み」という言葉が出ている。

  「斛」とは石(こく) の意で、十斗の分量。と辞書に

     出ている。

  「万斛」は「斛」の 一万倍だから、「万斛の涙

     いう言葉味は、十万斗の涙」という意味になる。

 

「斗酒なを辞せず」という。大変な酒量の事である。一斗で大変な酒量だというのだから、十万斗の涙は、天文数字の量になる。酒はいくらでも生産出来るが、涙は人体の分泌物だから、出る量は限られている。( さかずき) 一杯も出ない涙に、十万斗の数詞を配する。あり得ない事だと知ってて使う、誇大筆法の表現に属する。

 

この誇大筆法に属する表現は、列島でよく使われる。戦後しばらくして、戦没者遺族生き残った戦友により、大平洋諸島の嘗ての激戦地で建てられた慰霊塔にも、よくこの表現が見られる;

 

  パプアニューギニア。投入された兵力は陸軍第十八

      軍、海第九艦隊、 あわせて14万8000人、

      そのうち生還者1万3000人に過ぎなかった。

      しかも死者の9割は餓あったという。

  死生困苦の間に処し、命令一下「欣然として死地に

      投ずべし」(戦陣訓 )と教え込まれた有為の青年た

      ちは、万斛のをのんで 密林に屍をさら したので

      ある。

 

又、敬愛する先生への告別悼辞にも、この表現は好んで使われる;

  平成16年12月12日、私どもの敬愛する先生が

      逝去されたとの報に 接し、先生と我々の63年に及

      ぶ師弟関係の深き縁を想い起こし、万斛の涙湧き出

      ました。ここに、謹んで先生のご冥福をお祈り申し

      上ます。

 

そればかりではない、文学作品にも見える;

  その暁にこそ、彼女はこの老人に向って無限の感謝

      と万斛の涙をそそぐであろう。

  彼女はあたかも、故人の墓に額ずくような気持で、

      ああ あの人は私のた めにこんなに親切にしてくれ

      た、ほんとうに可哀そうな老人であったと、泣いて

      礼を云ってくれるであろう。

  自分はどこか、彼女からは見えない所に身を隠して、

      余所ながら彼女の その涙を見、その声を聞いて余生

      を送る。その方が、いとしい人から恨 まれたり呪わ

      れたりして暮すよりは、自分としてもどんなに幸福で

      ある か知れない。

    ( ー 谷崎潤一郎 『少将滋幹の母 ー  )

 

以上のように、万斛の涙を呑み、万斛の涙をのんで、万斛の涙湧き、万斛の涙をそそぐ、と幾つかの例を挙げたが、実際には、十万斗の涙など、湧くことも、呑むことも、そそぐこともあり得ない。

 

ウエブに就職試験に備える為の「1分!常識」というページがある。

それによると、「万斛(バンコク)の涙とはたくさんの涙のことである」というのが「正解」である、と書いてあった。

 

実際にどれだけの涙が湧き出るか、それはどうでもよい。要するに、止め処無く涙が出て来る、そのような心情、情緒の昂ぶりの描写である事が分かる。

だから現実から離脱する。通常、これを文学的な誇張表現の一種であるとされ列島で好んで使われる。

成程、それなら分からん事はない。

と思う、反面、どっかで、これに極めて類似した表現を見た覚えがある。皆さんもある筈です。よく聞いたり、目にしたりしますよね。ほら、中国人はホラ吹きだと言う時、「あの国は白髪三千丈」の国柄だと言う人が結構居るんじゃない。あの「白髪三千丈」です。「十万斗の涙」と「白髪三千丈」、うん、全く好い勝負です。

列島も流石に「言霊の栄える国」だけあって、唐土の李白には負けていない。

 

そう言えば、文豪漱石もこのような表現を使ってました。例の、「智に働けば、どうのこうの」、「情に棹さしたら、どうなるの」、とぶつぶつ呟きながら、山登りをした画工の書いた作品「草枕」の中に出ています。

   西洋の詩は無論の事、支那の詩にもよく 万斛の愁い

       などとう字がある。

  詩人だから万斛で、素人なら一合で済むかも知れぬ。

      して見ると詩人は常の人よりも苦労性で、凡骨の倍

      以上に神経が鋭敏なのかも知れん。

  超俗の喜びもあらうが、無量の悲しみも多からう。

      そんならば詩人になるのも考え物だ。

 

