二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

論語読みの論語知らず

2015-07-26 16:38:56 | 徒然に想う

例の「植物生理学」を読み進めている。実に今まで知らなかったことがどんどん出てくる、読んでいて楽しくてたまらない。輸送タンパク質というのが出てきた。奇跡、まさに奇跡。神秘、実に神秘。どうしてそんな仕組みが出来上がったのだろうと驚くばかり。驚異以外のなにものでない。いかに神=自然がすごいとはいえ、何億年もの偶然の積み重ねだけで、よくもまぁ、あんなシステムを作り上げたものだと驚嘆するばかり。

細胞膜の厚みは8nm(nmは10億分の1メートル)。地球と月の距離がおおよそ40万キロ、4億メートル。その20倍の距離から、地上の高さ1メートルの塀を想像する…。まったく実感の伴わない大きさになる。だが、その壁の中に、水や栄養分、細胞と細胞の間をつなぐパイプのようなものが何本も通っている。このパイプを通るときいろいろな動力が働く。その膜で隔てられたそれぞれの細胞内のある物質の濃度差だけではない。電圧の違い、も用いる。電圧が高い方向から低い方向、それに逆らうようにと、縦横無尽だ。しかも、その電圧のエネルギーは光合成をしながら自ら作り出してる。で、そんなものが一個一個集まると、やがて根になり茎になり葉になり、そして花、実となる。遺伝子による選択なのか、神=自然の御意志なのか、必要なものが必要なところに流れ、違う形になり、違う役割を担う。しっかりしたことに、持続的に存在できるよう連綿と残るよう「種」という缶詰まで用意する。

細胞のことを思えば、植物に限ったことじゃない。動物の細胞の中でも「神秘」や「奇跡」が起こり、多種多様な形で具現化され、持続的に繋がっていく。さらに、例えば、朝圃場に向かう道すがら見る植物や虫たち、鳥たち。そして研修生仲間、職員、日々雇用のおんちゃん・おばちゃんたち。お世話になった人たち、大切な友人たちなどとの出会いの確率は計り知れない。すべてが、神=自然の御意志なのか、偶然に導かれ、その時の時間を、その思いを共有する。これは、奇跡だ。

はたして、この微妙なバランスは簡単に修復できるんだろうか。傷つきやすく、壊れやすい。一回壊れると取り返しがつかないんじゃないだろうか。そう、気になるのは、これだ。このきわめて微妙なバランスの中に、人が「作った」ものを入れたらどうなんだろう。本来、神=自然が必要なしとし用意してなかったもの取り込ませたとき、植物のそのもののバランスは崩れたりしないもんだろうか。影響を考え始めたらきりがない。…いや、それもそうだが、一個一個の存在が奇跡なのに、それを乗り越え出会う。そう、この出会いを、この奇跡を大切にしなければならぬ。その意味がどうもわかっておらんかった、読みながらそんなことをも思う。

 

 

今日の一枚:昨日の朝 6時半ころ、圃場に一人巡回に出る。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
さよならだけが人生か? (joe)
2015-07-27 19:04:04
庵主の文を読みましたら、何故かこの詩を思い出してしまいました。
井伏と寺山
どちらも味わい深い。
さよならが、死ならば、出会いは誕生か。
縁とは不思議なものですね。
クソ暑い昼下がりに記す。

どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
「さよなら」だけが人生だ
井伏鱒二

さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう
はるかなる地の果てに咲いている 野の百合は何だろう
さよならだけが人生ならば めぐり会う日は何だろう
やさしいやさしい夕焼と ふたりの愛は何だろう
さよならだけが人生ならば 建てた我が家はなんだろう
さみしいさみしい平原に ともす灯りは何だろう
さよならだけが 人生ならば
人生なんか いりません。
寺山修二
Unknown (二畳庵庵主)
2015-07-28 19:51:22
いつもありがとうございます。

大好きな農家さんの文章に、「分別」「相対」のことが出てきます。「さよなら」に対し「こんにちは」、「死」に対し「誕生」ですよね。で、彼は言うんです、「細分化」「複雑化」と続き、そして最終的に「混迷」するんだと。結局、「分別」しようとしたことが誤りで、本来「分別」できるものではなかったのだと。

いま、こうやって植物のことを改めて読んでいくと、とても細分化されているとわかります。で、細分化されたものを読んでいけば、色々な事がわかると思っていました。幸いなことに、庵主の場合、「混迷する」以前に、そこにある偶然性があまりにも偶然であること、一つの細胞が奇跡なんだから、それが集まった一つの生き物の存在・行為はそれ以上に奇跡である。さらに、そこに二つの生き物が出会う=「縁」ということになると…と感じいった次第です。

寺山も井伏も同じことを言っているんですね。

コメントを投稿