羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

ことばと生きる ことばで生きる

2017年08月02日 14時00分12秒 | Weblog
 昨日、日本近代文学館 夏の文学教室 第54回「大正という時間ー文学から読む」を、有楽町よみうりホールで聞いた。
 15分前に会場に入った。
 1100席は、すでに満席状態だった。

 文学に関心がある方々が、こんなにも大勢いることに驚いた。
 若い方も見かけたが、元気な高齢者が多かった。
 客席を見回すと、女性ばかりという想像は見事に裏切られて、男性の50代、60代、70代、そして80代らしきかたもいらした。

 舞台を見るとステージには演台とマイクのみ。
 バックは質素とも思える濃紺の幕だけ。
 なんともシンプルな設えである。
 
「おー、久しぶりにパワポなしかー」

一時間目は、「大正時代の光と翳ー文化学院と大逆事件」赤坂真理
 
 あゝをとうとよ、君を泣く、
 君死にたまふことなかれ、
 末に生まれし君なれば
 親のなさけはまさりしも、
 親は刃をにぎらせて
 人を殺せとをしへしや
 人を殺して死ねよとて
 二十四までそだてしや。

 …………

 旅順の城はほろぶとも、
 ほろびずとても、何事ぞ
 君は知らじな、あきびとの
 家のおきてに無かりけり。

 …………

 暖簾のかげに伏して泣く
 あえかにわかき新妻を、
 君わするるや、思へるや、
 十月も添わでわかれたる
 少女ごころを思ひみよ、
 この世のひとり君ならで
 あゝまた誰をたのむべき、
 君死にたまふことなかれ。


 文化学院というと、この歌が思い出される。
 実は、与謝野晶子のこの歌で、十代の私は目覚めたような気がしている。
 
 さて、と、創立者の西村伊作は、大逆事件で死刑に処せられたおじの遺産で学校を作った! 
 はじめて知った。
 昨日の話を聞くまで、文芸や美術といった芸術を重んじ、リベラルな学校という印象しかなかった。
 そこに隠された伊作の深い思いを知って、大正期という時代の光と翳、という演題の意味がようやくわかったような気がしている。

 明治は、近代国家を強引につくりあげた。それゆえの矛盾がある。
 戦争には勝った。一旦、大正で隠されたその体質は、昭和になって顕現する。
 明治と昭和初期の狭間で、軍縮傾向の世の中に、音楽・美術・文芸、もろもろの芸術が輸入され、それを支えたのが大正デモクラシーだった。
 日常の生活の本当の豊かさは、何か?
 それが文化学院の表の顔だった。
 
 いのち短し大正美人だ。

 その裏では、社会主義(革命)、平和主義が隠されいて、都会と地方の格差が大きくなった時代だったのだ。

 今、文化学院は閉校の危機にあるという。
 現代のリベラルの死は、政治だけでなく、教育にも及ぶのか、と講演者・赤坂氏の穏やかなる悲鳴が聞こえてきた。

 おー、こわい時代がやってくるのか、こないのか。

    君死にたまふことなかれ
 
二時間目は、「室生犀星の世界」荒川洋治

 二つの詩を軸に、芸術派であった犀星のなかにある、プロレタリア的な息づかいを、見事に話された。
 
 ふるさとは遠きにありて思ふもの 
 そして悲しくうたふもの    …… 小景異情

 したたり止まぬ日のひかり
 うつうつまはる水ぐるま
 あをぞらに
 越後の山も見ゆるぞ
 さびしいぞ          …… 寂しき春


 かなしき生い立ちと生きた時代、そして北原白秋と萩原朔太郎を引き合いに、高村光太郎 …… 詩の芳醇な世界を語ってくれた。
 小説家としての犀星の存在と大正という時代の陰影が浮き彫りにされた。
 現代の詩人・荒川氏のことばは、論理と感性と直感のバランスがものすごくよかった。
 たっぷり、日本語を堪能させてもらった。

三時間目は、「背筋なり曲がる夢二に真っ直ぐなる虹児ー竹久夢二と蕗谷虹児」阿刀田高

 蕗谷虹児が童謡「花嫁人形」の詩人とは知らなかった。
 話を聞いてみるとなるほど、大正期のモダニズム、フランスに憧れた芸術家気取りの若者が夢二を慕った意味がわかる。
 配られた「夢二ごのみ」を読むと、いかにもさよう、というかぶれようが見えてくる。
 フランスかぶれ、詩人かぶれ、鼻持ちならないおじさんが、明治と昭和の狭間に生きたことが、なんだか救いになってくる。
 最後に、ちゃんとカデンツを演奏する阿刀田氏は、夏目漱石、芥川龍之介、森鴎外を引き合いに、女性へのサービスも忘れない。
 男尊女卑の文芸に対して、蕗谷の描く女性は、夢二の曲がった背骨の女性像でなく、真っ直ぐに背骨を立てた大正期の女性を描いた、とおっしゃる。
 五七五の調べにのせて、リズムと日本語の美しさを、シンメトリックに楽しませてくれる画家であり詩人だった、というまとめ。

 坂の上の雲を求めて駆け足で上り詰めた明治期、暗黒へと向かう昭和前期、ふたつの時代の真ん中で、詩も小説も華麗な華を咲かせたデカダンのフランス・パリの香りをにおわせることを許した大正期。
 阿刀田氏は、心得て、臆面なさそうなスタイルで、文豪批判をしつつ、随所で高尚な笑いを誘うみごとな日本語を聞かせる。
 これぞ文学者の日本語であるぞ! なんて威張った風情はかけらも見せない。
 おみごと!
 最後には自画自賛のことばで、煙に巻かれてしまった心地よさが残る。

 蕗谷虹児の詩

 菊不二ホテルの一室を
 趣みの部屋にしつらえて
 夢二は住んでおりました

 紫檀の椅子に支那卓
 夢二趣みのクッションの
 刺繍はハートでありました

 外国煙草の紫の
 煙がただよう部屋でした
 グラスに注いだ紅い酒
 
 これは巴里のヴァン・ルージュ
 味は甘くて酸っぱいぜ
 ほろりと酔うのがフランスさ

 私は十九でありました
 夢二の絵から抜けたよな
 お葉さんがまぶしくて

 紅い顔してはにかんで
 小倉の袴に紺絣
 きちんと座っておりました

 阿刀田高さんのことばのヴァン・ルージュに酔わせていただきました。

 ごちそうさま。

 
 
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