この一節に、万斛の涙ならず、「万斛の愁い」という表現が出ている。しかし、漱石は、西洋の詩や、中国の詩にもよくこのような表現が出て来ると言っているだけで、彼自身が使ったわけではないが、しかし、彼は、ここで「西洋の詩は勿論の事」だと言って、このように、雲を掴むような表現は、科学先進国でも横行している事を明らかにした。

 

こうして見ると、大体に於いて、涙と愁い、悲しみと無念の思いに、「万斛」という表現をくっつけているのが多い。どうも、人間というのは、古今東西に拘らず、悲しい時に限って、極端に大袈裟な表現を使う習性というのがあるらしい。

詩仙李白もそうだった。

秋浦長似秋   秋浦は長( とこし) えに秋に似たり                       

蕭條使人愁   粛条 ( さみ) しく人をして愁える      

客愁不可度   客愁は渡( はか) る可からず         

行上東大樓   行きて東の大楼に上がる           

正西望長安   正(まさ) に西のかたに長安を望む      

下見江水流   下には江水の流るるを見る          

寄言向江水   言を寄せて江水に向かい           

汝意憶儂不   汝の意は儂( われ)を憶( おも)うや不

                        ( いな) や

遙傳一掬泪   遥かに一掬 ( いっきく ) の涙を伝えて     

為我達揚州     我が為に揚州に達せよ

 

これが、彼の有名な「秋浦歌」の十七首の書き始め、つまり第一首である。

見て分かるように、老いたる身の粛条( さみ) しい愁いに涙して、この愁いを故郷の妻子に伝えて呉れよと、詩仙は、涙ながらに江水に訴えている。この一節に、共に涙した人が、どれほど居たことか。

 

こうして、愁いに涙して一首、さらに一首と詠い、ついに、第十五種に至り李白は、古今稀れなる詩的表現の高峰「白髪三千丈」を詠み出した。 二〇〇三年の十一月、ウエブで「白髪三千丈」の記事を検索した事がある。そのコピーがまだ手元に残っている。見てみると、記事全部で約 483 件しかなかった。今年、二〇一一年の三月、同じ「白髪三千丈」で 再度検索してみたら、その数は 37,000件に増えていた。なんと、百台から万台に増加したのである。李白の人気や恐るべし。如何なる文学者や芸能人でも、歿後千数百年経っても人気が衰えず、このように益々上昇するのは、他に例を見ない。

 

列島では、漢詩を読む人口が日毎に減って行くのに、どうしてだろうかと思って、今流行りの記事内容を見てみると、詩を談じる記事以外に、李白とは全く関係のない、靖国神社、戦死者の数、南京事件、慰安婦など、果ては、中国の歴史の長短、虚構について、論じる記事が大変な数を占めている。

つまり、かなり脇道に逸れた記事が多く増えているというのが実情であって、単なる李白の人気上昇によるものではないという事が判明した。

 

白髪が三千丈に伸びる。全く不可能なことであり、涙が十万斗湧き出る事が絶対に無いのと一緒である。「万斛(バンコク)の涙とはたくさんの涙のことである」なら、「白髪( シラガ) 三千丈とはシラガたくさん増えたことである」になる。 ただそれだけの事である。

 

南無妙法蓮華経、俗に「れんげ さん」と信者に親しまれている説法がある。

   三千大千世界ヲ見ルニ乃至芥子ノ如キバカリモ、

       是レ菩シテ身命ヲ捨テタマフ処ニ非ザルコト

       アルコトナシ日蓮ガ慈悲広大ナラバ、南無妙法蓮

       華経ハ万年ノホカ未マデモ流ルルベシ。

  日本国ノ一切衆生ノ盲目ヲ開ケル功徳アリ、無間地

       獄ノ道フサギヌ ただ言葉の皮相のみを見て、

       他宗を悪くいったものだといって、その 心の中にひ

  そむ 万斛の涙を汲むことを知らぬというのは、いか

  にも情ないことではないか。

 

