李白の白髪  仁目子


白髪三千丈
愁いに縁りて  箇の似く 長(ふえ)た
知らず 明鏡の裡(うち)
何処より 秋霜を得たるか

【 「 三 等 分 人 生 」 の  回 顧 】 (6) 

2007-07-23 11:24:56 | Weblog

                   ーー    目 下 、 余 生 の 日 々  ーー

『抜粋』 (1)

 

   私は現役時代、人並みに働き、会社の勤務評定もか

   なり良かったので、私がそのまま社会の第一線から

   退くとは、誰も予想出来なかったようである。 人間の

   性分は、生まれ付き苦労性である人も居るが、一部

   の野心家を除き、大半の人は、本質的には、怠けら

   れるものなら怠けたいように生まれている。大半の人

   がそうであるなら、私もそうである。

   面白いことに、私の友人共も、概して同じような性分

   を持っていながら、私の早期退職の動機が「怠け」

   に端を発っしていることに誰も気が付かない。また、

   私の目標が 「晴耕雨読」の生活であると見る人も居

   なかった。尚且つ、私が率直にそう打ち明けても、そ

   の通りに信じて貰えなかった。

 

『抜粋』 (2)


   私は、ニューヨークという異国の地で、会社勤めを切

   り上げた。三等分人生を計画し始めた時分、まさ

   か、職場が外国に移転し、異郷で余生の生活を始め

   るなど、全く予想もして居なかった。しかし、結果的

   に、この広い大地で一時なりとも、余生を過ごすこと

   が出来るようになったのは、予想外の幸いであった。

   マンハッタンから車で二十五分位の近郊にある我が家

   の、向う三軒両隣は殆んど白人で、朝晩、顔を合わ

   すと四方山話などして、親しく付き合っているが、

  「貴方は、どうして勤めを辞めたの?」と聞く人は一人

   も居ない。だから、ぶらぶらしていても、気は楽であ

   る。

   米国の社会は、余計なお節介をしない ( mind

   your own business ) という根強い慣習がる。他

   人の生活様式に、余計な世話をやくことはしない。そ

   の代わり、いざ何かある時も、手を貸すことはあまり

   しないという両面性があるので、この慣習の良し悪し

   については、そう簡単に、一概には言えない。た

   だ、いざという時、特に隣近所を煩はす必要はないと

   いう家庭環境にあるのであれば、お節介をしない隣人

   と一緒に暮らすのは、非常に気楽で良い。

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             『本文』  

 

私は、若い時から、三等分人生に目標を設定し、且つ、時間割まで作った。そして、ほぼ計画した通り、五十五歳で、給料取り生活に終止符を打ち、今は、第三段階である余生の生活を過ごしている。

余生というのは、私に取って、人間本来の生き方に戻ることを意味する。

     日出でて作し、 日入りて息う

     井戸をうがいて飲み、田を耕して食する

     帝王の権力、我になんの係りありや

 

古い昔、お隣りの唐土で、尭帝の時代に、市井人が唱った泰平の世の歌で、今を去る四千数百年前の伝説に出て来る物語である。

尭帝は、果して実在人物であったかどうか、はっきりしたことはよく分かっていない。しかし、この歌は、本来人間が望んでいる生き方をいとも素朴に唱い出している。今の人は、このような生活を、晴耕雨読の日々だと云っている。 昔の晴耕は、野良仕事だったが、今は、花作りから、ゴルフ遊びに至るまでいろいろと網羅している。

 

それまで、ずっと月一 ( つきいち ) ゴルファ だった私は、退職後、一転して週一 乃至 週二のゴルファに変身し、裏庭の花木は俄然増え、芝生は綺麗に刈り込まれるようになった。 昔の雨読は、主として、読む事に楽しみを求めていたが、今の私は、読む外に、随筆も時折書いている。

現役時代、私は、友人達と雑談中に、幾度か、三等分人生の構想に触れることがあった。しかし、単なる理想論に過ぎないとして、真面目に受け取る者は殆ど居なかった。また、私が定年を待たずに、退職すると言い出した時、友人や同僚は、それを冗談として受け取った。実際に辞めたあと、今度は、私が自立して事業を起こすに違いないと見た。

