めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

開戦を肯定するデッドライン

2017-08-17 16:19:13 | 戦争

いよいよきな臭いにおいがプンプンしてきましたが、最近メディアで目に付く
デッドラインと言うのが有ります。
お互いに吠え立てるオオカミのデッドラインは、開戦を意味します。
様々な挑発行為に対し、具体的な軍事行動を指していますが、その基準を
何処に設けるかで、双方の戦う意味が変わって来ます。

どちらかが先に手を出す事で、出された側は、戦争への理由を定める事が出来

国民や支持者たちからの支持を得られやすくなります。
本来誰もが嫌う戦争への加担理由が、相手国の暴挙となると、正当防衛と言った
国民を納得させる便利な口実とも成るのです。

かつて、日本軍がハワイの真珠湾を奇襲した時も、一説では、アメリカは、

日本が先に手を出す事を待っていたとも言われています。
東アジアの脅威としてアメリカの世界支配を脅かすものと成りつつあった
日本を、兵糧攻めで孤立させながら、叩く機会を待っていたアメリカにとって
真珠湾攻撃は、絶好の口実となったのです。

どんなに軍事力が有っても、国民の支持が無ければ、単なる軍の暴走であり

下手をすれば政権交代ともなりかねません。
中国、韓国、北朝鮮と言った国々が、兼ねがね日本を敵対視し、小さい頃から
日本を蔑視する教育を行うのは、新たなる日本との争いや交渉事に於いて
自国の判断が常に正当化され、その時の政権が維持されるために他なりません。
国民の敵を、常に海外に向ける事に依って、国内に生まれる反対組織や
反乱組織の芽を摘む事にもなるのです。

しかしながら、国民が、正しい情報を得られない社会は、不幸な社会と言えます。

かつて、日本は、軍から発表される情報を信じた事に依り、国民の多くの命を失い
自分達の自由と未来を失ってしまいました。
戦争に負けて、事実を知った時、日本人は、軍事国家の恐ろしさ、戦争の悲惨さを
嫌と言う程学びました。その結果が戦争放棄であり、国民主権の尊重でした。

デッドラインに達しようとしている国々は、お互いの主張を崩しませんが、

この背景には、巨大な軍事力と、それに伴う巨大資本が蠢いています。
戦争による膨大なる利益が有るからこそ、危険な賭けに出ていると言えるのです。
方や、世界トップの軍事大国に対抗できるとする軍事力を作る事で、
自分の存在価値を国民に納得させようとする意図が有るのですが、その為に取られた
国内での数々の弾圧凶行、恐怖政治は、例え軍事力が高まろうと、国民の未来を
明るくすることは無いのです。

どちらにせよ、デッドラインは、国民にとって何の利益も無く、そのラインを越えて

開戦に踏み切った途端、両国の国民だけでなく、周辺国の多くの人々を傷つけ苦しめ
暗い未来を作る事と成るのです。
戦争は、基本的に、決定をした本人や周辺の支持者にとっては、安全が確保されていて
相手国に占領され、首脳部が攻撃されない限り、トップの人々には、危険は及ばず、
その代わりに、国民の多くが命を奪われ、生活の場を失ってしまうのです。

もし、戦争と成れば、どちらかの指導者が、必ず悲惨な最期を遂げるとなっていたら、

中々戦争は起こらないのです。
何処にデッドラインを設けるかは、国民にとっては何の意味もなく、被害を受ける日が
近くなるか遠くなるかであり、結局は、膨大なる国民が死の淵をさまよい、悲しみと
怒りで戦いの後もその記憶に苦しめられ続けるのです。

日本に於いても、デッドラインが、リーダー達や彼らを支持する企業人にはあっても

国民には在りません。
彼らが生き残り、良い思いをする為に戦いを選択し、国民は、その陰で捨て駒と成るのです。
そんなに戦いたいならば、首脳陣だけが、お互いの国から集まって、何処か南の島で、
殴り合いでもして決着を付ければ良いと思ってしまいます。

戦争は、殆どの国民にとって、とんだとばっちりとしか言いようが無いのです。

第二次世界大戦においても、日本国民が数百万人もとばっちりを受けて命を失いました。
戦う事でしか仕事が出来ない政治家は、そもそも外交的な交渉に関わってはならないのです。
戦いを決めたほんの一部の人々によって、膨大なる国民が殺され、多くの国々が、その影響を
強く受け、戦った国だけでなく、世界中の国々の人々に苦しみと悲しみと、怒りを生むのです。