というような調子の説法なんですが、この中に、白髪三千丈という言葉の元である「三千大千」という表現、そして、「万斛の涙を汲む」という表現、共々同時に出て来ている。 そして、「れんげさん」 説いて曰く、

   「ただ言葉の皮相のみを見て、その心の中に

    ひそむ万斛の涙を汲むことを知らぬというのは、

    いかにも情ないことではないか」

正しく、その通りです。

 

列島の衆生よ、

「ただ言葉の皮相のみを見て、その心の中にひそむ白髪三千丈の愁いを 汲むことを知らぬというのは、いかにも情ないことではないか」。

 

 

 


【 雨  天  の  空  は  、  曇  っ  て  い  る 】  

2011-03-10 09:42:51 | Weblog

  ーー      源 義 経 が ジ ン ギ ス カ ン で

         日 本 人 が ユ ダ ヤ 人 と は 

           ナ ン ジ ャ ラ ホ イ  ーー

 

日本列島の古代は、呪術、鬼道、言霊の栄えていた島だった。

そのような習俗の名残りのせいか、現代の列島にも、想像や空想に頼って作り出された歴史物が多いし、しかも多くの庶民に快く受け入れられている。

 

一頃、ジンギスカンは義経であるというのが喧伝されていた。源義経を漢語で読むと、エンイージンになる。発音が「ジンギスカン」に近いからというのがその主な裏付になっている。

 

西郷隆盛は、西南戦争で敗れた後、南越に渡って国王になったという話も、「西貢( サイゴン ) という首都名が「サイゴウ」から来たものであるという説明になっている。

 「エンイージン」「ジンギスカン」の発音が近い ( ) というのは、列島人の音痴を悪用した虚構だが、蒙古に渡った源義経が蒙古語でなしに、漢語発音の名前に変わるのは、これまた、列島人の語学音痴をうまく利用した幼稚な虚構である。

 

このような作り話を、真に受ける現代列島人が結構居たのは、やはり古代列島習俗の影響が強く残っているとしか解釈のしようはないだろう。

 

更に一歩進んで、言葉の方にも顔を向けてみる。

ナンジャラホイという文句がある。これは日本語だが、日本人に意味するところを聞いても、うまく説明出来る人はまず居ない。それは歌の囃子(はやし)だからこれと言った意味合いはない、という答えをするのが精一杯のところではないかと思う。

 

ところが意外にも、そのナンジャラホイに深長なる意味が込められていると云う人も居る。

日本人とユダヤ人は同じ民族だという日ユ同祖説がある。それも一つだけでなしに複数の説がある。その一つである、川守田英二郎という人の説によると、ナンジャラホイはヘブライ語でちゃんとした意味があるそうだ。

それについて、長山靖生「人はなぜ歴史を偽造するのか」の p.64 に次のような記述がある。

 

  「人騒がせな話だが ( 日ユ同祖説のこと)

  後年、これを本気で信じる人々が現れ、さま

  ざまな研究が世に問われことになった。な

  かでも傑作なのは川守田英二郎の研究だ。

  彼の説によると、日本人は確かにユダヤ人

  で、その証拠に祭りの囃子言葉などはすべ

  てヘブライ語なのだそうだ。たとえば 「ヤ

  ートセー」は「ヤホバ放棄せり、敵を」だ

  し、「ヨーイヤナ」は「エホバ祈りに応え

  ませり」で、「ナ ンジャラホイ」は「天子

  をエホバは守りたまえり」なのだそうだ。

  そういわれても、たいていの日本人は困っ

  てしまうだろうが、時々、膝を叩いて 「そ

  うだったのか!」と叫ぶ人がいるから、な

  お困っ てしまう。まことにもって、ナン

  ャラホイである。」

 

たいていの人が困ってしまう話をする人は世間何処にでも居る。そのような人が自分勝手な話をする、それだけのことならさほど困ることもないが、膝を叩いて賛意を表する人が結構いるから困る。だから、長山氏は、「なほのこと困ってしまう」と云う。全くその通りだと思う。

 

 

   ーー 雨天の空は、曇っているーー

 