 

私は現役時代、人並みに働き、会社の勤務評定もかなり良かったので、私がそのまま社会の第一線から退くとは、誰も予想出来なかったようである。 人間の性分は、生まれ付き苦労性である人も居るが、一部の野心家を除き、大半の人は、本質的には、怠けられるものなら怠けたいように生まれている。大半の人がそうであるなら、私もそうである。

 

面白いことに、私の友人共も、概して同じような性分を持っていながら、私の早期退職の動機が「怠け」に端を発っしていることに誰も気が付かない。また、私の目標が 「晴耕雨読」の生活であると見る人も居なかった。尚且つ、私が率直にそう打ち明けても、その通りに信じて貰えなかった。

 

退職後、しばらく月日が経ち、相変わらず、鳴かず飛ばずの日々を過ごしている私を見て、友人共は益々不思議に思ったようで、「君は、いま一体何をしているのか?」と、機会ある毎に聞かれ、答えるのに窮した。

 

私は、ニューヨークという異国の地で、会社勤めを切り上げた。三等分人生を計画し始めた時分、まさか、職場が外国に移転し、異郷で余生の生活を始めるなど、全く予想もして居なかった。しかし、結果的に、この広い大地で一時なりとも、余生を過ごすことが出来るようになったのは、予想外の幸いであった。

マンハッタンから車で二十五分位の近郊にある我が家の、向う三軒両隣は殆んど白人で、朝晩、顔を合わすと四方山話などして、親しく付き合っているが、「貴方は、どうして勤めを辞めたの?」と聞く人は一人も居ない。だから、ぶらぶらしていても、気は楽である。

 

米国の社会は、余計なお節介をしない ( mind your own business ) という根強い慣習がる。他人の生活様式に、余計な世話をやくことはしない。その代わり、いざ何かある時も、手を貸すことはあまりしないという両面性があるので、この慣習の良し悪しについては、そう簡単に、一概には言えない。ただ、いざという時、特に隣近所を煩はす必要はないという家庭環境にあるのであれば、お節介をしない隣人と一緒に暮らすのは、非常に気楽で良い。

 

東洋の社会伝統を端的に表わす場合、人々はよく 「人情味」という言葉を持ち出す。人情味、簡単に言うと、思いやりがあるということで、思いやりは、無いより有ったほうが良い。しかし、度が過ぎると、却って、「世間体」が気になり、煩はしくなることもある。

私の早期退職に対する、友人、知人共の関心は、東洋風人情の一端を表はすものだと言える。時として、そのような関心は、過分になると、余計なお世話になることもあるが、善意が出発点にとなっている以上、煩わしいかも知れないが、悪く思うわけに行かない。

 

私の、少々風変わりな考え方、あるいは 生き方について、首を傾げる友人、知人に、納得して貰えるようにいちいち説明するのは、容易 ( たやす ) いことではない。時間と手間が掛かるからである。 今、私は、閑人になったのを幸い、随筆の形で、三等分人生の構想をまとめて書き上げてみることにした。自分で振り返り見て良い思い出になるし、また、友人、知人共の目にふれる機会があれば、私の考え方に対し、もっと良く理解して貰らえるようになるであろう。

目を通せば分かるように、私の 「三等分人生」の発想は、そんなに謎めいたものではない。平凡な給料取りが、一生を楽に過ごしたいと思うなら、どうすればよいか、そこに焦点を合わせて考え、早めに時間割を作り、その通り実行に移しただけに過ぎない。

 

怠け者が楽をしたいなら、後楽園球場の名称が示唆するように、「先憂後楽」の道を選ぶしかない。それが、私の基本発想で、「棚から牡丹餅」を期待するより、こちらの方が当てになる筈である。

 

私と同類の給料取り人種は、今後共ずっと絶えず、この世に生まれ、この世の為、自分の為に活躍する。そして、私と同様、苦楽の日々を体験し、時折、悩みに遭って呆然自失することもあろう。

この一文が、私の後に続く給料取り諸子の、目に触れる機会があって、より良い人生設計に、多少なり示唆になる所があれば、私に取って、これほど喜ばしい事はないと思う次第である。

全文完


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