戦争は、今や、その周辺国だけで片付くものでなく、使われた兵器により、人類の未来にも

悲惨な結果をもたらしかねないのです。
戦争は、戦争決定者のエゴイズムで成されるのであって、国民の意思ではないのです。
国民が開戦を祝福するのは、それまでの、メディアにおける洗脳の結果であり、
戦いは、国民を、事の正義、嘘、誠に関係なく、圧倒的な支持が有ってこそ意味を成すのです。

今の日本は、開戦と成っても、国民の圧倒的支持は得られません。

何故なら、国民の心に、諸外国を憎み嫌う心が育っていないからです。
戦争放棄と共に、国民の意識は、常に、正しいものに素直に目を向ける様になっているからです。
これこそ、日本が諸外国に胸を張れる事であり、近隣国が、子供達に、反日教育をしているのとは
雲泥の差であり、日本人が誇るべきものと言えるのです。

しかしながら、近頃、日本社会も、あらゆる場面で、国家への服従を示唆する流れが生まれています。

国民全員に番号を付けたり、様々な集会を監視したり、軍事力を持つことの正当性を訴えたりと
平等社会と言う理念から、より、確実な縦社会への移行の意思が感じられます。
つまり、トップの意向は絶対であり、ピラミッド構造の様に、国民は、リーダーの考えに
有無を云わず従わざるを得ない社会に向かっているともいえるのです。

戦後72年、対外的な争いを免れたものの、またもや戦前の閉ざされた社会が頭をもたげ、

国民が、生活だけでなく、心まで支配される恐ろしい時代がやって来るかも知れません。
ミサイルが日本に着弾するかもと言う恐怖を持って、我が国もその脅威に対抗すべき力を持つべきと
軍事力に期待する方々も多く、昔の戦争成金と言う嫌な言葉が思い出されます。

また、もしも、戦争と成って、日本の街が大きな被害を受けたとすると、当然、その怒りは未来への

報復へと向かい、それを利用する軍事国家へのたくらみを抱く方々も増えるのです。
戦争は悲惨であることが一番の問題ですが、戦争は、膨大なる利益を目論む人たちにとっては
喉から手が出る程楽しみとも言えるのです。

日本に有る大手企業に於いても、これまでの戦争で会社を大きくしてきた事実もあり、国民の犠牲が

企業の発展に繋がっているともいえるのです。
これは、世界の歴史を紐解いてみても、戦争によって、産業が発展した例は数知れず有るのです。
第一次世界大戦も第二次世界大戦も、膨大なる数の戦死者が出て、傷ついた人々は、数千万とも言われ
その人的被害や物的被害を見れば、世界中の人々が眉を顰める物と言えるのですが、その反面
戦争によって発展した産業は、現代の大手企業にまで続く巨大企業を生む事にもなっているのです。

これまで、アメリカは、世界中に派兵して、多くの戦争に関わって来ました。

表向きは、世界のポリスとして、戦争を制圧し、平和な国を創るとして来ましたが、その裏では
まるで植民地の様にその地に駐留し、多くの利益をアメリカに吸い上げるシステムを構築して来ました。
当然、今回戦争になった後、どんなに悲惨な結果となっても、その後の利益のイニシアティブを
目論んでいるのは明らかなのです。

そんな、商人そのもののアメリカに、腰ぎんちゃくの様にくっついていれば、安全を守られ、更には

おこぼれを頂戴できると考えている様では、日本は、これまでと変わらず、アメリカ資本に支配され
戦後72年と言わず、100年以上も植民地化され続けると言えるのです。
自分の利益しか考えられない様な人は、リーダーと成ってはいけないのです。
幾らパフォーマンスが上手でも、弁舌が豊かであっても、実質、国民の苦しみが癒されなければ
無能の政治家と言わざるを得ないのです。

日本国民は、国民同士、心のやり取りができ、大自然と共に共存できる民族です。

目先の便利さや経済力で満足するような器の浅い民族では有りません。
もっと国民の意思に基づいた、日本国民全員を幸せに導くことを考えられる政治家や企業人が
生れない限り、いつまでも、アメリカ経済大国の尻尾にしがみついていなければならないのです。