何だか可笑しい物の言い方だが、論理学上ではこれを「論理的真」と看做しているそうで、可笑しな表現だけれども、雨天の空は曇っている、というのは事実だからである。

    すべて人は死ぬものである、

     ソクラテスは人である、               

     故に、ソクラテスも死ぬものである。

これは、衆知の通り、論理学の「三段論法」について説明する時、よく例に引かれる文句で、事実その通りであるが、しかし、実際にはそんな稍 ( やや ) こしく言わなくてもソクラテスだって死ぬこと位、誰でも知っている。それは「論理」の前に「常識」というものの存在があるからであろう。

   「白髪三千丈」という文句は、詩人李白の作である、

  「白髪三千丈」と言うのは、ホラ吹きである、

   故に、李白はホラ吹きである。

 

もし、「白髪三千丈」という詩句の実態が間違いなく「ホラ吹き」であるなら、この論理は、ソクラテスも死ぬものである、と同様、筋がちゃんと通り、「李白はホラ吹き」になる。

 

漢詩、かつては日本人の教養の度合いを示す趣味の一つであった。今は昔ほどではないが、依然として、漢詩を好む現代日本人は非常に多い。

漢詩は、中国の唐宋時代に最も流行り、情韻豊かな作品を、俗に「千家詩」と称されているように、数多くの詩人によって詠われ、後世に残した。それら数多い詩人の内、日本で特に親しまれて来たのは、李白を始めとする、杜甫、白居易( 白楽天)、王維、陶淵明、などの五大家であろう。取り分け、李白、杜甫、は漢詩の双璧として、それぞれ、名句「白髪三千丈」「國破れて山河在り」と共に列島で人口に膾炙し、両者の知名度は極めて高く、甲乙は付け難いと云える。

そう思って、試しに、ウエブサイトで検索をしてみると、次のような結果が出た。( 2011 3月初め )   

     李白 11700000

   杜甫 4940000

 

数字というのは正直である。

日本で李白の人気が杜甫を上回っている事がサイトにもそのまま出ている。ただ、気になるのは、実際に内容を見てみると、李白の場合、詩人の名こそ使用しているものの、中身は詩と直接関係の無いものがかなり高い比例を占めているという事である。

例えば、酒仙「李白」の名を借りて、銘酒の宣伝と飲み屋の広告をしているのが目立って多く、料理屋や旅館の広告がそれに次ぎ、肝腎の「詩」を論じる件数はさ程多くはなく、ほぼ酒造元の広告と同等の比例を占める程度に過ぎない。何れにしても、列島に於ける、「李白」という詩人の知名度が他方面に亙っており、「詩」一本槍の杜甫に比べてより広く馴染まれているという裏付けにはなる。特に、マージャン屋茶房にまで「李白荘」という名を付けてウエブ広告している事からも十分に察しが付く。

ところが検索中にはっと気が付き、非常に意外に思ったのは、「白髪三千丈」という文句の作者である李白のサイトには、「李白はホラ吹きである」という事に触れてる記事が皆無だったということである。

 

    ーー 論理の飛躍  ーー

 

又、同じ時点に、「白髪三千丈」のサイトも検索してみた。件数は、約37300 件ほどある。こちらも「李白」のサイト同様、「詩句」でありながら「詩」以外の事について談じている方が圧倒的に多い。そして、周知の事だと思うが、このサイトでは、「白髪三千丈」と「誇張」を繋 (つな) ぎ併せて語っている記事が大半を占めている。

 

 「李白白髪三千丈誇張である」というのが列島に於ける常識であるなら、誇張の主は李白、すなわち、「李白誇張である」という論理にならなければ不可ないが、「李白」のサイトには、そのような論理は見当たらず。「白髪三千丈」のサイトに、そのような論理は沢山出ているが、主( ぬし) は「李白」ではなく、李白をを飛び越して、「中国人」に繋いでいる。

つまり、「李白白髪三千丈誇張である」という常識 ( 実際は非常識だが) が、「中国人白髪三千丈誇張である」という具合いに「論理の飛躍」にすり替えられている。

 

李白は、唐土や列島に限らず、「Li Po 」という横文字名で世界的に知られている詩人である。勿論、「白髪三千丈」という文句も広く知られている。

所が、この文句に「誇張」の綽名を付けたのは列島だけで、この文句を「李白」から切り離して「中国人」にくっつけたのも、列島だけである。

 

