日曜日は集落のお祭り。山の神様と蛇王様にお参りしてきた。どんなお祭り? 説明できない、わからない。二度目の今年、色気をちょっと出して、イワレを伺ってみた。「山の神様? 山の神様は山の神様じゃ」。あの、謂れとか・・・。
山の神様でお祭りを済ませ、蛇王様に向かう。途中、蛇王様について聞いてみると、こんな話しをしてくださった。車での移動中だから、聞き逃したことが多いが、概ねこんなこと:
昔、殿様がおって、いろいろな仕事をされた。ところが目を患われていたそうな。あるとき、殿様は領地の地検を家臣に命じられたと。山を調べてる時分、家臣たちはあるところで大きな蛇を見つけられた。ところがその目の色がほかの蛇とは違っておった。「これは何かいわれがあるかもしれぬ。大切にお祭りすれば、殿様の目も治るかもしれない」。そのヘビがおったところに祠を建て、拝みだしたそうだ。するとどうだろう、殿様の目は日に日によくなっていって、ついに治ってしまった。それ以降、その祠は目の病に霊験あらたかと、人が絶えぬそうな。
昭和59年に「越知町史」が発行されている。「鎌井田老人里の家」、集落活動センターとでも言ったらいいか、内の集会所。選挙の時、投票所にもなるし、お祭りの後の「なおらい」などでも使われる。でも、公民館は休校となってる明治中学にある。そこにも一冊おかれている。今住んでいるところ、片付けるのを前提にした形で購入してる。片付けの最中に、この町史を見つけた。1200ページを超える大作、字も細かい。知りたいことが出てくるろうか、ページを捲ってゆくだけでもゾッとしてくる・・・。
うん、うん、お祭りのことも網羅されてる。鎌井田貢神社の「おはけたて」(県下で類似するのが少ないとまで記載されてる)、虫送り、お日待ち祭などなど。もちろん蛇王様のことも出てきた。ニュアンスは違うけれど、大方先ほどのような話しがあって、崇められてることが分かった。ところが、知らないこと、無くなったものも。七夕祭りの時、鎌井田と対岸の浅尾集落の間、川を跨いだ大しめ縄を張ったという。この集落のどこかに「見渡し地蔵」さんがおわす。踊りを奉納していたというが、盆踊り以外踊りの機会はない。この継続・廃れは「当事者」で決めてこられた。今、自分という風の者が、ここで「当事者性」をもってどう考え行動するか。想像以上に、この町の民俗学、地誌などの観点から残すべきことがあるのかと思う。復活させるなら急がないといけないだろうし、復活させないならより正確に省かず伝え残すことを考えなくてはならない。手伝わせてもらえないだろか。
(山の神様の祠)
今日の一枚:蛇王様の祠。去年のお祭り以降どなたかお参りに来られた様子。お神酒がお供えされてた。