漢字頓珍漢の欧米はともかく、漢字を文化の核とする列島に於いて、このような「誤訳」ないし「論理の飛躍」はどの様にして生じたのか。

それは、次のようなサイトから凡その判断が付くのではないかと思う。

 

    ーー 沖縄も白髪三千丈の邦」?  ーー

 

ウエブに『沖縄全島エイサーまつり』の様子を伝える「通信記事」が目についた。見出しに、「そこは白髪三千丈の邦である」( 沖縄のこと) という文句を使っていた。なぜ、沖縄がと思って読んでみた。

 

  何故か、「エイサー祭り」は、沖縄市のイベントで、

    極めてローカルな もので、沖縄市の人口が12 万人し

    かないのに、祭りの宣伝文句は 「毎 25万人の観客

    を集める」と書いている。だから、白髪三千丈の邦で

    ある。

 

というのがこの通信記者の説明であった。

しかし、日本本土で開催した「万国博覧会」には百やそこらの国しか参加していないのに、平然と「万国」博覧会と称しているのに、本土から外れた「沖縄」に於けるエイサー祭の観客数問題が、「白髪三千丈の邦」にまで飛躍するのだろうか。

 

そして、何よりも滑稽だったのは、この通信記者は、「白髪三千丈」という文句ですら良く知らなかったということを、記事の締めくくりで白状し、下記のような注釈を付け加えていた事である。

この通信記者が「シマンチュー」ではないということが一目了然とする記事であった。

   【白髪三千丈】中国の故事からのことわざ。

   御免なさい、出典は忘れました。

   ともあれ、意味は、白髪の長さが三千丈もある、と

      いう実際には有り得ないオオゲサな表現をする、そ

      の行為を言っています。

   本文中、既に訂正しましたが 最初「三千里」と間違

      っていていましたが、別に母を訪ねる訳ではない

      ので、これは 違いでした。正しくは長さを表す丈

       (ジョウ/背丈 ~ セタケなどという長さの物差し)

         です。

   文中の意味は、中国のオーバーな表現文化の薫陶を

      受けたのか、沖縄もややその傾向があらゆるシーン

      でみられます、ということ。

 

つまり、この通信記者は、

(1) 「白髪三千丈」の出典が分からないのに、この文句を論

     じている。

(2) 三千丈と三千里を混同している。

(3) 沖縄が、中国文化の薫陶を受けたからだ、としている。

実際は、シマンチュウ以上に、ヤマトンチュウの方が中国文化の薫陶は深いことですら、この記者は知らない。

などなどと、驚くべき非常識を自分で暴露している。

 

数年前、沖縄で、戦争末期の集団自決への軍関与を曖昧(あいまい)にする教科書改定に抗議する集会が開かれた。この集会に対し、一部国粋主義者は、問題の本質を扨( さて ) 置いて、その参加者数がおかしいと反撥した。反撥の論旨は

 

 主催者側発表では二万五千平米の会場に十一万人だとい

 う。四畳半(七・五平米)に三十三人の計算になる。常

 識的に見て無理な数だ。しかも、会場の航空写真では、

 所々にあきが見える。どうもおよそ三倍増の誇大発表

 しい。

 

という内容で、且つ、丁寧にも、「ウリ縄知事の白髪三千丈 呉智英・渡部昇一 論評論理などない!」というキャッチフレーズを付けている。  

常識的に見て無理な数であれば、それは、戦時中、列島の「大本営発表」が最も典型的な実例だが、「大本営発表」を棚上げにして、替りに、わざわざ遠い唐土から千年前の「白髪三千丈」を運んで来て当て嵌( ) めるというのは、「偏見」か、常識欠落か、その何れかに外ならないであろう。

 

 

通信記者にしても、評論家にしても、漢詩に対する素養がこの様にお粗末であるなら、列島一般庶民は尚更「ちんぷんかんぷん」であろう。にも拘らず、誰もが李白の詩句を悪用し、他人のコキオロシに使おうとする。

雨天の空は、曇っているが、空が曇っていれば、雨が降る、という論理は成立しない。

李白は中国人であるが、中国人即ち李白、という論理も成立しない。

況して、李白の詩句と沖縄を、どうやって繋ぎ合わせるのだろう。並の常識では判断出来ない事である。

源義経がジンギスカン、西郷隆盛が南越王、日本人がユダヤ人、などなどの偽作に比べれば、沖縄の集会人数が何で問題になるのだろう。 


    【  ト ト ロ  と  李 白  】   

2011-03-03 09:41:56 | Weblog

    ーー 自 然 に 親 し む も の は 、

         ト ト ロ に も 親 し む   ーー

 

『抜粋』

「となりのトトロ」の中で、カンタがサツキに、大声で、

「おまえんち、お化け屋敷!」と叫んだ時、サツキは全

 く相手にしなかった。内心はきっと 「このバカ」と思

 ったのでしよう。しかし、カンタのおばあちゃんは、

 黙っていなかった。

    ばあちゃんは、大きな声で、「カンタっ !!」 と怒鳴

  った。それを聞いて、カンタは、ぱっと逃げた。

 

  天下の李白の詩句を悪用して「中国人は大げさ」だと

 か「白髪三千丈の国柄」だと言って、「となりの国」

 を貶なす人が列島に居る。このような「大人の子供じ

 みた仕草」にし、中国人による反撥は聞いた事がな

 い。バカバカしいらであろう。

 

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

      『本文』  

 

人気抜群の「となりのトトロ」の製作にあたって、その準備稿には次のような作品の主題が書かれていたそうである。

  

  「この国に、人間より昔から住んでいる生き物、ミミ

         ズクと狸をぜた ような姿。大きなものは身長2メー

          トルをこえ、小さなものは小狸 ほど。森の中での

          んびりとくらし、どんぐりを熱愛する。

   普段は人の 目には見えないが、たまたま姿を見た

          ものに、もののけと錯覚された りする。人間と交

          渉を持つのを嫌い、あたりが騒がしくなると山奥へ

          うつってしまう。その為に、最近ではめっきり数を

          へらしてしまっ た。 人語は喋らない」。

  

従い、この動画劇の中では、そのような一風変わった自然界のトトロの姿を見ることが出来るのは、自然に対し親しみを持ち、自然を素直に楽しむ心を持つ人間だけだということになっている。トトロは、だから、豊かな自然を象徴しているおばけだということができる。

 

そのトトロの姿を見ることが出来るのは、「自然に対し親しみを持ち、自然を素直に楽しむ心を持つ人間だけです」ということになっているが、この場合の人間というのは、子供をさしているのは、衆知の通りです。

この動画劇中で、トトロに親しんでいるのはサツキ とメイ姉妹で、言い換えれば、「自然を素直に楽しむ心を持つ人間」は、この作品では、サツキ と メイ の姉妹だけだということになり、カンタは外れていることになる。だから、「おまえんち、お化け屋敷 !」という言葉がカンタの口から出て来る。

  

唐土の李白 と 列島のトトロ、この二つの人物は、この作品の中では直接の係わりはないが、幾つかの共通点が見られる。

  

 ( 1 ) 先ずなによりも, 二人共に、我々の隣人である。 片や「となり の トトロ」、片や 「隣國唐土の詩人」。

( 2 ) 共に、年が千三百年という「古人」であるということ。 トトロは、「1300 歳くらい。森の主であり、この国に太古より住 んでいる生き物」であると脚本で紹介されている。一方、李白は,西暦七○一年の生まれの唐詩人で、今年で、1310 歳だから、年齢はピッタリと合う。

( 3 ) 次に、二人ともに世離れしている「生きもの」であるというこ と。 月や雲や霞を終生の友として生きた李白と「森の主」であるト トロ、二人の仙人ぶり、これ以上の説明を要しないであろう。

( 4 ) それに、分かっている人間には、こよなく親しんで貰えるが、 そうでない人間には、「化けもの」にしか見えないという神秘性を持つ。

  

「となりのトトロ」は、子供の世界に属するが、同じ子供は子供でも、サツキ姉妹はトトロに非常に親しみを持っているが、カンタはそうではない。大体が、劇中で、カンタとトトロ、この二人を一緒にする場面すらなかった。同じ劇中の子供だが、異なる世界に生きているということを意味しているのではなかろうか。

  

さて、「となりの李白」は、千年来、列島の人びとにこよなく愛されて来た。が、同じ列島には、李白に何ら愛着を感じない人も結構居る。 その両者の違いは、トトロの場合は、「自然に対し親しみを持ち、自然を素直に楽しむ心を持っているかどうか」にかかっているようだし、そして、李白の場合は、「詩に対し親しみを持ち、詩を素直に楽しむ心を持っているかどうか」にかかっている、ということが言えるようである。

  

ーー  詩歌を解するものは、李白にも親しむ  ーー

  

松浦 友久著の 「 李白の詩と心象」という本の読者レビューにこう書いてあった;

  

    白髪三千丈、李白一斗詩百篇 李白について

    は、説明の必要は無いと思います。 それくらい

    有名な詩人ですから、李白の詩集、また李白の

    詩について論じた書は日本でも多く出版されて

    います。

  

このレビユーで分かるように、李白は、トトロに負けず劣らず、列島でよく知られている詩人。そこで列島では、李白の名が出て来ると、開口一番、彼のもっともよく知られている詩句「白髪三千丈」も併せて出て来る。

列島には、この詩句の描写に涙するほど感銘を受ける人も居れば、この詩句をぼろぼろに貶なす人も居る。

李白の「白髪三千丈」、詩の分かる人は、次のように親しむ;

   

  (鑑 賞) 人生の晩年にさしかかって、放浪の末、そ

  の名もうら寂しい秋浦へ やって来た。 「秋浦歌」

  十七首の連作は、全体に哀愁の情が満ちて いる。

  中でもこの一首は、まさに千古の絶唱というにふさわ

  しい。 まず、第一句、 「白髪三千丈」という。何

  たる語の奇抜さ、何た る着想の妙。もとより三千

  の長さの髪の毛など、あるはずはない。それをあえ

  て、おれの白髪は三千丈だ、といった、その心の深

  い悲しみに、読者は打ちのめされてしまう。 なんでこ

  んなに白髪になったのだろう、という作者。われわれ

  は、李白 の、豪気奔放な一生を知っている。それだ

  けに、晩年の李白のこの悲しみに、また深い共感を

  覚えずにはいられない。

  

 

この一節の「鑑賞」は、前にも紹介した事がある、日本詩吟学院岳風会 認可、兵庫県 本部第一ブロック、翠支部 がウエブにて発表したものである。

この「鑑賞」力、流石という外はない。

 

この日本詩吟学院岳風会認可の翠支部は、前述の「鑑賞」のあとに、下記の一言を付け加えていた;

 

  「白髪三千丈」 の句を称して、中国人の誇大

   癖の例とするがごとき 者は、詩を読む資格はな

   い。ドカーンと白髪三千丈、この句に打ちのめされ

   れば、それでよいのだ。

  

詩を知らない人の、この詩句の濫用と冒涜 ( ぼうとく) に対する大変な怒りを表わしている。

  

 

「となりのトトロ」の中で、カンタがサツキに、大声で、「おまえんち、お化け屋敷!」と叫んだ時、サツキは全く相手にしなかった。内心はきっと 「このバカ」と思ったのでしよう。しかし、カンタのおばあちゃんは、黙っていなかった。

 

ばあちゃんは、大きな声で、「カンタっ !!」 と怒鳴った。それを聞いて、カンタは、ぱっと逃げた。

 

天下の李白の詩句を悪用して「中国人は大げさ」だとか「白髪三千丈の国柄」だと言って、「となりの国」を貶なす人が列島に居る。このような「大人の子供じみた仕草」に対し、中国人による反撥は聞いた事がない。バカバカしいからであろう。

しかし、列島の、詩を解する人士は黙っていない。カンタのおばあちゃんよろしく、「詩を読む資格はない。ドカーンと白髪三千丈この句に打ちのめされれば、それでよいのだ」とこのものどもを一喝。

 

サツキには相手にされず、ばあちゃんには怒鳴なれたカンタは、その後、サツキとだんだん仲良くなって行くが、「大人のカンタ達」は、”三つ子の魂、百まで”、意地っ張りだから、果たして、李白が分かるようになる日が来るのやら、来ないのやら、、、、